7:別れを惜しむ毎日
近頃は度々僕を襲う虚無感の正体に悩まされることが多い。日々を過ごしていると男性からの好意で現実を思い知ることがある。
ベッドで横になると過去の日々が思い出として蘇る。ラインはいいとしてもミュールにキスをされたのは驚きを通り越して怒りさえ覚えそうになった。
「セイ、大丈夫?」
シフォンが心配そうな顔をしてくる。
「セイはキスが苦手だったか、それとも人間の弱点なのか。興味深い」
アーバンはベッドに眠る僕の体調を気にしておでこに触れる。
「これからどこで生活するにしても健康維持は大事だ。毎日野菜を食べなければならないぞ」
「わたしはアーバンさんほど野菜好きじゃないですよ」
「シフォンはもっと食べないと大きくならないぞ」
起き上がる僕を見てアーバンは言った。
「あのミュールという奴も仲間なのか」
「そうだ。もう、ローウェル王国のミュールになったらしいけどね」
「何かあったら手を貸そう」
「アーバン……助かるけど、いざという時でいいからね」
このドラゴニアという種族は謎が多い。アーバンはいい奴だが世の中に解き放って事態が好転するとは思えない。このフェザー連邦にはかつてドラゴニアの種族が作った古代文明の技術がある。ここに行けばシフォンの目も記憶も一気に治せるはずだ。僕は彼女に断言できないがアーバンはやたら自信がある。
「それよりもシフォンのことだ」
今はミュールよりもシフォンのことだ。せめて彼女ぐらいは治してあげたい。僕自身がラフィアに会いたい気持ちやラインやエリックにフォブレイ、それとフリルも今は助けられない。
「アーバン、古代文明というのは機械を使ったものなのか?」
「魔法と機械を使ったものだ。わたしは技術者じゃないから詳しくは知らない。だが、似たものがあればわかるぞ」
「カメリア村にいる人たちが使っているのもそうなんだよね?」
「間違いない」
ボルドの話ではフェザー連邦で彼女を治療できるらしいが、病院らしきものは見当たらない。頼れる人もいなかったので、ここは素直にボルドの知り合いに頼むことにした。
町中は所々水路になっていて整備されている。自然はあまり見られなかったが夜の町も見てみたい気持ちになる。古い建物が取り壊され新しい建物が次々と増えていく。そんな景色の中にある超高層ビルが目的地だ。
「これは以前のバロック王国にある城よりは小さいか」
「別に張り合わなくてもいいから」
中に入り受付の機械にボルドの手紙を見せて数分程度待つと、連絡が入り男性の声で「俺の部屋までこい」と言われてエレベーターに乗ることになった。瞬時に到着してしまったので僕の知るエレベーターではないが、僕より驚いたのはアーバンだった。口を開けて魔法が使われた形跡を探していたほどだ。
「こういう古代技術じゃないの?」
「セイ。人は一瞬で頂上まで着かない」
「そういう技術ってだけだろ」
「魔法を使ってもできないことだぞ!」
「数千年経過して発展しないほうがおかしい。僕も驚いたけどさ」
到着して部屋まで通されると床で寝ている男性がいた。彼は僕たちがくると辺りを見て時計を確認している。
「君たち誰だっけ?」
「受付で許可取りましたよ」
「あ、ボルドのか。悪いな。数分だけと思って眠ってしまったよ。俺はフルブローグのシャギーだ。俺は元々カメリア村出身なんだ。もう出て行ってから随分と経つ、たまには顔でも出せと言われそうだ。あ、そうだ。お前ら知っているか? あのソーシャルメディアのフルブローグを作ったのは俺なんだぜ」
「知らないけど」
「魔法でいうところの念話を機械で使えるようにしたものだ。こんな手のひらサイズのもので遠く相手と会話ができるんだ。すごいだろ?」
シャギーはポケットに入りそうなほど小さな球体を僕たち三人に渡した。
「確かにね。これ無料で貰っていいのですか?」
「ボルドの紹介なら無料だ。それに使う人がいないと作った意味がない」
「これって古代文明の技術をそのまま使っているんですか?」
「いや、改良して小さくしているんだからな!」
ここに来たのはフルブローグを貰う為じゃない。
「シャギーさん、自慢話よりも本題を話したいんですが」
「いいぞ」
「彼女を見てください。治せますか?」
布を取って彼に見せると「おい、どんな拷問されたんだ」と驚いた。
「彼女は記憶もないんです。フェザー連邦で治せる場所がないか教えてくれたら嬉しいなと思いまして」
「俺は人脈も広いから安心しな」
彼は急に独り言を喋り始めた。時折頷いて笑ってを繰り返す。そうして数分後に「ちょっと始めは怖いかもしれないが、シフォンだっけ。俺と一緒にきな」と言われた。
彼と一緒に部屋を出てエレベーターに乗るとボタンを押して横方向に動き始めた。そして急に止まるとドアが開いた。
「慣れないな」
「ここでは一般的だ。慣れると便利だぞ。そこの二人はちょっと外で散歩でもしてきな。終わったら連絡入れるから」
急に残された僕たちはフェザー連邦を散歩しながら待つことになった。
町中にあるシューパルというお菓子で腹を満たす。ボール状のお菓子は口に入れるとさくさくとした食感で、上には粉砂糖がかけられている。シフォンにもプレゼントとしようと缶を買って建物をアーバンと一緒に見ていく。
「セイ、技術というのは進歩するんだな。わたしはドラゴニアが滅び、すべての知識がなくなったと思ったがここで生き残っていた。我々の存在は無駄ではなかった」
「どこかに生きていますよ」
「あまり期待させるな。でも、ありがとう」
僕とアーバンは人で賑わうレストランに来た。そこにはまたミュールが座っていた。彼は僕たちがくると嬉しそうにするが、視線を気にしてか見るのをやめてしまった。近づいて隣に座ってみる。
「もう、体調は大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
「この前はいきなり倒れて心臓が止まるかと思った。俺のキスで人を殺すことがあったら立ち直れない」
「軽口叩けるなら安心だな。それよりもローウェル王国の話だ。なんでミュールはここにいるのか聞いてなかったからさ」
「ムートン・スエード第六王子の命令だよ。ここでの調査だ」
「どんな?」
「……ここの技術だよ」
「聞いておいて言うが、言って良かったの?」
「俺程度に裏切られてもローウェル王国は痛くない」
「そんなこと言わなくてもいいのに」
「俺なんて駄目だよ」
「駄目なら今頃死んでいる。生き残ったのも実力だ」
「サトウって優しくね?」
「サトウじゃなくて、サイだ。この姿の時はそう呼んでくれ」
「まあ、いいか。サイは……あ」
ミュールの視線の先には派手な格好をした男性が立っていた。この顔はどこかで見た。近づく姿を見て思い出した。あの「運命の女神様のルール失意の王子」で出てくる攻略対象のクルタ・ドルオーガだ。
「またここにいるのか」
テーブルに近づいてくるクルタは僕やアーバンを見ずにミュールの胸ぐらを掴む。
「真面目に調査する気がないようだな」
掴んだままミュールを床に叩きつけるとレストランが揺れた。周りの人たちに動揺が広がっているようだった。
ミュールは起き上がる。
「調査して報告するのか?」
「当然だ」
「立派だな」
「俺はローウェル王国の為に来ている。魔王様の前で忠誠を誓っただろ」
「……脅されて忠誠か。お前視線気にならないのか」
「客が気になるなら外でやるか」
「別にやる気がないだけで、喧嘩するつもりはない」
ミュールとクルタはレストランから去ってしまった。残された僕とアーバンは居心地の悪さから食事を取る気にもなれずに帰ることにした。
ガラス窓からは子どもが魔法も使わずに空中を上下に動いて楽しんでいる。その姿を眺めていると球体が反応して耳から突然シャギーの声が聞こえてきた。
『セイとアーバン聞こえるか?』
僕とアーバンは一瞬だけ驚いた。多分感覚としては念話や電話と同じだからだろう。
『聞こえる。持っているだけで受信と送信ができるのか』
『これを持つもの同士限定。更にフェザー連邦以外では少し聞こえない時がある』
『それで終わったのか』
『終わった。クロノクリニックまで来てくれるか?』
『無茶言うなよ。ここに来て数日だぞ』
『どこだろ。なんか子どもが空中に浮かんで遊んでいる』
『最近できたテーマパークか、今行くから動くなよ』
待っているとシャギーが走ってきた。
「今思ったが、こっちから指示すれば良かった」
汗を拭うシャギーはドアの方向を指を差す。
「クロノクリニックは怪我人も治療してくれる。ここはほとんど平民が運営しているが、貴族だろうと受け持つから安心してくれ」
ドアを開けて中に入ると一瞬で到着してしまった。
「シャギーの言う通りだ。これなら僕たちだけで移動できた。でも、シャギーはなんでこんな疲れているの?」
「この暑さで走れば疲れるだろ。ボルドに後で愚痴を言われたくないのさ」
「ボルドのこと好きなんだ」
「好きじゃなきゃ、お前たちの世話なんてしない」
クロノクリニックの前にはシフォンが待っていた。目の傷は綺麗になくなっている。嘘のような晴れやかな気持ちでこちらに手を振っている。
「治って良かったよ」
「不思議な感覚なんです。自分の体じゃないみたいで」
「一部だけ機械化すると変な感じだが、すぐ慣れるもんさ」
間近で見ても機械とは思えない。
「それ暗いところだと目が光るから、嫌だったら後で調整してもらいな」
「便利じゃないですか!」
車の時にトンネルで自動的に点灯するオートライトのような機能だ。
「魔力があれば必要ないだろうが、魔力のない人には使い道はある」
シフォンは目を大きく開いて空や地面を見たり建物や歩いている人を見たりしている。
「わたし目が見えるのがこんなに素晴らしいなんて思いませんでした」
「もう、大丈夫そうだな」
「はい、ありがとうございます!」
「お礼はシャギーにな」
「シャギーさんには感謝しています。何かお礼をしたいのですが」
「じゃあ、フルブローグを世界に広めてくれ」
「わかりました!」
後は記憶のほうだ。
「シフォンの記憶は戻るのか?」
「それが……戻るかわからない」
「無理に戻していいのかどうか」
悩んでいるシャギーにシフォンは言った。
「わたしは大丈夫です」
「……多分精神的な問題だろうから、ここで治療するのが一番だ。あまり思い出したくないこともあるだろうからな」
アーバンは急に僕の肩を叩く。
「こっちに二人向かってくる」
ミュールとクルタだ。
僕たちに気づくとクルタは言った。
「さっきの人たちか。俺たちはローウェル王国の為に生きている。ミュールをそそのかすのをやめてくれないか?」
「そんなつもりはない。お前たち二人が勝手に争ったんだろ」
「ならいい」
二人が僕たちの横を通り過ぎようとするシャギーが言った。
「ローウェル王国の者がなんでクロノクリニックに行くんだよ。ここは治療する人がくるところだ」
「何も知らないんだな。この施設は単純に治療だけに使うものばかりじゃない。古代文明の技術をローウェル王国も少しは使いたいんだとさ」
「また争いたいのか?」
「俺に言うなよ」
「ただ従うだけの人間が古代文明の継承者になれると思うな」
「お前は何もわかっていないらしい。俺たちは命だけは助かったが、国を人質に取られている。何も失う者がない奴と違って家族がいるや仲間がいる。その為に他人がどうなろうと知ったことではない。しかも、ここにいるのはほとんど平民だろ。生きていても仕方ないだろ」
アーバンが言った。
「それは違うぞ。どんな人間も生きる権利はある。誰だろうと失う者がいない人なんていない。人間はみんな平等だ」
「ミュール! こいつらなんなんだ……おい」
クルタを見るミュールの目はどこか冷たい。
「もう、いい。望ましい忠誠に不必要な行為。すべて過去の自分を見ているようだ。俺にはこんなことできない」
「冷静になれ、俺たちには人質がいるんだぞ」
「人質? それが殺されるのはいつだ? いつまでこうしていればいいんだ?」
「ローウェル王国の残虐行為は今に始まったことじゃない。黙って従え」
「もう、俺は従えない。セイ」
ミュールは僕の手を握る。
「俺は君と一緒に行く」
「ミュール……」
「大丈夫。俺も君の大事な人を人質にしたが、何もしなかった。きっと大丈夫さ」
「そうかな」
「ああ」
クルタは僕たちを見てため息をつく。
「このことは報告しておく」
クルタが去って行くのを眺めているとミュールが抱きついてきた。
「あんな奴と離れられて良かった!」
「でも、いいのか。人質とか言っていたが」
「俺の家族だって貴族だ。魔法も使える。簡単にやられたりしないって」
明るく言ってはいるが心配なのかもしれない。
「アルベール王国に行くか?」
「行きたいが遠いだろ」
アーバンが言った。
「わたしは空を飛べる。魔法を使わずにな」
「前もいたが誰だ?」
「こいつはアーバン。ドラゴニアだ」
「ドラゴニア?」
ミュールは首を傾げる。
「なあ、セイ。この人がドラゴニアって話本当なのか?」
「シャギーは信じていないな」
「わたしの本来の姿を見せてやろう」
アーバンは両手と両足を大きく広げると徐々に服が破れていく。人間の男性の姿から巨大なドラゴニアの姿になった。辺り一帯は騒然となった。古代文明を受け継いでいても実際に実物を見た人はいないはずだ。数千年前に生きていた種族はおとぎ話のような存在だ。
「アーバン!」
僕は叫んだがアーバンは久しぶりに元に戻ったのが嬉しいのか両腕を伸ばしている。
「小さい姿でいるのは不便でならない。セイも元に戻ればいい」
「僕は今女性だって言っただろ!」
周囲から兵士が集まってくる。
「シャギー、悪いが一度カメリア村に戻る。僕たちのことはあまり喋らないでくれ」
慌てるシャギーの側にいるシフォンの手を取る。
「行くぞ」
「まだわたし観光してないのに……」
「またくればいいさ。ほら、ミュールも」
僕とシフォンとミュールはアーバンの背中に乗る。
「アーバン! カメリア村まで戻るぞ!」
「わかった!」
勢いよく空を飛ぶと僕は落ちそうになった。その時ミュールが手を掴んでくれる。振り落とされそうになりながら心地よい風を浴びてカメリア村まで戻る。
ボルドはアーバンの行動を咎めなかったが僕は叱っておいた。彼も悪気があるわけではないがこの社会でドラゴニアが珍しいことを自覚してほしい。
自覚して落ち込むのはやめてほしいけど。
「それで皆さんはこれからどうするつもりで?」
「シフォンの目は見えるようにして、目的は果たしたから次は記憶だが」
「シャギーはどう言っていました?」
「難しいらしい」
「どうしましょう」
アーバンが手を挙げる。
「一度わたしはバロック王国に戻ってみたい」
「今はシフォンの話をしているんだ」
「セイ、とりあえず目は戻りました。故郷に戻りたいなら尊重してあげないと」
シフォンの言葉にアーバンは嬉しいのか頷いている。
「流石はシフォンだ」
「わかった。みんなもそれでいいな。悪い、ミュール」
「いいよ。アルベール王国にはまた行けばいいさ」
「そうだ! シフォンに食べてほしいものがあるんだ」
彼女にシューパルが入った缶を渡す。
「ありがとうございます。美味しそう」
「セイは俺にも何かプレゼントないのか?」
「いきなりキスする奴にあるわけないだろ」
「あれは……もうしないから」
「じゃあ、シフォンと二人で分け合って食べてね」
シフォンとミュールは楽しそうにシューパルを食べて会話をしている。
「ボルドさん、申し訳ないんですが。また泊めてもらえますか?」
「どうぞ」
「何度も何度もすみません」
「長く生きていると誰かに優しくするぐらいしか楽しみはないですからね。シャギーは元気にやっていましたか?」
「楽しそうでした」
「このカメリア村にいる者は長生きですが、シャギーはまだ数十年程度で若い。そういう若い者はこの村は窮屈で毎日愚痴を言っていましたよ」
「でも、また戻りたいとも言っていました」
「あの子は優しい子ですから」
ボルドと一晩話をして仲良くなると、このまま秘密のまま出て行くのも気持ちが悪い。そう考えて実はセイはサトウでしたと打ち明けた。僕は体を変化させた。彼は女性から男性になったことに驚いていたが、別に隠さなくても良かったのにと笑ってくれた。
翌朝は村人たちに手を振ってバロック王国に行くことになった。またアーバンの背中に乗って行くとすぐに到着してしまった。霧で覆われているので場所はわからないが大体の見当はつく。霧の中に入ると少し風が冷たくなる。シフォンは以前来たことがあるが実際目で見たことはない。ミュールは少し不安そうに僕の腕を掴んでくる。
「ここか」
アーバンはバロック王国の城を見上げた。
懐かしさからしばらく無言で城を眺めていたが「ドラゴンがいると聞いたがどこだ?」と言われて探すが見当たらない。
あれは夢だったのかと思ったがドラゴンがいなければ僕とシフォンは助からなかった。
現実に起こったことだ。
草木に覆われた城に入ると今にも崩れそうな石を触れて、その年月に思いを馳せる。アーバンが城に入って行くのでついていく。以前は中に入ることはなかった。城内はほとんどが木で塞がれて通れなかったが、地下に続く階段は通れそうだった。
地下には部屋がいくつか残されていた。天井が崩れてこないか心配だったが意外と頑丈な作りをしているようで安心する。
「ここはどこなんだ?」
「あまりにも時間が経過しているせいか、もうわたしの知っている城ではないな」
それにしても不思議に思ったのは古い建物にしては綺麗なことだ。どこか整備された建物のような違和感がある。
地下の一角に入るとドラゴニアが使ったにしては小さいテーブルや椅子が置いてある。そこには本やペンに布や箱など生活に使っていたものがあった。
「ドラゴンって僕たち以外にも人間と交流があったと聞いたから、その時のかもしれないね」
僕は本を手に取る。
そこに書いてあることを見て読み上げる必要があると感じた。
「今日ドラゴンにあった。俺が負傷しているところを助けてくれたようで助かった。彼らは度々人間を助けては情報だけを報酬として受け取っている。リムレス王国とプロート王国の戦争で傷ついた兵士もここにいるようだが、食べ物を口に入れている間は仲良くしてくれている」
みんなは僕に注目している。
「アルベール王国は孤立しているせいかあまり争いを起こさない。テラード王国もだ。ここ最近建国したレルメッチ共和国はローウェル王国が支配していたが、つい最近蜂起したようで安心だ。だが、ローウェル王国は他国の管理が雑だ。勝手に侵略して奪うだけ奪って、最後はこれだ。あの魔王は底が知れない……」
「どうした?」
「次を読むよ。フェザー連邦とローデン連邦は上手に運営できているだろうか。ドラゴニアの知識を活用して努力してくれている。他の王国と彼らとで元々の差なんてないのに。こうして旅を何千年も続けていると、この手記も意味なんてないのかと思えてくる。ドラゴニアが奴に敗北してから数千年の間、ドラゴニアのことを思い出す人は僅かだ。滅んだ国を捨てホードボアに同族の墓を立ててから、ドラゴニアは複数の国に分かれた。王族はリムレスとプロートとアルベールとテラード。その他はフェザーとローデンに行った。今ここで俺を世話しているドラゴンは、どこにも行かなかった者だ。翼のない人間と違って翼もあるのに、彼らは自分のことも知らず人間を助けている。俺はドラゴンと人間の行く末を命尽きるまで見ていきたい。ゴルア」
僕が読み上げるとアーバンは言った。
「匂いが似ていると思ったが人間が我々の子孫とはな。国が滅んでも子孫は生きている。もう、満足だ」
いつも元気でいたアーバンも本当は仲間が生きていたほうが良かったはずだ。僕にとっては過去の話でもアーバンにとっては今だ。そう簡単に受け入れられるものではない。
「アーバン、僕たちがいる。ここに書いてある通りだ。僕たちは同じ子孫だ」
僕は地球生まれだから違うとは言わなかった。
アーバンはひとしきり泣くと「サトウたちと会えたことに女神様と神様に感謝する」と言った。
僕は気になることを聞きたくなった。
「ねえ、以前魔王が神を殺したとか言っていたんだけど。アーバンは知っている?」
ミュールは僕の腕を強く握る。
「何を言っているんだ。神様は生きている!」
「ちょっと痛い。それに今はミュールに聞いていない。お前も前に聞いただろ、僕が神様に似ているとかって話。まあ、女神様と神様という二人の神様はあくまでも人間が作った話だろうけどな」
アーバンは言った。
「実在しているぞ」
「え?」
「我々の国がある時も女神様と神様はいた」
「見たことないだろ」
「当然ない。ただ、突然そういうものを信仰したので驚きはした。今思えば奇妙な話だが、ドラゴニアというより人間に近い姿なのがおかしい点だ」
「バロック王国ってドラゴニアの国で、その時点だと人間はいないよね?」
「手記だとドラゴニアから分かれたのが人間とドラゴンとなっているな。嘘でなければ」
謎は深まるばかりなのでバロック王国を探索しながら歩いていると複数のドラゴンが現れた。
ドラゴンたちはアーバンを興味深そうに見ている。同族と見られているのか疑問だが、アーバンは笑顔で対応していた。
貴族や平民などの話もだがドラゴニアのことも知る必要がある。この世界での基礎知識が圧倒的に足りなかった。
僕はドラゴンたちと詳しく話を聞く為にアーバンの協力でドラゴンの里に向かうことにした。
長年人間と対話してきたドラゴンには興味がある。
大勢のドラゴンと空を飛ぶのは爽快だった。
風に包まれながら先を進むとドラゴンの里はすぐ到着した。
彼らに名前がないことはわかっていたが面倒になってきた。かといって下手に名前をつけてもと思い何もできずにいる。
ドラゴンたちと話をしていたアーバンは僕を見ながら言った。
「彼は女性にも男性にもなれます。わたしは上手にできませんが、こうして男性の姿になることができるのです」
「おお、わたしたちもやってもいいですか?」
ドラゴンたちは一斉に人間の姿になった。
裸体主義の変態と言うべきか迷う。僕も性欲がないわけじゃないからラフィアが恋しい。そう思っているとミュールが話しかけてきた。
「今日どうだ?」
「どうだとは」
「いや、別に」
「ミュール。残念だがキスだけだ。ラインだってラフィアに許可を貰ったんだ。何かが欲しいならまず彼女に言うんだ」
一人ミュールは悔しさに拳を握りしめていたが僕は眠ることにする。
朝目覚めるとミュールが「アルベール王国に行くぞ」と言ってきた。
「それについては賛成だが順番に行くしかないだろ」
「そうだが……」
シフォンが僕が寝ている側であくびをした。
「アルベール王国?」
「そう。僕たちはそこに行く。シフォンはプロート王国だっけ」
「記憶にはないけど、多分故郷なんだろうね」
ミュールに元王女だと言っても興味を示さなかった。アルベール王国だと平民と貴族の差なんてないから当然かもしれない。
「そのことだが」
アーバンが顔を出した。
「わたしは一度ホードボアに戻りたい」
「何故?」
「もしかしたらわたしの同族が見つかるかもしれない。あそこには遺体だけでなく、わたしのような者も眠っているはずだ」
「わかった。ミュールとシフォンは僕と行く?」
「そうね。わたしはサトウとずっと旅をしてきたから今更離れるのは変な感覚」
「それを寂しいと言うんだよ」
ミュールが言うとシフォンは彼の背中を叩く。
「あんまり恥ずかしいこと言わないで!」
僕はアーバンを見上げる。
「じゃあね、また」
「ああ」
アーバンとはあまり別れを惜しまなかった。他の人との別れは悲しいが、彼との別れはもっと悲しかった。それを伝えたら情に流されて彼の目的を妨げることになる。
行き着く先が同じと考えて何も言わなかった。
ドラゴンたちはアルベール王国までの正確な位置はわかると自信を持って送ろうしていたが、フルブローグからの通信で『レルメッチ共和国に俺の義兄弟がいる。名前はグラード。主な仕事はローウェル王国など他国への情報提供。秘匿義務があるとかで滅多に話すことはないが、酒でも飲ませれば話すはずだ。魔王や今のローウェル王国、他の国の情報まで知っている』と言われた。
『そんなことして危なくないの?』
『危ないが俺たちは機械の体だ。そしてグラードは色々な戦争で活躍している。強いぞ。後は顔や体をすぐ変えるから見つかっても安心だ』
『それだとこっちが見つけられないよ』
『グラードという名前も俺とあいつしか知らない名前だ。こっちで言っておくからな』
『僕たちは待っているだけでいいのか』
『あそこは治安が悪いから、声をかけられてお金と命が取られるかもしれない。あまり人を信用しすぎないほうがいいぞ』
『ちょっと怖いな』
『なんとかなるだろ』
シャギーは笑って通信を切ってしまった。
シフォンとミュールに伝えると案外反応が良かった。
「寄り道も楽しいかもね」
シフォンは自分の故郷に戻るのが怖いのか。故郷がどうなっているのか心配なのか。それとも純粋に旅が面白くなっているのか。どれが本当かはわからないが、終わりが近いことが嫌なのは確かだ。
「すぐにアルベール王国に帰りたいところだけど、何か起こるわけでもないし」
ミュールも本当は故郷が心配なのかもしれない。クルタがどう報告したのかわからない現状では、ミュールには結果を見るのが怖い気持ちがあるのか。
ドラゴンの背中に乗ると空を飛び立った。
『サトウ。我々には人間ほどの知識はない。食べて寝るだけの生活だ。それでも退屈など思ったことがなかった。誰に傷つけられるわけでもなく、こうして傷つく人間の為と思い生活することで癒やされてきたのが我々なのだ』
ドラゴンは僕に語りかけるように言った。
『短い期間だが楽しかった。情報の交換なんて建前よりも喋っていたかった』
「また喋れるよ。ドラゴンさんはもっと素直になるべきだ」
『あのドラゴニアと会って我々はもっとできることがあるのではと思った。そんな彼を連れてきたサトウとも話がしたかった』
「もう終わりみたいに言うけど、会えるから大丈夫だ。カメリア村に行けばボルドがいる。あの人はドラゴニアと知り合いだから話相手になってくれる。他の地域に行けばドラゴンさんが助けた人間が感謝してくれる。退屈だと思ったのなら僕が助ける。みんなが助ける」
ドラゴンはレルメッチ共和国の近くまで来て降ろしてくれた。
『また会おう』
「じゃあな」
僕たちは手を振って帰っていくドラゴンを見送った。
そうして僕たち三人はレルメッチ共和国にすんなり入国した。
すべてがうまくいくと考えていた。