表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンテが街にやってくる  作者: ことぶき神楽
現世・登場篇

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/52

第1話 ダンテは目の前に現れる

主な登場人物


 ダンテ・アリギエーリ

  48歳 1265年生、イタリア・フィレンチェ出身

 栃辺とちべ 有江ありえ

  24歳 都内出版社編集者


 人生の道半ばを過ぎ、正しき道を踏みはずした私が目を覚ましたとき、きらびやかな街の中にいた。


 空間が光った。


「危ない! いきなり出てこないでよ」

 駅に向かって商店街の通りを歩いていた有江ありえは、突然、目の前に現れた男を避けようとして、バランスを崩した。右にひねった身体からだは、前のめりになりながらも、辛うじてバランスを保つ。

 そのまま、転ばずに持ちこたえるかと思いきや、最後の一歩が側溝のグレーチングを踏み抜いた。右足のヒールが格子とがっちりかみ合う。

 前傾姿勢から一転、重心が後ろに移り、両肩を押さえつけられたように、有江は尻もちをついた。

 ヒールは、荷重に耐えられず、へし折れた。


 朝七時の路上に男が突然現れ、避けようとした女性が転んでも、誰も関心を向けることはない。人々は、狭い道を駅へと急いでいる。

 終日、歩行者専用のこの道は、飲食店や携帯ショップ、コスメ店が軒を連ねているが、朝早いこの時間帯は、朝食メニューを販売する牛丼チェーン店以外は、シャッターを降ろしていた。


 有江は、スカートの裾を直し、振り返る。

 男は、朱色の布をまとっていた。立ったまま、有江を見下ろしている。手を差し出して助けるわけでもなく、投げ出されたバッグを拾うでもない。

 身長は、一六〇センチメートル半ばくらいだろう。有江と同じ一五〇センチメートルの「昇龍飯店」の看板より、拳ひとつ高い。

 植物を巻きつけた朱色の頭巾から覗かせる顔は、ほりが深く、大きな鼻が目立っていた。


 有江は、パンプスを手に取る。

 かかとだった場所を持って、男の前に突き出す。

「あなた、そこにいなさいよ!」

 バッグを引き寄せ、スマホを取り出した。

 今年の初詣に、かじかむ手からスマホを落としている有江は、何事もなかった画面を見てほっとする。


「おはようございます、編集部の栃辺とちべです。部長お願いします」

 電話の保留中も、有江は男をにらみ続ける。

「部長、栃辺です。すみません、出勤途中に人とぶつかり、転んでしまって……ええ、怪我はありませんが、ヒールが折れて……午前中の会議は、わたしを飛ばして明日に……はい、申し訳ありません」


 有江は、都内の小さな出版社に勤めている。

 今日は編集会議があり、担当作家の新作出版を検討する予定になっていた。

 しかし、これでは会議に間に合いそうにない。編集部長に事情を説明し、明日に延期してもらう。


 有江は立ち上がり、男に告げる。

「警察を呼びます」

 スマホに手を掛けた。

 いかにも怪しげな男を相手に、一刻も早く第三者を入れたかった。

「そ、それは、困ります」

 男は狼狽ろうばいし、有江に近づき懇願し始める。

「どうか、許してください。フィレンチェに連れ戻されると、私は火炙ひあぶりにされてしまいます」


 男の言葉を理解するのに時間がかかった。

 フィレンチェ? 火炙り?


 男は、目の前に突然現れた。

 毎朝、グレーチングにまらないよう、集中して歩いている有江が、男の存在に気がつかないわけがない。

 男は、目の前に突然現れた。

 その男が、警察に捕まれば、フィレンツェに連れ戻され、火炙りにされると言っている。「フレンテ」の聞き間違いだろうか。


 男と一定の距離を保ちながら、いつでも助けを求められるよう、片手でスマホのロックを解除する。

 大きく息をつき、大声を出す準備も整えた。


「壊れた靴は弁償します。ですから、警察には突き出さないでください」


 身なりからして、朱色の男が疑わしいのは明らかだ。

 しかし、警察に「男が突然現れた」と説明して、信じてもらえるだろうか。そう有江が話さないにしても、男が「私は突然現れた」と話したとき、なんて答えたらよいのだろう。

 答えを出せず、通報できずにいた。


「お金ならあります」

 有江は、このときになって初めて、男が日本語で話していることに気がついた。

「あなた、誰なの?」

 許してもらえたと思ったのか、男は安堵した表情で答える。

「私は、ダンテ。ダンテ・アリギエーリと申します」


 有江も文学部卒の端くれ、イタリア・ルネッサンス初期のダンテ・アリギエーリくらいは知っている。

 自称ダンテは、コスプレのつもりなのか、服装を似せているが、顔つきはそれほど似ていない。鼻は大きめではあるが、ダンテの特徴とも言える「かぎ鼻」ほどではない。眉は八の字に下がり、目は垂れ気味、顔の輪郭は丸みを帯びている。肖像画や大理石像で見る凄みは、まったく感じられなかった。

 穏やかな顔立ちは、朱色の布をまとっていなければ、ダンテには見えないだろう。


「で、自称ダンテさん、弁償すると言ったわよね」

「もちろんです」

 自称ダンテは、ここに来る前にいくらかのお金を持って部屋を出たと話す。

「ここに、三リブラ九ソリデゥス六デナリあります」

 朱色の布から突き出された手には、布袋が握られている。袋の中には、金や銀に輝くボタン大の硬貨が入っていた。


「その三リブレなんとかというのが、お金ですか。ここは日本ですよ。そんな外国のお金は使えません」

「ここは『にほん』という国なのですか」

「そう、お日さまの本と書いて『日本』。あなた、自分のいる場所がどこか、わからないの?」

「私は……つい先ほどまで、ヴェローナにいました」

 ヴェローナは『ロミオとジュリエット』の舞台としても有名なイタリア北部の都市だ。


「つい先ほどって、瞬間移動してきたと言いたいわけ?」

「そのようです。昼食を食べ終え、シニョーリ広場に行こうと私が部屋を出たとき、雷鳴のような音が響き渡り、目の前が真っ暗になりました。気がついたときには、ここに立っていたのです」

 有江は、腕時計を見せ、今は朝の八時三分前であることを伝える。自称ダンテは、目を丸くして腕時計を見ている。

「そうですか……ということは、今日は五月三十日でもない?」

「今日は、二〇二四年一月二十四日です」

「わ、私が部屋を出た五月三十日は、一三一三年です……」

 自称ダンテは、混乱した様子で周囲を見回している。


 新手の詐欺なのだろうか。

「なぜ、日本語を話せるの?」

 有江は、この茶番を早く終わらせたかった。

「私に言われましても……」

 自称ダンテは、言葉に詰まっている。

「私か、あなたか、どちらかが実体のない霊魂や幻影なのかもしれません。意識下の会話なら、言語にとらわれることもないでしょう」

 自称ダンテは、答えを探すかのように、慎重に言葉を選んでいる。


「わたしの実体がないわけないのだから、あなたが霊魂か幻影ってことじゃない」

 有江の言葉に、自称ダンテは眉をひそめた。

 そもそも、朱色の布をまとった男が突然現れて、騒ぎにならないのもおかしな話だ。街の人々には、この男が見えていないのかもしれない。そう考えた方が辻褄は合う。


「落ち着いて話す必要がありますね」

 有江は、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


挿絵(By みてみん)

ヴェローナ・シニョーリ広場のダンテ像

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ