謁見
「政務を中断させてまでの用事とはいったいなんでしょうね」
夕刻、女王からの呼び出しを受けて、フェリア城内の長い廊下を足早に二人の王女が歩いていた。一人は軍服、もう一人は文官服を身にまとい、見ただけでは役人にしか思えないが、現女王の二人の妹たちであり、それぞれ国政の重要な地位にいる。
「姉さんのことだから、また突拍子もないことかもしれないね」
軍服の方―第二王女アンドロメダは苦笑して、過去の出来事を思い出した。
侍女長を驚かせたいので一緒にアイデアを出してほしいとか、遊びに来る隣国の姫を驚かせるためのなにかを開発したいとか言って、その度にこうして緊急の呼び出しがかかっている。姉は基本的にサプライズに生きがいを感じているし、母がそんな人だったため、懐かしく思いながら協力してはきたが⋯⋯毎回こんなことでは。
隣を歩く妹―第三王女アルテミスの方を見ると、同じことを思い出しているのか、困った表情が顔に貼りついている。
俯き気味だったアルテミスが、ふと顔を上げた。
「あ⋯⋯アテナが走ってきますよ、かなりの重要案件のようですね」
「アテナが? ふふ、これは大変だね」
目の前に迫った曲がり角から、メイド服の女が飛び出してきたのを上手く受け止めて、アンドロメダは冗談めいた声で言った。
彼女は侍女長のアテナ、仕事が早く物静かな性格の、普段あまり走らない人間だ。城の人間は慌てるアテナなどほとんど見たことがない。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「殿下⋯⋯アストライア様が大変なことに⋯⋯」
「姉さんが大変? どういうこと?」
「あの、とにかく早くいらしてください!」
説明している時間もないのか、アテナはアンドロメダの手を引いて急かすことしかできないようだった。
そして、部屋にたどりついた。
そこには、明らかに不機嫌な様子の女王と、対峙する満面の笑みの魔導軍長官レグルス、巻き添えを食らったのか女王の長い髪の毛でぐるぐるに縛られて顔面蒼白の少年、それを側で硬直して見つめている怯えた顔の少女、そしてその様子をにこやかに眺めている銀髪の女神が立っていたのである。
「大変だ⋯⋯」
アルテミスは思わず数歩後退りした。これは近づいてはいけないときの姉さんだ。本能がダメだと言っている。
それから、あの少年はきっと⋯⋯。
「女神さま、これはいったいどういう状況ですか?」
アルテミスは小声で女神に話しかけた。
女神は、その呼び名の通りこの世界の秩序そのものだ。言葉のひとつひとつからフェリアの創造と改変を繰り返している。フェリア城の秘密の隠し部屋に住んでいて、17、8歳ほどの少女の姿でもうずっと長い間生き続けているらしい。人々には、鈴の君と呼ばれ愛されている。
女神は愉快そうに笑いながら説明を始めた。
「レグルスがね、良い拾いものをしてきたの」
「拾いもの⋯⋯? あのふたりですか?」
「そうなの。十年前に行方不明になった御印の女の子と、予言通りのあちら側の男の子でね、喜ぶべきことでしょう?」
「はい。⋯⋯姉上は、どう、したのですか?」
一瞬、アルテミスは少年と目が合った。不思議そうにこちらを見るその蒼白な顔に何故か既視感を覚えたが、すぐに目を逸らした。
「それがね、男の子を制御装置なしで街に連れて行ってしまったようなの。それだけでなくて、集団で攻撃されていた御印ちゃんを助けるために魔法まで使わせてしまったみたい⋯⋯」
「それで怒っているのね⋯⋯。やり方が正しくないから」
「とりあえず順番として、御印ちゃんのこれからを決めないといけないんだけど⋯⋯」
「きっとレグルスが面倒見るんでしょうね、かなり懐いているようですから」
十年前に行方不明というと、ひとりしかいない。弱竹の姫⋯⋯。しかし彼女は、彼女に発現した能力は、傷の自然再生ではなかっただろうか。及び、それによる不死の肉体。なぜ腕が一本ないのか? 右腕の欠損以外の身体的特徴はすべて報告通り、魔力も御印」ならば一般的な強さ、魔法の匂いも御印特有の、花の芳香に似た香りだ。彼女が探していた御印の少女であることには違いない。考えられるのは、御印同士の同族狩りか、御印を憎む力の強い魔導士による凶行か⋯⋯。アルテミスは彼女の右腕の義肢に、なにかしらの不穏な匂いを感じ取った。
女神の説明の声の後ろで、ずっと無言の対峙が続いていた。刺さるような修羅場の空気が部屋に充満している。
「レグルス、市民の被害状況は?」
なんとかそれを緩和させようとアンドロメダは声をかけた。
「フェッカと合流したため、被害はゼロです。その様子ですと殿下のところへは情報がいかなかったようですね、よかった」
レグルスの方は意外にも余裕綽々といった様子で、アンドロメダに笑いかけた。
「軍部に漏れていたら殺されていたかもしれないよ? そこの子。予言のこと誰よりも知っている貴方ならそんな危険な賭けには出ないと思ったのに」
「だからこそ、街の知り合いから先に足元を固めようと思ったんですよ。まさかあんなところで魔法使われるとは思っていなかったので」
アンドロメダは髪の魔法を解いてやるように女王に促し、解放されてふらふらと座りこむ少年に歩み寄った。怯えている御印の少女が心配そうに少年の顔を覗き込んでいる。
「どうして報告を優先しなかったのかしらね、レグルス? あなた一人では自殺行為とわかったでしょう?」
女王はやはりとても怒っているようだった。彼女は十代で即位したこともあって、遠慮がちなところが心配されている。とはいえ正義感が人一倍強く、家臣を窘めるくらいのことはよくしていた。だが、こんなに怒気をはらんだ声色で責め立てることなど滅多にない。レグルスは意外に思いつつ、少し嬉しそうな顔をしていた。彼女が幼い頃から側にいたが、ちゃんと怒っているのを見たのは初めてだからだ。
「彼は何故自分がここに来てしまったのかわかっていなかったのです。そんな状態でお偉方に会って素直に受け入れてもらえるでしょうか?」
「それでも状況報告くらいは貴方だけでもできたでしょう?」
「はーい、ストップ。姉さん、可愛い女の子が怯えていますよ」
ここでやっとアンドロメダが止めに入った。
ぐったりした様子の少年と、怯えて硬直した少女のことは、それまで女王の視界に入っていなかったようだ。不本意そうな顔をしたが、すぐに頷いて数歩下がった。
レグルスも頭を下げ、少年の側に下がった。
「珠春、といったね。怖がらせてごめんね。こちらへおいで」
女神は少女のもとへ歩み寄って優しく微笑み、彼女の左手をとった。
王族や女神という存在は、フェリアの民にとっては太陽のようなものだ。どんなに育ちの悪いものでも、どんなに下層の人民であっても、その尊顔を見たことがないというものはいない。珠春も、人買いに拐かされてからは、奴隷のように酷い生活を強いられ、女神などとは無縁の人生を歩んできたが、この人が女神と呼ばれるひとなのだということは一瞬のうちに理解していた。
女神は人差し指の指輪にくちづけを落とした。
「制御装置をもらえたのね。大事になさい。
貴女はこれで自由に生きていけるのだけれど、これからどうしたいのか、もう決まっている?」
珠春は無言で首を縦に振った。
「教えてもらえるかしら」
子供に話しかけるように、もっともまだ珠春は13歳で、十分に子供だが、優しく穏やかに話しかける。
珠春は一瞬赤面して、なにかしらを女神に耳打ちした。
「⋯⋯わかったわ。
レグルス、しばらくこの子の面倒を見てあげてね。部屋はちゃんと与えるから」
「えっ⋯⋯、何故ですか」
「何故って、貴方の責任でしょう?」
女神は恐ろしいほど楽しそうに笑ってみせた。
アルテミスは後ろで見ていたにもかかわらず突き刺さるような寒気を感じた。少なからず女神も怒っていたのだろうか。レグルスのことだから、危険な手を使って少年の暴走を止めたりしたんじゃないだろうか、少女に影響が及ぶかもしれないことも考えずに⋯⋯、彼はそれをやりがちだ。
「それに、義肢の技士はこの街で貴方だけでしょ? それからね、彼女は薬師になりたいそうよ。弟子にしてあげなさい、これはわたしの命令ね」
「⋯⋯はい。謹んでお受け致します」
しぶしぶ、といった様子ではあったが、女神直々の勅令に背けるものなど、この国には存在しない。
その言葉で女神は満足そうに珠春の黒い髪を撫で、額にくちづけをおとした。珠春はこそばゆそうに身じろぎつつも、少し安心したような表情を浮かべている。
それは、身寄りのなかった少女への、生涯で最初の祝福だった。