第11話 かぐや姫の謎
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
下根田 陽人
26歳 駅前交番に勤務する巡査
西藤 隆史
36歳 職業不詳、ダンテが住む部屋の先の住民、亡くなっている
「えっと、六月二日……ありました。これですね」
「どんなメモなのですか」
これには、有江も気になった。
「殴り書きで、こう書いてありました『かぐや姫』『子はどこ』『すいせんの中』そして『地獄の門』です」
「ダンテさんは、メモのことを知っていたのですか」
有江は、ダンテに尋ねる。
「上野に行った次の日に『地獄の門』のメモだけは、教えてもらいました」
「ぼくも、半ば忘れかけていたのですが、話をしたら、ダンテさんが住んでいる部屋のことだったので、びっくりですよ。ダンテさんから『今日は、地獄の門をくぐってきます』と聞いて、思い出した……」
「『地獄の門』はくぐれませんよ」
間髪を容れずに愛永は指摘した。
「『かぐや姫』と言えば『竹取物語』ですよね。地獄の描写ってありましたか」
有江は「竹取物語」を原文で読んだことがないので、相当に自信がない。
「五人の貴公子への無理難題は、インドの『仏の御石の鉢』、中国の『蓬莱の玉の枝』、これも中国の『火鼠の裘』、どこにあるともわからぬ『竜の首の珠』、一転、国内の『燕の子安貝』を取ってこいだから、地獄は出てきませんね」
愛永はさらりと言う。
「『かぐや姫』は、天界の姫ですから、まったく関係ないこともなさそうですが、そうであれば、メモは『天界』とか『天国』とかになりますよね」
「『かぐや姫』で、思い浮かぶことはなんでしょうか」
ダンテは、お手上げの状態だ。
「順に『竹』『翁』『金』『宝』『帝』『月』『山』といったところですね」
またもや、愛永はさらりと言う。
「最後の『山』ってなんです? ぼくは、かぐや姫が月に帰っておしまいだと思っていました」
陽人は、素直に疑問を口にする。実は、有江もそう思った。
ダンテは、そもそも『かぐや姫』が誰なのか、わからないと言う。
愛永が『竹取物語』の成り立ちと、あらすじをざっくり説明する。
「……というわけで、かぐや姫が月に帰った後、ふられた帝が、かぐや姫から贈られた不死の薬を燃やした山だから、不死山、富士山になったというエピソードが最後です」
「詳しいですね。さすが出版社の人です」
陽人は、楽しそうに話を聞いている。
「富士市に伝わる『かぐや姫』は、最後に月に帰ってしまうのではなく、富士山に登って忽然と消えてしまうという話だそうです。かぐや姫が富士山の祭神になっていますね」
ダンテは、検索して答える。
「静岡県富士市の他にも、京都府向日市、奈良県広陵町、岡山県倉敷市、広島県竹原市、香川県さぬき市、鹿児島県さつま町など、作者や成立年が未詳なだけあって、由来の地もたくさんありますね」
有江も、検索して付け加えた。
「南こうせつさん、伊勢正三さん、山田パンダさん三人のフォークグループが『かぐや姫』ですね。『神田川』が大ヒットしています。上野動物園にパンダがいました!」
一応メモしておきますと、ダンテはパソコンに打ち込んでいる。
「『子はどこ』はどうでしょう。『はどこ』という単語はありませんから、『子』『は』『どこ』でいいと思います。かぐや姫に子はいませんよね」
「中納言石上麿足に『燕の子安貝』を取ってくるよう言っていますが、妊娠しているわけではありません。子供は、いないはずです」
愛永には敵わない。
「西藤さんは、自分の子供を捜していたとか……」
ダンテも推理する。
「最近の話なら行方不明者届を出すでしょうから、昔、別れた子なのかもしれません」
陽人も会話に参加した。
「我が子を捜しているのであれば、メモに『子はどこ』とは書きませんね。名前を書くと思います」
愛永が鋭く指摘する。
「誰かの子を捜しているのだとしたら、その場所は、かぐや姫由来の地のどこかということなのでしょうか」
話しながら、漠然とし過ぎているなと有江は思った。
「『すいせんの中』は『すいせん』『の』『中』でしょう。『すいせんの中学校』はありませんでした」
あればお手柄だったのにと、有江は内心思う。
「『すいせん』は『水仙』『水洗』『推薦』『垂線』いろいろありますね。『の中』がつくとなると『水洗』が一番しっくりしますか。『水洗』と言えば『トイレ』なのでしょうが、中を覗いたり、探ったりしたくありません」
「私は、ウォシュレットのことを調べたことがあるので、トイレにはちょっと自信があります。アパートに帰ったら、タンクの中をのぞいてみます」
ダンテは、一歩前進かと喜んでいる。
話は盛り上がったが、結局のところ、このメモが何を意味するのか、西藤さんの死と関連するのか、ダンテの秘密の答えなのか、何もわからなかった。
パスタを食べ終えたところで、お開きにする。
会計を終え、コートを着ながら、陽人が思い出す。
「そうそう、男性のひとり住まいにしては、似つかわしくないテディベアのぬいぐるみが転がっていました。『手でイクべあ』なんて、おっ、メモしておこう」
――退場である。
土曜日。ホラー映画を観ている有江に、ダンテからメールが入る。
「水洗トイレのタンクの中には、何もありませんでした」
いちいち報告しなくてもいいのにと思いながら、スマホを切った。
昼食に生めんのラーメンを作って食べていると、ダンテからメールが入る。
「静岡県立美術館の地獄の門は室内に展示されていて、それは荘厳なものでした。途中で見た富士山もきれいでした」山と門の写真が添付されている。
有江は、貯えを無駄づかいしないで欲しいなと思いながら「静岡県に行ったのですか!」と返信した。
夕食は何にしようか考えながら、本日二本めのホラー映画を観ていたら、メールが入る。
「神奈川県の山北町に来ています。酒匂川を散策しています」遠くに山が写る川辺の写真が添付されている。
「なぜ、神奈川県?」と返信した。
ホラー映画を観終わり、夕食はファーストフードでいいかと買い物に出掛けようと着替えていると、メールが入る。
「酒匂川には何もありませんでした。西藤さんのメモにあった『すいせん』のひとつ『酔仙』は酒造メーカーですが、岩手県陸前高田市でした」
有江には、なんのことか、さっぱりわからない。
それよりも「さいとう」さんは、「斉藤」「斎藤」「齋藤」さんではなく「西藤」さんだったことを有江は知った。




