緑の本~GreenBook~婚約破棄された令嬢は戻らない
※この話はカクヨムにも投稿されている短編です
『ティアローズ、君との婚約を解消する。私の妻に相応しいのは、このメリーベルだ!』
その日もティアローズ・ブランドルは茫然と窓を眺めていた。
何度も思い出してしまう、王子に告げられた婚約解消宣言。
「もう何日引きこもっているのかしら?」
「それよりもあなた、今日は朝食お出ししたの?」
「出してもどうせ食べないでしょ。あとで残ったスープでも置いておくわ」
ドア越しに聞こえるメイド達の会話を虚ろな眼差しで聞きながら、ティアローズは本棚へ歩み寄る。
子供の頃から本を読むのが好きだった。
辛い時、泣きたい時は、英雄の冒険譚や恋愛小説を読んで気を紛らわせていた。
だけど最近は何も読む気が起きず、今こうして本棚に向かい合っても、読みたいものが思いつかない。
「……?」
二段目の真ん中、色鮮やかな緑の背表紙に目がとまる。
棚の中でもひときわ大きな本だった。
ティアローズは首を傾げる。
(こんな本、あったかしら……?)
見覚えのない本が気になり、そっと手を伸ばした。
緑の無地の布――装飾も題字も紋章すらない。
棚から抜き取ると、両腕で抱え込むほどの重みがあった。
見た目はただの古い布張りの本。
表紙には文字ひとつ刻まれていない。
何の本なのか、誰が作ったのか、まるで手がかりがない。
だけど、何故か気になる。
薄暗い部屋の中で、緑の本の存在はとても際立っていたからだ。
ティアローズは本を胸に抱えたまま、ふらふらした足どりでデスクへ向かった。
椅子に腰を下ろし、そっと机の上へ置き、ゆっくりと本を開く。
一瞬だけ風を感じた。
まるで草原を吹き抜ける風のような爽やかさ。
そして目の前に広がるのは、一面の草原だった。
(絵本……? 油絵かしら?)
草原の緑は単なる一色ではなく、 薄い黄緑、深い緑、翳りのある青みなど、何層もの色が重なっている。
それは立体的で、本物の景色を窓から見ているような錯覚に陥った。
次のページを開く。
この本には文字が書かれていない。
草原の中を自由に走り回る女性の姿が描かれていた。
次のページには草原の中、大の字になって寝る青年。
さらに次のページには草原で椅子に腰掛け、うたた寝をする老人。
いずれも草原を背景にした人物像で、どの人物もとても幸せそうだ。
「いいなぁ……」
ティアローズは思わず呟く。
自分に代わって第一王子の新たな婚約者となったメリーベルは実の妹だ。
妹は幼い頃から、ティアローズのものを欲しがってばかりだった。
洋服、ぬいぐるみ、宝石……物だけならまだ良かった。
自分に仕えてくれていた侍女ケイトも、いつの間にかメリーベルの侍女になっていた。
両親も自分には厳しく、メリーベルには甘い。
それは自分が幼い頃から第一王子の婚約者だから仕方がないと、言い聞かせてきたけれど。
『お姉様、ごめんなさい。お姉様の婚約者だというのは頭では分かっていたの。だけど、どうしても自分の心には嘘をつけなかったから!』
『面白みもない貴様よりは、メリーベルの方が愛嬌があるし、なにより美しい……将来の王妃に相応しいのは彼女の方だ』
こうして妹に第一王子の婚約者という地位まで奪われてしまった。
幼い頃から王妃教育をしてきたあの努力は何だったのか。
ティアローズは目に涙を浮かべ、掠れるような声で呟く。
「もう、いや……ここじゃない、遠い所へ行きたい」
どんなに身を粉にして働いても。
どんなに王妃に相応しい作法を身に付けても。
両親も、婚約者も、妹も自分を認めてくれなかった。
使用人もティアローズが両親から蔑ろにされていると分かると、彼女を軽んじる者が多かった。
ティアローズの味方と言える人物は二人だけ。
ケイトは、メリーベル直属の侍女になってからも、何かと気に掛けてくれていたし、護衛騎士のジム・フィールドは、いつも自分に寄り添ってくれていた。
ティアローズの努力を見守り続け、認めてくれた人物たちだ。
だけどこの二人も今は自分のそばにはいない。
ティアローズの目から涙が溢れたその時。
「遠くへ行きたいの?」
不意に声をかけられ、ハッと顔を上げる。
目の前に緑の羽根の蝶々が飛んでいた。
だけどよく見ると、身体は人間だ。
緑のとんがり帽子の下、黄緑色の前髪がちらりと覗く。
深緑色の眼、白い肌、年齢は十歳ほどの少年。
少年は蝶の羽根を翻し、ティアローズの周りをひとしきり飛び回ってから、机の上の書類の山に腰掛けた。
「妖精……?」
「うん。人間は僕のことそう呼ぶね。名前はグリンって言うんだ」
グリンと名乗った少年はニコリと笑った。
服の色が、今持っているこの本と同じ緑だ。
「グリンって……もしかして、この本の妖精?」
「そうだよ。良く分かったね。その緑の本、気に入ってくれた?」
「え、ええ。見ていて少し羨ましくなったわ……皆幸せそうで」
ティアローズの眼から涙が溢れる。 常に自分より妹が優先されてきた日々。
父も母も妹ばかりをかわいがり、自分のことは見てくれなかった。
そして婚約解消となった時も――
「地味なあなたよりも、メリーベルの方が国母として見栄えがするわ」
母は婚約解消を喜び、妹が代わりに嫁ぐことに真っ先に賛成した。
父は母と妹の言われるがまま、婚約解消の手続きをとりはじめた。
王族側は第一王子の強い要望と、公爵家の娘ならどちらでも良いという事情もあり、婚約者のすげ替えをあっさりと了承した。
その時はまだ、努力が無になったことは悲しかったけれど、まだ耐えられた。
それはジムがいたからだ。
『お嬢様の努力は、きっとどこかで役立つはずです。どうか気を落とさぬよう』
『ジム、ありがとう』
王太子に婚約破棄をされてから、ティアローズはジムと過ごす日々が多くなった。 父の仕事を手伝いながら休憩時にはジムとともにお茶をする日々。
今までにない穏やかな日々に、ティアローズは幸せを噛みしめていた。
その光景を面白くなさそうに見つめているメリーベルの姿があるとは知らずに。
ジムが国王陛下の命で遠征に出ることになったのは、それから一ヶ月後のことだ。
貴族は自分に仕えている騎士を数名。
王国軍の遠征に参加させる義務がある。
ジムはその騎士に選ばれた。
けれどもジムは遠征行きを好機ととらえていた。
『この遠征で活躍が認められた時には、あなたとの結婚を国王陛下に願い出たいと思っています』
『ジム……』
『必ず、あなたを迎えに来ます』
そう言って遠征に参加したジム。
毎日、毎日、毎日、彼の無事を祈ることしかできなかった。
大きな活躍なんかしなくていい。
どうか、どうか無事に帰ってきてほしい。
そう願っていたのに――
『ジム・フィールド騎士は、エガテ山にて任務遂行中、落石に遭遇し死亡いたしました』
戦死者を報告する伝令係が、ジムの死を告げてきた。
◇◇◇
ティアローズは精神的な病のため婚約者として辞退し、第一王子の新たな婚約者はメリーベルとする、と王族から全貴族に通達されたのは、それから一週間後のこと。
実際にティアローズはジムの死のショックで、食事も喉が通らぬほど病んでいた。
そんな娘に父は「大袈裟な……明日までにはこの書類を片付けろ」と言い、母は「私の気を引きたいの?」と嘲笑うしまつだった。
「もう遠くに行くよりも、いっそのこと消えてしまいたいわ……」
目から止めどなく涙が溢れる。
次のページを開くと、そこには誰もいない一面の草原の絵が描かれていた。
緑のページにぽたり、ぽたりと涙が落ちる。
そんなティアローズに、グリンは優しく微笑みながら言った。
「そのお願い、叶えてあげる」
◇◇◇
ジム・フィールドが無事に遠征から戻ってきた時、公爵家の屋敷内は大騒ぎになっていた。
使用人たちが右往左往する中、騎士の一人がジムの存在に気づき驚く。
「じ、ジム!? 生きていたのか」
「え……ああ、この通り大した怪我もなく帰ってくることができた」
「じゃあ、戦死というのは誤報だったのか……」
「それよりも、屋敷が騒がしいみたいだが」
「あ……そうなんだ。大変なことが起きて。お嬢様が……ティアローズお嬢様が行方不明なんだ」
「!?」
ジムはとにかく帰還の報告と、状況を聞くために公爵の執務室へ向かうことにした。
ロビーでは、一人のメイドが執事に問い詰められている。
「担当のメイドは貴様か!? 貴様、ちゃんとお嬢様の様子を見ていたのか」
「ひ……ひぃぃ、お許しください! まさか、いなくなるとは思わず……!」
担当メイドが引き立てられ、執事に鞭打ちされている。
メイドはジムの姿に気づくと、一瞬驚いたものの、鞭の痛みに耐えられず助けを求めるように手を伸ばした。
しかしジムはその手を一瞥しただけで、公爵の執務室へ向かう。
ティアローズを侮辱し、世話を怠っていた人物に同情する気は一切なかった。
執務室の隣、開きかけたドアの隙間から、公爵夫人とメリーベルの会話が聞こえてきた。
「本当に……どこへ行ったのかしら、ティアローズは。家出なんて大袈裟なことを」
長女が行方をくらますなど思ってもみなかったのだろう。
公爵夫人の声は動揺で震えていた。
メリーベルは引きつった笑みを浮かべ、安心させるように言う。
「お、お母様。大丈夫ですわ。お姉様は必ず戻ってきますわ」
「で、でも、もう一ヶ月以上戻っていないのよ……今頃どこかで死んでいたら……」
公爵夫人はソファに座り込み、口を押さえる。
メリーベルはサッと顔色を変え、怒鳴り声を上げた。
「そんなことない! そんなことないってば! そうじゃなきゃ困る! だって、私に代わってお姉様には難しい仕事をしてもらわないと!」
「あなた、何を言っているの?」
メリーベルの言葉に、公爵夫人は目を瞠る。
信じがたい眼差しを娘へ向けると、メリーベルはしまったとばかりに口をつぐみ、小声で続けた。
「だ、だって王妃教育なんて全然分からないんだもの……だから王妃様が難しいことはお姉様にさせようと思ったの。お姉様を宰相様の後妻にして、私の補佐官にしようと思って。ほら王太子妃の補佐官は代々宰相様の身内がすることになっているし」
「宰相様は……もう五十になる方じゃない!」
「で、でも、お姉様ならお似合いだわ」
「馬鹿言わないの! 宰相様はお父様より年上なのよ!? 冗談じゃないわ、義理の息子があんな醜い狸爺なんて!」
公爵夫人は身内の見た目を何より重要視する人物だ。
だから第一王子の婚約者は華やかな容姿のメリーベルが相応しいと賛成し、地味なティアローズをかわいがることはなかった。
しかし可愛がってこなかった娘とはいえ、その結婚相手が醜いのは我慢ならないらしい。
「お母様は見た目ばかり気にしすぎよ!」
「それよりも自分の勉強不足をなんとかしたらどうなの!?」
母娘は激しく言い合っていた。
そんな二人を蔑視してから、ジムは執務室のドアを叩いた。
◇◇◇
執務室にて。
ジムは帰還の報告と同時に、先ほど聞いた公爵夫人とメリーベルの会話が事実かどうかを問いただした。
すると公爵は溜め息交じりに答える。
「王子の心がメリーベルに向いてしまったのだから仕方がない。妻は不満かもしれないが、もうアレの使い道は宰相様の後妻ぐらいしかない」
娘をアレ呼ばわりする父親に、ジムは拳を握りしめた。
ティアローズの努力を訴えたところで、この男が今さら考えを改めるとは思えない。
今はティアローズの行方を捜すのが先決だ。 もし見つかったら、そのまま逃げても――いや、とにかく無事を確認しなければ。
ジムは黙って一礼し、部屋を後にした。
◇◇◇
「私はお姉様じゃないんだから! 難しいお説教はしないで!!」
メリーベルが叫び、ドアを乱暴に閉めて部屋を出たところ、ちょうど姉の護衛騎士であるジム・フィールドが執務室から出てきた。
メリーベルは頬を赤らめる。
遠征で大活躍した彼は英雄として国民に迎え入れられていた。
いくら美しい容姿でも、平民の護衛など嫌だと思っていたが、英雄となり近いうち爵位が授与されるなら話は別だ。
彼を自分の護衛騎士にする――そう思った。
そもそも彼の戦死はメリーベルが仕掛けた嘘だった。
姉にそう伝えるよう伝令係に金を渡して頼んだのだ。
本当は今頃、姉は宰相の後妻になるはずだった。
王太子妃……ひいては未来の王妃の補佐官は、王政に深く関わる役職。
代々宰相家の縁者が務めるのが慣例だった。
宰相自身も、姉の働きぶりを見初め、是非後妻にと父に申し出ている。
姉とジムが恋仲なのは分かっていたが、結婚させるわけにはいかない。 姉には自分の補佐官になってもらう必要があるからだ。
そしてティアローズが宰相の後妻になった後、ジムの無事を伝えるつもりだった。
姉はジムと一緒になれなかったことは残念に思うだろうが、何よりもジムの無事を願っていたのだから、それが一番だと思った。
それなのに姉が見つからないうちに、ジムが帰ってきてしまった。
とにかく今はジムをこっちに取り込まなければ。
ずっと前からこの美しい護衛の青年を側に置きたいと思っていた……平民でなければ。
だが今の彼は英雄。 自分の側にいるのに相応しい男になって帰ってきてくれた。
メリーベルは嬉々とした表情を浮かべ、ジムに手を差し伸べる。
「ジム、光栄に思いなさい。今日からあなたを私の護衛にしてあげる。あなたは未来の王妃の護衛となるの」
「――失礼します。先を急いでいますので」
「え……!?」
話も聞かず立ち去るジムに、メリーベルは呆気にとられる。
いつもなら自分が微笑めば男性は優しく微笑み返してくれたのに。
ジムの眼差しは冷ややかで、メリーベルを寄せ付けない鋭い空気を放っていた。
メリーベルは遠くなるジムの背中に向かって言い放つ。
「何よ……私から逃げられると思わないで!」
◇◇◇
ジム・フィールドは、そっとティアローズの部屋を開けた。
薄暗い部屋。 掃除はまったくされていないようで、窓には蜘蛛の巣が張り、ほこり臭い匂いが漂う。
ふとデスクの上に緑色の本が置かれているのに気づいた。 タイトルも何も書かれていない緑の本。
薄暗い部屋の中で異様な存在感を放っていた。
引き寄せられるようにデスクへ近づき、表紙に触れる。
ページをめくると、一瞬、爽やかな風が頬を撫でた。
まるで窓から草原を見ているような感覚。
草が風に揺れ、海のうねりのように見える。
次のページには草原を自由に走る女性。
次には大の字で寝る青年。
さらに次には椅子に腰掛けうたた寝する老人。
そして次のページ―― そこには穏やかな表情で本を読む若い女性が描かれていた。
「ティア……こんな所に」
誰もいない時に呼んでいた愛称で、ジムは彼女を呼ぶ。
その目から涙が溢れた。
これは単なる油絵ではない。
ページ越しに彼女の温度、呼吸すら感じ取れる。
平民という理由で貴族から相手にされなかった自分に、唯一手を差し伸べてくれたのがティアローズだった。
何事にも懸命で、心優しい彼女を守りたいと思っていた。
この命よりも大切な人。
それなのに――
「その娘のもとへ行きたい?」
不意に声をかけられた。
気配を感じなかった。
ぎょっとして振り返ると、出窓の縁にちょこんと座る小さな少年。
背中には蝶のような羽が輝いている。
明らかに人ならざる存在――妖精だ。
おとぎ話のような光景だ。しかしジムは表情を和ませることはなく、表情を険しくした。
「……貴様が、彼女をここに閉じ込めたのか」
腰の剣を抜き、切っ先を妖精に向ける。
妖精は眉一つ動かさず、無邪気な笑みを浮かべた。
「人聞きの悪いことを言わないでよ。僕は彼女の望みを叶えただけ。父親や母親からも見てもらえず、妹からは全て奪われ、努力も無にされる世界にいたくなくなったんだよ」
「……」
妖精の言う通り、この家はティアローズにとって地獄のような場所だった。
本の中に逃げたくなる気持ちも分かる。
「君が戦死したという報告を聞いたのが決定打だったけれどね」
「……!?」
「あのメリーベルって子、王妃教育は面倒くさがるくせに悪知恵だけは働くみたいだね。伝令係を買収して、君の戦死をティアローズに伝わるように仕向けたんだよ。彼女が諦めて宰相の後妻になるようにね」
「……」
先ほど聞いたメリーベルと公爵夫人の会話からして、この妖精の言っていることは恐らく本当だろう。
メリーベルの笑顔を思い返し、ジムは剣を握る指に力を込めた。
人々が美しいと称えるあの笑顔――自分には邪悪にしか見えない。
平民だった時はゴミを見るような眼差しで自分を見ていたくせに、英雄になった途端掌を返した。
メリーベルにとって自分はティアローズの“物”に過ぎないのだ。
ジムは剣を収め、妖精に頭を下げた。
「さっきは剣を突きつけてすまなかった」
「大丈夫。君の気持ちはすっごくよく分かるもん。好きな子がいなくなったら必死になるよね」
「……彼女はもう戻れないのか?」
「うん。でもそれが彼女の選択だから」
確かに自分が彼女の立場なら、同じ選択をしただろう。
彼女が本の世界から永遠に戻れぬのなら、自分が望むのはただ一つ。
「頼む。俺を彼女の元へ送ってくれ」
「一度本の中に入ったら二度と出られないよ? 苦労して得た英雄の地位もなくなる」
「かまわない! 戦場で功績をあげ、彼女との結婚を陛下に申し出るつもりだったが、そんな状況じゃ叶わない……だったら、俺も彼女の元へ行く!」
胸に手を当て、真剣に訴える青年に、緑の妖精はにっこりと笑って頷いた。
「そのお願い、叶えてあげるよ」
◇◇◇
あれから半年―― ティアローズは帰ってこない。
メリーベルは最初、姉が一人で誰の力も借りず生活できるわけがない。すぐに戻ってくると思っていた。
もし 自由を楽しんでいたとしても、国内ならすぐ見つかるはずだった。
それなのに。
(お父様も陛下も兵士を動かしてお姉様を捜しているのに、未だに見つからない。国外に出た? それとも死……いやっ! 考えたくない!)
メリーベルは頭を抱え、蹲る。
彼女は第一王子と婚約し、王太子妃となった。
だが今、実家の自室にこもっている。
王城には戻りたくない。 戻れば厳しい王妃教育、山ほどの公務が待っている。
(お姉様がいないと私、何もできない……! お姉様は私の補佐官になって、ずーっとずーっと助けてくれるはずだったのに!!)
思い出すのは王妃の落胆の声。
『あなたがティアローズより有能だと伺っていたのに……どういうこと? あの子の方がよほど優秀だったじゃない!』
メリーベルは頭を振り、王妃の声を振り払う。
姉がいた時は容姿を比較してはメリーベルを褒めていた王妃。
しかし姉がいなくなり、自分が王太子妃となると、厳しい言葉ばかり浴びせるようになった。
しかも事あるごとにティアローズと比べる。
婚約者である王太子に助けてほしいのに――その王太子はメリーベルの侍女、ケイトと密会するようになっていた。
「ケイト、君は本当に有能だな。これからも頼りにしているよ」
「ありがとうございます、殿下」
その侍女はもともとティアローズに仕えていた者だ。
甲斐甲斐しく姉に仕えていた侍女が欲しくなり、父に頼んで側に置いた。
王太子妃となった時も筆頭侍女に指名した。姉に彼女を返したくなかったから。
ケイトはいつもそつなく仕事をこなし、いつの間にかメリーベルの公務も代わりに行うようになっていた。
最初は自分の代わりに仕事をしてくれることを喜んでいた。
だがケイトはそのうち頻繁に第一王子と会うようになった。
しかも親しげな会話がドア越しにたびたび聞こえてくる。
それを咎めるとケイトはふわりと微笑んでこう言ったのだ。
「あなたは社交の場で笑っていればよいのですよ。王太子殿下はこれから私がお支えしますから」
「何を言っているの? 侍女如きが……」
「良いではありませんか? あなたがお姉様にさせようとしていたことですし。あの方が行方不明である以上、私がするしかないではないですか」
「で、でもしょっちゅう殿下と密会して……」
「密会?……ふふふ、人聞きが悪いですね。書類の確認に殿下の了承が必要なのですよ?」
そう言った瞬間、侍女の微笑みは冷笑に変わった。
メリーベルは唇を噛みめ、両手で壁を叩きつける。
(お姉様が代わりに仕事をしてくれたら、こんなことにはならなかったのに!!)
メリーベルはさらにケイトの言葉を思い出す。
彼女は侮蔑もあらわに自分にこういったのだ。
『それにしても、あなたもお人が悪いですね。ティアローズ様がお慕いしていたジム・フィールドを死んだことにしてまで、宰相様に嫁がそうとするなんて』
『お姉様が宰相様と結婚した暁には、ジムが生きていることを報告しようと思っていたわ』
『あらあら……王太子妃殿下は、人の気持ちをまったくご理解なさらないのですね。そんなことをされたら、ティアローズ様の絶望は計り知れませんよ?』
『そんなことない。ジムが生きていると分かれば、お姉様もほっとするはず』
『本気でそうお思いなら、あなたは生涯お人形さんのように、社交の場で笑っているだけにしてくださいませ。――ああ、本当にティアローズ様が宰相様と結婚する前にジムが戻ってきてくれてよかった』
『よかったって……私は全然良くない! 私の侍女だったら、私の気持ちくらい汲んでよ!』
『私が心の底から仕えたいと思ったのはティアローズ様だけです。あなたには嫌々仕えているだけですので、あしからずご了承くださいませ』
『……っっっ!!』
今でも、侍女の首を絞めた感触が残っている。
逆上して侍女に手をかけたが、すぐにそばにいた女性騎士に止められた。
ケイトの不敬を第一王子に訴えたものの、何故か自分の方が実家に戻るよう勧められた。
『君は疲れているんだ。少し実家で休んだ方がいい』
そして今、メリーベルは実家の自室に引きこもる日々を送っている。
だが閉じこもってばかりでは気が滅入る一方だと思い、姉の部屋へ向かった。
真っ先に目がとまったのは、デスクの上に置かれた緑の本。
ページを開くと、草原で笑い合う男女、昼寝をする青年、自由に駆け回るティアローズなど、草原を舞台にした様々な人物が描かれていた。
最後のページには、ティアローズそっくりの女性と、ジムそっくりの青年が抱き合って笑い合う絵があった。
メリーベルは口を噛みしめる。
(そんな幸せそうな顔……お姉様には似合わない! どうしてジム・フィールドと幸せそうにしている絵があるの? 誰かに描かせたの? こんなの宰相様に見つかったら大変だわ!)
メリーベルは慌てて本を暖炉に放り込み、手に持っていたランプも投げ入れた。 ランプの油が本にこぼれ、瞬く間に炎が上がる。
(ああ、なんでこんなに苛々するの!? ジムがお姉様に向けていた微笑みは、私には決して向けられなかったもの。あの微笑みが欲しい……でもジムも行方不明。ジム……ジムはどこに行ったの!?)
◇◇◇
メリーベルが去った後、グリンがポッと宙に現れた。
「あーあ、妖精の本を燃やそうとするなんて……ほんとムカつくなぁ、あの娘」
暖炉の中に放り込まれた緑の本は炎に包まれていたが、グリンがパチンと指を鳴らすと、炎はすっと消えた。
本は燃えた跡もなく、元の綺麗な姿に戻っている。
グリンが指をくるりと回すと、本は暖炉からふわりと浮き上がり、妖精が持てるほどの小さなサイズへと変わった。
「ここのお嬢様の本棚は居心地がよかったけれど、本棚の持ち主であるティアローズがいなくなったし、そろそろ引っ越そうかなー」
◇◇◇
後にティアローズの実家、ブランドル家は没落の道を歩んだ。
メリーベルは女遊びが激しい婚約者に心を病み、両親に相談したものの。
「大袈裟だ」と父は一蹴。
「あなたのお姉様は我慢していたわ。あなたと王子が心を通わせていた時も」 と母は溜め息交じりに言うだけだった。
「なんで、なんで、なんでよぉぉぉぉ! 今まで私が泣きついたら味方してくれたじゃない!! どうしてお姉様がいなくなった途端、冷たくなるのよ!!」
メリーベルはついに逆上し、父親を刺殺した。
父親は娘がまさかこんな暴挙に出るとは夢にも思わず驚愕の表情のまま倒れた。
それを目の当たりにした公爵夫人は卒倒し、公爵家は混乱にの渦へのみこまれていった。
やがてメリーベルは廃妃を言い渡され、王城の地下牢に幽閉される。
同時に王太子も度重なる不祥事により、廃嫡が言い渡され、第二王子が王太子となった。
ティアローズの元侍女で、メリーベルの侍女だった女性は、第二王子が王太子となるのを見届けてから、自ら修道院に入ったという。
当主を失ったブランドル家は権威を失い、ブランドル公爵夫人は、わずかな使用人と共に山奥の別荘でひっそり暮らすこととなった。
◇◇◇
さらに年月がたち、グリンが久々にブランドル家公爵家の屋敷を見に行くと、誰もいなくなったそこは既に廃墟と化していた。
手入れがされず大木となった庭木の枝の上で、グリンは無邪気な笑みを浮かべながら本を開く。
最新のページには、草原の中、赤ん坊を抱くティアローズ。 その隣には、優しく寄り添う護衛騎士、ジムの姿が描かれていた。
END
お久しぶりです。
秋作です。
ひさびさにこちらにも投稿です。
本当に久々なので、しばらく投稿の仕方がわからなかったくらい浦島状態でした。
今回はダークよりな恋愛ファンタジーでしたがいかがだったでしょうか?
今後も本の妖精にまつわるエピソードが書いていけたらいいな、と思っています。




