第10話 事故物件の謎
主な登場人物
ダンテ・アリギエーリ
48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身
栃辺 有江
24歳 梶沢出版編集者
任廷戸 愛永
27歳 梶沢出版編集者、有江の先輩
下根田 陽人
26歳 駅前交番に勤務する巡査
西藤 隆史
36歳 職業不詳、ダンテが住む部屋の先の住民、亡くなっている
このところ、ダンテは、朝のうちベンチで執筆し、午前十時から有江と校閲をしては、お昼前には会社を出ていく日課となっている。
午後は、元の世界である十四世紀のイタリアに戻るための調べものをしているそうだ。
執筆した「神曲リノベーション・地獄篇」は、小説投稿サイトにダンテのアカウントを作り公開し始めたが、今のところ、閲覧数はまったく伸びていない。
今日のダンテは、朝一番に有江を呼び出した。
「波風荘の安さの秘密がわかりました」
隠していたわけじゃないと、有江は自分に言い聞かせる。
「一〇五号室は、心理的瑕疵物件だから安いのだそうです。去年の六月二日の晩、当時の住人だった西藤さんが遺体で見つかったと聞きました」
「不動産屋さんに聞いたのですか」
「いえ、下根田巡査です。彼が、お隣の山田さんの通報を受けて、一〇五号室を開けたそうです」
ダンテはまだ警官と仲良くしているのかと、有江は心配になる。
「その日、山田さんは残業して夜十時過ぎに帰宅しました。ちょうど自宅の鍵を開けようとしたとき、西藤さんの部屋から雷が落ちたような大きな音がしたので、爆発事故かと思い一一〇番したそうです。西藤さんの部屋は鍵が掛かっていたので、不動産会社を呼んで開けてもらったそうです。爆発した形跡はありませんでしたが、西藤さんは仰向けに倒れていて、既に亡くなっていました。結局、死因は解らずじまいだそうです。それに……」
「それに、なんです?」
「不動産会社の湊川社長によると、西藤隆史さんは、三十六歳の単身で一昨年の六月に入居したそうです。隣町の輸入雑貨商に勤務していると申込書には書かれていましたが、会社は実在するものの、西藤さんの所属はありませんでした。結局、身寄りもわからずじまいだそうです」
「住民票を調べれば、わかりませんか」
「西藤さんに関する記録は、何もありませんでした」
「謎の人物ですね」
「そうなのです。まだ、何かしらの秘密がありそうです。興味あります?」
「もちろん、ありますよ」
「今晩、下根田巡査と食事する約束なのですが、有江さんも一緒にいかがですか」
話には惹かれるが、ダンテをこれ以上、警官に近づけるのは危険だと感じる。どうにか約束を反故にさせなくてはと有江は思った……が。
「おもしろそうですね。私も混ぜてもらっていいですか」
いつからか、後ろに立っていた愛永が、話に乗ってきた。
午後六時、リストランテ・フィオーレ。
有江と愛永とダンテが待つ中、ドアが開きひとりの青年が入ってきた。百八〇センチメートルに届くかといった長身だ。白のスリーピングシャツにグレーのチノパンを合わせ、デニムジャケットの上にグリーンのモッズコートを羽織っている。帽子を脱いだ頭は、短髪にまとめている。
「はじめまして、下根田と申します。外は寒いですね」
下根田は、コートを脱ぎながらあいさつをする。
「ダンテさんから聞いているかと思うのですが、いつもは交番勤務をしている警察官です。階級は巡査です」
――結構、さわやか。
「はじめまして、梶沢出版に勤務する仁廷戸です。言いにくいので名前の『愛永』で呼んでください」
「同じく梶沢出版で編集をしている栃辺です。栃辺有江といいます。愛永さんと同じように名前の『有江』で構いません」
「ぼくも名前をお伝えしておきます。『陽人』下根田陽人です」
陽人は、空いている有江の隣の席に座った。
「私は、ダンテ。ダンテ・アリギエーリと申します」
誰も聞いていなかった。
全員が揃い、ダンテと愛永は赤ワインを、有江と陽人はグラスビールを注文する。料理はパスタを各々選んだ。
「ダンテさんと陽人さんが知り合ったきっかけは、なんだったのですか」
まずは、ふたりの関係を確かめたかった。
「ぼくが交番に詰めていたときに、ダンテさんがいきなり入ってきて『ここは、なんですか』と聞いてきたのです」
呆れて、ものも言えない。
「ダンテ先生、もの知らなさ過ぎですよ」
愛永は、笑いながら言った。
飲み物が運ばれ、乾杯する。
「下根田くんは、今は拳銃を持っていないのですか」
ダンテは、ワイングラスを回しながら興味津々に尋ねた。
「そんな物騒な、持っていませんよ。勤務を終えて交番を出るときには、厳重に保管しますから。今は、違う物しかぶら下げていません」
――アウトだ。
「ああ、それなら私も持っています」
――ダンテもアウトだ。
「私は、持っていませんね」
――愛永さん……
「さて、本日、下根田くんと食事することになったのも、私の部屋のことで、こちらの仁廷戸さんと有江さんもたいへん興味があると、差し支えない範囲でお話を聞きたいなと、そりゃあ、守秘義務とかあるでしょうが、私が住んでいる部屋のことですから……」
ダンテの歯切れが非常に悪い。
「ダンテ先生、口止めされていた話を、私たちに話しちゃったようですね。もちろん、私たちは口外しませんので、安心してください」
愛永は、すべてを察したようだ。
「ああ、そういうことなのですね。ダンテさんが女性を連れてくるから食事に行こうと、しつこく誘ってくるので、ぼくもおかしいとは思っていたんですよ」
「わたしたちをダシに、陽人さんから話を聞き出そうとしたのですね」
「まあ、そうと言えば、そうですね」
有江は、ダンテをにらんだ。
「下根田くんにこの店まで来てもらったのは、ここなら他の客が来ることもないので、話しやすいと思いまして」
マスターは、軽く首を振っている。
「話せることだけでも、聞かせてもらえませんか」
ダンテの本音が出た。
「身寄りのない故人の話なので、まあ、だいじょうぶだとは思いますが、ここだけの話にしてください。去年の夏前の話なので、記憶も曖昧な部分もあります」
陽人は、しぶしぶ話し始める。
「どこから話しましょうか」
「通報を受けてからの様子を、聞かせてください」
完全にダンテの興味によるようだ。
「通報を受けてアパートに向かい、ぼくが部屋に入ったときには、家具もなく、まったく生活感が感じられない部屋でした。あったのは、こたつとパソコンだけでした。冷蔵庫もありませんでしたよ」
「今の私と一緒ですね」
ダンテは、笑いながら言った。
「部屋に荒らされた形跡はなく、窓は内側から鍵が掛かっていました。西藤さんに外傷は認められず、突然死として扱われたのです。でも……」
陽人は、立ち上がりながら話を続ける。
「気になるのです。コピー用紙にメモが書いてあり、こたつの上に置いてあったのです」
陽人は、壁に掛けたモッズコートのポケットを探り、メモ帳を取り出した。
「いつもメモ帳を持ち歩くなんて、陽人巡査は警察官の鑑ですね」
愛永は、酔い始めている。
「巡回記録や下ネタを書き留めるため、持ち歩いています」
――やはり、アウトだ。




