62:女神の生まれ変わり
背後に迫る追手を振り切るのは難しくない。レリーフの攻撃が通じなかったことを見ていた他の兵士も攻撃を仕掛けてきたが避けるのは簡単だ。慌てふためく彼らの姿をずっと眺めるのもいいがわたしには目的地があった。すぐさまゴーストブラッド機で逃げ延びれば彼らが追いつくことは容易ではない。
空を飛びながらバロック王国があった場所に行くと霧が濃くなってきた。少し躊躇していたが勇気を出して霧の中に入っていく。正面を進むも霧で見えない為に衝突する危険性がある。このゴーストブラッドがどれほど頑丈かは試したことはない。少しだけ低空飛行をしながら速度を落とすと森が見えてきた。地上に降りてから素直に歩くことにしたが、この選択が正しかったかは微妙だった。どれだけ歩いても霧と森ばかりで何も見えてこない。通り過ぎる動物の姿も見えないほど濃い霧で覆われていて、肝心の魔力も感じられないほど生物の気配がないようだった。
果たして何日歩いたかわからないほど空腹に悩まされてきた。雨が降れば口を開けて、水の音が聞こえれば探し歩いたがお腹の音が鳴り止まない。最近は睡眠も満足に取れなくなってきた。生物の気配がないのに妙な緊張感から安心できない。木の実さえ見当たらない何もない森で近くの木の幹に触れると本当に生きているのかわからないほど古い木だった。生物を捕まえて食べられればと思ったが歩く体力がないのに捕まえることなど不可能だ。次第に木を背にして休憩することが多くなってきた。寝て起きてを繰り返すも水を求めて歩く日々で他のことは考えられなくなる。
肉体は限界を迎えたのか地面に倒れてしまう。空を見上げるも霧でよく見えない。目を閉じて耳を澄ますと足音が聞こえた。肌に何かが触れた時冷たい感触がして若干気持ち良かった。目を開ける力もなく必死になってお腹が空いたことを考えていた。
翌朝になると空腹はなくなっていた。焦げた匂いがしたこと以外は不自然なところはない。元気になって歩き始めると驚くことに僅かに霧が晴れて見えるようになっている。木に絡められた大きな城が見えて遂にバロック王国へと辿り着いたのだとわかった。
霧を抜けたのも夢なのかと思うほど空は晴れていた。振り向くと未だに深い霧が見えて、正面には大きな城と青空が見えた。バロック王国の城だと認識しなければ見えなくなると何故か頭に入ってくる。この情報が間違いだと思えない。霧で覆われた森を抜けて城を目指す。
疲れや満腹もあって異常な眠気で景色が揺れていた。不意に転んで土が口に入ってしまっても体は動かない。バロック王国の地に着いた安心感もあってか目を閉じる。
起きると夢ではなく、やはりバロック王国にいることがわかった。もう既にお腹が空いていたが以前ほど空腹で困ってはいない。我慢できる程度の問題を置いてかつての王国を探索する。根が張り巡らされた城の入口で強引に手を入れてみるが狭すぎて入れない。サトウが来ていたというのは聞いていたが、どこからが城かわからないほど広い。少し高い場所に登って景色を眺めても見える範囲では城の残骸だけで、城下町とか他の建物が何一つ見当たらない。見上げるほどの大きな城が残っているのに他のものが何も残っていないのはどういうことかと首を傾げる。
地面に座りながら城を眺めていると空を飛ぶ尻尾のないドラゴンを目撃する。わたしを見ているような気がして右腕を使うか迷っているとドラゴンは木に囲まれた城の中に入っていった。頭だけ見せたドラゴンは真下を見ているので何かあるのかと思い近づく。
そこには大きな扉があった。触れてわかったが古びた石で作られた城内は長い年月が経過しているのに壊れている様子がない。城内は暗くて目に魔力を込めなければ見えなかった。
あのドラゴンがいなければ入口は見つけられなかった。このバロック王国は大きすぎて年単位で探さなければ探索は時間がかかりすぎる。
生活感のない何もない空間が続いていく。どの部屋も人間からすると巨大で手に取ることも不可能なものばかりだ。木で覆われた部屋が多くて進むのも困難だったが、人間が暮らしていたと思われる空間を見つけることができた。人間サイズの机や椅子などと一緒に包丁などが置かれている。火を起こしたりしたのだろうが随分と古い。置かれている本や紙を見るに数十年は経過しているようだが、ドラゴニアではない人間が最近までここにいたみたいだ。ドラゴンに助けられた人間とドラゴンとの関係が書かれて、ドラゴンに感謝している内容だった。
詳しい内容は知らないが以前ドラゴンの話をサトウから聞かされたことがあった。人間とドラゴンはドラゴニアから分かれたらしい。だが、どうにも奇妙で同じ人間とは思えない。彼らは人間と違って優しすぎる部分がある。
壁に沿って歩いていくと頭の中に情景が浮かんでは消えていく。
『ねえ、覚えてる?』
聞き覚えのない女性の声と共にどこか覚えのある男性の姿が見える。
『ああ……ここで何度も過ごしたよな』
わたしがドアを開けると女性と男性の会話が始まる。
『始めはドラゴニアたちが喧嘩を始めて仲裁したんだよね』
女性は楽しそうに男性と話す。
『君がいなければ争いは今も続いていたかもな』
『流石にないって』
ドアを閉めて壁に寄りかかる。
変な気分だ。
ここは一度来たことがある。
古びた階段は人間が下りられるように作られている。
『最後だって思うと悲しいはずなのに、今わたしすごく幸せなの!』
『……最後か。会えなくなるのは寂しいな』
『寂しくなる必要はないよ。わたしもあなたが好きだったこの世界を守ることを誓うから』
階段を下りて広い空間に出ると巨大な扉が見えた。この階段はわたしたち人間の為のもので、ここに来るまでの道は他にあるのだろう。
わたしはゴルアから貰った小さな板を取り出す。これの使い方はわからないはずなのに不思議とすべてがわかってしまう。
巨大な扉には奇妙な文字が描かれている。これはドラゴニアたちと手伝ってもらって作られたものというのがわかる。
この文字は知っている。
『なんて書かれているんだ?』
男性は巨大な扉の奇妙な文字を見ている。
『内緒』
『教えてくれてもいいだろ』
『大事なパスワードを誰かに見せることはしない。たとえあなたにも』
わたしは小さな板を握りしめながら巨大な扉に近づき触れる。窪みのところに小さな板を入れるだけの隙間がある。そこに小さな板を入れると文字が輝いて見えた。
『わたし佐藤心愛は佐藤星を愛することを誓います』
その女性の言葉を聞いて男性は首を傾げる。
『今なんて言った?』
男性は日本語を言われて理解できなかった。
『これがパスワードだよ』
『自分で考えた暗号か?』
『そう。わたし以外にはわからないよ』
何故今わたしは女性の言語がわかったのか不思議だった。過去の記憶は女性のものだからだろうか。男性と女性はどういう関係かわからないはずなのに理解できてしまう。
頭が混乱してきて倒れそうになる。
巨大な扉が開き始めると空気が変わった。
存在するはずのない男女の会話をわたしが聞いている。
扉に向かい歩き出すと、二人の姿が見えて先を進んでいく。
巨大な扉の先には更に広い空間があった。夜空を見ているような気分になってくる。星が散りばめられた空間で一つひとつの星が消えていくのが見えた。そうして星と星が衝突する光景を目にする。黒い塊となった魔王が星を襲いながら、この惑星に落ちていく。どろどろとした口を大きく開けながらドラゴニアたちを襲いながら移動する。
この空間はドラゴニアが作ったものだ。人間の願いを映像として残す技術で魔王の行動を二人は見ている。
自らが生み出した存在を滅ぼす為にドラゴニアは神と女神に魔王討伐を託した。勝手に神と女神と命じてドラゴニアの不始末を頼む彼らに文句はなかった。
『間違いない。ここから西に向かった』
男性は夜空を指差すと少し動かした。夜空が徐々に動き出して何度も切り替わる。海に切り替わるとどろどろの塊は巨大な二足歩行の姿をしていた。
『あいつは海を渡った。しかも、姿を変えながら』
魔王という存在を知ったのは随分と後になってからだ。頭を下げるドラゴニアの姿に力を与えられたわたしと彼は素直に従った。
他に方法などなかったからだ。
今度は陸地が見えてドラゴニアを襲っていた。今の魔王は大分人間の姿に近くなっている。
『この辺りで脅威を知ったが遅かった』
『ええ、そうね。既にタイミングとしては最悪ね』
力として劣っていようと数多くの生物を取り込んだ魔王は簡単には死なない。
『神としての怠慢だ。この責任を取る必要がある』
『魔王はドラゴニアの力を超えている』
頭が痛くなり地面に倒れるが、二人の会話は続く。
『世界の管理者として許されるわけがない。これは我々の怠慢で世界との約束を果たすのは神と女神の役目だ』
わたしは二人の考えが手に取るようにわかる。
過去の二人は指を動かす。そうすると魔王の姿が変わって人間たちに囲まれていた。そこにはべフェール・ローウェルもいる。他の貴族たちも何人かは見たことのある人がいる。この場所からどれだけ離れているかも確認できた。
『魔王の居場所がわかった、あの都市はマキシギャが近い。ドラゴニアたちの戦力を借りることも考えて動きましょう』
男性は首を振る。
『これ以上ドラゴニアの力を借りても死者が増えるだけだ。我々は誰よりも強い』
『うん……こんな力欲しかったわけじゃなかったのにね』
『そうも言っていられないさ。これはドラゴニアが求めた力だ。私情は今だけにしよう』
男性は空を見上げるのをやめて女性を見つめる。
『君は戦わないでほしい』
『どうして? 話が違うよ』
男性は女性を抱きしめる。
『僕たちは魔王には勝てない』
男性は女性にキスをすると女性は空に浮かんでいく。魂を封印して次世代に残す行為だが考え方によっては息の根を止めることと同じだ。
声を上げる暇もなく女性は消えてしまった。
『もう会うことはないが、今まで楽しかったよ』
そこでわたしは地面に倒れてしまう。頭に強い衝撃を受けたようで激しい痛みに襲われる。頭を押さえながら立ち上がる。
魔王のことを知り、自分のことを知ることができた。
この空間は古代文明を作り上げたドラゴニアが残したものだ。空間にいる者が望むものを映像として見ることができる程度で使い道は多くない。
わたしは自分の胸の痛みに襲われて苦しみもだえる。胸だけではない腕や足も痛みが走る。まるで切られたかのような痛みだが体に変化はない。次第にお腹を引き裂かれるような痛みを繰り返して、目や耳まで激痛に襲われる。
だが、これは実際の痛みではない。
フリルの経験か。
今のわたしは皮膚を剥がされている。毛も引き千切る痛みもあった。次の痛みは膨れ上がるお腹から奇妙な生物が溢れて体内を食い荒らすものだ。その度に体を元に戻されては生物に食われることを、何万回か何億回かわらないほど繰り返していた。激痛を終えて気づくと全身から汗や涙と共にすべての水分が流れ出ていた。立ち上がろうとして思わず吐いてしまう。そうして自分のお腹や全身の痛みに発狂しそうになりながら頭を壁に打ち付ける。
息を整えて空を見上げるも何も映らない。
このバロック王国に来たことで女神と呼ばれた女性のことを知ることができた。その影響か肉体としては死んでいるフリルの魔力と経験まで自分のものになった。
こんな経験は流石に想像していなかった。
何故魔王や他の人間から疎まれていたか理解した。
わたしは女神の生まれ変わりだ。これは体内にいるフリルがいなければ感じることのできない。これはフリルだけでもわたしだけでも不可能な存在しない記憶。他人の記憶がわかるのは自分が元々別の誰かだからということだ。
フリルは女神の力を宿している。そして女神は未来のわたしに干渉してきた。過去見てきた女性はどこかわたしに似ているような気がしてならない。
わたしが指差すと少しだけ魔力を流して映像を操作する。そこには魔王の姿が映っていた。以前の魔王ではない。わたしがよく知る彼の姿だ。今彼は色々な人に囲まれて話をしている。こうして見ると幸せそうにも見えるが、わたしはどうすればいいのかわからなくなる。
多分バーキン連邦付近にいるのだろう。
わたしは両手を握りしめていたが、少し緩めて魔力を込める。そうすると手の中には小さな炎が浮かんだ。
わたしはその小さな炎を握り潰して巨大な扉から出て行った。




