第52話 ダンテの帰る場所(了)
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
常磐道 勝清
42歳 梶沢出版編集部長、調世会調世部長
下根田 陽人
26歳 駅前交番に勤務する巡査
船越川 瑠理香
40歳代 調世会調査員
神楽 伝次郎
40歳代 調世会企画部長
「メッセージが届きました。神楽部長を起こしてきますね」
船越川は、モニターに表示された「Operazione riuscita」を指し示し、席を立った。
神楽は「SET MONO」のメッセージを送った後、完了信号の受信をトリガーにして、プログラムの更新、反応式の送信、愛永からのメッセージ「Caution! God may send Lucifero into this world.」の送信を自動化して仮眠を取っている。「DXだよ、DX」と言いながら、神楽が部屋に入ってから六時間が経っている。
その間に、すべてのトリガーが発動した。
ヘルフォンが受信する大気情報は、三十分前から気温が下がり、二酸化炭素濃度が上がっている。
「ふわあ、よく寝たわ」
両手を上げて伸びをしながら、神楽は部屋から出てきた。藍色の作務衣を着ていて陶芸作家のようだ。
「作戦成功のメッセージの後に、テキストデータを受信しています。冥界でのできことが、詳細に記録されていますね。通信機は、常時接続モードで待機しています」
船越川は、状況を的確にまとめ、神楽に報告した。
「ダンテさんと有江さんは、戻ってくるかな」
「戻ってくるのですか」
神楽の独り言に愛永と陽人は、口を揃えて反応した。
常磐道は、ダンテが現在の日本と十四世紀のイタリアのどちらにも戻れるよう、打ち合わせているという。
ここに戻る際には、戻る時間と場所を特定させるため、通信機を常時接続モードにする。イタリアに戻るにしても、冥界での情報を伝えてからとしている。
もっとも、戻ろうとして勝手に戻れるわけではなく、そこは文字どおり「神頼み」だそうだ。
通信機が常時接続モードになってから、三十分が経つ。
「どうしようかな。充電のために常時接続モードを切ろうか」
通信機のバッテリーは、表面の光発電で充電される。
冥界での照度は足りているが、常時接続は量子を観測し続けるので、充電まではできないと、神楽は説明した。
「ダンテさんが理由なく常時接続するわけもないでしょうから、もうしばらく待ってみましょう」
常磐道が答えたそのとき、出入り口前のスペースが光り始めた。
光は、徐々に大きくなっている。
何が光っているか、言い表すのも難しい。
空間が、光っている。
神楽は「観測装置出して」と船越川に指示し、コンピュータを操作する。
船越川は、通路手前の部屋に機材を取りに走る。
常磐道は、壁掛けの電話を手にしている。
愛永と陽人は、光を見ていた。
光は、天井まで達するほどの球体になった。
月見岩で見た光と同じだ。
ただ違うのは、部屋全体が小刻みに揺れるだけで、机や椅子が飛び交うこともなく静かだ。
光が急速にしぼみ始めた。
光が小さくなるにつれ、包まれていたものが明らかになる。
有江だった。
光が点となり消えた跡には、月見岩で消えたときと同じ格好で有江が立っていた。
「アリーリ!」
愛永は、有江のもとに駆け寄った。
「有江さん、だいじょうぶですか」
陽人も続いた。
「私のこと、覚えてる? 愛永だけど、覚えてる?」
有江は、愛永の顔を見る。
その表情は乏しく、愛永の顔をぼんやり……
「覚えてます! すべて覚えてます」
有江は、顔をくしゃくしゃにして愛永に抱きついた。
「よかった……」
陽人が涙ぐむ。
「おかえりなさい」
常磐道も目を赤くして、有江に声を掛けた。
「部長、ただいま戻りました。ご心配お掛けしました」
有江は、冥界でのできごとを話し始める。
「おかげさまで、コーキュートスは、クエン酸と重曹で冷やすことができました。白い狼が現れた後に、赤いジャージ姿の西藤さんが現れて、わたしはベアトリーチェの生まれ変わりだと言われ、乗ったケンタウロスはイケメンで……」
有江は、冥界でのできごとを次々と話した。
地球温暖化の影響でルチーフェロを閉じ込める氷が融けそうなことは、愛永の予想どおりだった。
「……復讐の女神たちを倒して、助け出しました。天使さんが神さまだったのをダンテさんが見破って……」
「ダンテ先生は、一緒じゃないの?」
愛永は、有江の話をさえぎり尋ねた。ダンテがどうなったのか、知りたかった。
「ダンテさんは、記憶をなくし十四世紀に戻るか、記憶を持ったまま二十一世紀に戻るか選ぶように神に言われていました。わたしは、結論を聞く前に戻されてしまったので……ダンテさんと、お別れの挨拶もできていません」
「やっぱり、神が現れたんだ。後でゆっくり聞かせてもらうね。有江さんが戻って、四十分が過ぎているから、ダンテさんは十四世紀に戻ったのかもしれないね。僕は調世会の神楽です。よろしく」
「そうですか……ダンテさんが戻った後の様子は、もう世界史の教科書でしか、わからないのですね……」
そのとき、空間が光り始めた。
船越川の簡単な健康診断を受け、着替えを済ませた有江は、事務室に戻る。
ダンテは、先に着替えを済ませて、常磐道と話をしていた。
「……地球にクエン酸と重曹を撒くわけには、いきませんからね。やはり、国も人も、地球のことを思って行動しなければ、止められないのでしょうか」
地球温暖化を食い止める方法を、話し合っているようだ。
「ダンテさんは、十四世紀に戻らなかったのですね」
有江は、ダンテに話し掛けた。
「温暖化が気になります。私にできることは、ないのかもしれませんが、何もかも忘れて戻る気にはなれませんよ。それに、戻れば、私は五十六歳で亡くなってしまいます」
ダンテは、笑った。
「さあ、みなさん、新鮮な空気を吸いに外に出ませんか」
奥の部屋から戻ってきた船越川が声をかけた。
「そうだね、みんなでコンビニでも行こう」
神楽は、さっそくドアを開けようとしている。作務衣姿で出掛けるつもりらしい。
全員が、地下の事務室を出る。
九日ぶりに見る太陽は頭上高く昇り、五月末にしては強い日差しが、じりじりと照りつけている。
「温暖化抑制作戦を実行します」
ダンテは、根拠なく、高らかに宣言した。
(了)
フィレンツェ・ サンタ・クローチェ教会 のダンテ像




