1:悪役令嬢が空から落ちてきた
恋愛探検家は野心的だ。
僕は常に女性のことを考えて生きていた。髪型がおしゃれになっていること、服装が似合っているなど褒めるべきところを知っている。会話内容などでも相手を気遣い、どんな場面でも女性を楽しませてきた。
恋愛探検家の朝は早い、朝は少女漫画で学び、昼は恋愛小説で瞑想して、夜は乙女ゲームで快眠。
保守的な我々恋愛探検家はレディースコミックを選ばない。
一部の人はそんな僕に腹を立てているかもしれない。
でも、僕は消極的恋愛強者だから性的な道徳教育で睡眠時間は削りたくなかった。
暗い部屋の中で一人おやすみさいと言って、いつものようにベッドで目を閉じる。そうして目を開けるとパジャマ姿の僕が道の上に立っていた。
空を見上げると大きな大地が浮かんでいた。周囲には同性同士で手を繋ぐ姿が見える。遠くには見覚えのある城が見える。
「……アルベール王国」
周囲の視線を感じながらも城まで近づく。
城は間近で見ると想像以上に大きくて乙女ゲームで見た景色よりも立派に見える。
見慣れない文字と聞き慣れない言語が溢れている。
「乙女ゲームで徹夜なんてするから変な夢を見るんだ」
そう思い夜まで草むらで過ごしていたが、目は覚めずにお腹が空いてしまった。あの乙女ゲーム「運命の女神様のルール」通りならゲーム要素があるはず。だが、それもない。どんな行動を取るにしてもプレイヤーはダイスを振る必要があった。
もう既にお店は閉まっていたが明日の準備をしていた男性の店主が見えた。いきなり食べ物をくれとは言えない。
「すみません。明日でもいいので仕事をさせてくれませんか?」
一瞬遠くで何か声が聞こえた。
その時店主は僕を見ると笑顔になりパンを渡してくれた。
その仕事で得たお金を使いお腹を満たそうとしていたが彼は優しかった。
先程まで聞き取れなかった言語が聞こえるようになっていた。店名も「マイコー」と書かれているのが読めた。
「仕事をお願いしていたんですけど」
「お金とは違うけど、前払いだよ。君は先程からお腹が鳴っていたから」
「ありがとうございます!」
パンを口に入れて飲み込んでから店主に聞く。
「ここはアルベール王国ですよね? 空に魔王が住んでいるのは間違いないですよね?」
「そうだが、なんでそんなことを聞くんだ?」
「僕は夢でも見ているのか乙女ゲームの世界に来たみたいなんですよね」
店主は僕の肩を叩く。
「……君名前は?」
「佐藤星です。家で寝ていたはずなんですが、突然この場所に来てしまって困っていまして」
「そうか、可哀想に……頭がおかしくなったんだね」
「違います」
「いいよ。今日からうちに泊まっていきな。仕事もあげるからゆっくり休んでね」
お店の中に通されると店主は隅のほうで涙を流している。その傍らに別の体の大きな男性がいて店主と話をしている声が聞こえてきた。
「あの子は?」
「おとめだなんだと言って記憶が混乱して頭でも打ったのかもしれない」
「服装も変わっている。きっとどこからか逃げてきたんだ、軟禁でもされたのか……」
想像力が逞しい二人は僕を奥の部屋に入れてくれた。
「ここはわたしたちの亡くなった子どもが寝ていたベッドだ。どうか使ってくれ」
「ありがとうございます。それであなたたちの名前はなんと呼べば?」
店主が涙を拭い言った。
「マイケル・モンブランだ。こっちはコーラル・モンブラン。見ての通りカップルだ」
あの乙女ゲームでは異性愛者になることを禁止されていた。
あくまでも女神様が決めたルールというだけで罰則はない。
律儀に守っても国が衰退するだけだが衰退しない理由でもあるのか。
「マイケルさん、コーラルさん。この部屋使わせてもらいますね」
二人に甘えさせてもらい泊まることにした。
夢なのかと思い、ここ数日間過ごしても現実に戻ることはなかった。だが、こうして毎日朝日を浴びながらの仕事は気持ち良かった。
お客さんが商品を買う時の表情が楽しそうでこちらまで笑顔になる。
だが、いつまで立っても夢は覚めない。
やはり乙女ゲームの世界に転移したのか。
悩んでいると店主のマイケルが言った。
「もう疲れただろ。休んでいいよ」
「あのまだ三時間ぐらいしか働いていないですけど」
「お給料は渡してあげるから遊びにでも行きなさい」
金貨が袋にいっぱい入れてある。
「なんですか、この量は」
「わたしたちには使い道もない。この袋にはお給料の六ヶ月分ぐらいあるから大事に使いなさい」
僕を追い出そうとしているのではないか。
「使いきれませんよ!」
「受け取ってほしい、あの子が帰ってきたようで嬉しいんだ……」
いい人たちだがやりにくい。
乙女ゲームでも似たような展開は見たことがあった。
この人たちは出てこないが主人公が何かしらの行動を選択するとダイスが振られる。それでクリティカルが出るとお金やその他諸々が貰える。逆にファンブルが出るとお金や攻略対象の好感度以外にも色々と失ってしまう。スペシャルは確定で成功になるが前者ほどメリットがなく、後者ほどデメリットもない。
ランダム要素で会話や行動で必ずしもお金や好感度などが増えるわけではないが。
あの乙女ゲームは成功か失敗かで変わるから面白かったが、どんなことをしようとしてもダイスを振らなければならない。主人公だけならいいが攻略対象にもダイスを振る。そして比較的クリティカルが出やすい主人公でもファンブルは出る。ルートに入る前ならいいがルートに入ってから選択肢の度にファンブルを連続で出すと、折角ルートに入った攻略対象たちが自分をのけ者にしてカップルになる。それだけではなく主人公が女性と浮気をして攻略対象に見捨てられることもあった。
乙女ゲームという性質上、わかりやすいバッドエンドが同性愛ルートだ。
僕としてもあまりこの世界に長くいたくはないが元の世界に戻る理由もなかった。
ルール上ここでは誰も異性愛者にはなれず、平民では魔法も使えない。
明確なルールの異性愛の禁止も誰もルールとは理解していない。平民が魔法を使えないのも貴族だけの特権としか思っていないようだ。
そんな法律はないが女神様のルールというゲームシステムが浸透している。
それでも例外はいる。主人公は女神様のきまぐれで最初にダイスを振って成功すると、異性愛者になれて魔法も使えるようになる。
異性愛の禁止とは、なんとも神をも恐れぬルールだ。
だが、女神様の決めたことだから仕方ない。
そもそも僕は女性が好きで女性を理解しようとして乙女ゲームをしていたのに、その乙女ゲームの世界で男性と恋をしようとは思わない。
元の世界に帰れるならと何か行動を起こしても会話をしてもダイスを振る場面はない。現実にゲームの会話ログもセーブとロードも、脇にダイスが置いて常に振れるようわけでもない。
紛れもなく僕は生きてここにいる。
お金を持って色々なものを買おうとも思ったが使いづらいので、ほとんど部屋に置いてきてしまった。店主のマイケルは消費してほしいらしいが使い道がない。
念の為に主人公や攻略対象たちを見に行こうとするが見かけない。アルベール王国には学園があるはずなので、そこに行けば出会えそうだが攻略する意味なんてあるのか。
学園の近くまで行き、景色を眺めながら買ってあったパンを食べる。しばらく人を観察していると「君、何を見ている?」と言われた。
振り向くとライン・アルベール第二王子がいた。こういう綺麗な顔を女性は好むのかと見つめていると顔を赤らめて言った。
「なんか変なところでもあったか?」
「ないですけど」
「ここは始めてか。名前は?」
「佐藤星です」
「サトウ?」
「それでいいですよ」
「サトウは学園に入りたいのかな」
「そうですね、どんな感じなのか気になりますね」
「ここはアルベール王国が管理している学園だ。年齢も関係ない。貴族や平民分け隔てなく教育を受けることができる素晴らしいところだ。お金は必要だが足りない分は後で払えばいい」
ゲーム内で聞いた内容だな。
「だが、貴族は貴族としてのルールがあり、平民は平民としてのルールがある。こちらとしても優劣をつけたくはないが世界全体のルールだ。守ってもらう。魔法は平民には扱えない、だから貴族は平民を守る義務がある」
誰もルールとは思っていないが異性愛も禁止されている、当然こちらは全員だけど。
「しかし、なんでそんなこと僕に言っているんですか?」
僕は主人公というわけでもないのに。
「なんでだろうか、不思議と興味を持ってしまった。普段はそんなことはないのだが、学園近くの通りを歩いていたら笑顔で仕事をする君を見てしまって」
突然ラインは黙ってしまったが喋り始める。
「サトウ、学園には興味があるか?」
「どっちでも」
「はっきりしないな、わかった。明日から来ていいぞ」
「え? お金ないですよ」
断ろうとしたらラインは「大丈夫だ。お金なら全部出す」と言った。
「生活には困らせない」
元の世界に帰る方法を探るのはいいけど、学園に入っても勉強をするのが嫌だな。
「サトウ、それでだ」
言いづらそうにしていると自分の首にかけていたネックレスを僕につけようとしてくる。
「何?」
「これは王家に伝わる秘宝で……良かったらと思って」
「そんな大事なもの他人に渡すな」
「いいんだ。大事にしろ」
僕はネックレスを渡されるとラインは急いで去って行った。
微妙に展開が違うが主人公がネックレスを貰うセリフだ。
ネックレスをつけると体が軽くなった気がする。
「シルバーのネックレスか。かっこいいじゃん」
僕は必要なくなったら返せばいいかと思いつつ満足していた。
店主のマイケルに学園に通うことを言うと心底嬉しいのか泣いていた。
「息子も通っていたんだよ」
「そうですか……」
最近僕を息子だと思って接しているのを理解して余計話しづらくなった。
コーラルはお店の片付けをしながら言った。
「今日は贅沢な料理にするか」
朝早くに学園に入ると知らない男性が声をかけてきた。
「あなたが王子の愛人ですか」
主人公が女性だと友達として扱ってくれていた。
「違いますけど、佐藤星と言います」
「合ってますね。それでは説明と制服の準備もしますね」
「話聞いてますか?」
学園内に連れてかれて色々と説明を受けていたが乙女ゲームの内容通り、歴史や文化の授業と魔法の授業などがあるみたいだ。国語や数学もあるが最近勉強をしていなかったので不安だ。
「愛人だからといって優しくするつもりはない」
「いい加減にしてください」
僕が笑っていないのがわからないのかな。
制服を着て廊下を歩いていると正面からエリック・アルベール第三王子が歩いてきた。この攻略対象は非常に優秀という自負があるが意外とそうでもない。王族の誇りだとかを気にしているわけもでもなく、ただ周りが言うから王子を名乗っている。
「お前がサトウか」
「はい」
「兄が気に入ったと聞いて見に来たが、弱そうな奴だ。すごく頼りない。兄はこんな男が好きなのか」
「知らないですよ」
「そのネックレスが証拠だ。何故こいつにプレゼントをするのか、大事なものなのに」
「そんなに大切なら注意してくださいよ。今から外しますから、それでいいですか?」
僕がネックレスを外そうとするとエリックは言った。
「大丈夫だ。兄のことにいちいち口を出すつもりはない」
「なら、絡まないでよ」
「本当は遠くから見ていたかったが、遠い目をしている君を見て何を考えているのか知りたくなった」
「何も考えていません。あなたと同じで」
「確かにそうだが、無礼だとか言われるからやめたほうがいいぞ」
「王子には言わないほうがいい言葉でしたね。すみません」
「別に構わない。王子というのも過去の話だ」
「そうなんですね」
「こんなの誰もが知っている話だ。王族なんてあってないようなもんだ」
「そうですね。アルベール王国は滅びたとも言えますからね。今もこうして空を見上げている。きっと腹が立って仕方ないのでしょうね。怒りのぶつけどころがないから僕に八つ当たりをしようとしたが、結局あまりできなかった。あなたは優しい人だ」
「優しくなんてない。王族として話しかけて気分転換しているだけだ」
「いい人がにじみ出ているよ」
「あまり人を褒めるな……話しやすいからつい時間が過ぎるのも早い。用事があるから、また」
話しやすいのは同性だからだと言う前にエリックは歩き始めていた。
「今度食事に誘うからな!」
勝手に話しかけてきたエリックは勝手に去って行った。
その後も学園での授業は淡々と過ぎていく。ラインの愛人だとかいう話があったせいで距離を置かれているが、おかげで学園内で話しかけられることもない。
ラインやエリックがしつこく話しかけようとしてくるので、気づかれないように学園を抜けるのが大変だった。まるでストーカーのように追いかけてくるので寮には帰らず、以前過ごした草むらで寝ていると沈みかけの太陽と何か光のようなものが上空で見えた。
ものすごい勢いで落下してくる。
「ラフィア・ローウェルだ!」
起き上がって叫んだ。
「これ乙女ゲームで見たぞ!」
両手を広げて彼女の落下に合わせようとする。
雑音と共に不思議と全身に力が入ってくる感覚がした。上空の彼女に触れようと手を伸ばすと自然と落下速度が低下してきた。目を閉じて自らの死を受け入れているような顔をしていると僕は思った。
ゆっくりと彼女は僕の腕に落ちてきた。
この光景忘れたことはない。
このラフィア・ローウェルは「運命の女神様のルール」で悪役令嬢として活躍する。そのきっかけとなったのがこの場面だ。ここで偶然ライン・アルベール第二王子が彼女を助けてしまい、そこに主人公がラインのネックレスをつけていたことで大きな波紋を呼ぶことになる。
彼女を見ると両手両足が鎖で繋がれている。
ここも同じだ。
「……あなたは?」
小さな声で絞り出すように言っていた。
想像以上の痛ましさに一瞬声が出なかったが優しく言うことに決めた。
「佐藤星だ。ラフィア・ローウェル、君の味方だ」
「なんでわたしの名前知っているの? まあ、もうどうでもいいか」
腕の中にいる彼女は僕の顔を見ようともしない。
この場面はラフィア・ローウェルの回想だと、周りが輝いて素晴らしい出会いだと言っていたが嫌そうじゃないか。あのシーンもただの草むらなのに何故か星が散りばめられているかのようだった。
彼女を地面に置いて鎖を外そうと掴むも外れない。
「外れるわけないじゃん。必死になって馬鹿みたい」
「まだわからない」
もう一度外そうとするも絡まっていて外れそうにない。
「これどうやって外すの?」
「知らない」
彼女は鎖を外そうとせず空を見上げている。
「そんなに戻りたいの?」
顔がこわばった様子で震えている。
「戻りたいと思うわけない」
才能ないからと自分の祖父に魔力を封じる鎖に繋げられて、地上に落とされたらそんな顔もする。
「魔王は酷い奴だもんね」
「わかったようなこと言わないで!」
そういえば彼女は主人公のことは嫌っていても最後まで家族を嫌いにならなかった。
「悪い、軽率なことを言った」
「いいよ、事実だし」
僕は座ったままで彼女に向き合う。
「魔法ってどうやって使うの?」
「どうって、本を読むとか誰かに教えてもらうとか?」
「じゃあ、教えて。もしかしたら、それで鎖が外れるかもしれない」
ラインが外せたのはあいつが貴族で魔法が扱えるからだ。
「教えたぐらいで鎖が外れるとは思えないけど」
冒頭で主人公が魔法を習得するシーンは女神様にダイスを振ってもらい決める。当然プレイヤーが振るのだが、稀に冒頭でファンブルを出すとゲームオーバーになることがある。何周かしていれば偶然を引ける。
そこでは当然異性を愛することも魔法と同時に決められるのだが、この世界ではどういう仕組みになっているのかわからない。
「ほら、いいから、教えてよ」
ラフィアは僕に魔力の使い方を教えてくれたが、授業内容より乙女ゲームの設定に忠実だった。授業では体内に魔力があること、魔法というものがあること、すべて別々のものかのように教えていて違和感があった。
彼女の説明の通り魔力が体内を巡る感じをイメージしていると、全身が熱くなる感覚がして魔力が流れていく。
やはり遠くで何か聞こえるだけで聞き取れない。
僕は鎖を切ろうと鎖を掴むとまるで空気でも掴むように鎖が砕けた。突然のことに驚くラフィアは地面に落ちる鎖を見つめて言った。
「嘘でしょ。ただ、魔力の使い方教えただけなのに。魔法は教えていない。あなた貴族なの? いや、そもそもそんな有能な貴族いないはず」
「……それよりも顔色悪いよ」
「まあ、色々あったからね」
ラフィアは疲れているようでうつむいている。
「帰る家ないなら泊まる場所用意しようか」
「助かるけど、なんでそこまでするの?」
悪い奴だから放置などして面倒なことになるくらいなら、こちらで面倒を見るぐらいしたほうが対処もしやすい。
設定上家族愛に溢れただけの彼女を僕は嫌ってはいなかった。
「僕も世界で一人だったから気持ちがわかるのさ」
彼女と違って天涯孤独だったが、今の彼女も実質僕と変わらない。
「ありがと」
素直になったラフィアと一緒に店主のマイケルの家に行くと彼らは快く受け入れてくれた。僕の使っている部屋を貸すことにして寮まで戻ることにした。
カンターレン・ローウェルを人々は魔王と呼び恐れられている。元々は他国の王族だったが圧倒的な魔力で空に浮かぶ大陸を支配して、その後も地上にも影響力を及ぼしている。彼の子孫も膨大な魔力を持つようで挑む人間はいなくなっている。
アルベール王国はローウェル王国の実質的な属国だ。国として体裁を保っているのは魔王がアルベール王国を敵とみなしていないからだ。侵略して挑む者もいなくなって、有能な若い人材を教育してローウェル王国の役に立てるようにしている。
あのラフィア・ローウェルも事実恐ろしいほどの魔力を持つが、魔王ほど脅威になるわけでもない。当然主人公が「ファンブル」ばかり出すとバッドエンドになるが、案外主人公だけの力でも倒そうと思えば倒せる。だが、正真正銘の魔王カンターレン・ローウェルは、主人公と攻略対象たち全員がすべて「クリティカル」を出さなければ倒せない。ゲームだと敵対してしまった。現実だと取り入ったほうがいい気がするけど、ゲーム内ではバッドエンドルートだったはずだ。
元の世界に帰るなら関係のない話ではあるが、帰れる保証があるわけではない。
僕は寮に帰るまで頭の中は魔王のことでいっぱいになっていた。
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