料理当番
もう二度とやらないと決めたはずなのに、またリミッターが外れて、衝動的になった。しかも目上の人間への暴力だ。たとえ誰にフォローされても、自分が許せない。いいことだったのか、悪いことだったのか、わからない。ただ、ミストもアルラもサウンもメイも、みんな素晴らしい魔導士になる人たちだから、そんな言葉を一秒でも長く浴びてはいけない、許せなかったのだ。
「兄上⋯⋯」
珠春が心配そうに寄り添う。珠春は、リゲルの正義感の強さに救われた者であるから、彼もまた複雑な気持ちであった。リゲルが正義感の強さによる衝動的な攻撃を、自分で嫌っているのはよくわかっている。それでも、自分がリゲルの立場だったなら、同じことをしていたと思う。いわれのない暴力を浴びて⋯⋯、⋯⋯忘れたつもりの記憶が鮮明に蘇る。ぎゅっと奥歯を嚙み締めた。
「これ以上ここにいても仕方ないよ。養護室へ行こう、リゲル、立てる?」
メイが手を差し伸べる。珠春はそれをやんわりと断って義兄の腕を自分の肩に回して立ち上がった。
「大丈夫か?」
大柄なサウンは、華奢な珠春が潰れやしないかと心配そうに声をかけるが、サウンに同じように支えられたんじゃ、逆に肩が辛い。抱きかかえられても恥ずかしいので、リゲルはなるべく自力で歩くように気を遣った。
珠春の気持ちがわからないわけでもなかった。彼に出会いのときのことを思い出させてしまったのかもしれない。具体的に、あのときなぜあんなことになっていたのか、問うたことはなかったが、リゲルが行動を責められることになぜか責任を感じている。いまもたぶん、そうなのだ。
「お前が魔法を使わなくてよかった、」
珠春の耳元に囁いた。
「いやよくない、もっと早くにやっていれば兄上は怪我をしなかった」
「よくなくない、お前が魔法を使ってみろ、一発でバレるぞ、御印だって。それにこの怪我は“正当防衛”の証明になる。⋯⋯わかりやすく残してくれるバカでよかったよ」
「⋯⋯なぜあなたは、いつもそういうことをいうんです」
珠春が泣きそうな声になった。これ以上話すと容赦なく床に叩きつけられそうなので黙った。
リゲルとしては、珠春が人前で魔法を使うことはできるだけ避けたかった。自分の中でも、彼との出会いの光景が心に深く刺さりこんでいる。“御印”であることが発覚すれば、今度はどんなことをされるかわかったものではない。自分を信頼してくれたから、義兄弟になってくれなんてことを突然言い出したのだ。それに応えなければ彼に申し訳ない。
「骨折してない、痣だけ。魔法使ってやってもいい、けど……ボクに言わせれば自業自得」
そのまま六人で養護室におしかけると、そこにはフェッカがいた。彼女はヒーリングに特化した魔導士なので、暇があればここにいるらしい。
彼女は雑に消毒をして、滲んだ血を拭くだけだった。いつかもそうだったな、と手のひらを見る。
「先生、だけどあれはやりすぎだったんだ、リゲルは悪くない」
「だとしても、迷う前にみんなに回復魔法を使うとか、やりようはあった。判断の遅さは死を呼ぶ。戦場にいつ投げ出されても、死なないように。基礎中の基礎」
ミストが弁明するも、正論を突き付けられた。ギウス先生にも言われた、戦場で生きていなくちゃ、なんの意味もない。
「それに、痛くないはず。違う?」
「痛いです」
リゲルが即答すると、フェッカはムッとした顔をして、続けた。
「骨は折れてないから、痛くない」
「……イタクナイ……」
「飯食えば、治る」
彼女はなにがなんでもリゲルに治癒魔法を使いたくないらしかった。きっと骨が折れても、腕がとれても、『動けてるから、痛くない』と言い出すに違いない。
「しかしながら、先生。あの人たちの陰湿なやり方はどうにかできないのですか」
アルラが質問すると、サウンが静かに頷く。
「……理事長は、黙認する気ない」
「だったら、」
「殿下は軍の改革の途中。もう始まってる。ボク達は黙って見てればいい」
殿下というのは、アルテミスのすぐ上の姉、アンドロメダのことだ。フェリア神聖軍の将軍職に就いている。王家から、しかも女性が将軍に就くのは、フェリア建国以来前代未聞のことらしい。
王家への権力の集中が懸念され、根強く反対する人も中にはいるようだが、いまのところは問題なく軍中改革が進み、国民の軍人へのイメージが徐々に改善されつつあることから、“姫将軍”はとても愛されている。
学生たちはなにも言えなくなった。魔導士でもなんでもない国民の好感度を上げることは正直普通にできることだと彼らは思っている。けれど、長く深い確執を抱える両者の間が、そんな短期間でフラットになるだろうか? まして『有翼の五芒星』はまるでコウモリのように思われている。魔導士でも軍人でもある、どちらにもおさまりきらない日和見の集団である、と。
フェッカも微妙な顔をしていた。その気持ちを口に出すことは憚られる。
妙な雰囲気になって、学生たちは養護室を後にした。
談話室に近づくにつれ、なにか良い匂いがする。
「あ、ピルク」
「今日のご飯はなんだろうね!」
「メイ……すっかり受け入れるな……」
そう、リゲルと珠春が入る前、有翼の五芒星は五人いた。ミスト、サウン、アルラ、メイ、そしてサボり癖のあるピルク。食べるより、寝るより、遊ぶよりも料理が好き、料理だけしていたかった! という男が彼である。
談話室は、各コース15人単位で一部屋、アイランドキッチン型の台所とトイレ洗面台、教室くらいの広さのリビングに、テーブルと人数分の椅子、そして男女別のロッカールームが与えられている。さすがは“城の一部”、豪華だ。
「やあみんな、おかえり」
足音に反応してピルクは顔を上げた。フライ返しを片手にウインク、学習院に入って日の浅いはずのリゲルにとっても、慣れ始めた“いつもの風景”だ。
「今日はなーに??」
メイと珠春がピルクの手元を覗き込む。
「今日はね、魚が安かったからムニエルです! やった!!」
自分で拍手するピルクにつられて一同拍手。平和である。
もちろん食堂はある。城の食堂と同じメニューがでる。けれども、食堂に行ってまた余計に絡まれるのでは、やはりいい気はしない。それにいまはピルクがご飯を作ってくれるから、食堂に行く必要など微塵もない。
並んだご飯の前には、『またサボったな?』とか『さっきこんなことあって、』とか言う気に全くならない。ときどき、それを計算に入れて永年料理当番なんじゃないかと思うこともあるが、ご飯を食べてしまうとどうでもよくなる。
「はい、そしてここにミネストローネもつけちゃう!」
「え~!! めっちゃ豪華!!」
「ピルク、お茶ある?」
「あるある、安いのと高いのどっちがいい?」
「なにその二択……なんかキャラメルの匂いするやつあったよな、あれない?」
「ある~、」
フェリアは、本の中の世界とはいえ、その世界を作った人が『あちら側』の人であるから、食生活はほぼ全く同じである。それこそ、最初にレグルスが連れて行ってくれた、ジーナの店に行けばほんとになんでも食べられる。白米もうどんも出てくる。生きていた頃とほとんど変わらない。
『科学の代わりに魔法が発達した』と説明されたとおり、“家電”もある。動力が電気でなく魔力であるだけ。魔法を使えない人もいるが、『魔力を生み出す永久機関』みたいなものが発明されたことによって、魔法具の一般普及率が一気に高まった。
家電はあるけど、電柱も電線もない世界なのだ、ここは。
「砂糖は?」
「アルラが独占してる」
アルラは相当甘党で、食事中に飲む紅茶にも、スプーンに五杯は砂糖を入れる。
「一杯だけちょーだい!!」
「待ってろメイ、珠春は?」
「おれはいらない」
「……大人じゃん」
「ばかにするな」
ミストがボソリと呟いたのを、珠春は聞き逃さなかった。ふくれ面でパンを咀嚼している。
「ねー砂糖早くー」
「はいはい、ほら」
……家族か。絵に描いたような平和である。
さっきまでの神妙な重い雰囲気はどこへ行ってしまったんだろうか。自分の心の中にすらない。背中ももう痛くない。フェッカの言うとおりでちょっと悔しい。
「午後なんか授業あったっけ」
「あぁえっと……回復魔法学基礎があるよ」
サウンがアルラに聞くと、彼は懐から手帳を取り出して答えた。自分の取らない授業までメモしてあるので、どの先生が空いているのかも即座に答えられるくらいだ。
「みんな出るやつだな、ピルク」
ミストが笑いかけると、ピルクは一瞬無表情になって、心底めんどくさそうに『えー……』と言った。
「実技じゃないんだからいいじゃん、アルフェッカ先生だよ」
「じゃあ出るか……冗談だよちゃんと出るし」
ピルクはプッと吹き出した。よほどみんなの顔が苦くなっていたようだった。
『ピルクは、退屈なのだよ』
ギウス先生がそう言っていたのを思い出した。先生の分析によれば、彼は一度見聞きしたことはそのまま記憶に定着するといっても過言ではないくらい鋭い記憶力を持っている。それ故に、日々の授業がつまらないのだろう、と言っていた。
けれども有翼の五芒星たちは、みなどこかワケありだから、敢えてサボることで、“なにか”に対抗しているのだろうとも見ていた。
『とはいえ、彼を一介の料理人で留めておくには、もったいなくてね、堂々とサボられても、退学なんてさせられないのさ』
先生は心の底からにっこりと笑ったように見えた。
「ピルク、ご馳走さま」
「うん、ありがとう」
ここの言葉では、ただ、ありがとうと言っているだけなのかもしれない。だけど、死んだからこそ、“ごちそうさま”の意味を知ったような気がするリゲルには、『食の提供への感謝』を述べられる言葉を知っていることが、いまものすごくありがたいのだ。




