第42話 半身浴のすすめ
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
西藤 隆史
36歳 調世会調査員、亡くなっている
クエン酸と重曹は、見つかった。
「では、作戦実行に向けて問題点を挙げていきましょう。天使くんも遊んでいないで参加してください」
西藤さんは、前に出て仕切り始めた。
西藤さんと向かい合わせにダンテ、有江、天使、モフ狼が並んで座る。
「では、ダンテさんから順に、問題点を挙げていってください」
そういう進め方か! 参加者全員に緊張が走る。
「そうですね、クエン酸と重曹は、どちらも第七の圏にあります。どうやって第九の圏コーキュートスまで運び、混ぜ合わせるかが問題だと思います」
有江の番だ。
「重曹泉は煮えたぎっているので、冷ます必要があります。そのまま、コーキュートスに持ち込めば、ルチーフェロを閉じ込めている氷を溶かしてしまいます」
「では、天使くん」
まさか、自分に発言の番が回ってくるとは思っていなかった天使は、慌てている。
「あ、はい、そ、そうですね。この作戦は、冥界の環境を変えてしまうので、事前に神さんに了解をもらっておいた方がいいと思います」
「うぉん」
「ダンテさん、もうひとつ出ますか」
西藤さんは、自分を飛ばして、再びダンテを指名する。安心しきっていたダンテは、慌てふためいた。
「誰が、シトロンを収穫して絞るかですね。相当の人手が必要です」
「有江さん」
「お湯を引く水路を造らなければなりません」
何周するのかと不安になる。
「天使くん」
「そうですね、第七の圏から第八の圏にはどうやって降りましたか」
「ゲーリュオーンに乗って降りました」
ダンテは、天使の方を向いて答える。
「何度も圏を行き来するのであれば、ゲーリュオーンの助けが必要です。ぼくは飛べますけど……」
「うぉん」
「では、次に解決策を考えていきましょう」
「私に考えがあります」
また仕切ろうとする西藤さんを、ダンテはさえぎった。
「まず、天使さんの言うとおり、神には了解しておいてもらう必要があります。それに、なるべく邪魔が入らないよう神の助けも必要でしょう」
また、ダンテが勿体ぶった口調になった。
「天使さん、これから話すことを神に伝えてください」
また天国に戻るのですかと、天使は不満を口にする。
「第七の圏、第一の環の熱湯を抜かせてもらいます。そこで、魂たちが顔や身体を現すことになっても、ケンタウロスたちに矢を放たないよう命じてください」
「神さんは自分で動かないから、たぶん、ぼくが言うことになると思いますが、了解は取ります」
「第七の圏の第一の環、第二の環の魂たちの罰が少し緩くなります。また、第九の圏に囚われているギガンテスの環境が若干良くなります。神に御承知おきいただきたい」
「ルチーフェロさんの復活を妨げるのであれば、納得してくれると思いますよ」
天使は、翼を広げた。
「もうひとつお願いがあります。第七の圏の降り口にいるゲーリュオーンに、第八の圏で待機するように伝えてください。『うまくいけば、何もお願いすることはない』とも付け加えてください」
身体が蛇だからキモイんですよねと、天使は飛び立った。
「私たちも、アンタイオスさんに持ち上げてもらいましょう」
崖に腰掛けこちらを興味深げに見下ろしていたアイタイオスに、ダンテは手を振って合図した。
巨人の手のひらに乗り、全員が崖の上に戻る。
「井戸端会議をしているニムロドたちの所まで戻ります。アンタイオスさんも一緒についてきてください」
ダンテは、歩き始めた。
有江と西藤さんは、ダンテの後を追う。
「なぜ、ギガンテス族は井戸の中につながれているのですか」
有江は、ダンテに尋ねたつもりだったが、並んで歩く西藤さんが答える。
「巨人たちは、戦いに敗れ弱っても、大地に足をつくだけで、力がみなぎり復活するんですよ。神は、この厄介な種族を井戸の中に入れ、足が大地につかないようにしたんですね。立つだけで元気になるとは、うらやましいです」
陽人はどうしているのだろうと、有江はふと思う。
途中、鎖につながれたエピアルテースの横を過ぎる。
相変わらず落ち着きなく身体を動かしては、大地を揺らしている。
エピアルテースにもお願いがあるのですと、ダンテは巨人に近寄っていった。
ダンテが何事かを話すと、エピアルテースは笑い出す。
「そんなことでよければ、協力しようではないか」
エピアルテースは、そう言うと、さらに激しく身体を動かした。
戻ってきても、何を話したのか語ろうとしない。聞いたところで、はぐらかすのだろう。ダンテから言ってくるまで待つしかないと諦める。
アンタイオスは、後から足を引きずりながら歩いてきて、そのまま、有江たちの前を過ぎていった。
手には、モフ狼が乗っている。
角笛の音が聞こえてきた。
ニムロドたち五人の巨人は、井戸から上半身を出している。
話すことも尽き、暇そうだ。
ダンテたちが近づくと、ひとりの巨人が話し掛けてくる。
「おお、アンタイオス、久しぶりではないか。一緒にいる小さい者たちよ、なんの用があるというのだ。神に盾突いて井戸につながれた我々にできることなど何もない」
ダンテは、巨人を見上げる。
「あなた方の井戸を快適なものにするため、お願いがあります」
「それは、おもしろそうだな。詳しく話してもらおう」
どうせ何もすることのない巨人たちには、ダンテの話は暇つぶしにちょうどよい。
「あなたは、腕を上げると、どこまで届きますか」
ダンテは、こんな感じにと両腕を上に伸ばしてみせる。
「以前、暇を持て余し、どこまで手が届くか試したところ、第七の圏の崖に手を掛けて崩してしまったことがある。神は怒り、我々はそれまで以上に深く井戸に沈められてしまった。今は、そうだな、第七の圏の崖に届くかどうかといったところだ」
「ギガンテス族の力は、それは強大なものと聞きます。アンタイオスさんを肩車することはできますか」
「井戸につながられていても、その位のことは容易いことだ。しかし、お主の願いを聞く前に、井戸の環境がどうよくなるのか、聞かせてもらおうじゃないか」
それはそうですねと、説明を始める。
「第七の圏、第一の環に温泉が湧いています。温泉といっても熱湯なのですが、その湯をこの井戸に落とし、冷やして適度な温度にします。あなたたちは、その間、半身浴を楽しんでください」
「そんなことを神が許すはずがないであろう」
巨人は、ダンテの話を信じない。
「たぶん、神は許すと思います。試しにアンタイオスを肩車して私たちを第七の圏に持ち上げてみてください。なんの咎めもないはずです」
「その手には乗らんわ」
巨人は、まだ疑っている。それは、そうだろう。
「アンタイオスさんに水路を造ってもらっていますが、神の咎めはありません。証拠にはなりませんか」
ダンテが指さす方向を見ると、アンタイオスが足を引きずって造った溝が水路となり、エピアルテースの井戸へと伸びている。
「ううむ」
うなるニムロドたちの井戸に、三往復めの天使が戻ってきた。




