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あの日、隠れ家を崩落させたフィーは真っ直ぐにI―2ブロックにある自分の仕事用家屋へと向かった。もしもの時のためのある程度の蓄えをしていたというのもあるが、そこにメッセージを残すのが一番の目的だった。
かつて奴隷として働いていた作業現場を脱走し、しばらく下層を彷徨ったあと、フィーはある人物と出会った。
その人はフィーに名前と、魔法と、生きるすべを与えてくれた。フィーが師匠と慕うその相手はこのカルデラエリアに住む古参の魔法使いである。
フィーはフルトとその父を連れてエリアを脱出するために、その師匠に協力を要請するつもりでいたのだ。
だがこちらからのメッセージを送って既に四日、まだ師匠からの返信はない。
仕事用の家屋、その一室にある止まった時計の時間、それが指し示す位置で連絡をとるというものなのだが、はたしていつ師匠がそこを訪れてくれるか、こればかりは運に頼るしかない。
それを待つ間フィーは人里に身を隠すのがベストと、二人はD―6ブロックへの空き屋を拝借して生活を開始した。
すぐにでも追っ手がかかって各地を転々とする事をフィーは覚悟していたのだが、その思いとは裏腹に、未だにそれらしい人影は見えない。
なんでもあの崩落の翌日、上層に魔法使いが侵入し君主の邸宅を襲撃し、今もその魔法使いの仲間達と上層の騎士団が追いかけっこを続けているのだとか。そのために二人の捜索にまで手が回って居ないのだろう。
フィーはその魔法使いの話しに図書館で聞いた魔法使いの勢力を連想し、どうにも落ち着かないでいた。どちらにしろ、いつ捜索が始まらないともしれないのだ、速く師匠と連絡を取って計画をすすめなければならない。
のだが、結局はフィーのほうから打てる手はもう無く、こうしてただただ連絡をまつ日々を送っている。
朝食を終えて洗い物を済ませると二人は出かける準備を始める。
フルトの服は下層では目立つので、フィーが下層でよく着られている地味な服とコートを用意した。特徴的な金色の髪はできるだけ目立たぬよう帽子の中に隠させる。
フィーの方は下層ではそれほど目立つ姿でもないため普段どおりの格好だ、ただ、その左目だけはしっかりと包帯で覆い、さらにコートについたフードを被ってその包帯も隠す。
下層で魔法使いであると知れれば、何かしら被害を受けることは珍しくも無い。
子供の頃、散々な目にあってそのことはフィーの身に染みている。
準備が整うと二人は家屋を出て、通りを歩いていく。
ちらちらとフィーは辺りをうかがいながら歩くがやはり怪しい人影はない。
一体上層でどれだけの戦力が投入されているのか、想像も付かない。
歩いていくうちに二人は大通りへと出る。ブロック間を繋ぐこの通りには露天商がちらほらと店を出している。食糧を売る物から、服や武器を商うものとその種類は様々だ。
フルトはそれらの店を見つけるたびに目を輝かせて覗きにいき、言葉巧みな露天商達の言葉にあっさりとひっかかり、フィーにいかにその商品が素晴らしいかを説明してくれる。
フルトが楽しそうに瞳を輝かせている様は微笑ましいが、フルトがいうままに買い物をしていては財布の中身はものの数分で空になってしまう。
フィーは仕方なくフルトの首根っこをつかんで、必要最低限の食糧だけを買い込んで大通りを進んでいく。やがて大通りは開けた広場へと出る。
広場には露天商以外にも、大道芸人や吟遊詩人といった者の姿もみられ、いつもにぎわっている。今日のフルトの気を引いたのは吟遊詩人らしく、彼女は走ってその下へ駆けていく。周りには同じように地面に座って吟遊詩人の話をきく子供達の姿があって、そうしていると、フルトもただの幼い子供にしかみえない。
そんな光景に軽く息をはいてフィーはゆっくりと歩いて吟遊詩人の調べに耳を傾ける。
演目はどうやら定番の勇者様と悪魔の伝説らしい。
私利私欲のために地上からマナを枯渇させた悪魔。
精霊に選ばれた勇者は、その悪魔を倒すために旅に出て、たくさんの精霊を仲間にし、やがて悪魔の元へとたどり着く。死闘のすえ勇者は精霊と共に悪魔を打ち倒し、世界にはマナが戻る。
それはあくまでも、伝説の中の話し。
実際のところ、この世界からマナを枯渇させたという魔法使いが殺されても、この世界にマナは戻らなかった。だからこそ、こうして人々は地下の世界で偽物の太陽の下細々と暮らしているのだ。
誌曲が終わりフルトと子供達が吟遊詩人に拍手を送る。吟遊詩人は応えるように頭を下るが、拍手だけでは腹は膨れない。
フィーが拍手の変わりに銀貨を一枚を放ると、吟遊詩人はそれを器用に帽子で受け取り深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「イや、こちらも善意とイウわけではナイ」
言いながらフィーは一枚の金貨を取り出してちらつかせる。吟遊詩人はそれを見て、意味を察したのか、子供達に今日は終わりと告げると、フィーの元へと歩いてくる。
「上層、魔法使いガ事件を起こしているト聞いタ、詳しい話をシラナイカ?」
フィーがそう聞くと、吟遊詩人は口笛を一つ吹いてフィーの耳元に口を寄せる。
「あねさん、こっちの人かい?」
吟遊詩人は自分の左目を指すようにして聞いて来る。
「歌以外ヲ口ずさむ吟遊詩人ハ嫌われるゾ」
釘を指すように金貨を仕舞おうとすると吟遊詩人は慌ててその手を止める。
「悪かったよ、あんまりはっきりしたことは知らないが、きな臭い話は聞いてる」
「聞こうカ」
金貨をその手に握らせてやると吟遊詩人はニヤリと笑って上機嫌で話し始める。
「上で問題起こしてる魔法使い連中、以前から騎士団が手を焼いてるサバトとかいう組織らしくて、なんでも魔法使いの地位向上を要求しているとか。なかなかクレイジーな奴らでしょう」
「ソウだナ……」
間違いなく、図書館で聞いたあの一団のことだ、フィーは話しの先を促すように金貨をもう一枚ちらつかせる。
「太っ腹ですねあねさん。ただ、どうも今上層で暴れてるとは言われてますが、様子が変な用で」
「変?」
「えぇ、何かを要求するでもなく、騎士団が見失ったらまた姿を見せて、追いかければ消えて、そんなことばかり繰り返しているんだとか」
「ソレハ確かに、妙ダ」
「でしょう? しかも初日だけは全力で君主様の邸宅を襲ったっていうんですから、ますます怪しいってもんです。騎士団の方もそれはわかっているようですが下手に放置もできないと手をやいているらしいです」
わざわざそんな不自然な動きをする理由はなんだ……?
初日、隠れ家の崩落の翌日から動き出した、というのは恐らく偶然ではない。そしてその翌日以降、騎士団をかく乱するかのような動きをし始めた。上層を再び襲撃する隙を狙っているのか、あるいは、上層に敵をとどめておきたいのか。
フィーがもう一枚金貨を取り出すと吟遊詩人は両手を挙げて首を振る。
「イイ話が聞けタ、礼を言ウ」
取り出した金貨の変わりにフィーは銀貨を一枚吟遊詩人に渡してやる。
「いいんですか?」
「アァ、だガ、私のコトは誰にも喋らない方がイイ。お互いのタメニ」
「そりゃもちろん」
吟遊詩人は笑いながら受け取った貨幣を皮袋に詰める。
フィーは正直最後の口止めに関してははあまり期待はしていない。吟遊詩人は語るのが仕事だから、おまじないのようなものだ。
「それじゃまたご贔屓に」
リュートを手に去っていく吟遊詩人を見送って、フィーは近くで商店を覗いて待っていたフルトの元に歩いていく。
「あ、フィーさん、これ、これ見て下さい! まな板も切れちゃうすごい切れ味の包丁なんです!」
楽しそうに興奮気味に話しかけてくるフルトのその態度にフィーは小さくため息を吐いた。