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Saver Quest  作者: 長尾
現役の死人
2/27

白衣の男

「律ちゃん⋯⋯」


 律が報せを受けて病院に着いたのは六時半を少し過ぎた頃だった。兄が寝かせられているベッドの周りには母がいるだけで、他に誰も居なかった。


「⋯⋯お父さんは⋯⋯?」


「⋯⋯仕事が抜けられないんだって⋯⋯こんなときにまで仕事仕事って⋯⋯」


 母は兄の手を握り、俯いていた。


「仕事⋯⋯」



 言いたいことは言葉にならない。


 お父さんは別に来てくれなくていい、というより来ないで良かった。お兄ちゃんのことをよくわかるのは私だけだから。⋯⋯仕事を言い訳にいつも逃げる、酷い奴だ⋯⋯お母さんのことまで泣かせて。


 悔しい、いろいろなことが。


「律ちゃん、啓ちゃん頑張ってたんだよ。傷がね、肝臓まで達しててね、もうお母さんなにもできなかった⋯⋯」


「⋯⋯うん、⋯⋯⋯⋯」


 お兄ちゃんも酷い、そうやってみんな置いていくんだから。昔からだよね、お兄ちゃん。みんなのことなんてまるで考えてないでしょ。それで私たちが傷ついてたことも知りもしないでしょ。なんで刺されてんのバカ、さっきまで普通だったでしょ? 起きなよ。目を開けなよ。なにしてんの、なんで、なんで⋯⋯。


 気付いたら、手のひらに爪の痕がしっかり残るほど拳を固めていた。


「⋯⋯律ちゃん、制服のポケットからこんなのがでてきたの」


 少し血に汚れた、ビーズ製のブレスレットが渡された。時計がついている。


「これ、美怜先輩が作るって⋯⋯、」


「律ちゃんに渡すように言われてたのかもしれないね。こんな形で渡すのは啓ちゃんも不本意だったろうけど⋯⋯」


 時計は六時四十八分をさしている。秒針もしっかり動いていた。


「⋯⋯犯人は捕まったの?」


 母は力なく首を横に振った。



 悲しいよりも、悔しい。時計の血の汚れを指でなぞると、目から涙が溢れた。



  *  *   *



「⋯⋯⋯⋯」


 気が付くと、啓は寝かされていた。全く覚えがない。なぜこんなところに⋯⋯?


 起き上がろうとすると、身体が酷く重くて動けない。瞬きをしたり顔を動かしたりすることはできるのだがメガネがなければ何も見えないに等しい。


 ぼやけた視界で、白い天井を見つめる。




 確か、家に帰る途中だったはず⋯⋯。


 だんだん頭が冴えてきた。ベッドシーツの石鹸の香り以外に、嗅ぎなれない花のような匂い、窓が開いているのだろうか、風が入ってくる。音は、窓の外にあるのだろう植物の葉擦れの音以外はなにも聞こえず、しんとしている。


「⋯⋯病院⋯⋯かな⋯⋯」


 自分の発した声が予想以上に掠れてガサガサしているのを感じて、力なく目を閉じた。


 本当になにも覚えていない、ここで目を覚ます以前のことを⋯⋯参った⋯⋯。



 そのとき、足音がどこからか聞こえてきた。


 ドアを開けるような音がして近づいてくる。薄く目を開けて様子を伺っていると、ベッドの仕切りのカーテンを開けてこちらへ向かってきた。白っぽい服の、多分女の人が、顔を覗き込んでいる。


 と、思うと、ベッドの左隣に置いてあるらしい机の上になにか置き、メモを取り始めた。


「⋯⋯あの⋯⋯すみません」


 聞こえるか聞こえないかの掠れた声だったが、その人は傍から見てもわかるくらいにビクッと反応して動きを止めた。


「メガネ取ってもらっていいですか⋯⋯」


 やっと腕を動かして左手を出した。ついでに右肘を使って上半身を起こすと、本当に病院のようなところにいることがわかった。ベッドの右側は壁で、窓がついていてしかも開いている。左側には小さな机があって、その上に花瓶とコップに水が入って置かれている。女の人は花と水の交換に来たらしかった。頭側はまた壁で、足先の方と左側はライトイエローのカーテンで仕切られていた。


 女の人はメガネではなく、コップの水を渡して、優しい声で何かを言ってから、足早に去っていった。日本語でも英語でもなかったので聞き取れなかった。少し英語に似ていたかもしれない⋯⋯。


 とりあえず、とても喉が渇いていたことに気付いて、水を飲み干した。


 なんだか自分の知らない世界に来てしまったようで、ひどく不安になった。病院に運ばれたとしても、なぜ日本じゃないんだ⋯⋯。それともひどく英語訛りの強い日本語だったとか⋯⋯?


 机の上に自分のメガネが置かれているのを見つけたので、レンズを拭いてからかけた。視界ははっきりしたが⋯⋯ここはどこなのか、どういう経緯でここにいるのか、いま何時か、なぜ日本語が通じないのか⋯⋯全くわからないことばかりである。


 相変わらず身体は重く、喉が痛い。


 何気なく窓の外を見たが、それでもまた絶句した。


 少し先に赤いレンガ造りの塀が見えて、その前には花畑や大きな木やら、挙句の果てには小さな川が流れ、陽の光を反射してキラキラしていた。


「なんじゃこりゃ⋯⋯、」


 おとぎ話のような、といえばそれきりなのだが、とてものどかで、学校の近くの大きな図書館の横にあるでかい公園に似ている。でもそこではない、それはわかる。


「どこの病院に連れてこられたんだ⋯⋯」


 思わず額に手を当てて窓に背を向けた。



 机の上に、あの腕時計が置かれているのに気付いた。律に渡すように頼まれた時計。文字盤は七時三十二分を示して針が止まっている。律はどこだろう、病院なのだとしたら、誰か家族がいるのでは⋯⋯。



 そのとき、また足音が聞こえてきた。ドアが開いてこっちに来る。時計を机に置いて、前を向くとカーテンを開けて男が一人入ってきた。


 少しシワの寄った白衣を着たメガネの男で、煙草臭い。微笑みを浮かべて、ベッドの横にしゃがんで啓の顔の横に手をのばした。反射的に目を閉じると、耳の横でパチンと指が鳴った。


「調子はどうでしょう?」


 めちゃくちゃ外国人だと思っていた男は流暢な日本語で話しかけてきた。


「えっ⋯⋯と、日本の方ですか?」


 混乱が極まって冷や汗が出てきた。薬品臭いが、なんとなく医者ではなさそうだし、どことなく胡散臭い。


 男は変わらず微笑みを浮かべたまま立ち上がった。背が高い。


「いいえ、しかし関係のないことです。来なさい、君は二日も眠っていていろいろと滞っているから⋯⋯、あー、身体はまだ重いですよね? アテナさん、この子にあの水を持ってきてください」


 カーテンの外の女の人に水を頼むと、どこからか椅子を持ってきて座った。


「二日も⋯⋯寝ていた?」


「ええ、皆そんなものですよ。君の名前は?」


「⋯⋯真宮⋯⋯です」


 なんとなく全部言わない方がいいような気がして苗字だけを言った。すると彼は笑った。


「いい心得ですよ、聞かれても名前だけは言わない。いいでしょう、聞いたものの、ぼくには君の名前を知っていても利益はありませんからね。

 もう誰に聞かれても名前を答えてはいけません。理由は後で言いましょう」


 しばらく啓を見つめて考えるような仕草をすると、何かに気付いたように眉を上げた。


「そうですね、本名で呼ぶと厄介なことが起こりかねません。私がひとつ名前を差し上げますから、それを名乗るようにしてください。いまから君の名前はリゲルです。いいですね?」


「⋯⋯リゲル⋯⋯。⋯⋯偽名が必要な施設に俺は、⋯⋯どこなんですここ、帰れますか? 家に連絡は?」


 うまく言葉がつげないが、不思議に思っていることならたくさんありすぎるほどなので、矢継ぎ早に、噛みつくように不安を浴びせかけるのを、白衣の男は、口に人差し指を立てて、緩く微笑んで制した。


「それもまた後で答えましょう。今の君では、質問に答えても理解しないでしょうから」


 どういう意味か全くわからなかったが、とりあえず名前を言わなかったことは正解らしかった。


「でもひとつだけ⋯⋯貴方は、誰なんですか?」


「⋯⋯私はレグルスと呼ばれています。役職は⋯⋯そうですね、ここの人たちの相談役をしている科学者、ですかね。科学者です。うん。

 ⋯⋯⋯⋯、あ、ほら、この水をさっさと飲んで、説明しなきゃいけないことがたくさんあるんですよ!」


 レグルスは運ばれてきた水を啓に差し出した。


「もう⋯⋯帰りたい⋯⋯」


「いいから早く飲みなさい」


 強い調子で言われるので仕方なく飲んだ。


「⋯⋯! ⋯⋯ゴホッ、ゲホゲホ⋯⋯これは⋯⋯ゲホッ⋯⋯なんですかこれ⋯⋯」


 レグルスは愉快そうに笑いながら啓の背中をさすった。


 思っていたよりも甘いというか苦いというか、何が混ざっているか予測できない微妙な味で、小児科で出されるシロップ薬に似たような不味さがあってむせてしまった。


 背中をさすられつつなんとか飲み干すと、身体が軽くなったような気がした。


「それは薬湯を冷ましたものです、配合は企業秘密ですが、相変わらずよく効くようですね。さあ立って、場所を移動しましょう。歩けますね?」


 ベッドから起き上がるとどうやら鞄の中にあったジャージに着替えさせてくれていたようで、上だけジャージになっていた。靴は自分が履いていたものが揃えて置かれていた。あの腕時計をポケットに入れてカーテンの外に出た。


 部屋の中はなんだか学校の保健室のようになっていて、唯一変わったところは壁がほとんど棚になっていて、植物や、よくわからない液体がズラリと並べられていた。


 水を運んできてくれた、アテナと呼ばれた女の人が机でなにか書き物をしている。近世ヨーロッパのメイドのような服装だ。よくわからないな、ここは⋯⋯。名前だって、星の名前からとったり、ギリシャ神話からとったり、よくわからない。



 レグルスに促されて部屋を出ると、白い廊下に出た。金色の蔦模様が描かれていて、壁も同じ装飾が施されている。まるでどこかのお城のような⋯⋯。奇妙なことに、照明の類いや窓がひとつもないのに、とても明るい。


 しばらく歩くと突き当りの部屋についた。


「早くお入りなさい、ここが私の部屋です。聞かれては困ることもあるので、ここでいろいろと説明しましょう」


「⋯⋯お邪魔します」


 部屋は、乱れていた。ストレートに言うと、汚かった。


 壁のほとんどのスペースが本棚になっていて、ぎっしり本が詰まり、足元には丸められた紙屑が散乱している。机の上は本と書類で天板が見えていなかった。


 それから、灰皿がえげつなかった。吸い殻“入れ”というより、刺さっていた。吸い殻“差し”である。捨てろよ。


「どうぞ、その辺の椅子に座ってください」


 窓のカーテンを開け、その前の本の山をバサバサやっていたかと思うと、本の下からソファが出てきた。


 啓は思わず額に手をやった。こんな状況でなければ片付けたい。自慢ではないが自分の部屋は殺風景なほどに片付いていて、友人にも片付け魔と呼ばれていた。こんなに広く、収納スペースもあるのに⋯⋯もったいない⋯⋯。そう思っていた。


 レグルスが申し訳程度に机を整理し(というよりも、書類を机にバサバサと落とし)、ソファに腰掛けるのを見て、啓は口を開いた。


「それで、ここはどこなんですか?」


「ええ、ここは君の知り得る世界ではないんです。おかしいと思ったでしょう、言葉が通じなかったこと、偽名を使うことを強要されたこと⋯⋯。外国と考えればあり得るかもしれませんが、現に私は君の言語を喋っているし、君はパスポートを持ち歩いていなかった」


「⋯⋯異世界⋯⋯とか?」


 この間そんな本を読んだなあ、とか思いながら冗談のつもりで言ったが、レグルスが嬉しそうに指を鳴らした。


「そうですね。近いです。ここは、本の中に偶然できてしまった世界です。おとぎの世界、と表現されるのですが、同時に一部の人間にとっての死後の世界です。残念ながら、ここにきてしまっては、二度と帰れないのですよ。リゲル君」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯いや、え?」


 死なないと来られない? っていうことだろう? 俺が死んだ? いつ?


 ⋯⋯いやいやいやいや、嘘だろ⋯⋯。


「本当のことです」


 まるで考えを見透かしたようにレグルスが笑う。なんだこいつ。


「⋯⋯えっと、つまり、俺は死んで、そしたら偶然にも本の中に来てしまった。俺はずっとここの住人。という?」


「そうなりますね」


 そうなりますね、じゃねえよ⋯⋯。足組んでタバコなんか吸いやがって⋯⋯、情報整理しただけで理解してないからな⋯⋯。


「疑うのであれば、その目で御覧になったらどうですか? 外部からこの世界に来てしまった人間には、死んだ際の致命傷というか、傷を負った部位に印が出るんです。傷を負わなかったり、バラバラの即死だったりすると、胸に印が出るようになってるみたいですね。僕はよく見ないと見えないんですけど、首の周りにぐるっと、わかりますか?

 どうやら自殺みたいですね、ハハッ」


 確かに首の周りに薄く痣のように紐状の痕があった。笑いながら云うことではないんだが。


「ん? どうやら、っていうのは?」


「ああ、ここに飛ばされる条件として『運命(さだめ)の狂い』っていうのがあるんですが、僕はどうやら自殺をしてまでこの世界に介入したらしくて、生前の記憶が全く残っていないんですよね。呪いまでもらっちゃってホントに最悪っていうか⋯⋯」


 やはり薄く笑いながら話している⋯⋯。こちらとしては全く笑えないが。


「それで、君は右の脇腹にありましたね。まだ新しいので、穴でも開いてるんじゃないですかね」


 啓はレグルスの方を向いていられなかった、自分がここにいる事実が現実味を帯びてくるのを認めたくない。


「覚えていませんか、刺されて死んだこと」


 急に空気が緊張して寒気がした。そんなことが⋯⋯。


 無意識に脇腹を押さえた。目の前が暗くなっていって、遠くで悲鳴が聞こえる。血が広がる⋯⋯?



「他に」


 大きな声がして、引き戻された。息が苦しい。


 確かに自分は⋯⋯。


「他に質問は?」


「⋯⋯なぜ、俺と日本語で話せるのですか」


 タバコを灰皿に差して、レグルスは薄く笑った。


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