ギウス先生
『この世界ができたとき、魔法が使えるものは、女神を除いてはただの一人もいなかった。それを女神は憐れまれ、我々に精霊の助けを得る術をお授けくださった。それ故に、我らにも魔を導く能を得た者が出てきたが、数は少なく、人の域を出るほどの者はいない』
ギウス先生はそこまで読み上げると、目を上げてリゲルを見つめた。
「⋯⋯“あちら側”の出の者は別だ。そして僕はフェリア出身の魔導士だ。故にここでの講義が君の役に立つかどうかは、わからない」
その声に敵意は含まれていなかった。純粋な、わからないことへの悔しさだけが声色に滲んでいた。フェリア人特有の色素の薄い瞳が、いまこの瞬間、無数にリゲルに集まっている。身体に穴が開くかと思うほど緊張する。首筋を冷や汗が伝った。
学習院に入ってから、いろいろなことが見えてきた。国の仕組み、物価、文化、言語、地理、種族、隣国のこと、そして、御印同様“あちら側”にも差別意識のような、特殊な感情を抱かれているということ。
実際ここに来て、好奇の目に晒されない日はなかった。ただでさえ、魔導軍コースに入るという学生は少ない。有翼の五芒星を見つければ、それだけで指を差される。今はリゲルと珠春が入ったので7人になったが、魔導士コースは200人、軍人コースは300人、医師コースは150人という規模の中での7人だ。その珍しさはそれだけで充分に伝わる。そして、リゲル、珠春ともに、ひと目見ればわかってしまう程度には異邦人の顔の造形だ。
フェリア人というのは、色素の薄い人種だ。瞳の色、肌の色、体毛、全て色が薄めにできている。そして、“あちら側”でいうところの北欧系の印象を受ける顔立ちだ。リゲルのような、塩顔系アジア人バリバリの顔立ちに、焦茶の髪と瞳では、目立つことこの上ない。珠春も、生粋のフェリア人ではないらしい。本人もよく覚えてはいないと言っていたが、髪の色は黒く、顔立ちも少しリゲル寄り。レグルスは、白宮の出身ではないかと言っていた。
珠春が御印だということはまだ誰にも明かしていない。手の甲にある花の形の痣は、レグルスの勧めで手袋を嵌めて隠すことにした。異邦人であること、義腕であることはやはり珍しがられるが、珠春には日常の瑣末事でしかないようで、そんなに気にするな、と逆にリゲルが窘められている。
しかし、同じ人間であるのに、異邦人であることにこんなに反応されるなんて、この街は随分閉鎖的なのだなと思った。死ぬ前のにわか知識だが、俗にいうファンタジー世界には、エルフだとか、獣人だとか、ドワーフとかいうのが混ざって住んでるんじゃないのか。
『兄上、そういうものではない。人間以外の種族はそこまで人間が好きではない、国の中でも、種族ごとに住んでいる地区ははっきり別れている。それに、ここの城下は、エルフや獣人には慣れている。御印や“あちら側”が珍しすぎるのだ』
珠春はそのように説明してくれた。確かに、日用品店は長靴をはいた猫が経営していたが、普通に相手されていた。それに、他の種族は、異種とはいえフェリア出身には変わりはない。“あちら側”などと呼ばれる、想像もつかない異世界から来たよくわからない輩とはまるで違う。
「すまないことをしたね、リゲル。悪くは思わないでほしいな」
授業後、ギウス先生の部屋に呼ばれた。魔導士、ベテルギウス。それが彼の名乗る名だ。襟の詰まった長衣を着込んで、長い、ふんわりとした茶髪をふわっとまとめている。外見の雰囲気はなんとなくレグルスに似ているが、彼はかなり生真面目そうな顔をしている。その点はレグルスとは全然違う。ズボラが服を着て歩いているような人と比べたら失礼だ。『そのように僕を評価しているのは君だけだと思いますよ』とレグルスは言っていたが。
話し方は、理路整然と、まるで数学の証明のように順序立てて理屈を詰めていく。しかしそれが嫌な理屈っぽさを感じさせない。ほんとうに頭の良い人の話し方をする。そこが少しレグルスを彷彿とさせるらしい。
「僕もレグルス先生の教え子でね、君の兄弟子と名乗っても差し支えはないだろうが⋯⋯、僕はフェリア人だからね。君たちには遠く及ばない」
レグルスが先生と呼ばれているのが少し新鮮で顔がニヤついてしまったかもしれない。幸いギウス先生は紅茶を淹れるのに、ポットに集中していて、リゲルの顔は見ていなかった。
「フェリアの人と俺達では随分違うようですね、その、魔法の使い方が⋯⋯」
「もちろん、君たちは女神と同じ種族だ。神と同じ能を持つものが人間なんかと同じやり方で魔法を使うわけがない」
ギウス先生が少し早口になった。
「いいかい、僕達は、大気中の精霊の力を貸してもらわなければ、自分の中にある魔力を魔法に変換することはできない。だから我々が魔法を使うときには、魔法陣や、杖、魔法器具、そして呪文が必要になる。
それが君たち“あちら側”の人間は、直接【千年樹】の出す魔力を身体に取り込んで、想像するだけで魔法として出力できる。
身体のつくりがまず違うんだ、わかるかな、その⋯⋯」
「う⋯⋯ん、なんとなくわかります、大丈夫です」
「よろしい、⋯⋯そうだな⋯⋯リゲル、君はレグルス先生がタバコに火をつけるのを見たことがあるかな」
「はい、ありますね⋯⋯」
レグルスは、ライターを持っているはずなのに、どこかにしまいなくしたり、立ち上がって取りに行くのが面倒だ、などと言っては、いつか見せてくれた、指パッチンで火を出す魔法を使う。ズボラに魔力、は、鬼に金棒みたいなものだ。人がみるみるダメになる。
「あれだよ、我々の理想は。魔法を使うのなら、あれくらいなんでもないことに使えるようにしたほうがいい。あれができてこそはじめて本当の魔導士なのだよ」
「⋯⋯そうなんですか?」
「そうだよ。杖振ってごちゃごちゃ言ってる間に、刃物で刺されれば死んでしまう。ここは平和だけれど、年々治安は悪くなっていくからね、魔導軍コースを出たものでなくても、魔導士が戦場に駆り出されるようになる日はそう遠くないと思っている。⋯⋯あれくらい日常に染み付いた魔法を使えるなら、緊急時でも息をするように魔法を繰り出せるだろう。⋯⋯っていう、そういう魔導士を育てたいのさ、僕はもうできるからね」
ギウス先生は指を鳴らして種火を手のひらの上に出して見せ、ニカッと笑った。案外お茶目らしい。
「ちょっと暗い話になっちゃったね、すまない、こういう話を聞いてもらいたくて君を呼んだわけじゃないんだ。⋯⋯ただ、僕の講義を真に受けてほしくなかった、それが、ちょっとあれはまずかったね、すまない。お詫びといったらなんだけど、お茶でも飲んでいってくれるかな。よかったらなんでも質問に答えるけど、そうだ、読み書きは大丈夫?」
⋯⋯読み書き、そう、リゲルが現時点で最大に苦しめられている相手こそが読み書きだ。会話ができるのに文字が書けないのがこんなにストレスだとは思いもしなかった。幸い、向こうの学校のように『ノート提出』があるわけではないから、メモは日本語で取ればいい。けれど、やっぱり読みにも時間がかかる。制御装置にまだ慣れていないのもあるかもしれない。どうせ帰れないなら、イチから覚えた方が楽かもしれない気がしてきたところだった。
「教えていただけるんですか?」
「義務教育ではないから、ちゃんとは教えてあげられないかもしれないけれどね。僕は魔導学基礎の先生だからね、どうしても空き時間が多い。いつでも君の都合がいいときに来ればいいよ」
「ありがたいです、本当に、」
「心配しなくても、君は物分かりがいいから、三か月くらいでなんとなく読めるようになるよ、」
三か月は流石にリゲルのことを買いかぶりすぎているが、ギウス先生の申し出はありがたかった。彼は“あちら側”に敵意どころか、憧憬の念すら抱いている。その上、レグルスに雰囲気が似ている。なにかと頼りやすい人がそのように言ってくれて、リゲルは心の底からホッとした。
実験棟の、魔導軍コースの学生の談話室に本を取りに入ると、ミストがいた。
「リゲル、嫌なことされなかったか?」
「ああ、大丈夫だよ、ありがとう」
初めて会ったときからいろいろ考えたが、ミストは、勇矢に似ている。向こうにいたときのクラスメイトで、中一の頃からの付き合いになるから、四年くらいずっと一緒にいた友人だ。⋯⋯友人想いで、情に厚い、勉強はできないけど、その愛嬌と人格で、誰にでも可愛がられるタイプの人気者だった。ミストはまさに勇矢と同じタイプの人間なのだった。懐かしさと嬉しさ、淡い苦さを彼は常にくれる。それが苦痛というわけでもない。
ミストはそれに加えてちょっと過保護だ。リゲルの肋骨を折った罪悪感からなのか、それとも単純にリゲルを気に入っているのか、毎日毎日、誰かになにか嫌がらせを受けたんじゃないかと確認される。リゲルが少しでも言い淀もうものなら、必ず相手の特徴を聞き出して報復に行こうとする。サウンがいたならもっと酷い、引き止めなければならない人が二人に増えてしまう。『嫌なことされなかったか?』『大丈夫だよ』は挨拶文句として定着しつつあった。
「どんな話された? お説教?」
「いいや、こんな話だった」
リゲルは指を鳴らして、小さな火を出してみた。ちょっと加減がわからず、初めに出てきた火は思ったより大きくなってしまったが、案外出せた。
「⋯⋯わーお、」
ミストは手で口を覆って、なにも言えなくなってしまった。
「⋯⋯まって、どんな話か全然わかんない」
「だよな、」
すごすぎて笑えてきた、と言い出してミストがずっと笑うので、リゲルも可笑しくなってきてしまった。何度か教えてはみるが、ギウス先生の言ったとおり、リゲルとミストでは、魔法の発動のやり方がまるで違うのだ。うまく教えられない。とはいえ、そんなことはミストだってわかりきっている。
「今はできないけど、いつかできるようにしてみせるよ。ギウス先生はできたんだろ? なら、俺もできるな」
「ああ、すぐできるようになるよ」
ミストは底抜けのプラス思考の持ち主でもある。絶対へこまなそうなところがまた、リゲルは好ましく思っている。実際、彼が有翼の五芒星以外の生徒からも慕われているのを知っている。
リゲルがちょっと物思いに耽っている間、彼は、新しく覚えたという、水でモップを作って、掃除の手を抜く魔法の呪文の詠唱を始めようとしていた。やはり、ズボラに魔法、は人をダメにする。




