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 体を起こして窓の外を見れば、庭園は明るい朝の光に揺れている。

 フィーはぼぅっとする頭を揺らしながら辺りを見回す。

 何時の間に移動したのか、そこは師匠の部屋だった。

 小さなベッドに小さな机、そこかしこに散らかる羊皮紙と錬術用の道具。

 昨日までここで寝起きしていた師匠のにおいが、痕跡が、ここには溢れていた。

 フィーはまたこみ上げてきそうになる涙を何とか堪えて、体を丸めるようにしてベッドに転がった。

 未だに昨夜の戦闘の傷は癒えていない。身体能力強化の反動は特に酷く、体の節々は未だにぎしぎしと悲鳴を上げている。

 こんなふうに起きてからしばらく部屋にいればいつもならフルトがやってきてドアを叩いて朝ご飯だと呼びに来るとこだろが、彼女のあの楽しそうな声を聞くことも、もうない。

 たった数日一緒にいただけなのに、とても懐かしく思える。

 失ったものの大きさに動揺する。

 横になって何かを考えているとさらに気分が沈む気がして、ベッドからはいずるように降りて居間へと向かう。

 少しだけいいにおいがふわりと流れてきて、期待するように足が速くなる。

 軋む体で飛び込んだそこには、結局誰も食べる事のなかった昨夜の晩御飯が広がっていた。

 当たり前のように人影はなくて、フィーはずるずると崩れ落ちるようにそこに座り込む。

 もう意識はしっかりとしていた。

 床を睨みながら、握り締めた拳で壁を叩く。


 ――どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 唇を強く噛んで悔やんでも、何一つ変わる事はない。

 最初からあの依頼を受けなければよかったのか、それとももっと前、あの作業現場から逃げ出さずにただの奴隷として死んでいればよかったのだろうか。

 今更もしもを並べたところで今は何一つ変わりはしないけれど。それでも、思わずにはいられない。もしも、あの男を最初に出会ったときに倒せるだけの力があれば、師匠もフルトも今も笑っていられたのではないか。

 いつだってそうだ、

 力がないばかりに周りに助けられ、周りを不幸にする。

 あの女の子も私があんなことを言いださなければ、私が強ければ助かった筈だ。

 私が一人でもフルトを逃がせるほどの力を持っていれば師匠は死なずにすんだ。

 あの男を倒す事ができればフルトも私を助けるために奴等の手に渡らずにすんだのに。

 間違っていたのだろうか、今まで積み重ねてきたもの全てが。

 たった一人の不幸な少女を助けたいと願うことは罪なのだろうか。

 たしかにフルトの力があればこのエリアに住む人々は、魔法使いも含めて今より幸せになれるかもしれない。だけど、他のエリアの人々はどうなるだろう、なにより、フルトの意思は。

 願うことは間違っていないはずだ。罪でもない。そのはずだ。

 あの白銀鎧の男が願うこのエリアとエリアにすむ魔法使いを守りたいという思いも、私のフルトを守りたいという思いも、そこには善も悪もないはずだ。

 ただ想いを成すには力がいる。それがこの世界のルール。

 自分の想いを押し通すためには誰かの想いを潰して、真っ直ぐに進むしかない。

 そのルールの上でただ、私が負けただけの話し。

 この狭い地下の世界では力を持つものが力を持たないものを食い物にする。力の種類は数あれど、エリアを丸々牛耳る権力に立ち向かおうとした私が馬鹿なだけだった。

 それでも、守りたいと思ったから。

 助けたいと思ったから。

 師匠が私を助けてくれた様に、私も彼女を助けたかった。

 その夢も、もう潰えた。

 負け続けの人生だったように思う。それでも必死に足掻いてここまで生きながらえ、そうして、また師匠とフルトを犠牲にして私は一人生き続けている。

 

 何をしているんだろう。


 ずっと問いかけ続けて来た事。

 周りを犠牲にして生きながらえて、こうして座り込んで何をしているのか。

 何かをしなければいけない気がする。

 でももうその何かは自分の中にはない。

 フルトは敵の手に渡った。師匠はいなくなってしまった。弱さを自覚した魔法使いの魔法など、もう何の価値もない。

 意味もなく生きて、何をしたいんだろう。

 もういっそのこと死んでしまうのがいいのかもしれない。

 自分が関わった人達は皆不幸になってしまった。これから先もそうなるのかもしれないと思うと、もういい気がした。何もかも捨ててしまえば楽になれるのではないかと。

 ナイフを取り出して首筋に当ててみる。

 息を呑んで、手に力を込めようとして、手が震える。

 歯がカチカチと鳴る。

 死ぬのが怖い。

 フルトはそれほどまでの覚悟で私を助けてくれたのに。

 ナイフが乾いた音をたてて床に転がった。

 本当に私は、何をしているんだろう。

 あの女の子も、師匠も、フルトだって私がこんな事をするために助けてくれたわけではないはずなのに。

 シメーレはどこまでいっても半端で、私は一生このまま自分に問いかけながら無様に生きていくのだろうか。

 これから先も魔法使いとして虐げられ、昨日のような事を何度も経験して、それでも尚生き続けねばならないのだろうか。何をすればいいのかもわからないまま、ずっと、ずっと。

 それはあまりにも恐ろしいことで、今まで生きてきた意味も、だれかが助けてこの命を繋いでくれたこともなんの意味もなく、ただ消え行くのだとしたら、それはなんと恐ろしい事か。

 フィーの頬を涙が流れていく。

 大粒のそれはゆっくりと彼女の輪郭を伝い、床に跳ねる。

 もうその涙は止まりそうになかった。

 昨夜あれだけないたのに、いったいこの涙はどこから流れてくるのだろう。

 嗚咽を上げながら泣いて、泣いて。

 どれだけ泣いても涙が枯れることはなく。

 部屋には自分のすすり泣く声だけが響いている。

 あれほど楽しい声が響いたあの世界は、もうこの世界のどこにも存在しない。

 どうしようもない気持ちをぶつけるように、力任せにテーブルの足を叩く、大きな音を断ててその上に並んだ食器が飛びちって、その中身を溢れさせる。

 食べるもののいないそれにはもう価値がない。

 一人で食べたってきっと何の味もしない。

 フィーは子供がダダをこねるように、暴れ、泣いて、部屋中を引っ掻き回して、荒れに荒れたその部屋の中央で再びぺたりと座り込む。

 肩で息をしながら、それでも涙は止まらない。

 泣きつかれて眠るまでフィーは小さな子供のように泣き続け、他に誰もいない家にはその慟哭が響き続けていた。




 目覚めると心の中は空っぽだった。

 荒れに荒れた部屋を見ても何も思わない。

 お腹がすいていたけれど何かをつくって食べる気にもなれない、床の上を転がって窓から差す光に今が夕刻だと知る。

 丸一日何も食べていない。

 でも昔はそんなこと日常茶飯事で、一日何も食べなくたって死なないことくらい知っていた。

 何かを考えるのにも疲れたフィーはぼぅっとただ天井を見つめる。

 慌しかった時間が嘘のように、ゆっくりとただ静かに時間が流れて行く。

 どれくらいフィーはそうしていただろうか。

 不意に、家のドアをノックする音が響いた。

 フィーは驚いてそちらに視線を向けるが体を動かす気にはなれない。いったいこんなところにだれがやってきたのか。騎士団の連中が私の事を始末しにきたのだろうか。しかしそれではノックなどするはずもない。

 だれでもいいか。

 どうせもう一番会いたい人には会えないのだから。

 しばらくして、無遠慮に扉が開く。


「お邪魔します」


 その声には流石に無気力なフィーも驚いた顔で視線をそちらに向けた。

 真っ白なローブに目の細い白髪の青年。リューグとの戦いの際に現れたサバトの魔法使い。

 予想外の人物の登場にフィーは口元を手で覆うようにしながら体を起こす。


「やぁ久しいねシメーレ、いや、フィーと呼んだほうがいいのかな」

「シメーレでイイ……何の用ダ。モウフルトはココにはイナイぞ」


 そのへらへらとした軽薄な声で名前を呼ばれるのが不快で、遮るように声を出しながら、酷く喉が渇いている事に気づいた。あれだけ泣いて、水分もろくに取っていないのだから無理もなかった。

 男を睨みつけながら立ち上がってその顔を睨みつける。精一杯の虚勢。いまさらそんなことに意味があるのはかわからなかったけれど、ただ、目の前の青年のことを好きになれない自分がいた。


「それは知ってるよ、これでもうちの組織は耳が早いんだ。それとはまた別件なんだけどさ。君は一体何をしてるのかな?」


 からかう様に問うてくる青年は恐らくフィーの事情を察しているのだろう。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてフィーの顔を覗きこむ。

 視線を外しようにして首を振り、その顔を視界の外へ。


「見ての通リ何もシテなどいナイ」

「そうだね、見ればわかる。だからこそ何をしているのかを聞いてるんだよ。君はあの子を助ける事をあきらめたのかい?」


 フィーは反射的に声を荒げそうになり、自分が何かを言い返せるような状況でもない事を思い出して、握り締めていた拳を下ろして、俯く。


「アァ、ソウだな。私は諦めタ。モウ、ドウシヨウもナイから。私は負けテ、フルトは自分から選んデ行ったンダ、もう私にデキル事なんてナイ……」


 小さくたどたどしい声は、静かに虚空へと溶けていく。悔しいと思うことにすらもう疲れていた。


「一回負けたくらいで君は諦めるのか。実に滑稽だねまさにシメーレの名前が相応しい。そんなことなら最初から助けるなんて言って彼女に希望を持たせるよりもとっとと引き渡してしまえばよかったんだよ。君がやってるのは痩せこけた野良犬に気まぐれに餌をやって自己満足に浸ってるのといっしょさ。それでその犬が死んでるのを見つけたらろくに何かしたわけでもないのに悲しがる、とんだ偽善者だ。君なんかの為に死んだあのお師匠様、まさに犬死にというわけだ」


 青年は目を細め可笑しくてしょうがないといった風に笑いながらフィーの事を見下ろしている。

 一挙動で立ち上がり、その胸倉を掴み上げる。頭の中にカッと血が上っている。まだそれほどまでに自分を動かす感情が残っていた事に頭の冷静な部分で驚きながらも、目の前の青年への怒りは消えそうにない。


「師匠を愚弄スルナ」


 無意識に式を起動して腕の力だけで青年の体を宙に浮かせる。しかしそれでも彼はその笑みを顔から消すことはなく、へらへらと笑っている。


「怒ったかい、半端モノの癖に一人前に怒るんだね君は。そんな風にボクに怒りをぶつけるよりも先に、君にはやる事があるんじゃないかい? 君の師匠を犬死ににしたくないならね」


 その通りだと思った。悔しいけれどそれが正論だ。だけど、フルト自身が果たして助けを望んでいるのか。もう一度戦いに挑んだところで勝てる見込みはあるのか。

 奴等の元に踏み込んで、それで自分までもが死んだら、本当に何にもならなくなってしまうのではないか。

 後ろ向きな思いばかりが頭の中を支配する。

 私はこんなにも弱かっただろうか。

 いつの間に手を離していたのか青年の足は地についていた。特に気にした様子もなく襟元を正した青年は相変わらず薄い笑みを顔に貼り付けたままただ興味深そうにフィーの事を見つめている。


「ボク等は明日、上層に襲撃をかけて彼女の奪還作戦を決行するつもりだ。出来ることなら君の協力が欲しい。どうだい、今一度サバトに入って共闘することを考えてはくれないだろうか? ボク等がバックアップする以上君が負けるような事がない事を保障しよう」

「ソレを言いたクテ、ココに?」

「そういうことだね。確かに君はあの白銀鎧には負けたが、それを差し引いて尚十分な戦闘力を有している。特にその隠密性、ボク等の組織としては喉から手が出るくらいにほしいね」


 それで納得がいった。わざわざ今更自分の所に出向いてきたのにはそういう理由だったのか。たしかにフルトを助けられるならそれも悪くないかもしれない。誰かに必要とされた事などなく、いつだって変えの効く駒としてしか見られてこなかった。

 自分の力を認められることが嬉しくないと言えば嘘になる。

 だがそれとこれとは話が別だ。


「それデ、フルトを奪還したアト、ドウする? 結局貴族連中と同じヨウに、お前達もフルトヲ利用しテ、自分達の私利私欲の為に使うのだロウ?」

「そうだね、でも私利私欲というわけじゃない。ボク等はあくまで全ての魔法使い達の為に戦うのさ。ボク等は奴隷ではないとね。これは彼女の為でもあるんだ。事が終われば彼女が狙われる事もない、平和な世界が待っているのさ」


 得意気に語る青年に向かってフィーはナイフを投擲する。

 青年は動くことなく、その頬を掠めて壁につきたったナイフを振り返る事もしない。


「絵空事ヲ、フルトを利用スル事に変わりハナイし、平和ナ世界ナンテ出来る訳がナイ。赤い目ヲ持つものと持たない物、両者ノ戦争が起こるダケダ」

「それじゃあ君は、彼女を幸せにできるというのかい? 絵空事でなく、なんの犠牲も出さずに、誰からも追われない彼女の居場所を造ってやれると?」


 問われて言葉に詰まる。

 きっとそんなものはこの世界にはありえない。それは子供だって知っている。この世界は最初から理不尽で不公平に出来ているのだから。自分の望むモノを欲するのなら、力を誇示しなければならない。

 それは、わかっている、わかっているけれど。

 それでも、そんな夢を、フィーはフルトにみせてやりたい。

 そう思ったから戦ってきた。

 誰かを助けられる魔法使いになりたいと思ったから。

 現実は結局、全ては手の中からすべり落ちて、何もない自分だけが残っている。


「まぁ気が向いたら明日現場に来てボクを探すといいでしょう。ボクの名前はシュテーネン。部下達にこの名前を話せば連れていってもらえる筈です。それでは、まだボクにも用意がありますので」


 青年はそう告げると、背を向けて元来たように入り口から静かに去っていた。

 フィーは再びその場に座り込んで、両手で顔を覆って深く溜息をついた。

 何をしているんだろう。

 何をしたいんだろう。

 何ができるだろう。

 頭の中を言葉だけがぐるぐると回り、答えは出そうもない。

 何が正しくて、何が正しくないのか。

 全ての問いに答えがよういされていればどれだけ楽だろう。

 何も聞きたくない、何も考えたくない。

 頭を抱くようにして体を丸める。

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