音無しの森
森が深くなってきてだんだん霧が出てきた。それと同時に静けさが増していくのにも一行は気付き始めた。森の住民たちの攻撃魔法の弾幕フィールドを抜けて、ホッとしたのも束の間、不気味な静寂が覆いかぶさってきた。足音、衣擦れ、木々のざわめき、葉擦れの音……なにもかもが聞こえない。耳に蓋がされたようなのではなく、音が虚空に吸収されていく感じだ。たぶんいま声を出したところで誰の耳にも届かない。
リゲルは試しに珠春を呼んでみた。声帯の震えは空気を振動させず、音としては発されなかった。
そろそろみんな気付いているらしく、戸惑いの表情が見て取れる。使ったことはなかったが、誰かの脳内に直接話しかける魔法を使うべきだと思った。
『……聞こえるか?』
リゲルはなんとなくミストに話しかけてみた。ミストはこちらを向いてうんうんと大きく頷いた。
『同じことをできるか? たぶん呪文を詠唱しても森に吸収されて発動しない』
ミストは歩きながらしばらく考え込んでいたが、こめかみに指を当てて集中しはじめた。
『……リゲル、これであってるかな』
『大丈夫、聞こえる』
『よかった。……これが、エルゲ先生の言う、森の名前の由来なのかなあ』
『たぶん……音が無い森でおとなしの森か、随分安直だな』
『困るね~、これ』
ミストは心底困り果てたように笑った。こんな状況でも笑えるのがミストらしいと思った。
リゲルはそれから全員に話しかけて、全員と意思の疎通が図れるようになった。
『兄上』
珠春が固い声色でリゲルに呼びかけた。
『どうした?』
『サウンの気配が変だ』
バッとサウンの方を見た。サウンの表情はいつもより暗い。暗い……というよりも虚ろに見える。だが、なにかが変だ。なにかがいつものサウンではない。
『全員聞いてくれ、サウンの様子がおかしい。サウンと意思疎通がとれなくなった、なにもないといいんだが、念のため注意してほしい』
サウンを除く全員が霧の中で警戒態勢に入った。神殿があるという最深部にはまだ到達しないらしい。みんな先程の攻撃魔法の弾幕で疲弊しているので歩みは遅い。この音が使えない状況では、メイのガーランも使えない。ヒーリングしようにもできないでいる。
『どうやら精神攻撃を受けているらしいね、サウンは』
ピルクが分析した。それを証明するかのようにサウンのいる方から火の粉が飛んできた。サウンは火の魔法を好んで使う。火の粉、火の玉は見境なくいろいろな方角に飛ばされる。
『火を使われると俺にはどうにもできない、ミスト、なんとかなるか?』
リゲルはミストに確認する。
『いま考えてんだ、って!!!』
ミストは手のひらで虚空を撫でるようにして、水でできた壁を作り、サウンの火の玉を無力化した。水が蒸発していく煙が見えるのになんの音もしないのは不気味で仕方なかった。
サウンはまた、大柄で怪力である自分の肉体を駆使して、岩を持ち上げてこちらにぶん投げたりもした。それはとっさの魔法でどうにかするのはまだ難しいため、逃げ惑うしかない。
『正気を失ったんじゃないか?! あいつ!』
『先生が言ってたじゃないかよ、正気を失って戻ってくる奴もいるって!』
アルラとピルクが口々に言う。確かにエルゲは言っていた。気が狂ってしまった状態で戻ってくるか、最悪の場合、森の奥で消息を絶つ、と。このサウンの状態が、気狂いの状態なのであれば、どうにかできないか?
『メイ、なにか精神作用のあるヒーリングはないか?』
『うーん、あることにはあるけど、そんな高度な魔法を詠唱なしで使えるほど魔力残ってないよ!』
そうだった。彼らには魔力の限界がある。“あちら側”や御印と違って魔力は無尽蔵ではないのだ。無詠唱で魔法を使うことは普段より消耗することになる。そして神殿でどんなことがあるのか、帰りもあの弾幕を抜けなければならないのかと考えると、魔力は最低でも半分くらいは残してしたかった。
そうこう言っているうちにサウンの動きはどんどん人間離れしてきていた。猿のように木から木へと飛び移り、火炎を口から吹き出してくる。
『俺が行動を制限する……!』
アルラが懐から紐状のものを取り出し、サウンの方へ投げ、両手で印を結んで波動を放った。ドウッと衝撃があって、紐はサウンをしっかりと緊縛している。だが、彼はそれでもあらゆる関節を外して自由になろうとしているのが見える。みんな顔を顰める、メイが少し吐いた。そのくらいおぞましい気配に満ちている。
『なあ、アイツやばいぞ……』
ミストが全員に言った。どうする……? という意味を込めて。
サウンの指が腐葉土の地面を抉り、彼の顔からは獣のような表情が見て取れる。口は歯をむき出しにして、黄色い涎が地面に滴る。もうサウンであってサウンではなかった。関節を外してアルラの紐から自由になると、今度は関節をゴキゴキと戻しながら立ち上がる。
ミストは水の球を全力で投げつけたが、いつかのサウンのようにひょいと避けられ、近くの大木に穴が開いた。殺す勢いで攻撃しなければこちらがやられるのは必定だった。
瞬間、サウンは光のような速さでリゲルの前に現れ、腹に膝蹴りを入れた。リゲルは対応しきれず、まともに蹴りを喰らい、血を吐いて倒れた。その次の瞬間には珠春の方がものすごい速さでサウンの首筋に刃を当てたが、“仲間”という意識から攻撃できず、逡巡しているほんの少しの間に、眉間に拳を入れられ倒れた。
『……もうこいつはサウンじゃない』
誰もがそう思った。その間にも、ピルクとサウンの攻防が繰り広げられている。アルラとメイも応戦しているが、アルラは紐、メイはガーランという長物を持っているために、なかなか二人の間に入り込めない。
『ミスト、やれるか?』
ミストの脳内にリゲルの苦しげな声が響いた。なにを? というのは聞かなかった。きっと全員同じことを考えている。もうそれしか方法がない。自分達のためにも、アイツのためにも……。
『アルラ、もう一回アイツの動きを封じてくれ、一瞬でいい』
ミストは冷静にアルラに話しかけた。彼は静かに頷いて、紐を投げて印を結んだ。波動が放たれてサウンは木の幹に緊縛された。
これでいいのか? と考える自分もいたが、これでいいんだ、と無理に納得した。
「さよなら、サウン」
ミストの指先から圧縮された水でできた銃弾が放たれた。ミストの瞳に涙が光った。
水銃弾はサウンの眉間を貫き、その瞬間彼からは憑き物が落ちたように安らいだ顔になって、絶命した。
みんなの脳裏にはサウンとの思い出がかけめぐった。大柄で温厚そうなサウン。絶妙にズレた発言をするサウン。見た目に反して短気で静かに怒っていることの多かったサウン。リゲルに対し「ホームシックか?」と言い放ったこともあった。珠春に対し「魚嫌いだろ?」と決めつけていたこともあった。それでもどこか憎めない、愛すべき男だった。
「うっ……く……」
ミストは我慢できず号泣した。スクールに入ってからずっとライバルとして意識してきた男を、この手で撃ち殺した。その衝撃は予想もできないほど大きなものだった。慟哭は音にはならない。音にならないからこそ、大きな声を出して泣き崩れた。
メイとアルラとピルクは木からサウンの亡骸を降ろして埋葬の準備を進めた。
『これが……魔導軍の試験……』
サウンの首筋に触れて脈が取れないことを確認すると、メイはみんなに聞こえるように呟いた。
『俺たちが思うより、もっとずっと厳しいものだな』
『こんなふうにして、みんな死んでいくのかな……』
アルラは厳しい声音で、ピルクは不安そうに同調した。
『……もう、死なせないぞ』
リゲルが気を失った珠春を背負って彼らの後ろに立った。
『もう、……もう誰も死なせない』
リゲルも震えて涙していた。
全員でサウンを埋葬し、静かにまた西へ奥へ、一行は進みだした。




