Story2
「でも私……どうしたらいいんだろう」
私はその花びらをじっと見つめた。
元々人間なんかじゃなかった。 私はケイの家の花園に咲いていた胡蝶蘭。 ケイは魔法使いで、私たちを大事に育ててくれる人。 魔法で私たちに話す言葉をくれた人。 そして、私を10年間だけ人間にしてくれた人。
ケイは時々、人間の世界に出かけたときに、起きた出来事をよく聞かせてくれた。 それを聞いた私は、毎回人間の世界への憧れが強くなったんだ。 でもケイが最後に付け加える言葉は、いつも同じ。
『それでも、人間とその世界は君たちほど美しくはないんだ』
私にはまだその意味がその時は分かってなかった。 人間になろうとしたのはその意味を確かめるためでもあったし、人間がケイのようないい人だと信じたかったのもあった。
人間の世界は楽しかった。 けど、汚いところもたくさん見てきた。 それでも、人間の世界は悪くないと思う。
「……あれ?」
だとしたら、私の両親は一体なんだったのだろう? 記憶が戻った今もあの両親は本物だったような気がするのだけど、私が以前は花だったのであればあの両親はどこから来たのだろう? その疑問を解決するため、様々な記憶を引っ張り出す。 あれでもない、これでもない……。
「あっ」
『蘭!? 目を覚ましたの!?』
『え……?』
『蘭……よかった……目を覚まして……っ!!』
今思い出した、両親との最初の記憶。 これは花としての記憶を取り戻す前でさえなかった記憶だ。 どうして今まで思い出さなかったのだろう。 それより、あの反応はなんなんだろう? まるで今まで意識がなかったかのような……。
“蘭! 蘭!”
この声……どこから聞こえてきてるの? 周りには誰もいない。
「誰か……いるの?」
恐る恐る、言葉を発する。
“あなたの膝の上の花びら! 水持ってたらかけてくれない?”
確かによく耳を澄ますと、声は花びらから聞こえてくる。 私は言われた通りにするため、バックからお茶を取り出した。
「お茶でも……大丈夫なの?」
“全然大丈夫! 人間の世界のものを浴びればオッケーだから!”
「じゃあ……」
私は床に花びらを置いて、お茶を手に移してゆっくりと花びらにかけた。
「えっ!?」
花びらは自ら光を放ち、みるみるうちにその形を別のものへと変えていく。 外の闇を跳ね返すかのように輝くそれは、とても眩しくて、目を開けていられない。
「やっと会えた……蘭。 思い出せる? 私のこと」
「……わた、し!?」
電車を降りると、花がたくさん咲いている場所についた。 でもその花たちからは、どこか哀愁が漂っている。 さっきよりは明るくなったけど、空はあいにくの曇天模様だ。
「本当だったんだね」
久しぶりだけど、10年前に見た景色とは全く違う。 前はもっと明るかったのに、それでさえも……?
少し先を見ると、小さな煙突のある家がある。
「ケイの家だ……」
「おかえり、蘭」
出迎えてくれたのは、夢で見たあの男の人と同じ。 昔のまんまのケイ。
「長旅で疲れただろう? 紅茶とクッキーを用意してあるから、中においで。 どうせ魔法が切れるまで、もう少し時間がかかるから」
そういうと、ケイはドアを開けて中に入っていった。
“オカエリ”
“ヤクソクマモッタ”
“マタアソボウヨ”
あちこちから聞こえる声。 きっと花たちの声だ。 花の時だったら、誰が誰だか見分けがつくのだけれど……。
私は花たちの声に聞こえないふりをして、家の中に入った。
ケイの家の中は暖かかった。 煉瓦でつくられた壁に、木のテーブル。 火がごうごうと燃え盛っている暖炉は、私たちを照らして包み込む。
「紅茶、嫌いだったかい?」
「ううん。 けど、いまはいらない」
「そう……。 まあ、気が向いたらでいいよ」
こうやって久しぶりにケイと話せた。 昔だったら楽しいと感じていたけれど、真実を知った今、ケイにそんな感情は抱けない。
「……蘭、様子が変だよ。 なにかあったのかい?」
ケイは心配したように私の顔を覗き込む。
「お姉ちゃんから聞いたよ、全部」
「……何のことだい?」
私の顔を覗き込むのをやめて、紅茶に手を付けたケイ。
「ケイならわかるでしょう? 私は元々花なんかじゃなくて、人間だったってこと。 ここにある花は全部人間の魂が花になったものだってこと。 ケイが悪い魔法使いだってこと。 私には姉がいて、どっちもあなたのもとに連れてこられたこと!」
私が声を荒げると、ケイは俯いたまま、黙ってしまった。 追い詰められて戸惑っているか、はたまたそれまですべて読んでいるのか、よくわからない。 さらに問い詰める。
「10年前、私に魔法をかけたんじゃなくて、解いたんでしょう? 人間の世界に私を送り出したのも、汚い面を見せてこちらにすべての気持ちを傾けさせるためなんでしょう? あなたの口から真実を聞かせて?」
あの時光り輝いた花びらは、女性になった。 腰まで伸びた黒髪、ベージュのロングコート、黒のブーツ。 その姿かたちは、まさに今の私だった。
「なんで私がもう1人……!?」
「ああ違う違う! 私は燐、蘭の双子の姉!」
「お姉ちゃん? 私に?」
「そうそう! あなたと一緒にあいつに……ケイに花に変えられたんだよ」
「変えられた……? 私は元々花だよ?」
「やっぱり記憶変えられてるか。 あのね……」
「そういうことだったんだ……なんとなくだけど、思い出した。 けど、皆の魔法はどうやったら解けるの?」
「調べてみたんだけど、ケイが住んでる家が魔法を保つ砦になってるらしいの。 そこさえ消してしまえばケイの魔法も消えて、皆元に戻るよ。 私は今元に戻ってるけど、実体はないから長くはもたないんだ」
言う通り、お姉ちゃんの体は少し透けている。 触ろうとしても、触れない。
「わかった……私、やってみる」
「……うん、ありがとう、蘭」
「……まさかそこまで見抜かれてたなんてね、油断してたよ」
ケイはゆっくりと顔を上げ、私に笑いかける。 でもその笑みは今までの温かいものではなくて、どこか冷たいものだ。 怖さで尻込みそうだけど、我慢する。
「君の姉上が言ったことは本当だよ。 だけど、一つだけ間違いがある」
「間違い……?」
「僕は悪い魔法使いなんかじゃない。 僕は純粋な心を純粋な器に移しているだけなんだ」
そういうと、窓のカーテンを開けた。 映された庭には、色とりどりの花々が一面に咲いている。
「見て、蘭。 皆綺麗だろう? 僕はね、人間より花のほうが美しいと思っているんだ。 人間が悪いといっているのではないよ。 人には人の美しさというものがあるのは十分理解している。 だけど、花には人間以上の美しさがある。 曇りのない、まっすぐで純粋な美しさがね。 僕が好きなのはそんな美しさなんだ」
そしてまた私のほうに来て、座っている私の目線まで屈んで、私の手を握った。
「だけど人間の中にだって、花に負けないくらいの花のような美しさをもっている者だっている。 君みたいな人がね。 そんな美しさを、僕は人という器の中に入れておきたくないんだ。 だから僕はこうして、あるべき心をあるべき場所に移しているだけなんだよ」
……狂ってる。 それって、人としての一生を殺してるだけじゃない。 人としていきたい人だっているかもしれないのに。
「だからって、他人の意見は無視なの?」
私はケイの手を振り払って椅子から立ち上がり、ケイから離れる。 辺りを見渡して薪はさみを見つけるとそれを手に取り、暖炉の中から火のついた薪を一つ取り出す。
「私はね、花も美しいと思うよ。 だけどなりたいとは思わない。 私は両親と友達が待つ現実に帰りたい」
「蘭!? なにを……」
「この家を燃やすの。 ここさえなくなれば、皆元に戻るから」
「待て蘭!」
いつもは落ち着いているケイが、相当取り乱しているのか、声を荒げた。 私はびっくりして、ひるんでしまう。
「この家を燃やしても、魔法は解けない! それどころか、全員消えてしまうんだぞ!!」
狂ったのか焦ったのかわからない笑顔で私にそう告げる。 私は……
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