第7話 ダンテは飲んで倒れる
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
駅に戻る。
午後四時を過ぎていた。
「私は電気が使えるまで、ネットカフェに戻ります」
ダンテは、乾いた衣類をたたみながら話す。
「ダンテさん、それ無理です」
有江は、今朝の顛末を説明した。
「そうでしたか、それは、ご迷惑お掛けしました。では、別のお店にするしかありませんね」
「この街にはネットカフェがないので探します」
有江が、スマホで検索しようとしたとき、着信メロディが鳴った。画面上の指は「応答」を許可していた。
あわてて、スマホを電話として持ち替える。
「あっ、はい、栃辺です」
「もしもしアリエス、愛永です。今、何してるの?」
「えっ、ダンテさんのアパート探しを、お手伝いしてまして……」
「ダンテ先生も一緒なんだ。今から行っていい? どこにいるの」
愛永が来るという。土曜出勤して、ひと仕事終わったので、一杯飲みたいそうだ。
地元駅にいることを伝えると、すぐに向かうと言う。
地元神社の初詣に誘ってからというもの、愛永は、この街を気に入っている。
「仁廷戸さんは、休みの日に独り働いて、寂しい思いをしていたのですね。せめて、仕事上がりは、お付き合いしてあげましょう」
話を聞いたダンテは、なんて寂しいことでしょうと、いたく同情している。
有江は、愛永を待つ間、電気・ガス・水道の開通手続きを行う。
ダンテは、駅ビル二階の書店をぶらつき、ライトノベルを手にしては、背表紙のあらすじを読んでいる。
愛永は、三十分ほどで待ち合わせの書店に姿を現した。
アイボリーのロングコートに白のニット、モカのパンツを合わせた姿は、センターパートにしたリップバングの愛永に似合っている。
惚れるんじゃないかと、有江は思った。
「どうもアリエム。ダンテ先生、こんにちは」
「こんにちは。仁廷戸さん、私たちがついてますよ」
――ダンテ、何を言い出す!
三人は、駅近くの居酒屋に入った。
この街は、何をするにせよ、駅近くで用が足りるので便利だ。裏を返せば、駅から離れると何もない。
「仕事上がりの一杯に、付き合わせてしまってごめんなさい。飲み物は何にしますか」
「わたしは、生ビールで。ダンテさんは、ワインですか」
「いや、私もビールをいただきましょう。ヴェローナでも、エールやビールをよく飲んでいましたよ」
全員、生ビールを注文する。
「ダンテ先生のアパートは、見つかったのですか」
「ええ、有江さんのおかげで契約もできました。『シンリテキカシブッケンナニカデソウ』というアパートで、とても安く借りることができました」
ダンテはアパート名だと思っているようだ。「ナミカゼソウ」が正しい。
「担当編集者と同じ街だと、何かと便利ですよね」
愛永が一瞬だけ、ふーんという顔をした。
ビールが運ばれてくる。
「さあ、飲みましょう。お疲れさま、乾杯!」
ビールを飲み、刺身をつまみ、ワインを飲み、文学談議に花が咲いた。
「ライトノベルなんていうカテゴリーはまやかしですよ、純文学と何が違うのでしょう。軽い小説があるなら、重い小説もあるのでしょうか!」
愛永は、息巻いている。
「この時代まで『神曲』が読み継がれているとは、奇跡に近いですね。それに比べたら、私がこの世界に迷い込んだことなど些細なことです」
それは違うだろうと有江は思うが、事情を知らない愛永は、そうですよと適当に相槌を打っている。
「本への愛は、作品への愛、作者への愛、活字への愛、装丁への愛へと広がります。わたしは、編集への愛も感じてもらえるよう頑張っています」
有江もビール片手に控えめに主張した。
「いいこと言うじゃん」
褒める愛永は、ぐい呑み片手に相当酔っている。
「ダンテ先生、こうして日本にいるのなら、日本のお酒ですよ」
と、青森県の「田酒」をダンテの分も注文する。
一気に飲み干すダンテは、日本酒も気に入ったようだ。
「それじゃ、気をつけて」
「愛永さんも。お疲れさまでした」
改札を抜けた愛永は、手を振って下り線ホームに降りていった。
ダンテも、赤ら顔で手を振っている。
「さて、ネットカフェ、どうします?」
駅構内の時計は、午後十時を回っている。
これから、店を見つけて、電車で行って、入会手続きして、また電車で戻って、家に帰って、寝る支度して……考えると、気が滅入る。
「この時間では、今日借りたアパートで寝るしかなさそうです。なんとかなるでしょう」
ダンテは、覚悟を決めていたようだ。
「編集部での寝泊まり用のシュラフがアパートにあるはずです。寒いから使ってください。取りに寄ってから帰りましょう」
見かねた有江は、つい、言ってしまった。
波風荘に向かう道は、有江が帰宅する道のりと一緒だ。
十分ほど歩いた先の交差点を右に行けば波風荘、左に行けば有江のアパートだ。湊川社長が言う「歩いて八分」で、波風荘に着くわけがない。
交差点を左に曲がり、三分ほどで有江のアパートに着いた。
二階の東端が有江の部屋だ。ふたりは階段を上る。
「寝袋持ってきますから、待っていてください」
有江が、玄関を開けたそのとき、北側の一軒家で飼う犬が吠え立てた。
灯りを点ける間もなく、ダンテは「狼です!」と叫び、玄関に入ってくる。
有江は、身体をひねって避けようとしたが避け切れず、ダンテに押し倒され、またしても尻もちをついた。
ダンテは、有江に覆い被さるように倒れ込んだ。
床を探ろうとしたダンテの手が、有江の胸に触れる。
倒れたダンテの顔は、有江のすぐ横にある。
ダンテの息づかいが、聞こえてくる。
その姿勢のまま、どれだけの時間が経っただろう。
三分か、五分か。
ダンテは、眠っていた。
有江は、ダンテの下からやっとの思いで這いずり出る。
灯りを点けると、廊下をふさぐようにダンテは倒れていた。
有江は、衣装ケースから寝袋を取り出すと、ダンテを蹴飛ばして叩き起こす。
「……ナニカデソウに灯りが点いています」
寝ぼけるダンテを連れ出し、まだ電気が通じていない真っ暗な波風荘に送り届けた。
日曜日の朝、有江のアパートに注文していたスマホとパソコンが届く。
有江は、二日酔いの頭でスマホやパソコンの初期設定を行い、波風荘に届ける。
ダンテは、何もない殺風景な部屋で寝袋に入り「神曲・天国篇」を読んでいた。
ヴェローナの街並み




