第32話 残された者たち(現世)
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
常磐道 勝清
42歳 梶沢出版編集部長
下根田 陽人
26歳 駅前交番に勤務する巡査
ダンテは、岩の上に倒れている。
有江は、立ちすくんでいる。
声は届かない。
ふたりは、光に包まれたままだ。
常磐道や陽人が叫ぶが、反応しない。
「アリッペ、逃げて!」
愛永も、叫んだ。
光の球体は、周囲の光を吸収するように、急速にしぼみ始める。
光とともに、ダンテと有江も吸い込まれていく。
愛永は、助けに駆け寄ろうとしたが、常磐道が腕を掴んでいる。
掴む手の力が強まった。
光は点になり、そして消えた。
空間の震動は収まり、風はパタリと止んだ。
舞い上がった木片や石は、バタバタと音を立てて落ちる。愛永の頬をかすめて、小枝が落ちた。
夜の静寂が戻る。
月見岩は、何事もなかったように月に照らされている。
そこに、ダンテと有江の姿はない。
ふたりは、消えてしまった。
「説明してもらいます」
愛永は、常磐道を見た。
「わかりました。すべてをお話しします。しかし、ここでは何もできません。戻って説明しましょう」
常磐道は、確実に何かを知っている。
その何かは、愛永が予想していたことなのか。こうなることがわかっていれば、防げたこともあったはずだ。真相に近づいていた感触があっただけに、遊び半分で来たことを後悔する。
とにかく、今は常磐道から話を聞かないことには、何もわからない。常磐道が敵ではないことを愛永は祈った。
「有江さんとダンテさんは、無事なのでしょうか」
テントに向かいながら、陽人は愛永に尋ねた。
「情報が少なすぎます。今は、部長に任せましょう」
そうですねと陽人はテントを片付け始めた。
愛永もテントを畳み始めたとき、常磐道がふたりのもとに歩いてきた。
「仁廷戸さん、下根田さん、修復班がここに向かっていますので、荷物はそのままにしておいてください。浜松市に待機させておいた迎えが間もなく到着します。身の回りの品だけ持って、こちらに来てください」
言われたとおり、暗闇の中、常磐道の後を追った。
登山口の方向に揺れる複数の灯りが見えた。
ふたりが常磐道に近づいたとき、バリバリという音と共に大気が揺れ始めた。音は次第に大きくなる。
先ほどとは、明らかに違う音と振動だった。
月見岩の先に、満月と甲州市の灯りに上下を照らされながら、二機のヘリコプターが浮上してくる。
轟音と共に現れたヘリコプターは、見る間に近づき、愛永たちの頭上でホバリングを始めた。
ダウンウォッシュが、容赦なく吹き付ける。
サーチライトが、愛永たちを照らした。
一機からロープが垂らされ、ひとりの男が滑り降りてきた。
その男は、着地すると常磐道に駆け寄り、顔を寄せ何ごとか話している。
常磐道は、ふたりを手招きする。
男は、近寄った愛永にヘリコプターから降ろされたスリングを手際よく装着すると、上に向けて合図を送った。
愛永は、ふわりと浮き上がると、見る間に引き上げられた。
ヘリコプターに持ち上げられた愛永は、スリングが外され、渡されたヘルメットを被る。
「奥に詰めてください。頭に気を付けて」
中腰のまま奥に進んで座った。
陽人も続いて上がってくる。
陽人が席に座ると、ヘリコプターは月見岩から離れ始めた。
街の灯りは、たちまち見えなくなった。
愛永は、何が起きているのか整理しようとしたが、ローター音が思考をかき乱した。
ヘリコプターは、三十分ほど飛行し、着陸態勢に入る。
ヘリポートに降り立つ中、もう一機も隣に見える。
ふたりは、降りるとすぐに待機してあった黒塗りのセダンに乗るよう指示される。後部座席に乗り込む。
運転席と助手席には背広姿の男が乗っていた。
「お待ちください」
助手席に座る男は、振り向くことなく言った。
「ここは、航空自衛隊の府中基地ですね。富士山を三時方向に見ながら飛んだので東京方面に戻ったのは間違いありませんし、ぼくたちが乗ったヘリコプターは、ダークネイビーの塗装なので、航空自衛隊の救難ヘリコプターUH―60Jのはずです」
陽人が話す。
「詳しいんですね」
「警察官か自衛隊か迷ったんですよね」
前の席に座るふたりは、黙っている。
後部座席に常磐道が乗り込んできた。
陽人が中央に詰め、三人が座る。
車は、合図なく走り出した。
「さて、何から説明しましょうか」
常磐道は、今までの経緯をふたりに話し始めた。
「ダンテ先生も知っていたのは意外でしたが、ほとんど、私の予想どおりですね」
「任廷戸さんの推理には参りましたよ。いつ正体を暴かれるかと緊張しました」
常磐道は愛永の推理力を誉めるが、組織の規模は予想より遥かに大きく、事は重大だった。
車は、深夜の都内の道を走り続ける。
見慣れた景色が、目に入ってきた。
「日本宗教調世会の目的は、なんですか」
この謎の団体が、善か悪かを確かめたかった。
「冥界からの現世への干渉を防ぐことです。手法は変わっても、数百年来、目的は変わりません。しかし、そのために犠牲を払うことはできません。栃辺さんとダンテさんは、必ず助け出さなければなりません」
常磐道の言葉に、嘘は感じられなかった。
車は四十分ほど走り、調世会の事務所が入るビルの裏手に停まる。
夜明け前の暗さと静けさの中、三人は車を降り、ビル裏口のホールからエレベーターに乗り込んだ。
常磐道は、地階、五階、三階の順にボタンを押し、操作パネルの下部を開くと、右手親指をセンサーに押し当て、続けて、左手中指に変える。
「任廷戸さん、じっくり見過ぎです」
常磐道は、パネルを操作しながら言う。
エレベーターが、動き始めた。
エレベーターは、地下一階を過ぎ、さらに地下、表示のない階に止まる。
ドアしかないフロアに出た。
再び解除キーを入力しているようだが、後ろに立つ愛永からは陰になって見えない。
扉のロックが解除される音がする。
常磐道は、ドアを開けた。




