魔法の香
「では、危険な書物とそうでないものの見分け方はありますか?」
女生徒の質問に、アルテミスは曖昧に微笑んだ。
「諸君は魔法に匂いがあることを知っているでしょう。生き書物は魔法の塊のようなもの。すなわち、匂いを嗅げば大抵のことはわかります」
珠春は思わず吹き出しそうになった、ここの魔導士連中は本の匂いを嗅いでから開くのか? なんと間抜けなことだろうか。
「もちろん、練度が高くなれば匂いを嗅がずとも、触るだけでわかりますよ」
アルテミスがこちらを見た。目が合ってドキリとする。
「諸君も学習院の図書室で触ってみるとよいでしょう。なにか得られるはずです」
にわかに、ピルクがそわそわし始めた。時計を見遣ると、終業の時間が近い。メイがまた大きなあくびをした。
「年に数回にわけて生き書物の話をいたしますが、今回は入門編です。
そろそろ終業の時間ということもあってそわそわしている生徒が見受けられますが、最後の一分にわたくしがなにか重要なことを言うかもしれませんよ。まあ今回は言いませんけれど。
さて、他に質問のある者は?」
アルテミスは講堂内を見まわした。誰もいないようである。
「次回の特別講義では生き書物を使用し、生き書物の読み方をお教えします。魔導士コース、魔導軍コースの生徒はできる限り出るように。では、」
ここで鐘が鳴った。と同時にリゲルが机に突っ伏した。
「兄上」
「ねむい……」
「居眠りのひとつでもかましてやればよかったものを」
と珠春が言うと、
「俺にそんなことはできないよ」
とリゲルはあくび混じりに返事した。
「だいたい、兄上は真面目すぎるのだ。おれが兄上なら王女の胸倉を引っ掴むぞ」
「そんなことしたら首が飛ぶかもしれないだろ……」
そこにミストが口を挟んだ。
「不敬罪で首が無くなったやつはいないよ。胸倉掴むくらいならちょっと怒られるってもんじゃない?」
「ミストまで……あのさ、ふたりは忘れてるよ」
「なにを」
「あの人が女の子だってことを」
ミストと珠春は顔を見合わせて笑った。
「王女さまはリゲルのこと男だなんておもってないぜ」
「わ、ばか、そういう意味じゃない」
リゲルは一気に赤くなった。
「なーに盛り上がってんの?」
ピルクが帰りたそうに立っている。メイはお腹が空いたのか、お腹を押さえ、アルラはメモ帳に目を通し、なにやら頷いてこちらに目を向けた。サウンは……寝ている。
「早く帰ってご飯にしよ」
「リゲル、午後は俺たちが出るものはひとつもない、帰ってゆっくり寝たらいい」
アルラが言った。
「それほんと?」
サウンが伸びをしながら尋ねた。
「本当だけど、俺たちは理事長先生が課した課題をやらなくちゃな」
「俺、半分以上寝てた、課題ってなに?」
「サウンのばーか、早く帰ろうぜ」
ミストがサウンをおちょくるので、リゲルの脳裏には、あの肋骨を折った日のことが蘇った。顔面蒼白になって、
「ミスト、サウン、ほんとに喧嘩だけはしないで……早く帰ろう」
と告げて足早に席を立った。当のふたりはなんのことかわからないようで、ポカンとして、慌ててリゲルのあとを追った。
* * *
「さて、ご飯簡単なものになっちゃってごめんね! 食べましょう」
今日のお昼はガーリックトーストとサラダと卵のコンソメスープだった。ピルクお手製のガーリックペーストの香りが食欲をそそる。
「いただきます」
「めしあがれ」
ピルクがにこにこしているのはいつものことだけれど、ご飯どきは特ににこにこしている。メイもご飯のときがいちばん機嫌がいい。食べるのが好きだからだろう。
「ところで、今日はこれで解散しようと思ってるけど、ひとつだけリゲルと珠春に聞いておきたくて。ふたりには、生き書物はどう見えてるの?」
アルラが興味深そうにメモを取り出して質問した。
「どうして俺たちに?」
「リゲルは『あちら側』だからなにか違う見え方してるのかなって。珠春は、君は、なんなんだい? 君まで『あちら側』なわけないだろう。……そろそろ教えてくれないか、なぜリゲルを兄と慕うのか」
珠春はリゲルを見た。リゲルは難しい顔で首を横に振る。
「……おれは、御印だ」
「珠春!」
全員が珠春を見る。珠春は左手の手袋を外した。
「手の甲にあるだろう、桜の形の印が。おれの名は『弱竹のかぐや』。行方不明だった御印だ。生まれは白宮。能力は不死、再生。見たいか?」
リゲルだけがぶんぶんと首を横に振っている。珠春はにやりと笑ってナイフを持ち、立ち上がった。
「食事中にこんなものを見せるのはおじいさまに、はしたないと怒られるが……」
と言いつつも、躊躇うことなく刃を左腕に突き刺した。
舞う血飛沫に、水を打ったように静まり返る五芒星たち。言わんこっちゃない……とリゲルが首を振る。
「見ていろ、おれが見せたかったのは衝撃的な自傷行為ではない。ここからだっ!」
珠春が拳を固めてぐっと集中すると、左腕は生き物のように傷を閉じていく。20秒後には、そこになにもなかったかのような、なめらかな肌になっていた。
「知ってたのか、リゲル」
珠春が血を拭うのに精を出している間、リゲルは質問攻めに遭った。
「当たり前だ」
「じゃあこれ、この、これ、見たのは」
「二回目だ、できれば二度とみたくなかった……」
「まって……この能力あるのになんで義肢なの?」
メイが珍しく鋭い。
「それは……」
「呪われたんだ、腕を切られたときに。奴の顔はよく覚えている」
「珠春、いいのか」
「兄上、言っただろう、人を見る目はあるんだ。おれが話しているんだから、この人たちは信用に値する」
珠春は綺麗にしたナイフをことりと机に置くと、座ってみんなを見た。
「リゲルを兄とする理由は、それだけは言えない。ただおれたちの顔はちょっと似ているから、フェリアで暮らしていくにはちょうどいいんだ」
「なるほどな……義兄弟の契りってやつか」
「あと、俺たちはレグルスさんの兄弟弟子なんだ」
リゲルが補足すると、メイが反応する。
「前から思ってたけど、……長官とどんな会話するの?」
メイの瞳はきらきらだ。
「日常会話だよ……」
「長官も日常会話するんだ……」
「当たり前だろ」
すかさずミストが突っ込んだ。場に笑いが戻る。
「で、生き書物は?」
アルラが話を戻した。
「王女は触ると云々と言っていたが、おれは見ただけでわかる。彼らは呼吸をしている。危ない奴は息が荒い。それだけだ」
珠春がすらすらと答えるので、リゲルは多少困惑した。生き書物なんてあの夜に読まされまくっただけで、自分から触っていない。なんて答えればいい。
「リゲルは?」
「え、えっと……ああ、磁石みたいに吸い寄せられたような……」
「磁石か……」
「いや、その表現が適切かはわからない。レグルスさんの部屋で、本を読もうと思ったら、取っても取っても生き書物だったんだ、思い返すと、吸い寄せられてたのかもなーって」
「長官の部屋生き書物だらけなの?!」
メイとピルクが同時に反応した。リゲルは、純粋な憧れに水を差したくないので、その『長官の部屋』がどれほど乱れているかは話さなかった。
「いやしかし驚いたな、珠春が御印だったなんて」
「魔法の匂いがわかるようになっていたら一発でわかったのにな……」
サウンとアルラがこころもち悔しそうにしているのを見て珠春は笑った。
「魔法の匂いは練度が伴えば嫌というほどわかるものだから、焦ることはない。な、兄上」
「あ、ああ」
「なんだ、リゲルはわかるのか。正直、御印の人たちの魔法ってどんな匂いがすんの? 花の香って言ってもいろいろあるからさ」
ミストが尋ねると、また答えにくそうにリゲルが答えた。
「どんな匂い、って、説明できるものかな……強いて言えば、俺ん家で使ってたシャンプーの匂いなんだけど……」
「そりゃわかんねえや」
みんなが笑ってくれたのでほっとしたが、シャンプーの香なのは本当だった。ちなみに自分の魔法はお寺の匂いがする。




