5
カルデラエリア下層のブロックにはエリアを統治する貴族達の知らない横穴や縦穴が無数に空いており、それらは時にぶつかり、枝分かれし、四方八方へとその道を延ばしアリの巣ように複雑な構造を形成している。
中には脱走した奴隷達が身を寄せ合い生活している小さな集落もあったりする。
そんな迷宮のような通路の内の一つをフィーとフルトは歩いていた。
すぐ横を地下水脈の流れる狭い通路。足元の状態は悪く、気を抜けば足を滑らせそのまま隣の水脈にダイブする羽目になる。道幅は狭く二人並んで歩くことはできそうにない。
足元を照らしながらゆっくりと歩くフィーの後を怯えながらフルトが付いていく。
「どこに向かってるんですか?」
「ドコ、と聞かれるト難しい。タダ、もうそろそろの筈」
「さっきからずっとその答えじゃないですか……迷ったりしてませんよね?」
フルトの言葉にフィーは沈黙で返した。。
かれこれ、同じやり取りを五分おきに、もう六回繰り返している。この迷宮のような通路に入ってからは一時間は経っているはずだ。
不安そうな顔のフルトと違い、フィーは気にした様子もない。ただ時折、足を少し止めては、ボソリと何かを呟いて不満そうな顔を見せる。
しばらくしてフィーはコートの胸元から小さな皮袋を取り出すと、それを軽く振ってジャラジャラと金属同士のぶつかり合う音を鳴らしながら再び歩き出す。
「なにやってるんですか……?」
「イイ加減待つのも飽きたから」
フィーはひとしきりその音をさせた後、再び皮袋をしまって普通に歩き出す。フルトはますますわけがわからなくなって、首を捻る。
「ドコのエリアにも似たようナ噂がアル」
「噂?」
「ソウ、噂。エリアの下層、そのさらニ奥。マナの源の近くを歩いてイルと、図書館にたどり着ク」
「図書館って何ですか」
「本というトテモ高価なモノを集積して、管理してイル場所」
「よくわかりませんけど……そこが目的地なんですか」
フィーは頷くと、急に足を止めた。
突然フィーが止まったお陰でフルトはつんのめってフィーの背中に鼻の頭をぶつけてしまう。
フルトは鼻の頭をさすりながら、何事だろうと前を覗きこもうとして、ふとおかしな事に気づく。
二人とも足を止めているのに、ずっと足音が響いている。
フルトに怖くなってフィーの腰にしがみつき、フィーは気にした様子もなくじっと足音のする方向、前を見つめ続けている。
徐々に足音は二人のもとへと近づいてきて、程なくして闇の中からぬっと、人影が現れた。
人影は頭から赤いローブをすっぽりと被った女だった。身長はフィーよりも高く、フルトは見上げる格好にならなければその顔の位置をうかがえない。
そうしたところで、そのローブの中は左目の赤い光以外、闇に塗りつぶされたように真っ暗で顔は見えない。
二人が目の前の人間を女だと判断できたのは、その声のお陰だった。
「お久しぶりです」
感情の読み取れない、平坦な声。
「アァ、少し、遅いんじゃないカ?」
「催促されているようでしたので、これでも急いで来たのですが、すみません」
謝る声もしかし、感情は篭っておらず、フィーはため息を吐いた。
「フルトさんは始めまして、ですね。我々は図書館に所属する魔法使い、本の虫、と申します」
自分の名前を呼ばれて驚いたフルトは差し出された手をとらず、フィーの後ろに隠れて、その不気味な人影を恐る恐る見上げていた。
「害ハない。心配しなくてイイ」
そう説明されても、怖いものは怖いのか、フルトは震えながら握手を交わすとすぐにフィーの後ろへと戻ってしまう。
「はじめてここに迷い込んだあなたを思いだしますねシメーレ」
「昔話はイイ、案内シテ」
「せっかちですね、会話も貴重な知識の一部だというのに」
相変わらず抑揚の無い声で答えてから、本の虫と名乗った女は明かりも点けずに先頭に立って歩き出した。フィーとフルトもその後に続いた。
「まだしばらくかかりますし、フルトさんははじめてのご来館です、少し図書館について説明しましょう」
「はぁ……?」
フルトの気の無い返事を気にした様子もなく、本の虫は続ける。
「図書館とは、先程、フィーさんが説明したとおりの意味と、もう一つ、我々本の虫の所属する組織名でもあるのです」
「知識をひけらかすノが趣味ナンだ、聞いてやっテ」
フィーは本の虫が苦手なのか、珍しく感情を表に出しながら嫌味ったらしく、フルトに告げる。
本の虫の方はフィーの言葉が聞こえているだろうに気にした様子もなく、淡々と説明を続ける。
「世界中の本や知識を収集しそれらの情報を得て知的好奇心を満足させる、それが図書館に所属するものの目的なのです。他に目的はありません、純粋に知識だけが欲しいのです。そのために我々は時に手にいれた知識や情報を売り、新たな本や知識を購入する資金とします」
「フィーさんはそれを買いに?」
フルトの言葉に二人が頷く。フィーはぴったりとあってしまった動きに忌々しげな顔をする。
「もう少し話していたかったのですが、目的地に付いたためここまでにしておきましょう。非常に残念です」
残念というわりにやはり声は同じテンポでまったく、まったく残念そうには感じられない。
いつのまにか先程までの自然的な光景から風景は一変し、天井も、床も、壁も、全て木製の幅広の廊下にかわっており、少し進んだ先には、ぼぅと輝く明かりに照らされた鉄製の扉がみえる。
一体いつの間にこんな所に足を踏み入れたのか、二人ともそれほど会話に集中していたわけでもないのに気づかなかった。
「扉の奥で館長がお待ちです、それではこれで」
本の虫は頭を下げると、今来た方向を戻っていき、闇の中へと消えていった。
彼女の後ろ姿を見送ってから二人は扉を開け中へと足を踏み入れる。
フィーが後ろ手に扉を開けると、外にあったのと同じような光源が天井に灯り、部屋の中を照らす。
暗闇に浮かび上がる部屋は廊下と同じ幅で、最奥は闇に飲まれて見通すことはできない。
先程までの廊下と違うのは、左右がぎっしりと本の詰まった棚になっているところと、入ってしばらくいった所にカウンターが置かれていることだろうか。
「久しぶりだねシメーレ、息災だったかな」
声を発したのはカウンターのむかいに座った、頭からすっぽりと青いローブを被った少女。ローブの色と身長、それに声が少し若く聞こえるくらいでそれ以外は先程の本の虫とあまり違いはない。
「あの、さっきからシメーレってなんですか?」
フルトがフィーの耳元で疑問を呟く。
フィーがその疑問に答えるよりもはやく、
「シメーレというのはだね、魔法使いの間では半端物という意味のあだ名だよ」
館長がフルトにその意味を説明していた。
十歩分ほど二人の距離は空いているのに、いったいどれだけの地獄耳なのか。
「二人とも座りなよ」
フィーとフルトの反応などどこ吹く風といった風情の館長は二人に椅子を勧める。ゆっくりと椅子に腰掛けながらフルトもなんとなくフィーがここを苦手そうにしている理由がわかるような気がしてきていた。
「それで、どう? 何か面白い話しとかないかな?」
「世間話ヲシにきたわけではなイ」
フィーはコートの内側を探りジャラジャラと鳴らしていた皮袋を取り出してカウンターの上へと置く。
「せっかちだね君は、もう少し我々に娯楽を提供してくれてもいいんじゃないかな」
「それデ、料金をまけてくれるトいうのナラ、考えル」
「まったく、やれやれだよ」
感情の伴わないその台詞をかき消すように館長が二度手を叩く。
すると彼女の後方の闇からぬっと現れた長身の赤ローブが羊皮紙の束を手渡して再び闇へと消えていく。
「お代はそうだね、金貨三十枚にまけておこうか」
黙ってカウンターの上の皮袋を押し出すと館長が中身も確認せずにカウンターの引き出しに投げ入れてしまう。
「何から聞きたい?」
「相手ハどれ位の規模で動いていル?」
「大方想像は付いてるだろうけど、今回の件、君主様と総司祭様が直々に噛んでおられるよ。他のエリアの目があるから今は子飼いの手駒だけでの捜索と追跡にとどめているけど、あまりてこずるようなら騎士団まるまる投入してくるかもね」
エリア内のツートップが相手というのは覚悟していたことだが、こうして言葉にして聞くと自分のやっていることの無謀さがわかる。
口元を引き結んで視線で先を促す。
館長は羊皮紙に視線を落とすようなそぶりも見せず促されるままに喋る。
「あちらさんの目的は当然そこの彼女だ。利用目的としては軍事的な面が強いようだね。魔法使い相応の扱いでもって一応一年は躾けに使うつもりらしい、中々慎重だ。式なんかの資料は確保済みみたいだし、ぜひとも目を通して見たいところだよ。
最終的には、近隣エリアに戦争を吹っかけるようだね彼ら。カルデラエリアは鉱物資源には恵まれてるけど魔法的な資源には恵まれて無いから、今回の件に関してはまさに僥倖といえるんじゃないかな」
「戦争に発展シタとして、被害ハ?
「相手さんしだい。少なくとも戦闘でこっちが被害受けることはないよ。テロとかなら別だけど」
フィーは隣に座る少女の顔をじっと見つめる。
真剣な面持ちで話を聞いている彼女だが、事態の深刻さをどれほど理解できているかはわからない。フィーにだって正直規模が大きすぎて、現実味が無い。
フィーがゆっくりと今聞いた話を租借して頭の中で並べていると、横で黙って聞いていたフルトが、おずおずと手を上げて、館長へと質問を投げかけた。
「あの、お父さんは無事なんですか?」
「今の所、捕らわれて牢に入れられてるだけさ」
「お父さんは何か悪い事をしたんですか?」
「何も、君を守ろうとしただけだよ」
「そうですか……ありがとうございます」
頭を下げたフルトは複雑な表情をしている。
無理も無い、まだ十五歳にもなってない少女にとって、何もかもが現実離れして重すぎる事実ばかりだ。そう簡単にすべてを受け止める事なんて出来るわけがない。
フルトのその様子も気になったが、フィーもフィーで、やることはやっておかねばならない。
「そういえバ、どこから彼女のコトが?」
「父君に尾行が付いていたようだよ」
「尾行?」
「彼の所属は貴族お抱えの魔法研究所さ。効率的な土地の開墾方法を研究していたみたい、なかなかに優秀だったようだよ。お陰で同寮たちに妬まれてこのざまというわけさ」
気持ちのいい話ではないが、この世界ではよくあること。
層に関係なく誰もが生きるのに必死で、他人を蹴落とし、自分の座るための席をなんとしても確保する。フィーだってそうやって今まで生き残ってきた。
「他ニ彼女の存在を知っているモのハ?」
「今の所情報は漏れてないようだ。ただきな臭い動きをしてる連中がいるから気を付けたほうがいい」
喋りながら館長はついに羊皮紙を放り出す。フィーのみたところその羊皮紙に書かれているのは料理のレシピだった。この不真面目さがフィーがどうにも彼らを好きになれない理由だ。
確かに彼らにしてみればもう知っている情報をわざわざ復習する退屈な時間なのかもしれないが、こちらはこちらで真剣なのだから、空気くらいは呼んでほしい。
「ナニモノ?」
「魔法使いの地位向上を目的とした過激派武装集団ってところかな。魔法使い三十人程度と規模はなかなかのものだね。とりあえず今ある情報はこんなところだけど役にたったかな?」
「アァ、礼をいウ」
フィーが席を立つのにあわせて、フルトも緩慢な動きで椅子から腰をあげる。「行こウ」とフィーーに促されて、フルトが先に扉の外へ出る。
「シメーレ」
呼び止められてフィーは足を止める。
「情に流されて彼女を助けようと思うならやめておけ、一人でなら別エリアに逃げることもできるだろう」
今までの本の虫や、館長の声とは違う、本当に心配するような声色。
「考えテおこウ……」
一言だけ呟いて、足を踏み出す。
「我々は知識に妄執を抱く異端の集まりであるが、親しい友人を失えば多少なりとも悲しい」
後ろ手に扉をしめれば、もう声は聞こえない。
振り返れば先程まであった扉は消えて、その先には地下水脈とその横にある通路だけがずっと続いている。
図書館は跡形もなく消えていた。