第23話 愛永は怪しんでいる
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
常磐道 勝清
42歳 梶沢出版編集部長
船越川 瑠理香
年齢不詳 調世会事務員
校閲しながら、ダンテと話している。
「時空を超越する世界って、どんな世界なのでしょうね。不思議です」
「そうですね……例えば、今改稿している『神曲』は、七百年前のイタリアで書いた三行詩ですが、二〇二四年の日本において、有江さんの脳に影響を与えています。紙という媒体に活字で記録された情報が、時と場所を隔て、有江さんを『これ誰なの』と悩ませているわけです」
「例えは意地悪ですが、そのとおりです」
「時空を超越する世界……超越世界では、これが瞬時に起きるわけです。いや『瞬時』という概念もありませんね。超越世界では私と有江さんは、不思議な現象なしに一緒にいるのです」
「わかるような、わからない話です」
「そのとおり、この世界からすると『わからない現象』が、超越世界の現れ、接点だと思うのです。しかし、そのほとんどはオカルトチックな扱いしか受けられず、科学的に研究されているのは、ほんの一部です」
「科学的に研究されている『わからない現象』もあるのですか」
「天文学の『ブラックホール』や、量子物理学の『量子もつれ』などは、そうだと思います」
校閲を終え、昼休みにしようと応接室を出たところで、常磐道部長が声を掛けてきた。その声は、ダンテに向けられている。
「ダンテ先生、お疲れのところ申し訳ありません。先日のプロットについて詳しくお話を伺いたくて、これから昼食をご一緒にいかがですか。もちろん経費で落とします」
ダンテは構いませんよと答える。
「部長、わたしは……」
有江は、遠慮がちに部長の顔を見た。経費で昼食を食べたいわけではないので、聞き方が難しい。
「栃辺さんは、次の機会にお願いします。今日は、ダンテ先生から直接お話を伺いたくて……」
答えを言い切らぬうちに、部長はダンテと共にエレベータに乗り込んだ。
閉まるエレベータの扉の奥に、笑顔で手を振るダンテが見えた。
さて、どうしたものかとホールに立ちつくす有江に、愛永が声を掛ける。
「アリチャンひとり? 一緒にお昼食べにいこうか。ちょうど聞きたいことがあるのよ」
誘いに乗り、愛永と会社を出た。
愛永は、歩きながら天気の話をしているが、どこか上の空のようた。
会社からそう遠くもない中華料理店に入る。
有江は五目チャーハン、愛永は上海風焼きそばを注文した。
「聞きたいことって……愛永さんは、最近考えごとが多いような気がしますが、その件ですか」
有江から話を切り出した。
「そう、考えていたの、ずっと。どうにも、わからないのよね」
愛永は、顔を上げ遠くを見るような眼をした。「野菜たっぷりタンメンもおいしそうね」と壁に貼ってあるメニューを見て言った。
「船越川さんのことですか」
「いや、もちろん彼女も怪しいのだけれど、別な人ね。もっと怪しい人がいるのよ」
「誰でしょう」
見当がつかない。
愛永は、少しためらってから、名前を口にする。
「常磐道部長」
「そんなことが、あるのですか」
有江は、出てきた五目チャーハンを食べながら、愛永に尋ねる。
「そもそも、出版業界のことをまるで知らないあの部長が、引き抜かれるのがおかしいと思わない? 人脈の広さから受注が増えたと聞いて調べてみたら、たしかに社史や決算書の企業案件が激増しているのよ。でも、その社史には、神社の『社史』も相当数含まれていたの」
社史って、いろいろな社史があるんだねと、愛永は湯気あがる上海焼きそばを頬張った。
「たしかに仕事ぶりはアレですけど、どうして常磐道部長が怪しいと思ったのですか」
「ダンテ先生が打ち合わせから戻ってきて、調世会や西藤さんのことを話したとき、部長は言ったのよ『調世会は嘘をついて、ダンテ先生やみなさんを混乱させようとしている』と」
それは、有江も憶えている。
「おかしなことを言っていますか」
「部長は、プロットの話をしているはずなのに『ダンテ先生やみなさん』というのは変だよね。ダンテ先生はともかく『みなさん』は、小説に登場しないよ」
「部長は、わたしたちがロールプレイしている前提で、話を合わせたのではありませんか」
愛永の考え過ぎだと、有江は思った。
「それだけじゃないのよ。常磐道部長と船越川さんって、知り合いだった気がする」
焼きそばを食べながら、愛永は話を続ける。
「船越川さんが来社する日に、部長は『彼女』が『好きなケーキ』を用意するようにと言ったじゃない。知ってたの?」
「偶然だと思いますよ」
「そうかなあ。彼女が来社したとき、あのエレベータの振動と音に驚かなかったのよ」
エレベーターの件が、よほど気になるらしい。
「私も見送りに顔を出したときに『部長さんにも、よろしくお伝えください』と言って帰ったよね」
「はい」
「部長が『部長』だと、なぜわかったのかな」
愛永は、薄目で遠くを見ている。
「わたしが話したのかもしれませんし、考え過ぎだと思いますよ」
食事を終え、そうかなあと、なおも気にする愛永と中華料理店を出る。
「常磐道部長が、船越川さんと知り合いだった、つまり、日本宗教調世会とつながっていたと考えると、ひとつのストーリーができるのよ」
会社に戻る間も、愛永は話し続ける。
「調世会は、ダンテ先生の『神曲』にまつわる『地獄の門』を調べたり、先生を調査員に雇ったりして、いかにも先生を軸にしていると思っていたのだけれど、部長が関係者だとすると、そうでもないことがわかるの」
「ダンテさんは、関係ないのですか」
「いや、今はダンテ先生に注目しているということかな。ダンテ先生が現れたのは、いつだった?」
「たしか、今年、二〇二四年一月二十四日の朝です」
いろいろあって、遠い昔のことのように感じる。
「西藤さんが亡くなったのは二〇二三年六月二日、立科町を調査していたのはその年の二月、東京のアパートに入居したのは二〇二二年六月、調世会に転職したのは二〇一八年四月でしょ」
愛永は、手帳のメモを見ながら説明する。
「すべては、ダンテ先生が現れる前に起こっていたことね。アリーは、今のアパートにいつ越してきたの?」
「就職してから探し始めたので二〇二二年の五月です」
なんのことかと不思議に思いながらも答える。
「梶沢出版に入社したのが二〇二二年四月ね」
「そうです」
「常磐道部長が引き抜かれてきたのが二〇二二年三月。先生抜きに考えると、誰かが軸になっていることに気がつかない?」
愛永は、ためらうことなくその名前を口にした。
「あなたよ。調世会は、ダンテ先生が現れる前から、アリゾウの周りにいたのね。部長は同じ会社に、西藤さんは同じ街にいたの」
「そんなわけありませんよ。第一、理由がありません」
有江は否定するが、愛永はそうは思っていない。
「理由はわかっていないだけで、きっとあるのよ。ダンテ先生がアルエーの前に現れたのも偶然とは思えない。西藤さんが住んでいたアパートに先生が入居したこともね」
梶沢出版ビルに着いた。
「なぜ、調世会は有江のことを観ていたのか……」
エレベータが、ガタンと揺れた。
「その理由をずっと考えているの」
愛永は、先にエレベータを降りていった。




