第8話 ダンテは神曲を改稿する
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
昨日は、ネット注文した荷物を受け取るため、ダンテは一日姿を見せなかったが、今朝は「一緒に出勤します」とメールが届いていた。
――ダンテのスマホのスキルがスゴイ。
朝七時十七分、ダンテは駅の改札口前で待っていた。
「今日は、スマホやパソコンの電気がなくなりそうなので、会社に行きます」
充電が目当てらしい。
会社に着き、ダンテのスマホを充電しながら、パソコンを社内ネットワークに接続する。事前にダンテのアカウントを設定し「作家グループ」に登録してある。
「ダンテさんは、出掛ける用事はありますか」
「今日は、スマホやパソコンと一緒に充電するつもりです」
「意味はわかりませんが、都合はいいですね。昨日『神曲』を改稿する際のルールを考えてみました。ダンテさんに見てもらいたいのですが、いいですか」
もちろんですと、ダンテは応じる。
「では、さっそく、ルールは三点です」
有江は、ダンテにパソコンの画面を向ける。
1 三韻句法などの詩法は用いない
2 注釈が必要な内容・表現は省略する
3 三人称視点で執筆する
ダンテは、1と2はすんなり受け入れるが、3に関しては、思うところがあるようで渋っている。
「もともと一人称視点なので、そのままで、よいのではないですか」
やはり、原文に関わる内容なので納得しがたいようだ。
「三人称視点であれば、地獄の細部を描きやすいと思います。それに……」
今日は正直に話そうと、有江は決めている。
「一人称視点は心情表現が多くなり、ビビりの主人公には感情移入できないのです」
ダンテは、真剣に聞いている。
「また、場面転換時、主人公が気絶している間にどうにかなってしまうのは、明らかにルール違反です。三人称視点で客観的に書く必要があると思います」
ついに言ってしまった。
「なるほど。さすが編集者です。そうしましょう」
有江の心配をよそに、ダンテはあっさり納得する。
「試しに地獄篇の冒頭一句を書き直してみます」
ダンテは、キーボードを叩き始めた。
*****
人生の半ばを過ぎていた。
ダンテは、目を覚ましたとき暗い森の中を彷徨っていた。
まっすぐに続いている道は見えない。
*****
「まだ三行詩に引っ張られていますね。一行目は取るか、二行目と一緒にしましょう」
「このセンテンスは、私の重大な転機ですので残したいですね」
「そうですね。『人生の道半ば』といえば『神曲』最初の挫折ポイントですし、わたしも残す意味はあると思います」
今日の有江は、結構きつい。
「二行目、このまま読むと夢遊病者のようです」
「原文は『目を覚ましたとき』だったり『ふと気づく』ですが、『我に返ると』に直しましょう」
「三行目の『まっすぐに続く道』は何かの暗喩なのでしょうが、見えない道がまっすぐかどうかは、わからないですよね」
「直します……」
*****
人生の半ばを過ぎたダンテは、我に返ると暗い森の中を彷徨っていた。
道は見えない。
*****
「どうでしょう」
「読みやすくなりました。この調子です」
スマホの充電が終わるまで、タイトルを考える。
「イメージは『神曲』の書き直しなので、『ニュー神曲』とか『シン神曲』とか『神曲・改』とかですかね。どれもパクリですが」
「日本語に不慣れなこともありますが、どれもピンときません」
「『神曲』はブランドなので残しましょう。あとは前後に付ける言葉なんですけど……」
「そうですね。単に翻訳するのではなく、日本向けに再構築、刷新するニュアンスが欲しいです」
ダンテの言葉にひらめいた。
「刷新は、英語で『リノベーション』です。これ、使いましょう。『神曲リノベーション』というタイトルはどうですか」
「神曲リノベーション・地獄篇」
いいですねとダンテは気に入ってくれたようだ。
ダンテは、昨日は「神曲リノベーション・地獄篇」の第一歌、今日は第二歌を書き上げている。
午前中に校閲が終わると「続きを書いてきます」と、ダンテは会社を出ていった。
「アンリエ、お昼一緒にどう?」
愛永から、昼食に誘われた。
「前に、ダンテ先生に紹介してもらったイタリアンに行こうか」
「いいですね。たしか『リストランテ・フィオーレ』というお店でした」
マップにも載っていない不思議な店だが、道順が難しいわけではない。
「こんにちは」
店に入ると、マスターがカウンターの奥で料理している。今日は、先客がいるようだ。
マスターにテーブル席を促されて奥を見ると、ダンテがパソコンを開き、コーヒーを飲んでいた。
「あら、ダンテ先生、こんにちは」
「これは、仁廷戸さんに有江さん、こんにちは。よろしければ、一緒にいかがですか。私は『牛肉とポテトのピリ辛トマトソースパスタ』を頼んだところです」
「私たちも同じにする?」
「そうですね。ふたつ追加してください」
マスターが頷いた。
「ダンテさんは、こちらで作品を書いていたのですね。アパートはまだ電気が通っていないので、どこに行っているのかと思っていました」
「そうなんです。アパートは寒いし、誰かに見られているようで落ち着かないのです」
――ナニカデタヨウ。
「ダンテ先生は『神曲』を書いているのですか」
ダンテがパソコンを差し出すと、どれどれ見せてくださいと愛永は読み始める。
「そうそう、これですよ、これ。まだまだ、堅苦しいけど、思ったとおり『神曲』は面白くなりますよね。早く続きを読ませてください。ダンテ先生、アリリエ、頼みますよ」
愛永に褒められ、ダンテは満更でもない顔をしている。
有江も、愛永に期待されて頬が赤らんだ。
「タイトルは『神曲リノベーション・地獄篇』と決めました。今は、第三歌を書いているところです」
「ダンテ先生なら、一週間もあれば書き終えてしまうのではないですか」
「いや、一日一歌がいいところです。私が、この日本に来た原因について、調べなければなりませんし……」
ダンテは、パソコンを閉じる。
「私が、過去から未来に、遠く離れた場所に瞬時に移動するためには、時間や空間を超越した世界が必要なはずです。その世界が、どこにあるのか、今は知る由もありませんが、間違いなくそこを通って日本に来たからには、どこかに、その世界に通じる門があるはずなのです」
テーブルに料理が運ばれてきた。
「ダンテ先生は、ラノベの王道、異世界転移のアイディアも練られているのですね。楽しみです」
パスタを食べながら、愛永は言った。




