表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

冷酷公爵の花嫁候補になりました ~三日で追い出されるはずが、なぜか溺愛されています~

掲載日:2025/12/29

「おめでとうございます、リリアナお嬢様。ヴァレンシュタイン公爵家の花嫁候補に選ばれました」


 父のその言葉を聞いた時、私は自分の耳を疑った。


 ヴァレンシュタイン公爵と言えば、この王国で最も恐れられる貴族だ。

 『氷の公爵』『人の心を持たぬ男』『見つめられた者は石になる』——噂は数え切れない。

 そして何より有名なのは、今まで送り込まれた花嫁候補が、全員三日と持たずに逃げ帰ってきたということ。


「お父様、それは……」

「借金の肩代わりの条件だ。断れば、我が家は没落する」


 父は目を逸らした。

 ベルモント子爵家——我が家は、先代の浪費が祟って、もはや風前の灯だった。


 私、リリアナ・ベルモント、十八歳。

 こうして、冷酷公爵の花嫁候補として、人生最大の賭けに出ることになった。


---


 ヴァレンシュタイン公爵邸は、噂通りの威圧的な城だった。

 黒い石壁、尖塔、鉄の門。まるでおとぎ話の魔王の城のようだ。


「ようこそ、リリアナ・ベルモント様。旦那様がお待ちです」


 出迎えてくれた執事は、意外にも穏やかな老紳士だった。

 名をセバスチャンというらしい。


 長い廊下を歩きながら、私は緊張で手が震えていた。

 三日で逃げ帰った令嬢たちは、一体何をされたのだろう。

 罵倒されたのか。冷たく無視されたのか。それとも——


「旦那様、リリアナ様をお連れしました」


 セバスチャンが扉を開けた。


 書斎の中央に、一人の男が立っていた。


 ……息を呑んだ。


 『冷酷公爵』ヴィクトル・ヴァレンシュタイン。

 噂には聞いていたが、これほどとは思わなかった。


 漆黒の髪に、氷のように青い瞳。

 彫刻のように整った顔立ち。鼻筋は通っていて、唇は薄いが形がいい。

 背は驚くほど高く——私の頭ひとつ分は優に超える——肩幅は広く、がっしりとした体格だ。

 黒いコートを纏った姿は、まさに『氷の公爵』の名にふさわしい威厳がある。


 そして——その表情は、確かに冷たかった。

 眉間にしわを寄せ、口は真一文字に結ばれている。

 まるで、私の存在を不快に思っているかのような。


「……っ」


 公爵が、こちらを見た。

 青い瞳が、真っ直ぐ私を捉える。


 あまりの威圧感に、足がすくんだ。

 これが、令嬢たちを三日で追い返した眼力か。


 数秒の沈黙。

 公爵は何も言わない。ただ、じっと私を見つめている。


 ……あれ?


 私は、ふと違和感を覚えた。


 公爵の視線は確かに鋭い。表情も硬い。

 でも、よく見ると——


 彼の手が、かすかに震えている。

 大きくて、節くれだった男らしい手。その手が、ぎゅっと握りしめられている。

 そして、喉仏が何度も上下している。

 まるで、何かを言おうとして、言葉が出てこないかのように。


「……あ、あの」


 公爵が、ようやく口を開いた。

 低く、かすれた声。よく響く、いい声だ。


「ようこ……そ……」


 そこで、言葉が止まった。

 公爵の顔が、わずかに赤くなっている。

 そして、また口を閉じてしまった。


 ……まさか。


 私は、ある可能性に思い至った。


 この人、もしかして——


「公爵様」


 私は、思い切って一歩前に出た。


「お会いできて光栄です。私はリリアナ・ベルモントと申します」


 にっこりと微笑んでみせた。


 公爵は、びくっと肩を震わせた。

 そして、視線を逸らした。

 耳が、真っ赤になっている。


 ……やっぱり。


 私の予想は、確信に変わった。


 この人、人見知りだ。

 冷酷なんじゃない。緊張しすぎて固まっているだけだ。


---


 夕食の席でも、公爵は一言も発しなかった。

 ただ黙々と食事をしている。

 時々、こちらをチラチラと見るが、目が合うとすぐに逸らす。


 以前の花嫁候補たちは、この沈黙を「無視されている」「軽蔑されている」と受け取ったのだろう。

 確かに、普通ならそう思っても仕方ない。


 でも、私は気づいてしまった。


 公爵がグラスを持つたびに、手がかすかに震えていること。

 私が話しかけようとするたびに、体がこわばること。

 視線が合いそうになると、必死に目を逸らすこと。


 ……かわいい。


 冷酷公爵なんかじゃない。

 この人は、ただの人見知りで、不器用で、どう接していいか分からなくて困っているだけだ。


「公爵様」


 私は、あえて明るい声で話しかけた。


「このスープ、とても美味しいですわ。お屋敷の料理人は腕がいいのですね」


 公爵は、またびくっと肩を震わせた。

 そして、小さく頷いた。


「……そ、そう、か……」


 声が裏返っている。なんだか、微笑ましい。


「明日は、お庭を見せていただいてもよろしいでしょうか?」


「……好きに、すれば、いい……」


 言葉が途切れ途切れだ。緊張しすぎだ。……愛おしい。


「ありがとうございます」


 私は最高の笑顔を向けた。

 公爵の耳が、また真っ赤に染まった。


---


 二日目の朝。


 私が部屋を出ると、廊下に公爵が立っていた。

 びくっと体を硬くしている。明らかに、私を待っていた様子だ。


「お、おはよう……」

「おはようございます、公爵様」


 にっこり微笑むと、公爵は視線を逸らした。

 そして、何かを差し出した。


 薄い水色のショールだった。


「……朝は、冷える。だから……」

「私にですか?」

「……ああ」


 耳が真っ赤だ。目も合わせられない。

 でも、私のために朝早くから待っていて、ショールを渡そうとしてくれている。


 胸がきゅんとした。


「ありがとうございます。大切にしますね」


 私がショールを受け取ると、公爵の表情がほんの少しだけ緩んだ。

 その瞬間——氷のような顔が、少しだけ人間らしく見えた。


 ……ああ、この人、本当は優しいんだ。


---


 三日目の朝。


 おそらく、以前の花嫁候補たちなら、もう限界を迎えていた頃だろう。

 でも私は、むしろ楽しくなってきていた。


 いつの間にか、心の中で彼を「公爵様」ではなく「ヴィクトル様」と呼ぶようになっていた。


 ヴィクトル様は、やはり人見知りだった。

 話しかけると固まる。目が合うと逸らす。一人でいると穏やかなのに、人前に出ると氷のように硬くなる。


 でも、少しずつ変化が見えてきた。


 私が部屋に入ると、以前は完全に背を向けていたのに、今は横を向く程度になった。

 話しかけると、以前は一言も返さなかったのに、今は短い言葉で答えてくれる。


 そして——


「リリアナ」


 庭を散歩していると、背後から声がかかった。

 振り返ると、ヴィクトル様が立っていた。


 逆光で、その姿がシルエットになっている。

 背が高い。本当に高い。見上げなければならないほど。

 広い肩、長い足、まるで絵画から抜け出してきたような美丈夫だ。


 珍しい。彼の方から声をかけてくるなんて。


「これを……」


 ヴィクトル様は、何かを差し出した。

 一輪の白い薔薇だった。


「……庭で、咲いていた。お前が、好きだと、言っていた、から……」


 途切れ途切れの言葉。

 耳は真っ赤。目は泳いでいる。


 でも——必死に、勇気を振り絞って、私に話しかけてくれている。

 あの大きな手で、私のために花を摘んでくれた。


 胸が、きゅっと締め付けられた。


「ありがとうございます」


 私は薔薇を受け取った。

 その時、指先がかすかに触れた。


 ヴィクトル様の手は大きくて、温かくて——そしてかすかに震えていた。


「ヴィクトル様」


 私は、彼の目を見つめた。


「私、気づいてしまいました」


「……何を」


 彼の声が、硬くなった。

 またあの、氷のような表情に戻ろうとしている。


「あなたは、冷酷なんかじゃありません」


 私は、はっきりと言った。


「本当は優しい方なのに、人見知りで、うまく話せなくて、それで誤解されているだけ。違いますか?」


 ヴィクトル様の目が、大きく見開かれた。

 青い瞳が、動揺で揺れている。

 そして——


 その表情が、崩れた。

 氷が溶けるように、硬さが消えていく。


「……バレて、いたのか」


「バレバレです」


 私は笑った。


「だって、話しかけるたびにびくびくするし、目が合うと逸らすし、声をかけてくれる時は耳まで真っ赤になるし」


「……恥ずかしい」


 ヴィクトル様は、顔を手で覆った。

 大きな手で顔を隠す仕草が、ギャップがありすぎて、思わず笑みがこぼれた。


「今まで送り込まれた令嬢たちは、あなたのことを『冷酷だ』『恐ろしい』と言って逃げていったんですよね」


「……ああ」


「でも私は違います。私は——」


 私は、一歩前に出た。

 彼の手を、そっと取った。

 大きくて、節くれだった、でも温かい手。

 この手が、私に花を渡してくれた。ショールを用意してくれた。


「私は、あなたのそばにいたいです。ヴィクトル様」


 彼の青い瞳が、私を見つめた。

 その目に、今までにない感情が浮かんでいた。


 戸惑い。驚き。そして——希望。


「……本当に?」


「本当です」


「逃げ、ないのか?」


「逃げません。むしろ、もっとあなたのことを知りたいです」


 ヴィクトル様の目が、潤んでいるように見えた。

 長い長い時間を一人で過ごしてきた孤独が、その瞳の奥に透けて見える。


「……俺は、うまく話せない」


「知ってます」


「目を見て会話するのが、苦手だ」


「知ってます」


「人前に出ると、頭が真っ白になる」


「知ってます」


「それでも、いいのか?」


「もちろんです」


 私は、彼の手を両手で包み込んだ。

 彼の手は私の両手でも包みきれないほど大きい。


「ゆっくりでいいんです。焦らなくていいんです。私は待ちますから」


 ヴィクトル様は、長い間黙っていた。

 そして——


 突然、彼の腕が伸びてきた。

 気づいた時には、私は彼に抱きしめられていた。


「っ……!」


 広い胸。温かい体温。彼の匂い。

 私の頭は、ちょうど彼の胸の辺りにある。身長差がありすぎる。

 大きな腕が、私を包み込んでいる。まるで、二度と離さないとでも言うように。


「……ありがとう」


 かすれた声が、頭の上から降ってきた。

 低くて、深くて、心地いい声。


「お前は、初めてだ」


「え……?」


「俺のことを、分かろうとしてくれたのは。逃げずに、そばにいてくれたのは」


 彼の腕に、力がこもった。

 もう、震えていなかった。


「……行くな」


 それは、命令ではなかった。

 懇願だった。


「俺のそばに、いてくれ」


 私は、彼の背中に腕を回した。

 広い背中。腕が回りきらないほど大きい。


「はい。ずっと、そばにいます」


 彼の腕がさらに強く私を抱きしめた。

 苦しいほどだったけど、幸せだった。


---


 それから半年。


 私は正式にヴァレンシュタイン公爵夫人となった。

 社交界では『冷酷公爵を手懐けた女』と噂されている。


「あの公爵が、夫人の前では別人のようだと聞きましたわ」

「まるで大型犬のように従順だとか」

「一体どんな魔法を使ったのかしら」


 令嬢たちのひそひそ話が聞こえてくる。


 でも、実際は違う。

 私が手懐けたんじゃない。

 ただ、彼の本当の姿に気づいただけだ。


 今でも、ヴィクトル様は人見知りだ。

 社交の場では相変わらず氷のような表情をしているし、初対面の人とは目を合わせられない。


 でも、二人きりの時は違う。


「リリアナ」


 寝室で、ヴィクトル様が私を抱きしめた。

 大きな腕が、私を包み込む。

 彼の胸に顔を埋めると、心臓の音が聞こえる。


「今日も、一日、ありがとう」

「私の方こそ」


 彼の大きな手が、私の頭を撫でた。

 ぎこちない手つき。でも、とても優しい。


「……今日の舞踏会、あの男が、お前に話しかけていた」

「え? ああ、隣国の伯爵様ですか? 社交辞令でしたよ」

「……気に入らない」

「えっ?」


 ヴィクトル様の声が、低くなった。


「他の男が、お前に近づくのは、気に入らない」


 彼の腕に力がこもった。

 まるで、誰にも渡さないと言うように。


「お前は、俺のものだ」


 突然のセリフに、心臓が跳ね上がった。


「……えっと、そういうのは人前では言えないのに、二人きりだと言えるんですね」


「……うるさい」


 ヴィクトル様は、私の顔を胸に押し付けた。

 恥ずかしくなったらしい。耳が真っ赤だ。


 ……愛おしい。

 やっぱりこの人、どうしようもなく愛おしい。


「ヴィクトル様」


「……何だ」


「私も、あなたのことが大好きですよ」


 彼の体が、びくっと震えた。

 そして——


 大きな手が私の顎を持ち上げた。

 青い瞳が、まっすぐ私を見つめている。

 もう、目を逸らさない。


「もう一度、言え」


「……大好きです」


「もっと」


「あなたのことが、世界で一番、大好きです」


 ヴィクトル様の瞳が、甘く潤んだ。

 そして、彼は私の額にそっと唇を落とした。


「……俺も、愛している。お前だけを」


 その声は、まだ少し不器用だった。

 でも、誰よりも温かくて、誰よりも甘かった。


---


 翌朝。


 目を覚ますと、私はヴィクトル様の腕の中にいた。

 大きな体に包まれて、まるで繭の中にいるみたいだ。


 彼の寝顔を見上げる。

 起きている時はあんなに厳つい顔なのに、眠っていると幼く見える。

 長いまつ毛。整った眉。薄い唇。


 ……好き。

 本当に、好き。


 そっと彼の頬に手を伸ばした。


「……起きているのか」


 低い声が降ってきた。

 目が合った。青い瞳が、まっすぐ私を見ている。


「おはようございます」

「……ああ」


 ヴィクトル様は、私の髪を指で梳いた。

 大きな手が、優しく私の頭を撫でる。


「今日は、どこにも行くな」

「え? でも、午後から茶会が……」

「断れ」

「えっ」

「今日は、ずっと一緒にいたい」


 彼の腕が、私を引き寄せた。

 広い胸に、また顔が埋まる。


「……昨日、他の男と話しているお前を見て、我慢できなくなった。お前が俺のものだと、確認したい」


 聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなセリフだ。

 でも、彼は真剣な顔で言っている。

 耳は真っ赤だけど。


「……分かりました。今日は、ずっと一緒にいましょう」


 私がそう言うと、ヴィクトル様は満足そうに微笑んだ。

 その笑顔を見られるのは、世界で私だけだ。


 冷酷公爵は、実は世界で一番不器用で、一番優しくて、一番可愛い人だった。

 そして今、世界で一番、私を愛してくれている。


 三日で追い出されるはずだった私は——

 一生をかけて、この人に愛されることを決めた。



【完】

【作者からのお願い】

もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!

また、☆で評価していただければ大変うれしいです。

皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ