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プロローグ

 キラキラと輝く銀色のスプーン。

 四肢と額をベルトで台にしっかりと固定され、口には布を噛まされていた。

 それが最初の記憶。

 眼前のピカピカの銀色のスプーンは本当にきれいで、それをじっと見つめていた。

 鏡面のように磨かれたそれに映る自分の黒い瞳。

 その時初めて自分の瞳が深い黒色をしている事を知った。

 ゆっくりと近づいてくるそれが、やがて左目に触れる。

 反射的に閉じようとした目を横から伸びてきた指で無理やり見開かされた。

 未だ止まらぬそれはもう輝く柄だけしか見えなくて、恐怖で右目は硬く閉じていた。

 ひんやりとした冷たさを感じた瞬間、激痛と怖気が体中をかけ巡る。

 あらん限りの叫びは布で阻まれ、舌を噛んで死ぬことすら許されない。

 体を捻り、顔を背けることもできず、苦悶を体全てで味わうしかなかった。

 ぐりんっと、瞳の裏側を異物で撫でられる感覚に吐き気を催す。胃から競りあがる酸っぱいその味はしかし口外に吐き出すこともできず、呼吸すらままならなくなる。

 やめて! やめて! 痛い、気持ち悪い!

 お願いだからやめてください!

 ごめんなさい、助けてください!

 左目から流れる暖かいそれの色はわからない。

 やがてぷつっとした感触があって。

 目の前が真っ暗になった。

 左目の眼窩には激痛だけがある。

 怖くて仕方がなかったけれど、何も見えないのはもっと怖くて、恐る恐る右目を開けた。

 抉り出された左の眼球と目があう。

 再び目の前を暗闇が覆う。




 少女は瞳を抉られたその日、魔法使いになった。

 まだ七歳の少女は生まれながらの奴隷で、両親の名前も顔も知らないまま育ち、気づいた時には少女はそこにいた。

 そんな奴隷の少女はその日、肉体労働に準拠するために左の瞳を抉られて、変わりにぽっかりと空いた眼窩に死んだばかりの女魔法使いの瞳を入れられた。

 次の日から少女は同じような境遇の少し歳が上の子供達と一緒にエリアの辺境、岩壁近くの小さな石壁の小屋で魔法を学びながら労働に駆り出されることになった。

 彼女たちに教えられたのは基礎中の基礎である身体能力を向上させる簡単な魔法。

 それでも一朝一夕で使えるようになるものではない、木剣で叩かれ、鞭で打たれ、ノルマを達成できなかった日には一日一度の質素な食事すら取り上げられ、毎日朝から晩まで働かされた。

 それでも少しずつ彼女たちは魔法の使い方を覚えていった。

 労働が様になってきても彼女たちは理不尽に監視の男たちに打たれ、食事を取り上げられ、逆らうことがないように徹底的に躾けられた。

 お前たちは運がいいと、その現場を任されている男は毎日のように言う。誰もそんな言葉を聞いてはいなかったかれど、男は続ける。


「男爵様の厚意によって貴様らは、労働に精を出せるようにと魔法使いの瞳を授かった。男爵様に感謝するのだ。さぁ、述べるのだ感謝の言葉を!」


 男の声にしたがって、皆作業の手を止めて、顔も知らない男爵様に感謝した。

 一人だけ感謝の遅れた男の子が木剣で喉を突かれた。のたうち回る彼を気遣うことも許されず、子供達は労働へと戻る。

 少女は毎日のように私は何をやっているんだろうと、そう思いながらすごしていた。

 思っても口にはださなかった、口に出せば喋れなくなるまで剣で、鞭で、体中をいたぶられる。少女は奴隷の中でも特別無口で、優秀な奴隷であった。

 来る日も来る日も、過酷な労働は続く。

 魔法の力で身体能力を強化しようとも体の疲労は抑えられない。

 岩壁を掘ってはその岩を運び、時にはそれを砕き、新たな小屋を築き、荒れた地面をならし、区画を整備し、広げる。

 朝から深夜までひっきりなしに少女たちは働き、労働が終わると掌大のパンと薄いスープを飲んで、短い睡眠を貪り、そしてまた、働く。

 低い岩盤に覆われた空、魔法の力で辛うじて照らされるほの暗い街の端。いっそ気が狂ってしまったほうが楽だと思える作業が続く中、少女達の仲間が一人、死んだ。

 一番魔法を扱うのが下手な女の子だった。

 少女たちが朝起きると、彼女は冷たくなっていた。

 それから程なくして、男の子が一人、労働中に魔法を使って逃げようとして、捕まった。その日は労働は中止され、少女達は男の子がなぶり殺しにされるのをじっと見ていけなくてはならなかった。目をそらせば、頬を叩かれ、すぐに視線をそちらへと向けさせられる。

 また数週間経って、女の子が折檻中に木剣で頭を殴られて死んだ。

 そうして仲間が減る度に少女たちの担当する仕事の量は増えた。しかし、彼女たちにとってそれ以上に辛かったのは、死んだ仲間達の扱いのほうだった。

 監視員の男達は、死んだ仲間達の顔に手を伸ばし、躊躇なくその左の瞳に指を突っ込んで魔法使いの瞳を引き抜くと、少女達にその死体を埋めるように指示して、目だけを大事そうに抱えながら去っていく。

 その光景を見るたびに少女達は、自分達がいくらでも代えのきく、消耗品でしかないのだと震えて眠れぬ夜を過ごした。


 女の子が死んだその夜。

 小屋の中には少女と女の子、そうして男の子が二人。七人いた仲間は気づけはもう半分になっていた。

 女の子は一人めそめそと泣いていて、男の子二人は顔を暗くして俯いている。

 少女はずっと考えていた、どうして、自分はこんなことをしているのだろうと。魔法さえ使えれば、逃げることだってできるはずなのにと。

 彼女達の魔法の腕はやはりまだ未熟で、朝、労働の開始前に配られ、すぐに回収される杖の補助がなければ魔法の式を描くことすらままならない。だけれど少女は気づいていた。監視員の男達が、杖を使わずとも、自分達と同じように魔法を使っている事を。

 少女はぼそぼそと、仲間達にその事を話して聞かせた、もしかしたら逃げられるかもしれないと。

 泣いていた女の子は、目を輝かせて喜んだ。肌の白い男の子は不安そうな顔をした。一番年上の男の子は、失敗したらどうするんだと反対した。


「ココにいても、近いうちに私たちは死ヌ。だったら、かけてみるほうが、いイ」


 少女の言葉に、年長の男の子も渋々と頷いて、その日から少女達の魔法の特訓が始まった。


 それからまた時間が流れて、少女達は表向き普段どおりに労働をこなしながら、杖を使わない魔法を少しずつ練習していった。監視員の男達の目を掻い潜りその技術は少しずつ上達を見せ、三十回ほど、朝と夜を繰り返した頃には、四人ともなんとか杖の補助が無くとも魔法を使えるようになっていた。


 少女達は深夜こっそりと小屋を出た。

 明かりの無い夜の闇は三歩先すら見通すことは難しく、何も無い荒野ですら身を溶け込ませることができる。

 ずっとその作業現場から出る事の無かった四人は地理などわかるはずもなく、漠然と、岩壁に背を向けて真っ直ぐに歩き続けるとそう決めていた。

 ひんやりとしてごつごつと荒れた岩肌の地面を少女達は素足で歩いていく。


「ドキドキするね」

 女の子の上ずった声。

「そうだね……」

 肌の白い男の子は胸に手を当てて同意した。

「ダイジョウブ、ちゃんとできル」

 少女の言葉にに、全員が頷いて返す。

「それじゃいくぞ」


 年長の男の子が、目を閉じて息を吐く、倣うように少女達も神経を研ぎ澄ませ、虚空に指先で式を描く。

 震える指先で、四人が描いた式は青から緑の光を灯し、魔法を発現させる。

 四人の子供達はゆっくりと駆け出す。魔法により強化されたその速度は大の大人でも到底追いつけない。

 夜風を切って走るその爽快感に少女達の顔は自然と緩む。

 こうしておもいっきり走り回ることも許されなかった生活から解き放たれるのだと思うと、少女達は嬉しくて仕方がなかった。

 やがて息も切れそうになるころ、荒野が続くだけだった光景に一つの変化が現れる、目指す先を遮るかの様に延々と視界の端まで続く高い壁が現れた。

 少女を縦に四人ほど並べたほどの高さのその石壁はどこまでもどこまでも続いている。

 あれを超えれば、自由になれる。

 男の子達が我先にと駆け出す、少女と女の子もそれに続いて走り出して、白い肌の男の子が、壁に飛びついたところで、乾いた音と共に、男の子が胸から血を噴出して倒れた。

 三人は倒れた男の子にかけよることもできず、ただその場で凍りつく。


「貴様達何をやっている、そこの愚図のようになりたくなければ早く小屋に戻って明日に備えろ」


 少女達の後ろ、いつの間にか現場監督の男が立っていた。

 男は手に、銃を持っていた。そこから発射された弾丸が男の子の命を奪ったのだ。

 少女は混乱して、どうしていいかわからずただ、足がすくんで動けなかった。魔法は心の在りように左右される。長い労働の間に刻み込まれた上下関係の前に、少女達の魔法の効力は見る間に弱っていく。

 それは他の二人もそれは同様だったが、年長の男の子があらん限りの有期を振り絞って男へと飛び掛った。

 そうしてそのまま、男の抜いた本物の銀色の剣によって、彼の頭と体を繋ぐ首はあっさりと断ち切られ、支えを失った頭は鈍い音を立てて地面を転がり、岩にぶつかって止まる。

 一瞬のうちに二人もの仲間が死んだ。彼女達が岩壁に穴をあけるよりも簡単に。

 もう少女の足に力は入らなかった。その胸中は後悔で一杯だった。自分が妙な事をいいださなければこんなことにはならなかったのに、と。

 震える少女の頭を、女の子の手が優しく撫でる。

 そうして、小さな声で耳元でささやいた。


「いい、あたしが合図したら全速力で壁に向かって走って逃げなさい」

「でモ……」

「大丈夫、なんとかするから」

「私じゃなくテ、あなたが」

「あたしじゃ魔法の力があってもあの壁は超えられない。一番魔法が上手な貴方が行くのよ。いいわね」


 女の子は少女の頭から手を離すと、両手を挙げてゆっくりと歩いて男に近づいていく。


「あたしはあきらめるわ。貴方の慰み者になっても何をされてもいいから、あの子だけは何事も無く労働にもどしてくれないかしら」

「殊勝な心がけだが、それではな、そっちの小娘も奉仕に参加するというのなら二人とも許してやらないことはないが」


 男は下卑た笑いを顔に浮かべながら剣を腰に収めて女の子へと近づくと、そのあごを指で掴み、じっくりとその顔を観察する。


「まだやはり幼いが、それもまた一興よ。そっちの小娘も早くこっちにこい」

 びくりと体を震わせて、少女が腰を上げた瞬間。

「逃げて!」


 叫びながら女の子が男の腰の剣に飛びつく。少女はその声を受けて一目散に走り出す。

 銃声が鳴り響く、立て続けに、二度、三度。

 少女は息を呑んで、振り返ろうとして、


「平気、振り返っちゃダメ! いくのよ!」

「貴様、離せ! おい小娘止まれ! 止まれ!」


 少女の近くを銃弾が二度かすめ、それでもう銃声は聞こえなくなった。少女はあらん限りの力で地を蹴って壁へと飛んだ。少女の手が壁を掴む。力をこめて一息でその軽い体を引き上げる。

 何かかが水溜りに落ちた時のような水音が少女の背後で聞こえた。それでも少女は振り返ることなく、壁の上から暗闇の中へと再び、跳躍する。

 奴隷の少女は、仲間達の命を犠牲に、ただ一人そこから解き放たれた。

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