弱竹のかぐや
珠春が印名をかぐやと答えると、レグルスとエルゲは何かを考えるように黙り込んだ。
彼女はずっと周りを警戒している。
フェッカも何か思うところがあるのか、考え込んでいた。
突然レグルスが口を開いた。
「やはり、と言ってよいものか、という感じですが⋯⋯かぐや姫というと、十年前に行方不明になってそれきりでしたね。もし本人なのだとしたら、僕達にとっては歓迎すべきことです」
「ああ、だが⋯⋯自己認識の歪みと右腕の欠損は報告にあがっていない。お前の見解はどうだ? フェッカ」
啓は横目で彼女の右腕を見た。欠損⋯⋯? そんなふうには見えないのだが。
ちょうど、その横に立っているフェッカと目が合って、口を動かして「義肢だ」と教えてくれた。
「痣は間違いなく御印特有のもので、報告どおりの桜の形だった。目の色も年齢も身体の細かい特徴も一致したし、本人であると言える」
フェッカは続けて
「それに、砂漠のバザーで人買いにさらわれて行方不明になったから、多少の変化は知る術もなかった。彼女自身も幼かったし」
と言った。レグルスとエルゲは満足そうに頷いて、なにか話し合い始めた。
珠春は俯いたまま居心地悪そうにもぞもぞと動いている。
「次はどこへ売られるのですか」
小さいけれど強い声に、その場は静まり返った。軍服の役人に囲まれてなお、また売られていくことを警戒している。哀れな少女だとエルゲは思った。
確かに御印は希少で、高値で売買されるが扱いが難しい。感情のままに魔法を使える彼らは、非魔導士にとっては恐怖でしかないはずだ。彼女の右腕を奪ったのはどんな⋯⋯
「君は国に買われたのですよ、かぐや姫」
レグルスの声に、エルゲは我に返った。幼い子供に話しかけるように優しく、しかし嫌だと言わせない強さをもってさらりと言い放った。
珠春はよくわからないような顔をして軽く頷いた。
「子供の拾い猫は親が面倒見るもんだ。長官殿」
「猫のほうが子供の世話焼いてくれますよ。
でもまあ、こうなるだろうとは思ってました」
レグルスはチラと啓を見遣るとタバコに火をつけた。
啓は苦い顔をしていた。人を助けたとはいえ、やり方がマズすぎる。二人の言葉の端々に『反省しろ』という意思が含まれているのが痛いほど感じられて、もうあんなことはするまいと、強く肝に銘じた。
ただ、自分でも何故あそこまで衝動的に行動してしまったのかまるで見当もつかない。
珠春は『国に買われた』という言葉にどんな裏があるのかを探るように目を伏せ、着せられた服の裾をいじっている。どのような経緯であのようなことになっていたのか、本当のことはわからない。それでも売られる先を聞いたということは、もう簡単に他人を信じることなど出来ないのだろう。居合わせた誰もがそんな彼女を哀れに思っていた。
「お嬢ちゃん、もう今更誰も自分に手を差し伸べることはないとか思ってただろ。そう思うなら一生そう思ってろ。悪いがお前には持って生まれた使命があって、過去のことなんか知らねえんだ。俺たちは決してあんたを悪く扱わない。だからもう一度、周りを信じてくれないか」
エルゲはそう言って彼女の左手の人差し指に指輪を通した。
そこで初めて珠春が顔を上げた。全てを疑った鋭い目をしていた。
「制御装置だ。もう今までのように不本意に魔法を使って誰かを傷つけることはない。ここから、あんたがどう振る舞うかで周りの反応なんか簡単に変わる。もっと自分を大切にして新しく生きていけばいい」
指輪を眺めている眼差しは年端もいかぬ普通の少女に変わりなく、なぜこんなことになっているのか、いちばんわからないのは彼女に違いない。
エルゲはレグルスに調整が済んだ啓の制御装置を渡した。
「これは他人が身につけさせないと意味がないんだ。変な慣習だがそれがいちばん具合が良くてな。特に師匠がつけてくれるのがいちばんいい」
レグルスは隣に座る少年の耳に、間違って痛がらないようにそっとつけてやった。即興とはいえ、投げつけてよく頭を貫通しなかったものだと思った。
「まだ師匠なんて決まってませんし、余計な肩書き増やさないでくださいよ」
「もう決まったようなもんだろ」
買い出しを再開し、三人で次に向かったのは日用品が揃う店だった。珠春はずっと俯いて服の裾をいじっていたが、それはいま着せられている服がフェッカの普段着であり、丈が短い仕様になっていたためだ。特に、ショートパンツから長く出た脚を気にかけているようで、ずっとご機嫌ななめだった。帰りに髪長さんのところへ寄って、いくらか仕立ててもらうことを提案し、なんとか機嫌をとり買い物を全て済ませる頃にはすっかり日が傾いていた。
彼女に気をとられ、日用品店の店主が『長靴をはいた猫』だったことにはなんの驚きもなかった。彼は人(猫?)のよさそうな笑顔で、ウサギが捕まる魔法の麻袋をやたらと勧めてきたのが多少うざったかった。珠春がボソッと指摘した、彼がベストの下に着ている花柄のファンシーなシャツに笑いを噛み殺して平常心を装った。普段の自分なら猫が話すことが受け入れられず笑うこともできないだろうに、いきすぎた空腹感は判断力を欠くというのは本当だったらしい。
気が付くと怪しげな店のテーブルでご飯をかきこんでいた。
「そんなにお腹空いてたんですか、リゲル君⋯⋯」
「起きてから、というか死んでからなにも食ってなかったんで」
着実に減っていく四杯目のどんぶりご飯を横目に、レグルスは財布の中身を数えた。多分大丈夫⋯⋯。
「珠春さんもよく食べますね⋯⋯」
珠春はレグルスが嘘をついていない、大丈夫な人だとわかってきたのか、彼の白衣をつかんで歩くくらいに慣れてきた。ご飯もはじめこそ『好きなだけ食べていい』と言われたのが覚えている限り初めてのことだと言い、あまり手をつけようとしなかったのだが、あまりの空腹感からか遠慮ができなくなっている啓の食べる姿に、我慢ができなくなったようだ。
とても無口なために少々心配になる。機嫌を悪くした妹と一緒にいるみたいだと啓は思った。
彼女もオムライスを二皿食べ終わろうかというところである。
「あらァ、レオじゃない。挨拶もないなんて冷たいわねェ」
特徴的なハスキーボイスに顔を上げると、レグルスの顔が一瞬こわばった。
「ジーナ⋯⋯ご無沙汰でしたね」
背が高くスレンダーで、少し垂れ気味の目尻が妖艶な、普段着のワンピースにエプロンという服装ではあるが、おおよそ夕方の定食屋にはいそうもない女性の登場に、啓と珠春は手を止めた。
「アナタ全然来てくれないじゃない? 寂しかったのよォ、あ、ほらタバコよ。お代はいつもの『アレ』でね」
『いつものアレ』で急に囁き声になってレグルスの頬から顎のラインを人差し指でなぞる仕草に、謎の寒気を感じて二人は顔を見合わせた。
ジーナと呼ばれたその人はレグルスの体にべたべた触り、猫なで声で話し続けている。レグルスが平然と相槌を打ち続けているのもちょっと気持ち悪い。珠春はその様子を瞬きもせずに見つめている。
啓は見えないふりをして三杯目のシーザーサラダに手をつけた。
ジーナはひととおりレグルスを触り終えると、三人にウインクを飛ばして店の奥に去っていった。
「⋯⋯あの人は?」
「アレはここの店主ですよ。アレもあちら側なので、本格的な現世料理を食べられるところとして来ましたが、やっぱりあんまり来たくなかったですね⋯⋯僕に現世のタバコを売ってくれる人です」
レグルスは溜息をついてタバコの箱をもてあそんだ。
「彼女さんですか?」
啓が言い終わるか終わらないかのところでレグルスが急に咳き込んだ。笑いながら噎せている。
「ゲホッ、いえアレは⋯⋯ゲホッゴホゴホ⋯⋯アレは⋯⋯」
といった調子で咳と笑いが止まらず苦しげに首を横に振って、なにか言おうとしているのだが全くわからない。
ようやく落ち着いて、コップの水を飲み干すと、やっと話せた。
「アレは男性なんですよ、フフッ⋯⋯彼女」
啓と珠春の手がまた止まったことはいうまでもない。
少し低めのハスキーボイスにちょっとした違和感を覚えたのはそういうことだったのだ。となると、『いつものアレ』はきっと二人が彼女(彼?)の声色から想像したようなスゴイことではなくて、なにかプレゼントのようなものなんだろう。
少なからずドキドキしたあの純情を返してほしいと二人は思った。
予定していた額よりかなり足がでたが、会計を済ませ、地下道を通って城に帰り着くともう夜中だった。珠春はもう眠くなってしまって、部屋に入るなり床で眠り込んでしまった。レグルスが抱き上げてベッドに移動させたが、この部屋にはベッドはひとつしかない。二人の存在はまだ機密事項であるため部屋を与えることもできない。
仕方なくレグルスが床、啓はソファで寝ることにして、各々横になった。
いろいろありすぎてお互いに頭が痛かったが、レグルスの頭痛の種は主に「『いつものアレ』として交わされるものが二人に知れてしまったら、なにを言われてしまうのか」ということで、実はあまりなにも心配していなかった。