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 林檎の果実酒を飲むと昔の事を思い出す、林檎を齧って嬉しそうに笑う弟子の姿を。

 クルークは一人家の外で、薄暗い明かりの中に沈む庭園を眺めながら酒をちびちびと飲んでいた。

 ずっと前に買ってほうっておいたものだが、このエリアを離れるのなら飲んでしまわなければもったいないと思って、物置の奥から引っ張り出してきた。

 このエリアにやってきてざっと十年。今までクルークの生きてきた時間に比べればたいした時間でもないが、その短い時間がやけに濃く感じられる。

 最初は観察日誌でも付けるような軽い気持ちで始めた師弟関係。

 気づけば弟子の成長を何よりも楽しみにしていた。

 そうして久しぶりに出会った弟子は、思った以上の成長をとげ、今エリアに喧嘩を売ろうなどと、無謀な事を考えている。

 そんな事態、今まで生きてきたなかで一度としてなかった。これだから人生というのは面白い。

 ただ、まぁ、面白がっているばかりではどうにもいかない、まじめに作戦を立てなければ師弟揃って犬の餌だ。


 どうしたもんかねぇ……。


 空になった透明なグラスにボトルから酒を注いで、舐めるように口に含む。

 クルークもフィーと出会ってからこのエリアで遊びほうけていたわけではない。それなりの地位と顔を知られた腕利きの魔法使いだ。だが、エリア丸々一つを相手にして力を貸してくれるような相手は当たり前だがいない。

 脱出の手はずを整えてくれるくらいの協力ならしてもらえるだろうが、問題はフルトの父の救出だ。

 そもそもどこにいるのかもわからないときたものだ。久しぶりに手土産を持って図書館に顔を出す必要がある。

 そうなれば、速いほうがいい。

 このグラス一杯飲みきったら、ちょっと出てこよう。

 グラスを傾けてクルークがその中身を片付けようとした所、ちょうどフィーが家から出てきたところだった。


「ん、どうした、フィー」

「少し、目が冴えテ」

「昔からあんたは、寝つきが悪かったねぇ。一杯のむかい?」


 クルークはボトルを掲げてみせるが、フィーは首を横に振って、その隣に腰掛ける。

 庭園の木々が揺れ、涼やかな音が鳴る。

 新しい庭園は極東のエリアの木々を使って見るのもいいかもしれない。クルークはそんな事を考えながらいつの間にやら自分の慎重を抜いた弟子の姿をしみじみと眺める。


「師匠」

「なんだい、フィー」

「怒っテいマすか?」

「いや」


 怒ってはいない。ただ、もう少し命を大事にするべきだとクルークは思う。

 フィーは生に執着するわりに、自分の命を軽んじているところがある。

 同じような境遇の相手がいればそのものに情けをかけたり。

 意味もなく危険な仕事を請けて、自ら死地に赴くような事をしたこともあった。

 まるで、自身の価値をはかるかのように。

 当人は無自覚のようだが、そんな危なっかしさを常々彼女は抱えていた。


「迷惑ヲかけてシマッテ、スミマセン」

「師弟ってのはそういうもんだよ」


 今更、頭を撫でて甘やかすような関係でもない。

 フィーはまだ若いが、もうしっかりと自分で道を決められる一人前の魔法使いだ。シメーレと他の誰かが呼ぼうと、この我が保障する。


「ただね、弟子ってのはいつか師匠を越えてそれ以上の存在にならなきゃいけない。我は、まぁまだまだ長生きするつもりだがね、いつまでもあんたの面倒を見られるわけじゃないんだ。あんまり無茶ばかりするんじゃないよ」

「ハイ、師匠」


 林檎酒を飲むと、昔の事を思い出す。

 昔どんな魔法使いになりたいかと、問うた時は、フィーはまだ何も知らぬ子供で、答えを返すことは出来なかった。

 いまなら、どう答えるのか。一人前になって弟子はどんな魔法使いになりたいのか。

 クルークはグラスの中身を飲み干して、フィーに問いかける。


「なぁフィー」

「何ですカ?」

「あんたはどんな魔法使いになりたい?」


 そう聞くとフィーは、昔のように一瞬黙り込んで……爪を噛んで瞳を閉じる。

 クルークは黙ってその弟子の様子をみつめている。


「私ハ」


 目を開いたフィーはそこで一度言葉を切ると、ぎゅっと拳を握り締め、赤い瞳を輝かせ、続く言葉を紡いだ。


「私ハ、師匠みたいナ、誰かヲ助けられル、魔法使いになりタイ」

「そうかい……そいつは、大変だ。なんせ我のようにとなると、エリア一つ敵にまわす覚悟いるんだからな」


 冗談めかして答えて、クルークは笑う。

 フィーはもう、十分に自分の器を越えている。エリアと正面切って喧嘩しようなど、クルークは考えたこともなかった。その動機が、なんの係わり合いもない、一人の少女を助けるため、なのだから。

 気まぐれに、ペットを飼うかのような感覚でフィーを助けた自分とはまったく違う。

 この魔法使いに冷たい世界で、そんな魔法使いになることを望むことがどれだけ大変で、どれだけ滑稽なことか、フィーはわかっている。

 それでも少女のためにその道を選ぼうというのなら。彼女を魔法使いとして育て上げた自分が責任をとってやらないでどうするのだ。

 クルークは立ち上がるとまだ中身のずいぶんと残るボトルを片手に歩き出す。


「師匠?」

「少し出かけてくるよ、すぐに戻る」

「気ヲつけテ」

「弟子に心配されるほど、老いぼれちゃぁいないよ」


 軽口をたたいてクルークはゆっくりと庭園を歩いていく。


 師匠というのはいつだって弟子にかっこつけて、その期待に応えてやらなければいけない。まったくもって楽じゃない。


 酒の変わりにコートの裏から取り出した薬瓶の中身を飲み干すと、クルークは夜の下層へと降り立っていった。




 久しぶりに歩く道は相変わらず足場が悪く、気を抜けば足を滑らせて隣を流れる水流へと身を投げる事になるだろう。

 クルークが歩くのは、下層のさらに地下、フィーとフルトが図書館へと訪れるのに使ったのと同じ道。

 じめじめとした空気に眉を潜めながらクルークは黙々と歩いていく。


 マナの潤沢な場所にしか扉が開けぬとはいえ、相変わらず不便よのう……。


 サンダルのペタペタという気の抜けた音が反響し消えていく。

 地下に潜って十分と立たないうち、クルークは進む先の闇からぬっと現れた人影に対して片手を挙げる。


「やぁ、久しいねぇ、館長。直々に出迎えとは珍しい」

「古い友人の相手はやはり代表として出ていかねばね」


 闇の中から現れた青いローブに身を包む館長は再開を懐かしむかのように手を差し出すが、クルークはそれを無視して、ローブの奥の瞳に視線を投げる。


「お互い、そういう柄でもないだろう。こうして速めに出てきてくれるのはありがたい限りだがね」

「我々だって、たまには人間らしいしぐさをしてみたいのだよ」

「仲間内でやっておればいいじゃろ」

「なるほど、一理ある」


 平坦な声で納得した風に頷く館長に対してクルークはあきれたように頭を振る。


「ふざけとらんでいいで、はよう案内してくれんかのう」

「そう急がなくとも、我々に時間など関係ないに等しいだろうに」

「我等だけならいいがの、弟子とかわいいお客さんが待ってるのでの」


 鼻息を一つ吐くと、館長は地面を音を鳴らすように蹴る。湿った足場とは思えぬほど乾いた音が響いたと思うと、次の瞬間には周りの景色は一瞬で別のものに変わっている。

 視線をまわせば四方は本棚に囲まれ、中央にはテーブルが一つと、椅子が二つ。二人は特にその事に驚いた素振りも見せずに、むかい合わせに椅子に腰掛ける。


「それでどうしたんだいクルーク、あんたがわざわざ尋ねて来るなんて、実に何年振りだろうね? ようやくあんたもこっちに来る気になったかい?」

「馬鹿言うんじゃないよ。我は過程よりも結果に興味のある俗物なのさ。絵に描いた林檎には銅貨一枚出す気もない。だからそっちにいくなんてことは、きっと死んだってないだろうね」

「そうかい、それは残念だ」

「そう思うなら、もう少し残念そうに言ってみろ」


 相変わらず感情を見せない館長にクルークは期待もせずに喋りかけながら、コートの裏から酒瓶を取り出してテーブルの上に置いた。


「ほう、林檎酒か。今そっちのエリアでは作ってないんじゃなかったかい?」

「そうなのか? まぁ、金は別にもってきとるから、話の弾みにでもと思ってな」


 館長がどこからか取り出したグラスにクルークが酒を注いで、二人は軽くグラスをぶつけて乾杯する。

 クルークがちびちびと舐めるように酒を飲むのに対して、館長はぐっとグラスを一気に煽り、その中身を空にする。それでも、館長の様子は一切変わったところを見せない。


「まぁ、なんにしろ、あんたが来たってことは、シメーレはやる気なのかねやはり」

「あぁ、そのつもりだよ」

「誰に似たんだろね、あのお転婆は」

「さぁね、皆目見当もつかないよ」


 クルークはそう言ってグラスに残っていた林檎酒を飲み干すと、館長と自分のグラスになみなみと酒を注いで再びちびちびと酒を舐め始める。

 沈黙の降りる小部屋に、グラスがテーブルを離れては、戻る音だけが繰り返される。

 館長が再びグラスの中身を空にしたのを確認すると、クルークは酒を注ぎながらそのローブの暗闇へ視線を向ける。


「正直なところ、我等にどれほどの勝機があると思うよ」


 真剣な顔で投げかけられる質問に、館長はグラスを掴んだ手を止めて、ふむと、一息吐いてしばらく思考するように間を空けてから、グラスを煽り半分ほどその中身を飲み干す。


「はっきり言えば、薄い、と思う。だが、わからない」


 珍しく困惑するかのような感情の乗った声で館長は喋る。クルークがそれに驚いたように目を丸くして、食いかかるかのように言葉を紡ぐ。


「珍しいね、あんたらが言葉を濁すとは」


 クルークと図書館の面々の付き合いは普通の人間同士の一生以上の長さであったが、そんな彼女であってもこれほどまで、はっきりとしない返事をもらったのははじめての事であった。


「過去の例を見ても召喚魔法を扱える魔法使いなど、数える程しかいなかった。我々の占術は過去と情報から導き出す答え故に、今回のようなイレギュラーに対しては答えを出せない」


 どこかすまなさそうのその声の響きに、むしろクルークは嬉しそうに唇の端を吊り上げて、グラスの中身を飲み干す。

 このような珍しい反応を見れたのもなかなかに面白い事ではあるが、それ以上に、多少なりとも勝てる可能性があるという話をこやつから聞けたのが大きい。


「そうかい、こっちとしては万に一つでも勝機があるとわかっただけで大収穫さ」


 館長は視線をテーブルへと落とし、一つ息を吐いて、こちらへとまっすぐに視線を向ける。

 ローブの奥、輝く赤い瞳がチラリと伺える。


「本当にやる気なのかいクルーク?」


 心配するような視線とは裏腹に声はいつもの平坦なそれ。

 古い友人のその人間らしさを垣間見ると、クルークはどうにもくすぐったく、つい笑みが漏れてしまうのを抑えられない。


「あぁ、老いぼれは老いぼれなりに、若いやつらのために道をつくってやらねばならんだろう。だからまぁ、あんたらの力をすこぅし貸してほしいのさ」


 言葉を受けて館長は少しだけ、沈黙を返し、深いため息を吐くと、どこからともなく取り出した羊皮紙の束をテーブルの上に広げる。


「高くつくよ」

「はっ、なんだかんだ言いながら用意するもんはしてるじゃないか。結局あんたも我が弟子がかわいいか」

「シメーレは大切な友人だ、同様に貴方もだクルーク。だから我々図書館は、親愛なる友人のために、持ちうる限りの情報を開示しよう」

「恩に着るよ」


 二人はテーブルの上に身を乗り出すと、羊皮紙の束に目を通し始め、話し合いを始める。

 甘い酒の香りが漂う小さな部屋の中。短い夜が暮れていく。

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