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暗い岩に覆われた洞窟を二人の少女が下っていく。
二人の進む道を照らすのはフィーの手に持った懐中時計から発せられる淡い光りだけ。
かれこれ十分ほど二人は入り組んだ道を歩き続けている。
「なんだか不気味な所ですね……」
周囲をしきりに気にしながら、怯えるように歩くフルト。その手はしっかりとフィーの左手を握っている。そんな彼女とは対象的にフィーの方はどこ吹く風といった様子で軽快に暗い道を歩いていく。
「数十年前、下層を広げようとした名残、らシイ。誰も使ってなかったから、私が掘りススめた」
声が洞窟内を反響し妙な音を響かせやがて消えていく。
残った二人分の規則正しい足音に遮られるかのように会話はそこで途切れた。
もともとフィーはあまり話すほうでもなかったし、フルトも未だ自分の置かれている状況を把握できておらず、明るくおしゃべりできるような状況でもない。
それでも会話がないと雰囲気に耐えられないのか、フルトは何かを喋ろうとしては上手い話題をみつけられず、諦め切れなかった挙句素っ頓狂な質問をしてしまい、結局口を紡ぐということを既に何とか繰り返していた。
フィーはそのことに気づきながらも自分から声をかけようとはしない。
聞きたい事や知りたいことは山のようにあったが、万が一追っ手が来ていないとも限らない。周囲の警戒をおこたってはいないが、隠れ家には付近で魔法が使われれば反応する設備を整えてある、焦って敵方にも情報を流すよりは、隠れ家に到着してからゆっくりと話を聞く方がいいだろうと考えていた。
二人がそうして歩き続けていく内に、徐々に道幅は広くなっていき、開けた空間へと出る。
フィーがそこで足を止め、地面に転がっていた岩を軽く足で二回蹴ると、高い天井から吊るされた幾枚もの銀板が淡い光りを放ち、広い空間を照らし出した。
視界を埋め尽くすのは大小様々な草木、地面は今まで歩いてきた洞窟とはちがい、柔らかい土の地面。木々の合間には小川が通り、土の地面を潤している。
そこは小さな庭園であった。
「誰かをココに招いたのはハジメテだ」
「ここを一人で……?」
「地下水脈から水を引いてきてからハ早かった。マナがある程度あれば、あとは、式シだい」
「すごいんですねフィーさん」
フルトの言葉にフィーは気恥ずかしさから頬を掻きつつ、彼女の手を引いて鬱蒼と茂る木々の間を抜けていく。
一分と歩かないうちに木々は疎らになり、変わりに目の前に広がるのはたくさん花が咲き乱れる花畑。その中央にはレンガ造りの小屋がポツンと立っている
「すごい、甘い香り……」
「今ハ暗くてワかりにくいけド、いろんな花ガ咲いてル」
フィーはそのままフルトの手を引いて小屋の中へと招き入れる。
二人が小屋の中に入ると、すぐさま小屋の天井に吊るされた銀板が輝き、部屋の中を明るく照らし出す。
入り口を入ってすぐには竈やテーブル、少し奥にはベッドと棚があり、物が所狭しと並べられた光景が広がっている。
フィーが普段から使っている生活スペースなのだろう。乱雑に詰まれた物はそれでも、ベッドや椅子から手が届く範囲にだけ溢れている。
フィーはフルトを椅子に座らせると水を注いだ木のコップを手渡して話を始める。
「オチついたラ少し話しをシたい」
「はい、わたしも聞きたいことが」
フルトは答えると水を一気に飲み干してじっとフィーの事を見つめた。
とりあえず一から確認をしよう。
「私はある人物の頼みであなたヲココへと連れてきた、だが、私は詳しいことは何も知らなイ、あなたはなぜ、あのような場所で捕らわれてイタ?」
「わかりません……いつものように家で家事をしていたら、急にローブを着た人が沢山入ってきて、気づいたらあそこに居て、フィーさんが目の前にいたんです」
思いだすように喋りながら震えるフルトの姿に嘘はなさそうである、となれば、彼女は急にローブの集団に誘拐されたということだろうか?
このご時世ローブを好んで羽織るのは魔法使いか地表を旅する商隊くらいのものだ。
こんな少女を魔法使いの集団が誘拐する意味は皆目見当もつかないが。
考えるだけ無駄かとフィーは親指の爪を噛む。なにか考えるときの彼女の癖だ。
「わたしからもいいですか?」
「あァ」
「フィーさんって何者なんですか? 昔話にでてくる勇者様かなにか?」
まったく予想していなかった問いにフィーは目を丸くする。中層か上層の人間だったとしても、魔法使いを知らないだなんてことがあるはずも無い。
ましてや勇者様だなんてものとは間違えようもない。そもそもこの歳でそんな昔話を信じている子供だって珍しい。
少なくとも下層であれば十五歳ともなればもう立派な一人前だ、どうにも少女の幼さは層の深さに関係なく特別なものを感じる。
「勇者なんてものはいなイ、私はタダの魔法使いダ」
「そうなんですか……?」
昔から伝わる、勇者の伝説。精霊に選ばれた勇者が悪魔を倒して地上にマナを取り戻すという英雄譚。言うまでもなく悪魔とは魔法使いのモチーフであり勇者とは対極にある存在である。
フィーはそんな皮肉を思いながら水差しから自分のコップに水を注ごうとして、その手を止めた。
「精霊さんはいるのに、勇者様はまだ見つかってないんですかね」
フィーの視線はフルトの目の前、テーブルの上に鎮座するそれに注がれていた。
それは紛れもない、昔話で勇者に仕えたとされる精霊のうちの一匹、ブラウニーと呼ばれる茶色い小人。少なくとも外見上は、昔話に伝わるそれとまったくかわりない。
瞬間、フィーの隠れ家に鈴の音が響き渡る。
「わっわっ、なんですかこの音!?」
「私以外のエーテルヲ感知して鳴るように仕掛けタ鈴。それよりもフルト、ソノ精霊を消しテ」
「え、え?」
フルトが混乱してブラウニーを押さえつけるようにするとその姿はすっと虚空へ掻き消えて、鈴の音は収まった。
しかし、フィーの驚いた表情はそのままで、じっとフルトの事を見つめている。
「フルト、あなたに聞きたいコト、たくさんデキタ」
「なんでしょうか?」
「あなたは、魔法使いナの?」
魔法とはイメージを実現する力である。
そのため上手くイメージを描きにくいものはその効果を発現し辛い。
中でもイメージしづらく扱えるものが少ないとされる魔法が三つある。
一つ目は瞬間的な移動魔法。
二つ目は時間を操作する魔法。
最後の三つ目の魔法、召喚魔法。
自分の想像するままのものをマナとエーテルによって作り出し、世界に呼び出す魔法。
自分の頭の中にしか存在しない完全に架空の何かを呼び出す魔法のため必要なイメージの力は計り知れない。少しでも術者がその呼び出す対象に矛盾や疑問を感じれば魔法が発現することはない。
反面その力は絶大だ。
イメージしたものをそのまま呼び出すという事はすなわち、どんなことでもできることと同義であり、イメージを実現する力である魔法の集大成といっても過言ではない。
その召喚魔法の片鱗を、フィーは今確かに自らの魔法使いの目で、確かに見た。
見間違いなどではない。
フルトのエーテルに反応して鈴の音が鳴ったのだって確かに聞いた。
それでもフィーは信じられないでいる。
目の前のフルトの瞳は、左右とも綺麗な緑色。本来、移植された魔法使いの瞳は例外なく赤い。考えられる可能性は一つしかなかったが、それはあまりにも稀有な例だ。
「わたしが魔法使い……?」
フルトの首を傾げる様子は心の底から意味をわかっていないように思える。少なくとも魔法を使っているという自覚が無いことだけはたしかだろう。
「あなたがその、精霊トやらを見かけるようになったのは、イツごろかラ?」
「物心ついた頃には一緒に暮らしてたと思いますけど」
「あなたの両親ハ、どちらかが魔法使いダッタとかは?」
「すみません、知らないです」
そもそもそれを知っていたら彼女が魔法使いを知らないわけがない、質問のしかたを変える。
「デハ、両親のどちらかノ、片目の色が赤かったということハ?」
「お父さんは違ったと思います。ただお母さんはわたしが小さいころに死んでしまって……」
「すまなイ、変な事ヲきいた」
「いえ、気にしないでください」
はっきりとはしないが、状況的にはありえないことではない筈だ。
フィーは一つの仮説を立てていた。
フルトの母が魔法使いであり、フルトはその母から魔法の目を継いで生まれた、生まれながらの魔法使い。
わざわざ瞳の移植を行ってまで魔法使いが用意される昨今、生まれながらの魔法使いがどれだけ珍しい存在であるかはいうまでもない。恐らく世界に十人いるか、いないか。
希少なため確かな話ではないが、生まれながらにしての魔法使いと、瞳の移植で後から魔法使いになったものでも魔法を扱うことに関してはこれといった差はないとされる。
だが、純粋な魔法使いは生まれたときからマナとエーテルに触れ続けているため、魔法の行使において余計な先入観をもたず、そのイメージ力とマナとエーテルの扱いはまがい物のそれと比較にならない差を持つとされている。
実際その事実は今しがたフルトが目の前で示してくれた。魔法というものを知らず、フィーのように鍛錬をしてきていない少女が召喚魔法を使ったのだから。
フルトが捕らえられていた理由も、このような依頼が来た理由もそれで納得がいく。
彼女は研究対象としても、魔法使いとしても大変貴重だ。
彼女を意のままに操ることができたなら、周辺のエリアを征圧することなどたやすい。
少なくとも金貨五十枚で請け負っていい仕事で無かったのは間違いない。
唐突に部屋に鈍い音が響き、フィーは深い思考から引き戻される。
見れば、フルトがテーブルに頭をぶつけたのか額をさすりながらあくびを噛み殺している。
時刻は深夜の四時過ぎ、いつもなら彼女は寝ている時間なのだろう。眠そうに瞳を擦るフルトをフィーはベッドへと連れていく。
「話しに付きあわせてすまなイ、ベッドは使ってくれていイ」
「フィーさんは……?」
「私は、仮眠をトったかラ、まだ平気」
実際フィーは作戦開始前に十分な睡眠時間をとっていたので、眠気はそれほどなかったのだが、
「ダメですよちゃんと寝ないと、睡眠をきちんととらないと、大きくなれません」
フルトはフィーが自分のために遠慮しているのだと勘違いしたのか、フィーのコートの袖を以外に強い力で引っ張ると、ベッドの上へと無理やりに上げてしまう。
「というわけで、一緒に寝ましょう」
にっこりと笑われて、フィーは困りながらも仕方なくベッドの上でフルトと一緒に横になる、彼女が寝るまでは一緒にいてやろうと。
「こうやってだれかと一緒に寝るの、久しぶりです……」
いいながら笑うフルトを邪険になどできるわけもなく、フィーはその体をゆっくりと撫でてやる。
すぐにフルトは吐息を立てて眠りにつく。時間も時間であった上に、緊張や疲労で眠気の限界だったのだろう。
少女の瞳から流れる涙に気づいたフィーはそれをぬぐってやり、頭を優しく撫でる。
普通の育ちのいい彼女にはきっと大変な一日だったに違いない。私のような怪しい人間に心許してしまう程度には。
この小さな少女はこれから先、自身の持つ大きな力によって様々な出来事に巻き込まれていくはずだ。その事を思いフィーは少し同情する。
せめてここに居る間くらいはいい夢をみれるようにとその体を抱き寄せて、優しく温める。