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勇者の条件

作者: 沢城侑

 見るともなしに見上げた空は綺麗な青色だった。

 きっと世界の終わりが来ようとも素知らぬ顔で空は青いのだろう。


 足が向くままに村の中を歩いていたら、川のほとりの広場に出た。

 青い空の下、広場では子どもたちが木剣を振りかざして遊んでいるように見えた。


 もっとも、大人から見れば剣術遊びに見えただけで、当の子どもたちの険しい顔と、輝く眼差しを見れば、それが彼らにとっては真剣勝負なのはすぐに分かった。

 俺はあてどない散歩を中断して、広場の端の切り株に腰を降ろした。


 子どもの数は全部で四人だった。

 実際に剣を振るっているのは二人で、小柄ながら眼光鋭い赤毛の男の子と、その子よりも一回り大きい体をした、いかつい顔の男の子。

 残りの二人はその大きい方の子の取り巻きなのだろうか、後ろから声援を送っているだけだ。

 一対一の決闘なのだろう。


 大柄の方が体格に物を言わせて剣を大きく振りかぶる。

 小柄な赤毛の方は一瞬切り込む素振りを見せるが、躊躇ってしまい、相手の一撃をなんとか剣で受けるので精一杯だった。

 その後も大柄な子の方は、お世辞にも速いといえない動きで剣を振り回す。

 無造作に振り回すだけの攻撃は隙だらけに見えるのだが、赤毛の子は躊躇ってばかりで肝心な一歩が出ない。


 大きく振りかぶった一撃を、赤毛の子が受け損なって転んでしまった。大柄の子は剣先を、しりもちをついている赤毛の少年の眼の前に突きつけた。

 赤毛の子がぼそぼそと口を動かす。恐らく参ったか降参なのだろう、大柄の子は剣を空に突き上げて勝どきをあげた。


 その後、勝者の少年は敗者である赤毛の少年に、二言三言告げてから、取り巻き連中と去って行った。


 決闘は終わった。俺も帰ろうと腰を上げる。

 ズボンの汚れを手で払って、帰ろうと踵を返した時だった。


 後方で鋭く空を切る音がした。


 振り返ると赤毛の少年が剣を振っていた。


 赤毛の少年はそれから何度も鋭く空中に剣を振るう。

 構えてから流れるような足さばきで滑らかに重心を移動させ、踏み込んだ瞬間に剣を振り払う。大人でも見惚れるような動きだった。


 その光景を見ていると当然の疑問が頭に浮かんだ。少し逡巡して俺は赤毛の少年の方へ歩いていった。


「やぁ」

 軽く手を上げて声を掛けてみた。少年は少しびっくりしてこちらを見る。


「なんだよ」

 決闘に負けたからか、それとも余所者を警戒しているのか、少年は不機嫌そうに応えた。


「そう、警戒しないでくれよ、怪しいモノじゃない」

「おにいさん、余所者だろ? 何の用だよ?」


「いや、さっきの決闘を見ていたんだが、今みたいな動きをしていれば勝てたんじゃないかなって思ってな」

 剣を振ろうとしていた少年の手が止まった。

 先程まで不機嫌そうだった顔には暗い影が落ちている。


「わざと敗けたようには見えなかったけど、剣を出さなかったのは何か理由があるのかい?」


 少年はだらりと下げた剣を小刻みに震わせている。

「あ、いや、言いたく無いならいいんだ。ちょっと気になっただけで――」


「――怖いんだ」

 ポツリと少年の口から言葉が溢れた。


「怖い?」

「相手がいると怖くなって、体が竦んじゃうんだ。だから守ることしかできなくて……」

 意外にも少年はあっさりと理由を教えてくれた。

 ひょっとすると悔しさの滲む胸の内を、だれかに聞いてもらいたかったのかも知れないと思った。


「ねぇ、おにいさんは剣士なの?」

「まぁ、剣士といえば、剣士だが……」


「じゃあ、どうやったら相手が怖くなくなるか教えてくれよ」

 少年は真っ直ぐな瞳で見つめて問うてきた。


 剣を握る者、戦いに身を置く者ならば、相手への恐怖の克服は永遠のテーマと言える。

 誰もが幾度となく自問自答し、彼のように先達に問いかけもしただろう。

 だがこの問いに対する答えは残酷だ。


「そんなものは無いよ」


「え?」


「相手が怖くなくなる方法なんて無いんだよ」

 その言葉で少年の顔にまた影が落ちる。


「じゃあどうしたらいいんだよ……」

「怖さを無くすことはできない。それでも戦うことはできる」

「どうやってさ?」

 神妙な少年の顔に、ふっと微笑みながら俺は答える。


「怖いときほど、前へ踏み込むんだ。活きる道は前にあるんだ」


 少年は魔法のような言葉を期待していたのか、がっかりしたように視線を落として項垂れてしまった。


「そんな勇気が無いから困っているんじゃないか……」


 俺は腰を落として、少年と目の高さを合わせた。


「最初から勇気を持っている人なんていないさ。勇気があるから踏み込めるんじゃ無い。踏み込んだことを人は勇気と呼ぶんだ。最初はみんな怖い、それでも前に一歩踏み出したら、何かが変わる。まずやってみることが大事なんだ。格好悪くてもいい。なんなら目を瞑っていてもいい」


 最後は茶化すように笑顔で言ってみた。少年の深刻な表情が緩むことを期待して。

 期待通り少年はにやりと笑う。


「目ぇ瞑ったら、剣当たらねーじゃん」

「ははっ、いいんだよ、最初は当たらなくても」

「なんだよ、それ」

 そう言うと、少年は再び木剣を強く握りしめて、剣を振り始めた。

 先程よりも体は軽く、剣筋は鋭くなっていた。


 それを見届けて、俺は踵を返した。

 すると、目の前に見慣れた顔があった。


 平穏な村に似つかわしくない甲冑姿の女剣士だ。

「アイリス。居たのか」

「ええ、先程から」

 アイリスは柔らかな口調で応えた。


「……ひょっとして今のを聞いていたのか」

「はい」


「そうか、滑稽だっただろう。俺なんかが勇気を語るなんて……」

「いいえ、貴方ほどあの言葉が似合う方はおりませぬ。勇者イグニット様」

 自嘲気味に笑う俺の名を、表情を崩さずアイリスは言う。捨てたはずの称号とともに。


「勇者はよしてくれ。魔王軍を前にして俺は逃げたんだ。勇者と呼ばれる資格は無い」

 その言葉でアイリスの表情が曇る。

 だが仕方が無い。事実なのだから。

 勇者の称号を王より賜り、軍を率いて魔王討伐に出たものの、魔王のあまりにも強大な力の前に、俺は敵前逃亡をしてしまったのだ。

 勇気こそが我が武器とどの口が言ったものか。俺は勇者と呼ばれるには程遠い愚行を犯してしまったのだ。


 そして、いまだ魔王の手の届いていないこの平穏な村に隠れるように逗留していたのだ。

 しかし余所者の噂はすぐに広まるらしい。元部下だったアイリスにこうして見つかってしまった。


「お言葉ですが、イグニット様。貴方は逃げようが、罵られようが、誰がなんと言おうが勇者なのです。私は貴方の声に魂が震え、貴方が空に突き上げた拳に胸が躍ったのです。あれは決して誰にも否定することのできない本物。あれは貴方が与えてくださった本当の勇気なのです」

 冷静さを崩さずに、しかし懇願するようにアイリスは言った。


「他人を鼓舞しようが、当の本人がこのザマではどうにもならんさ」

「勇者とて神ではありません。我々と等しく人であるならば、一度や二度逃げることを、誰が咎めることができましょうか? 先程イグニット様も仰っていたではありませんか、最初はみんな怖い。その通りです、魔王と対峙して怖くないはずがありません。ですから――」


「――だが、俺は一歩踏み出せなかった。目の前の恐怖から逃げたんだ」

 アイリスの言葉を遮るように、強い否定の言葉を発した。冷静さを保っていたアイリスの顔に悲しみの色が混じる。


「では、あの少年はもう終わりなのですか?」

「あの少年?」


「先程、イグニット様が話をしていた赤毛の少年です。彼も今日一歩踏み出せませんでした。あの少年はずっとあのままで終わりなのですか?」


「そんなことは……」

 そんなことは無い、と言いかけて口をつぐんでしまった。己が言ったことが全て己に跳ね返ってくることが予測できたからだ。


 その時、奇妙な感覚を感じた。

 少年の未来に向けて言ったはずの言葉が、自分に返ってきてゆっくりと自分自身に染み込んできている。不思議と居心地の悪さは無かった。ただじんわりと胸の奥が温もりを持っていくのを感じた。


 ふと、赤毛の少年を思い出した。彼は決闘に敗れた直後にも関わらず、剣を振っていた。ただ真っ直ぐに前を見つめて。


「……あの少年は勝てるさ。間違いない」

 俺はアイリスの瞳を真っ直ぐに見据えて力強く言った。

 それを聞いた彼女の瞳に光が宿る。


「敵の軍勢はどこまで来ている?」

 俺の問いにアイリスは引き締まった表情に戻る。

「じきにこの村にも押し寄せます」

「こちらの軍は?」

「近くに全軍を待機中です。勇者様が戻れば、すぐにでも出撃可能です」

「そうか」


 そう言って、大きく息を吐いた。怖さはなくならない、けれど仕方が無い。

 偉そうに勇気を語った手前、あの少年が勝てる未来を守らなければならない。俺は――。


「行こうアイリス。出撃だ」


 俺は勇者なのだから。



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