御印
採寸は覚悟していたよりも早く終わった。
慣れた手つきで巻き尺をあて、黙々と寸法をメモしていく。本来の採寸って、こういう感じなのだろうなと思う。初めての印象が悪いとずっと印象が悪くなるのはなんだってそうだ。
髪長さんは普段着から制服まで幅広く扱っていて、城の高官たちの制服も依頼されて作るらしい。レグルス曰く、まともな服屋はフェリア城下ではここしか知らないらしく、大体の人々は布を買って自分で作るそうだ。現代のあちら側とは違って、量販という概念は定着しない。かといって不便かというとそういうわけでもない、ちょうどいいくらいの均衡をたもった産業体系らしい。人口も多すぎないし、それで十分にやっていけるのだという。魔法というツールがある世界だからなのだろうか。
「今着てる服はどうする? 血がついてるけど」
「あ、⋯⋯捨ててください」
どうせもうあの学園生活は送れない。俺は死んだ。
「じゃ、捨てるわ。間に合わせの服がちょうどあんたのサイズであるから持ってくるよ」
髪長さんが奥へ行ったので、着替える前にポケットを確認しようと思って、ズボンのポケットに手を突っ込むと。例の時計が入っていた。針は七時三十四分をさして止まっている。
「⋯⋯あれ?」
進んでいる⋯⋯? 針は止まっているが、前に見たときはもう少し“6”に近いところをさしていたような気がする。
「リゲル君、それは?」
「時計です。妹に渡すように預かったものなんですけど、渡せなかったんで⋯⋯」
レグルスに手渡すと興味深そうに眺め、文字盤よりも花が模られたアンティークシルバーの留め金をいじり始めた。
「なるほど⋯⋯こう外すんですね。かなり細かいデザインですね。手作りでしょうか?」
「そうです。妹の友人が⋯⋯というか、この時計なんですが⋯⋯」
「持ってきたわ⋯⋯、あら、十代の少年が持つには随分と愛らしいデザインだこと」
数枚の衣服を持って戻ってくるなり、時計に目をつけ、髪長さんは大袈裟に引き気味の声を出した。奥でなにかしら作業に励んでいたスピナーも出てきて律の時計を観察し始めた。
「あちら側の時計ですか、長官殿?」
「ええ、そうですね。
君が声をあげたのは、僅かながらに長針が動いていることに気付いたからでしょう。あちらとこちらでは時間の進みかたが違うのですよ。止まっているように感じて当然です」
どうやら時計は本当に動いていたようだ。時間の流れが違う二つの世界、とは、だんだんとおとぎの国が現実味を帯びてきている。この時計であちらとこちらが繋がっているように感じる。俺がいまここに持っているということは、律はこの時計を知らないままなんだろうか。美怜に怒られるだろうな⋯⋯って、そうだった。律には悪いことをした、図書室で渡しておけばよかったのに⋯⋯。
死なれた方は、どんな気持ちでいるかは知らないけど、いま時計の存在を思い出すと、急に怖くなってきた。寂しい? とは少し違う、暗闇に突き放されたような、不安感。あっちからは、俺が一人消えただけ。けれど俺は、なにもかも奪われて、よくわかんないとこにいる。幻かもしれない、長い夢かもしれない、俺やっぱ生きてんじゃねえのかな⋯⋯でも脇腹にはまだ傷の穴が開いている。指を入れて引っ掻き回したって痛くない傷穴、⋯⋯死んでいる肉体⋯⋯。
「まあ、持っていた方がいいんじゃない? 可愛いわよ」
いろいろと考えを巡らせながら自分の死を再確認していると、髪長さんに意地悪そうに笑いながら時計を返された。
「⋯⋯リゲル君、どうかしましたか」
なにもかも見え透いているぞ、という顔でレグルスが俺に微笑む。背中に冷や汗がじわりと浮いた。
初めて会った三十分前よりも明らかに伸びてきた髪の毛をめんどくさそうにかきあげて耳にかけると、髪長さんは持っていた服を広げた。
「少し緩めかもしれないけど、シャツと⋯⋯上着。あとズボンね。ベルトもいるわね。あと靴はちゃんと靴屋で手配させてもらうのよ、血だらけだから」
確かにスニーカーもジャージの中のシャツやスラックスと同じように血に汚れていた。刺される前に抱き起した人の血かもしれない、今更ながらゾッとした。なぜか俺は小さい頃から血が怖い。
促されるままに着替え、少し長かった袖を折った。ほんとうに緩い。背丈のわりにヒョロいのよ、とジロジロ着替えを見ながら髪長さんが言う。着るものはそんなに向こうとは変わらないみたいだった。レグルスなんか、ワイシャツにネクタイに汚れた白衣という完全にマッドサイエンティストみたいな出で立ちでいても違和感がない。髪長さんはワンピースみたいな服に長いストールを羽織って腰のところでベルトで固定してあるみたいな恰好をしているが、あっちで見てもなんとも思わなかったと思う。この、長いストールみたいなのはここの女性がよく上衣として着る服なのだという。ストールと違って前も後ろも長い。詳しくなかったのでうまく説明できない。あ、ポンチョ、ポンチョに似ている。名前を思い出せてよかった。
鏡の前に立つと、街中ですれ違った少年たちと同じような出で立ちの自分が立っている。本当のことなんだな、と、今日何度目かの言葉を呟いた。
「それは間に合わせの服だから気に入ったら引き取ってくれて構わないわよ。明日の夕方には渡せると思うわ。いちご大福忘れないでよ」
そう言って彼女は、請求書らしき紙に3200と書きつけるとレグルスに渡した。
レグルスは折りたたんで胸ポケットに仕舞うと、彼女になにか耳打ちして、カウンターの机を指先で三回叩いた。
髪長さんは無言で頷いて、机になにか指先で描いた。
啓はなにをしているのか気にはなったが、スピナーにお茶のお礼を言い終わると何も聞けないままレグルスに腕を引かれ、そのまま店を出た。
「それじゃ、次のところへ行きましょうか。少し歩きますがすぐにつきます」
かなり空腹感が増してふらふらと歩いている啓を横目に、レグルスは早足で歩いた。
「レグルスさん、お腹空いたんですが⋯⋯」
「我慢しなさい、さっきお茶を飲ませてもらったでしょう」
「俺は固形物が食べたいんです⋯⋯」
「⋯⋯石とか?」
にこやかに愉快なご冗談を飛ばしてくる長官どのに怒りを覚えて黙り込んだそのとき、通りから怒声が聞こえてきた。喧嘩のようだ。いや⋯⋯痩せた少女が人垣の真ん中で震えている。大人も子供も関係なく少女を攻撃しているように見える。
「なんですか? あれ⋯⋯」
「さあ⋯⋯なんでしょう⋯⋯、とりあえずいまは様子を見ましょう、下手に手出しはできません。そろそろ軍警がでしゃばってくると思うのですが⋯⋯」
人々は興奮状態で、なにを言っているのか聞き取れないが、少女に子供たちは石を投げつけているようだ。あちこちから汚い言葉が聞こえてくる。少女は長い黒髪を振り乱して地面にうずくまっている。彼女の足元には笛が一本。
「⋯⋯篠笛」
なんでそんなものがここに⋯⋯。
「危険な娘だ! 殺せ!」
「御印は野放しにするな! 縛り上げろ!!」
大人たちは口々に叫び、少女の周りの人垣は更に熱をあげて罵詈雑言を浴びせかけた。どうやら能力を抑えきれずになにかをやらかしてしまった『御印』の少女のようだ。
髪長さんの店でレグルスが話しにくそうに話してくれたあの様子がリフレインしている。スピナーの『ガキの頃に殺されなかっただけ⋯⋯』という言葉がいまになって腑に落ちる。あの会話の間、二人の脳裏にはこういう光景が広がっていたのかもしれない。俺には想像ができなかったはずだ。いじめや虐待なんていうものではない、いま少女を取り囲んでいる感情の多くは殺意だ。肌がそれを感じている。間違いなく殺される。よく見ろ、服だってぼろぼろじゃないか。髪もバサバサで、日常的にいじめられているんだろうことは容易に推察できる。この子がなにをしたっていうんだろう、人殺しだってこんな大勢に囲まれて石で打たれないのだろうに、
ああ、こんなに早く、遭遇してしまうなんて⋯⋯、
啓は思わず駆けだした。なにも聞こえないままに人々を掻き分けていくと投げられた石などが体のあちこちに当たった。感覚はあるが痛くはない、死にながら生きている身体はこういうとき便利だ。
「嫌な予感はしていましたが⋯⋯、次が終わってから面倒ごとに巻き込まれたかったですね」
と、レグルスも呟いて、啓を見失わないように追いかける。
啓が人垣の真ん中に出ると、人々は一瞬鎮まった。
少女の手をとると、左手の薬指の付け根に桜の花の形の痣が確認できた。彼女は啓の手を乱暴に振り払うと声を殺して泣きながら震えている。
「貴様も危険な魔女を擁護するのか!!」
誰かが叫び、石が飛んできて背中に当たった。
啓の中でなにかが外れたのと、それを察知して抑えようとレグルスが飛び出したのはほぼ同時だった。