Story3
「ケイ……ずっと私を信じて待っててくれたんだよね。 わかったよ、戻る」
バックから小さなメモ帳を取り出して、その花びらを一番上にはさんだ。
元々人間なんかじゃなかった。 私はケイの家の花園に咲いていた胡蝶蘭。 ケイは魔法使いで、私たちを大事に育ててくれる人。 魔法で私たちに話す言葉をくれた人。 そして、私を10年間だけ人間にしてくれた人。
ケイは時々、人間の世界に出かけたときに、起きた出来事をよく聞かせてくれた。 それを聞いた私は、毎回人間の世界への憧れが強くなったんだ。 でもケイが最後に付け加える言葉は、いつも同じ。
『それでも、人間とその世界は君たちほど美しくはないんだ』
私にはまだその意味がその時は分かってなかった。 人間になろうとしたのはその意味を確かめるためでもあったし、人間がケイのようないい人だと信じたかったのもあった。
人間の世界は楽しかった。 けど、汚いところもたくさん見てきた。 それでも、人間の世界は悪くないと思う。 おとうさんにもおかあさんにも友達にも何も言わないできちゃった。 だけど、もう後戻りはできないから。
電車を降りると、地面がカラフルな場所についた。 先程からさしてきた太陽の光がまぶしい。 眩しさに目が慣れたころ、それが色とりどりの花だと気付く。
「キレイ……」
久しぶりに見る光景に思わずうっとりする。 少し先を見ると、小さな煙突の家が見える。
「ケイの家だ!」
「おかえり、蘭」
出迎えてくれたのは、夢で見たあの男の人と同じ。 昔のまんまのケイ。 安心する。
「長旅で疲れただろう? 紅茶とクッキーを用意してあるから、中においで。 どうせ魔法が切れるまで、もう少し時間がかかるから」
そういうと、ケイはドアを開けて中に入っていった。
“オカエリ”
“ヤクソクマモッタ”
“マタアソボウヨ”
あちこちから聞こえる声。 きっと花たちの声だ。 花の時だったら、誰が誰だか見分けがつくのだけれど、まだ人間だから。
「もう少し待ってて、魔法が解けるまで、ね」
私は花たちに笑いかけて、家の中に入った。
ケイの家の中は暖かかった。 煉瓦でつくられた壁に、木のテーブル。 火がごうごうと燃え盛っている暖炉は、私たちを照らして包み込んで、和ませてくれる。 花だから入れなかった家は、とても珍しくて、初めて飲んだケイの紅茶は、とてもおいしい。
「ケイ、紅茶っておいしいんだね」
「あっちでは飲まなかったのかい?」
「飲んだよ。 でも、ケイの紅茶は初めて飲んだから」
「そっか。 君は花だから、紅茶は飲めなかったからね」
こうやって久しぶりにケイと話せた。 なんだか楽しすぎて、人間の世界にいた記憶が薄れてくるくらいだ。
「どう? あっちの世界は楽しかった?」
「楽しかったよ。 でも……」
「でも?」
「……ケイといたほうが、落ち着くかな」
私が言った答えに、ケイは驚いた顔を見せた。 けどすぐにいつもの優しい笑顔に戻って、私の頭にぽんと手をのせて、なでてくれた。
「やっぱり君の美しさに人間の世界の美しさは釣り合わないんだよ」
「ケイ……」
「10年間人として生きたのなら、僕が人間の話をする度に言った言葉の意味が、もうわかるだろう? 僕はね、人間が悪いといっているのではないんだ。 人には人の美しさというものがある。 だけど、花には人間以上の美しさがあると思っているんだ。 曇りのない、まっすぐで純粋な美しさがね。 僕が好きなのはそんな美しさなんだ」
「そうだったんだ……」
今ならわかるよ。 私だってもう子供じゃないんだから。 それに気付いたんだ。 私はもしかしてかもしれないけど、ケイのことが……。 なんてね。
「……なんだか眠くなってきた」
「疲れたんだね。 そこにベットがあるから、寝るといいよ。 目が覚めるころには、魔法が解けてるから」
「うん、そうする……」
眠くて重たくなった足取りで、ベットに向かう。 これでもう人間になることはないのかと思うと、少しさみしいな。
「蘭」
「ん?」
「……信じてくれて、ありがとう」
「うん……」
私はケイに笑いかけてから、この重くなった瞼を閉じて、意識を手放した。
「おやすみ」
紅茶にかけた眠り姫の魔法が効いたのかな。 ゆすっても起きないや。
戻ってきてくれてとても嬉しいよ。 10年前に魔法を解いて人間の世界に戻した時は、もう戻ってこないんじゃないかって冷や冷やしてたけど、さっきの話を聞く限り、その心配はなさそうだ。
君のその純粋で穢れのない心が人間であることは本当にもったいないんだ。 その心のあるべき場所は花なんだ。
もう君は人間の世界の汚さに触れないほうがいい。 その10年間の記憶を消して、僕の部屋に置いてあげるよ。 君は特別だ。 これまで数多くの穢れない心を花に移してあげたけど、君はその中でもずば抜けているんだ。 恐ろしいほどに。
とても美しいよ。 僕はそんな君が好きだ。
愛してるよ、蘭。 もう聞こえないだろうけど、僕はずっと君を愛して大切にするよ。
僕は再び花になった蘭にキスを落とし、部屋の明かりを消した。
Ending3 魔法使いと眠り姫
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