特別講義
『明日、理事長先生の特別講義あるんだけど、出るよな?』
耳の奥にミストの声が蘇って、暗闇の中で目を開いた。隣にレグルスが寝ている。狭い。
彼女の特別講義が年に数回あることは事前に知ってはいたが、いざとなると行きたいけれども行きたくない。彼女はリゲルを見つける度に毎回近寄ってきて構い倒して去っていく。単刀直入に言えば面倒なので会いたくない。第三王女である彼女に目をかけてもらえることは、普通ならば身に余る光栄なはずだ。そこは弁えている。
無意識に大きなため息をついてしまったようで、隣でうつ伏せになって枕を抱き締めているレグルスの目が開いた。
「……考え事ですか」
「……悩み事ですね」
「青年期の悩みは大人になる上で必要なものです、納得のいくまで悩むほうがいい……」
レグルスはあくびを噛み殺しながら、リゲルの頭を撫でた。初めの頃はリゲルはこういうスキンシップを嫌がったものだが、わりと頻繁に同じベッドに二人で寝ている状態なので、もう諦めがついたらしく、すっかり甘んじて受けている。
「そうは言っても、いや……はい、」
リゲルはアルテミスは面倒なので会いたくない、と思っていることを師匠であるレグルスには告げていない。真剣に嫌がっているものを揶揄うような人ではないからそこは安心だけれど、王女をつかまえて一介の魔導士見習いが“面倒”などと言うのは言語道断、絶対に怒られてしまう。
それを見抜いているのか、本当に知らないのか、レグルスは意味深に微笑むだけで話を終わらせる。
追及されないのはありがたいが、話してしまおうか、という気分にさせられるので少し困る。
彼に背中を向けるようにして寝返りを打った。
「そういえば……背中の傷は治ったんですか」
「ああ……知ってたんですか」
レグルスには報告していないことはたくさんある。話さなくていいことと、話したくないこと。あの件に関しては、フェッカに言わせればリゲルの落ち度でしかないわけだから、“話さなくていいこと”に入る話なので、話さなかった。
「まあ一緒に暮らしてますからね……着替えるときとか、寝ているときとか」
「どういう傷なのか知ってるんですか」
「魔法由来のものではない、が……君が魔法を使ったときにつけられた傷。というところまでしかわかりませんよ。ただ、痛そうだなと思いまして、」
レグルスはまた見透かしたような顔で微笑んでいることだろう。彼の指が背中をなぞった。こそばゆい。逃げるようにして仰向けになると、レグルスと目が合った。やはり薄く笑んでいる。
「……そこまでわかってたらもう改めて報告することはないです」
「死んでるのに傷が治るなんて不思議な話ですがね。そろそろ君の身体がこちらに馴染み始めたんですね、よかったじゃないですか」
彼は喋りながらまた大きなあくびをして、そのまま黙り込んでしまったので、会話は終わってしまった。
* * *
珠春は一瞬で義兄の寝不足を察知した。
「兄上、眠そうだな」
いつもよりクマが酷い上に寝癖がついている。かろうじて服はちゃんとしているが、目が充血していて、纏う気になんとなく凄みがある。
「辛そうだねリゲル、ちょちょ~っと治してあげようか?」
いつもよりご機嫌なメイがガーランを引き抜いて、少し俗っぽい曲を爪弾いて歌った。
「ほら、女の子がそんな歌を歌うもんじゃない」
アルラが顔を顰める。珠春にはその記憶がないが“おとうさん”のような人だなと、アルラに対して思っている。
確かにメイの歌う詞は少し下品なものだったが、楽しそうだ。リゲルは少し笑って、治す気はあるならちゃんとやってくれ、とメイに告げた。
「寝なかったのか?」
「……眠れなかったんだ」
ミストは、ああ……という顔をしてリゲルに飲み物を手渡した。リゲルが理事長先生に対してどのような思いでいるのかを、珠春とミストだけは知っている。実際に絡まれているのを二人は目撃している。リゲルの心中を重々察しているつもりだ。
「なんだ、ホームシックか?」
サウンがまた絶妙に無神経な発言をする。
「そうだとしたら遅すぎでしょ、何ヵ月経ったと思ってんの」
食器洗いを終えたピルクが笑い飛ばした。
「けど僕も緊張する~、いっぱい人が来る講義久しぶりすぎて休みたい……」
「ほらほらみんなシャキッとする、行きますよー」
ミストが子供に聞かせるように号令をかけたので、リゲルとピルクは大儀そうに立ち上がった。
講義棟は思っていたより混みあっていた。制服のケープの裾がすれ違う人たちとどうしても触れ合ってしまう。珠春は背が低い方だから、注意してついていかないと置いて行かれそうになる。
なんとなくキャラバン隊にいたときのことを思い出してしまう。砂漠のバザーは砂嵐の時期以外はいつもこんなふうに混んでいて、気をつけて歩かないと、金品はすっかりすられてしまう。もっとも、キャラバンの楽士をしていたころは、装飾品など自分では持てず、踊り子の横で笛を吹くときにちょっと飾られるくらいなもので、さらに言えばこちらが“ちょっと失敬”する側だった。生きていくために必要だったからやっていただけで、いまはしようという気にもならないけど、人一倍正義感の強い義兄がこれを知ったら、何を思うのだろう。とても打ち明ける気にはなれない。
延々とその当時の嫌なことを思い出してしまいそうで、人混みは好きになれない、今日の講義は特別だから、終わるまではこの混雑の中か、と思うとうんざりだった。
受けた方がいい、と言われるのでこの講堂までみんなについてきたものの、題目は『魔導書学~生き書物との付き合い方~』である。珠春からすればどうでもいい話だった。自分は薬師になりたいのであって、女神がそう願うから有翼の五芒星をこうして掲げている。それについては、魔導士免許は必要だし、ある程度の戦闘力は身につけておいたほうが有益であろうから、納得している。けれど、生き書物……育ててくれたおじい様の家にはそんなものはなかった。ということは、生き書物と付き合わずとも薬師にはなれるということである。不要な勉学をしたいと思うほど勉強が好きなわけではない。
「そんな顔すんなよ珠春……本に喰われると大変なんだぞ」
そんな珠春の気持ちを察したのか、ミストが笑いかけた。
「本に喰われる人がいるのか」
「生き書物は怖いぜ、おれの親父は本に喰われて小指がなくなった」
「……はー、なるほど」
それ以上の反応はできなかった。別に小指が無くなっても生やせるわけだから、あまり怖さがわからない。そのことは学習院の人間には話していないから一応怖がったふうに顔を強張らせておく。普通に考えれば片腕が義肢の人間に小指が無くなった程度の話をしたところでそこまで怖さが伝わらなそうなものだが、ミストは大真面目だった。とはいえ、指や腕を失くしたことがないのが当たり前であるわけだから、周りの人たちにとってはとてつもなく恐ろしいのだろう。
そうこうするうちに、講義が始まった。珠春たちは、階段状の講堂のいちばん後ろの真ん中辺りに辛うじて座ることができた。遠い上にこんなに人がいては、絡まれることもなかろうというミストの計らいでもある。
「魔導書というのは、我々が魔法を使う上で、大事な智慧を授けてくれる尊ぶべき魔導具のひとつです。この書物らの扱いで最も気を遣うところが“彼らに気に入られること”です」
そういえば、砂漠のバザーを歩き回っていた頃は、生き書物との付き合いも多くあった。世界中の怪しげなモノが集められる場所なのだ。そんなものは金属製のカップと同じくらい、魔導具屋をうたう店であればどこにでも売っていた。『魔法が使えるから』という理由だけで預けられたりしたこともある。その当時は幼かったし、本当に生きているとは思わないし、まだ識字ができなかったので、開く気にもならなかったが。
おじい様に拾われ、王都フェリアに来てからは、そうそう『生き書物』に出会うことはないのだということを学んだ。それどころか、通常であれば魔法に触れる機会もそうそうない。砂漠が特殊すぎたのだ。
「そこらに出回っている書籍との決定的な違いは、意思を持つモノであるということです。例えば、とある封印学の書物は、悪用されることを警戒し、悪しき心の者には文字を読ませず、開くことさえできないほど表紙が重くなることで有名です。君たちの中にも知っている者があるかもしれませんね。
また、単純に『その本の智識を必要としない者には智慧を授けない』という基本性格を持つことも知られています。やはり書物によって性格は微妙に違いがありますから、噛みグセのある書物、だらしなく開いてしまう書物、誰にも開けない書物、存在しない文字を表示して持ち主を惑わす書物などが報告に上がってきています。
ここまで何か質問のある者は?」
リゲルに絡んでくる第三王女の面差しくらいしか、最近は認識していなかったので、ちゃんと講義しているので変な感じがする。年齢よりも堂々として見え……というか、彼女はまだ十代で教師として教壇に立ち、理事長まで勤め上げる天才児なのだ。普段見る顔が異常なのだ。
ちらと義兄の様子を見遣ると怠そうではあるがしっかり話を聞いていた。やはり真面目だ。辛いなら寝てしまえば良いものを。
「先生、では、危険な書物とそうでないものの見分け方はありますか?」
女生徒のひとりが手を挙げて質問した。そんなの見ればわかるだろうに、一般の魔導士はそんな感覚すらないのか。ほとんど盲じゃないか、と珠春は少し腹の中で軽蔑した。真面目ぶった馬鹿がわりと嫌いだった。こういう講義でわざとらしく質問する生徒などはそういう匂いがする。横でメイが大きなあくびをした。




