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夢を、見ていた。
闇夜の中、ほこりだらけのベッドから身を起こした少女は自らの左目に手を伸ばす。瞼の上から触れるそれはゴロゴロと居心地悪そうに蠢いている。昔の夢を見ると決まってそうなる。
もう何度も繰り返し見た悪夢は、それでも慣れない。
少女は細く息を吐くと、腰掛けていたベッドから腰を上げてほこりを払う。
白く煙るそれが虚空へ消えると少女の姿は闇へと溶ける。
首元からすっぽりと体を覆うコートは黒。その下に着込んだシャツも、腿を隠すこともできない短いパンツも、膝丈近くまである底の薄いブーツまでも身につけるもの全てが徹底的に黒い。
黒いのは身に着けているものだけではない、肩ほどまでの短い黒髪も同じように漆黒で、髪の毛の下から首元までの露出した肌は浅黒く、右の瞳も深い黒色。ただ、蠢く左の瞳だけが、鮮やかな赤い色をしている。
少女は服にもうほこりがついていないのを確認すると、部屋の窓際まで歩いていき、そこから外を覗く。
窓にはガラスなどという上等なものははまっておらず、それどころか、木窓の枠すらない。石壁に空いた穴というほうが適切なように思われるそこから、少女は立ち並ぶ建物の群れをじっとみつめている。
夜の闇の中、岩の壁を背にぼぅと浮かびあがる石レンガの建物たちは、このカルデラエリア下層の流通品を一箇所に保存するための倉庫群。正式名称はA―1ブロック。
昼も夜もひっきりなしに下層の約六十ブロックから運ばれてくる物資を一時的に留め、岩壁横、何度も折り返すようにしながら上っていくトンネルを通る列車を使いそれらの物資を、中層へ運び出す、いわば下層の港とでも言うべき場所。
賊にわざと盗まれてもいい食糧を盗ませ、倉庫の管理側は保険金を手にするというしけた取引が行われているとも聞くが、少女の狙いはその食糧ではない。
A―1ブロックの最奥付近、すぐさま車両に荷を詰めるようホーム付近に建設された六番倉庫。そこに少女が目標とする積荷がある。
闇に沈むその方向を眺めてため息を一つ吐くと少女はコートの裏から懐中時計と、一枚の紙切れを取り出した。
懐中時計を開くとその文字盤に刻まれた複雑な文様が淡く光り、ぼんやりとした明かりを生む。時刻は深夜二時を過ぎたところ。少女はその明かりを頼りにもう一度その紙切れに書かれた文面に目を通す。
『至急カルデラエリアA―1ブロック、六番倉庫の金庫内にある積荷を回収して欲しい。朝十時の定期便の発車までが制限時間だ。
報酬は金貨五十枚。
報酬は積荷と交換で渡す事とする、積荷が回収された事の確認が取れ次第、追って連絡をいれる』
差出人の名前はゾンダーとだけ記されており、少女の下にこの紙切れが届いたのは時間にして僅か十時間前のことであった。
どう考えても怪しい仕事である。
いつもであれば実際に相手の顔を確認し裏をとってからでなければ動かないところであったが、少女はこの仕事を嫌々ながらも請けることにした。
第一に、報酬。金貨五十枚となれば、一年贅沢をして暮らせる額である。
二つ目はこの紙。手触りのいい汚れの無い真っ白な紙は高級品で、庶民が簡単に手にいれて使える物ではない。
最後に、この紙が直接少女の家に届いという事実。少女は普段下層の別ブロックにある仕事用の家屋で依頼を請け負っている。
その家屋ではなく誰にも知らせていない自らの隠れ家に直接この紙が届いたとなれば、下手に無視するわけにもいかない。
相手は自分の居場所を知っているのだから。
生きるためには時に仕事を選んではいられない。
少女が短い時間で調べられたことは少なく、情報は乏しい。
警備兵の巡回ルート、交代の時間が三時であること、警備兵の装備は拳銃と剣が一本。六番倉庫の守りは正面扉に二人、内部に二人。
それほど厳重でもない警備だが、入り口は正面しか無いためみつからずに侵入するというのは至難の業だ。となれば、正面から短時間で突破して積荷を持ち去る以外の手はない。
頭の中で少女はそのイメージをはっきりと描いて、コートの上から自分の体をゆっくりとなぞっていく。手が触れる場所には硬い金属の感触。そうして装備の確認も終えると少女は一息ついて、窓から身を乗り出す。
手元の時計をもう一度確認すると少女は頭の中、夜闇の中を自由に力強く駆け回る自分の姿をイメージする。次いで、連鎖的に頭の中に描かれる丸と幾何学模様の式。
それが虚空に青く浮かび上がったと思うと、少女は窓から夜の闇の中へと跳躍する。
かつて人々は地上で暮らし、太陽の恵みを受け、植物の生い茂る場所で生活していたらしい。らしいというのは少女にとってそれは聞きかじった知識でしかないからだ。
ある日一人の魔法使いが行使した魔法により地上から『マナ』が枯渇した。
マナは自然の力であり、生物の力の根源だ。
マナの枯渇した土地は、枯れはて、砂地になり、やがて人々から『エーテル』を奪う死の土地となる。
人々はすぐさま地上を捨て、地下へと逃げた。
辛うじてマナの残った数少ない土地の地下、そこに作られた人々の住処は『エリア』と名づけられた。
エリアは層とブロックによって分けられている。
ブロックは層ごとに分けられた区画のことで北から南へA~J、西から東へ1~10を割り当て百の正方形に分けられた区画であり、これをまとめて層と呼ぶ。
層は上層、中層、下層、と隔てられ、上に行くほど土地の整備が行き届いておりマナが濃く、身分の高いものが住み、逆に下層に行くほど整備は不十分でマナは薄く、身分の低いもの達がひしめく。
今でこそエリアの稼動は安定しているが地下世界への移住は当初あまりうまくいかなかったらしい。
地下のマナは地上のそれと比べると希薄であり、植物も動物も上手く育たず、人々は途方にくれた。
そこで、人々は再び魔法に目をつけた。
地上を死の土地とした魔法使い達を罪人とし、罰と称して彼らにエリアの建設と維持をさせることにしたのだ。結果として、それは成功を収めた。
魔法使いたちは希薄なマナと、自身のエーテルから仮初の太陽を作り、土地に希薄なマナを凝縮し、地下の世界を開墾し、発展させていった。
世界の各地には転々とエリアが存在し、人々はそこで身を寄せ合い、細々と生活を続けている。
しかし、奴隷として扱われた魔法使いたちは徐々に世界から数を減らしていった。そうなればエリアの維持はままならない、焦った貴族達は魔法使いの目に注目した。
魔法使いと人間の違い、それは、マナとエーテルを視認できる目であった。
とある男がためしに魔法使いの目を他人に移植をした所、その人間はマナとエーテルを視認できるようになり魔法を使えるようになった。
そうして奴隷たちに目を移植することで都合のいい魔法使いを耐えず供給できるようになったエリアはより一層発展を遂げることになる。
当然魔法使いへの風当たりは一層ひどいものになった。その出自といい、左右のアンバランスな瞳の奇妙さといい、気味悪がられるには十分であり魔法使いは更なる迫害を受けた。
世界は魔法使いに冷たく、魔法使い無くしてありえなという、致命的な矛盾を孕んでいる。




