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6

 来た道を戻って行く二人の間に言葉は無い。

 水の流れる音と規則正しい靴の音だけが通路に響いている。

 二人とも先程聞いた話を頭の中で反芻して、考えを巡らせていた。

 大方はフィーの予想していた通りの範囲内の話ではあったが、予想の中でも、悪い方、それもほぼ最悪な予想が的中してしまっている。

 フルトの父がある程度権力のある立場なら、あるいは、彼がまだ捕まっていなかったのなら、打てる手はいくつかあっただろう。

 もしくは、第三勢力と貴族達が争って時間を消費してくれれば、逃げるだけならできたかもしれない。

 だが現実は甘くない。

 後手に回るのを避けるために動いたわけだが、もう打てる手は殆ど無くなってしまっていた。

 フルトをつれてこのエリアから逃げるにしても最低準備に一週間はかかる。逃げたとして、フルトの素性がばれてしまえばまた同じことの繰り返し。

 フルトを大人しく引き渡す。この選択は論外であろう。その瞬間フルトという存在の情報を握っている私は奴らにとってただの危険な爆弾である。

 万が一フルトの存在や、フルトを使って他のエリアを制圧しようとしていたことが他のエリアに漏れれば、このエリアはただではすまない。ゆえに情報をもつ危険な人物は、排除しておきたいはずだ

 フルトを置いて囮にして逃げる。一番現実的な手段はこれだろう。フルトという存在と共にいる限り彼女を狙うものは絶えない。一人であれば逃げるための準備も随分と短縮できる。しかし、

 振りかえり、後を突いてくる小さな少女の顔を覗き見る。

 不安そうな顔で唇を轢き結ぶ年端もいかぬ少女。

 彼女を置いていっていいのかと、柄にもなく思ってしまう。

 情が移ったわけではないと思う。

 たった一日食事と寝床を共にしただけの相手に命をかけられるほど、フィーは情に流されやすい正確ではないはずだ。自分ではそう思っている。

 左の瞳がゴロゴロと蠢く。


「あの……」


 フルトの声にフィーはドキリとする。

 彼女を見捨てようと考えた事を見透かされたのではと、そんなありえない事を思う。


「フィーさん、お父さんを助けてもらえませんか……?」


 震えて、掠れて、今にも消えてしまいそうなか細い声が、反響して、水の音にかき消される。

 瞳に涙を貯めて、少女は魔法使いに願う。


「……少シ、考えさせテ」


 目を合わせられず視線を逸らして、それだけを返した。

 フルトを連れて逃げることすら絶望的な状況だというのに、それはあまりにも無茶な願いだった。

 フィーはどんな時でも諦めず、最後に必ず勝利を約束された勇者ではない。

 小さな子供に本当のことすら告げられない、 ただの半端物の魔法使いなのだから。

 二人はまたゆっくりと歩き出す。

 靴の音と水の音に消えそうな声で、フルトは喋る。


「図々しいお願いだってわかってるんです……今こうしているだけで迷惑をかけているのも……」


 フィーはその一言一句を全てその耳で聞いている。


「だけどフィーさんにはじめて会ったとき、この人なら大丈夫だって、なんでか思ったんです。変ですよね……」


 そんな立派なものではないと言いたい、私はただの魔法使いなんだと。

 やがて、下層のぼんやりとした明かりが見えてくる。

 フィーは懐中時計を閉じると、振りかえってフルトの腰に手を伸ばす。フルトもそれを受けてフィーの首に手を回してぎゅっと抱きつく。

 そのままフィーはフルトを抱え、人通りの少ない辺境のブロックを駆けていく。

 二人とも言葉を交わさない。

 視線を下げれば、フルトの顔がすぐ傍にある。

 その頬を伝う涙に、なぜかフィーの胸は酷く痛んだ。




 窓の外の光源は暗く、部屋の中の明かりは既に落としてある。

 ベッドの上、横になっているだけで眠れない。

 隣で吐息を立てる少女の頭を撫でながら、目を閉じる。

 左目を抉られ、私という自我を持つようになってから、ずっと考えていることがある。


 ――私は何をやっているんだろう。


 命令を下されるままに仕事をこなして、何もしていないのに殴られ、空腹で倒れそうになりながら、それでも必死にあがいて生きようとして。

 仲間達を犠牲にしてたった一人、街中へ紛れ込み。

 生きるために、魔法を磨き、盗みや強盗、悪事への加担、人を殺しもした。

 とにかくなりふり構わず生きてきた。

 そんな私に手を差し伸べてくれる人もいた。生きるために魔法を教えてくれた人。

 効率よく生きるために仕事を請け負う事を覚えたけれど、やることはさほど変わらない。

 奪って、殺して、お金を貰う。


 何をしているんだろう。


 何度も思った。

 ただ死にたくないと、生きていたいとずっと必死だった。

 死んでしまったら、わからなくなる、私は何をするために生まれてきたのか。

 何のために、私は仲間や、他の人を犠牲にしてまで生き延びてきたのか。

 何をすればいいんだろう。

 何をしたいんだろう。


 目を開けて隣で眠る少女の頬を撫でる。

 この子も犠牲にして、私は生きるのだろうか。

 この子を見捨てれば、逃げることはきっと簡単だと思う。

 それでいいのだろうか。

 きっとそうして生き延びた後、いつものように私は思うのだ。


 何をしているんだろう、って。


 私を助けてくれた人は生きるのに意味なんてないと言った。

 きっとそれは間違いじゃない。

 死ぬのは怖い。だから必死に生きようとする。

 だけど、それだけじゃないと思う。

 誰かの同じ思いを継いで、踏みにじって私が生きているということはきっとそれだけじゃない。

 情に流されるなと語った館長の事を思いだす。

 これは情なのだろうか。

 今まで私はずっと生きるのに必死だった。そのためだけに生きてきた。

 だけどこの子を前にして、私は迷っている。

 それでいいのかと。

 情とか偽善とか贖罪とか呼び方はたくさんあると思う。他人にこの気持ちをどう呼ばれようと私はただ思うのだ。


 彼女を助けたいと。




 悪夢にうなされて目が覚めた。

 また、あの頃の夢を見た。

 過去の情景は一度としてその姿を変えず、鮮明に当時の記憶を描き出す。それがよりいっそうフィーの胸を強く締め付ける。

 眼窩の中で蠢く左の瞳を軽く押さえて息を吐いて、隣で眠る少女を起こさないように気をつけてベッドを出る。

 朝と呼べる時間にはまだ遠いが、もう一度寝なおす気にもなれずフィーはコートを羽織り、小屋を出て庭園の中央へと向かう。

 幾度となく繰り返す悪夢には一体なんの意味があるのか。罪の意識に苛まれているのか、それとも仲間達の怨念が語りかけているのか。馬鹿馬鹿しいと頭を振って深呼吸を繰り返す。

 左目が落ち着いたのを確認すると、式を一つ一つ確かめるように展開していく。

 基礎中の基礎である身体能力強化。

 風の槍を打ち出す式、風の刃を打ち出す式。

 局所的な風量調整の式、周囲の風の動きを読み取る式。

 最後に刻印を刻むための加工の式。

 それがフィーの持つ式の全てだ。

 こうして式を反復して頭に叩き込むことで魔法の錬度は上がり、より効率的に、より効果的に磨かれていく。

 フィーが魔法を行使する際に特に気を使うのはエーテルの消費だ。エーテルの上限は増やすことができない、どんな魔法使いであれ戦い続ければいずれエーテルは底をつきる。そうなれば死は免れない。

 一通り式の反復練習を繰り返し、ナイフや銃、ブーツといった刻印を刻んだ装備にエーテルを通し、不備がない事を確認してようやく一つ息を吐く。

 本当はまだ迷っている。

 ただどんな道を辿るとしても、今こうしていることは無駄にはならないはずだ。

 自分の手で作り上げた庭園をゆっくりと眺めながら、感慨深くここで過ごした時間を思う。我武者羅に走り続けて、ここまで積み上げてきた。

 もしかしたらここに戻ってくることはもう無いかもしれないけれど、もう一度積み上げるだけの力を自分は今確かに持っている。この景色が自分に力をくれる。


「フィーさん」


 背後からかけられた声に、フィーはゆっくりと振り向く。

 フルトが心配そうにこちらを見上げている。


「眠らなくテ、平気カ? 明日はマタ早い」


 どう転んでもいいよう、できる限りの準備を進めるつもりだった。


「大丈夫です、何してたんですか?」

「少し魔法ノ練習ヲ」


 壁の銀板から時折吹く風が庭園の草木を揺らす。

 フルトは少し躊躇ってから、一歩を踏み出すとフィーの横の地面に腰掛ける。

 二人の間に沈黙が落ちる。

 図書館から帰りついてからまともな会話を交わしていない。

 誰とも言葉を交わさないことが一ヶ月以上あってもなんとも思わなかったのに、今はなぜか気まずく感じる。

 木々のざわめきと小川の流れる音が静かに言葉のない時間を埋める。


「わたしは、多分、まだ全然何もよくわかって無いんだと思います」


 フルトがゆっくりと言葉を搾り出す。


「ただお父さんやフィーさんに迷惑がかかってる理由がわたしだっていうのは、わかるんです」


 涙を貯めながら、少女はそれでも泣くまいと、両の拳を強く握り締めて、顔を上げる。


「邪魔だったら、いつ捨ててもらってもいいです。無理なお願いだっていうのはわかってるんです、でも、できれば、お父さんだけは助けてもらえませんか……? どうか、お願いします……」


 少女は両手をそろえ地に付けて、深く頭を下げた。まだ幼さを残す少女のその覚悟はいかほどのものだったのか。綺麗な髪の毛が汚れるのも構わず地に頭を付ける彼女の頬をなで、頭を上げさせる。

 心はもう、決まっていた。


「約束しよウ、貴方ト貴方の父を、必ずこの境遇から救って見せルと」


 策はなにもないけれど、フィーはしっかりと言い切った。

 それは情だったのかもしれない。

 あまりにも悲痛で見ていられないから、手を差し伸べようとそう思ったのかもしれない。

 それでも、ただ守りたいと、たった一人、誰からも見放される少女を助けたいという気持ちを抱いた。

 ずっとわからなかった、自分を助けてくれた仲間の気持ち。

 きっと彼女も同じように思ったのだ。

 少女の体に付いた汚れを払ってぎゅっと抱きしめる。

 胸の中で泣きはじめた少女の頭をフィーはゆっくりと撫る。金色の髪が微かな明かりを受けて闇夜に煌く。

 やがて長い時間をかけて泣き止んだ少女は、泣き疲れたのか、小さな吐息をたてて胸の中で小さく丸まっていた。

 フィーはその体を抱えてベッドに運んでやろうと、そぅっと立ち上がり、ゆっくりと歩きはじめて、

 隠れ家にけたたましい鈴の音が鳴り響く。

 腕の中で驚いたように目を覚ましたフルトをぎゅっと抱え、フィーは視線を巡らせる。

 瞬間、鈴の音をかき消すかのような轟音。

 天井が、音とともに崩れ、雪崩のように庭園に岩が降り注ぐ、倒れていく木々を気遣う余裕など無く、フィーはフルトを抱えたままそこから距離をとる。

 やがて、落石がとまり、粉塵が晴れる。

 陥落してきた天井の上、複雑な文様の描かれた白銀のプレートアーマーに身を包む人影が、そこに佇んでいた

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