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Saver Quest  作者: 長尾
現役の死人
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7月9日

 本の中には平行世界(パラレルワールド)が存在する。そこにはありえないものが住んでいて、ありえないことが日々起こる。


 どのような世界にしても、そこは想像力から成る世界。


 現実に囚われて味気ない生活に飽きた貴方もきっと、そこでなら。

 夢を見ることを忘れた子供たちもそこでなら思い出せるはず。



 そこのあなたも。




* * *



「まだ居たんだ、お兄ちゃん」


 声に反応して顔を上げると妹が立っていた。


「律もまだ居たんだ」


 読みかけの本を閉じて時計を確認する。午後五時を少し過ぎた頃。


 妹は生徒会の書記で、ほぼ毎日忙しそうに学校内を駆け回っている。しかし午後五時を回ると、塾に行くために下校するはずなので、この時間の図書室で顔を合わせるとは思っていなかった。ただでさえ中高一貫のこの大きな学校内で、別学年の生徒はおろか、中等部の生徒と顔を合わせること自体滅多にない。図書室ですら分けられている。


「なにしてたの?」


 興味なさそうに話しかけながら律は兄が座っていた近くの本棚を物色し始めた。高等部の図書室は中等部に比べて蔵書数が少し多めになっている。専門書などを中心に揃っているのでこちらを利用する中等部の生徒も中にはいるが、校舎が違うのでよほど探している本がない限りはあまり来ない。


 律は民俗学の本にご執心で、わざわざ探しに来るのだ。


「さっきまで、勇矢と弥生と喋ってた。勇矢のぬいぐるみのくま吉一号が飼い猫にボロボロにされたんで、それをずっと慰めてた」


「ふーん」


 いかにも興味なさそうな声を出して本をパラパラしている。


「⋯⋯ん、あれ、勇矢くんと弥生ちゃんってケンカしてたよね? 美怜先輩のことで⋯⋯」


「あぁ⋯⋯アレ。すっかり元サヤだよ⋯⋯」


「そっか。ってか、あの二人、男の子同士で痴情を縺れさせるの得意だよね」


 友人の勇矢と弥生は幼馴染の二人組で、いつ見ても一緒にいる。別に二人の間には何もないのだが、傍から見ていると痴情の縺れで喧嘩しているようにしか思えない。この間の喧嘩は、律と仲の良い先輩の女子が、弥生と二人で仲睦ましげに話していたのを、勇矢がたまたま見かけてしまい、喧嘩⋯⋯というよりも口論に発展した。くだらなくて、毎度のことながら冷めた苦笑いなしでは見ていられなかった。


 そんなことが年がら年中ある。


 仲裁役は毎回自分か律なので正直頭が痛い。苦労したことを思い出し、互いに眉をひそめ、苦い表情になった。


「夏休みは、なにも起きなきゃいいけどね」


「そうだな⋯⋯」


 律は借りる本を決めたようで、カウンターへ歩いていく。自分も手に持っている本をまだ借りていないことに気付いて、妹について立ち上がった。


「グリム童話? お兄ちゃんそんなの読むんだっけ?」


 不意に手元を覗き込んで律が意外そうな声を出した。


「別に好きじゃないけど、その辺の小説よりはいいかなって」


「へー。確かになんでも読んでたけど、そういうのも読むんだね、メルヘンとは対極の現実主義者、って思ってたんだけど」


「物語と現実は絶対的に違うものだよ」


「そっか」


 自分には現実主義者という自覚がある。非科学的なものは信じないし、むしろフィクションのものはくだらないとさえ思っていた。夢見がちなことは言わないし、慎重に考慮して計画を立てないと行動ができない。典型的な、と思っている。それは、良くも悪くも父の教育の賜物なのだが、心のどこかで否定し続けながらでないと物語が読めないのは相当味気ないものだ。


 しかし、友人たちの特異な関係に『事実は小説より奇なり』という言葉を痛感し、フィクションの世界に興味が向いてきた頃だった。


 妹もそんな考えで生きてはいたが、ひょんなことから民俗学に触れ、それ以降は妖怪やら妖精やらの不思議世界にハマり始めた。現に『世界の魔術・(まじな)いの本』という禍々しい表装の本を手にしていた。


「あー、そうだ」


 カウンターに着くなり律が声を上げた。


「私、都木(つぎ)先生に用事があって来たんだ、忘れてた」


「はーい、って⋯⋯りっちゃんか、いらっしゃい。⋯⋯なんだよ啓ちゃんもいるのかよ。兄妹揃って仲良しだねえ」


 カウンターの奥から先生が出てきた。自他共に認める活字中毒患者で、いつ寝ているのか心配になるほど濃いクマが目の下にある。年齢は若い先生なのだが、雰囲気が全体的に若くない。


 先生は笑いながらぐちゃぐちゃの机を漁りはじめた。


「アレだよねー、生徒会新聞の特集で新刊の紹介十冊分と、司書の個人的に好きな本を自由にプレゼンするヤツ」


「そう、それです。できてます?」


「都木先生の好きな本ってアングラなやつじゃん、誰得なのそれ⋯⋯」


 ぽそっと呟くと、鋭い視線が投げられた、ような気がした。普段からお耽美ホラーを愛読していると教えてきたのは彼女の方だ。俺は全然興味がなかったけれど、先生のお陰でちょっと読むようになった。それが万人受けするとは、少なくとも大半の高校生が興味を示すとは、到底⋯⋯。


「⋯⋯えーっと、とりあえず新刊の紹介はできてる。あとは、いま本決めたから三十分待って」


 そう言いながら三枚くらいの書類を律に手渡した。


「しょうがない、私とお兄ちゃんに購買の無料券を各一でくれるなら考えましょうか」


「なんで啓ちゃんにも渡すのよ⋯⋯パンでいい?」


「サンドイッチ」


「⋯⋯わかったよ、じゃあ、焼きそばパンのもあげよう」


 一瞬だけ賄賂という言葉が浮かんだ。


「じゃあ、三十分後に来ますねー」


 貸出のはんこが押された本とパンの無料券を手に、妹はスキップして生徒会室に戻っていった。


 都木先生もくたびれた顔でパソコンの前に戻り、仕事を再開した。少し気の毒な気もしたが、頑張ってもらうしかない。それに、もうとても帰りたいので頼まれたって手伝いたくない。


 図書室を出ようとしたときに、近くでタバコの匂いがした。ように感じた。


「先生、タバコ吸ってる?」


「はぁ? 非喫煙者ですー。吸うにしたって学校内は禁煙だぜ。はよ帰れー」


「うん⋯⋯気のせいか、じゃあ、お先でーす」


 扉に手をかけて図書室を見回す。一学期も末になり、まだ明るいが、自分と先生の他には誰もいない。


 タバコの匂いのせいで、嫌な感覚を思い出してしまった。⋯⋯忘れかけていた遠い記憶。振り払うように頭を振って図書室を出た。


 なんと、正面玄関までの長い廊下でさえ誰もいない。


 部活動連中の声はずっと遠くから聞こえていて、独りで校内を彷徨っているような不思議な気分になった。そう滅多にないシチュエーションに少しテンションが上がった。


 勇矢に言わせれば、こういうときにひとりでいると『どこかへ連れていかれやすい』のだそうだ。彼のビックリファンタジー発言に慣れきっている弥生も俺も、それは普通にお前が寂しがりなだけだろうに、と遠くを見た。弥生いわく、勇矢は天性の癒し系なのだ。その点は俺もそのように思う。あいつの頭の中のお花畑に、俺たちは何度救われてきたことか⋯⋯。この話を始めると長くなってしまうから、これは割愛する。


 廊下の先の階段から、足音が聞こえる。誰もいなかった廊下の先、急にとても気になって階段へ急いで近づいた。足音はゆっくりゆっくり階段を上っていく。⋯⋯誰だ?


 この上は職員室だ。足音を忍ばせて踊り場へ出る。


 ⋯⋯背の高い、白衣の後ろ姿が見えた。見覚えのないシルエットだ。それは、階段を上り終えると左に曲がった。会議室に、何を⋯⋯?


「あら、真宮くんじゃない」


 気が付くと目の前に保健の先生が立っていた。


「まだ居たのね? 職員室にご用?」


「いいえ、先生、さっき誰かとすれ違いませんでした? 白衣の人なんですけど」


「白衣? そんなの私以外にはいないけど⋯⋯」


「え? ⋯⋯そうですか」


 確かに、学校生活四年目になるが、日常的に白衣でうろつく先生など見たことがなかった。そうなると、さっきの人は⋯⋯?


「真宮くん」


 階段を降りて帰ろうとすると、先生に呼び止められた。


「君の家は、駅より北の商店街の近くだったね?」


「⋯⋯はい、」


「気をつけなさい」


「? はい、ありがとうございます、」


「早く帰りなさい」


「⋯⋯はい、失礼します⋯⋯」


 促されるままに玄関に着く。スニーカーに履き替えて、学校を出る。いつもの習慣でポケットの中のケータイを探した。⋯⋯そうだった。少し不具合が出たので、ケータイは入院中だった。まぁ、一日くらいなくても。


 その代わりにポケットから出てきたのは美怜お手製のブレスレットタイプの腕時計だった。律に渡すように、と図書室で美怜に渡された。すっかり忘れていたが、家に着いてからでも別に遅くはないだろう。


 ビーズ製の小さな花が五つほど金具で繋げられている。手作りとは思えないほど繊細なものだ。壊さないように注意して、またポケットの中にしまった。


 駅までのバスの中でも、ずっと先生に言われた言葉について考えていた。家の近くで何かあるのだろうか。それとも、なにも意味のない、単なる声かけだったのだろうか。どっちにしろ、そんなのは初めてのことだ。胸に引っかかる。胸騒ぎというのだろうか。何かが起こるような気がしてならない。


 だけど、考えても仕方がない。目をつぶって、無心に徹した。


 バスの中はいつも通りにラジオが流れている。話題の歌姫の歌声がバスの中と頭の中を満たして漂っている。他にも二曲ほど聞いて、駅に着いた。


 ここから歩いて十五分で家に着く、賑やかな駅前通りを十分歩いて商店街の入口を過ぎた辺りで路地に入って五分ほど。テスト明けということと、夕方の六時という時間帯から、通りはいつもより人が多かった。



 ふと、嫌な予感がした。


 何かが起こる。


 思わず足が止まった。まさか、先生が言ってたのは、⋯⋯いや。


 曲がるべき角から大きな悲鳴が上がった。


 悲鳴に反応して、人混みがざわめきだす。その街並みが遠のいていくような強烈な眩暈を感じてしゃがみ込んだ。


「通り魔だ!!!!」


 どこからか声が上がる。嘘みたいだ。こんなこと、現実に起こるんだ。こんななにもない街でも人を殺したい人はいるんだ。


 呆然とそんなことを考えていた。パニックになっていた。


 少し冷静になって、通報しようと思った。まだ誰も犯人を確認してはいなかったが、街並みが混乱していた。非常事態だ。ケータイを出そうとしてポケットの中を探る。⋯⋯そうだった。


 それじゃあ、人の流れに乗って駅に逃げよう。逃げなきゃいけない。しかし、うまく足が動かない。なかなか遭遇することのない恐怖感に身体はついてこない。


 動けないままにしゃがみ込んでいると、突然、角から男の人が飛び出してきて倒れこんだ。


 反射的に「大丈夫ですか!」と起こしてみると、赤黒い染みが腹部に広がっている。


 ⋯⋯マジだ。もはや通り魔よりも、目の前の人間から大量の血が出ていることが恐怖の対象にすり替わっていた。昔から血を見るのは怖かった。そんな自分の前に血を出して倒れている人がいる。


 手の震えが止まらなくなっていた。


 周りの人たちもパニックに陥って、悲鳴が絶えなかった。警察はまだ来ないのか⋯⋯?


「危ない!!!!!」


 遠くで叫ぶ声と、悲鳴と、背中への衝撃がいっぺんに入ってきて倒れこんだ。


 商店街の路上で数人刺したあと、姿を眩ませていた通り魔は駅前通りで暴れだしたようだ。


 痛い、呼吸が切なくなる⋯⋯。気付くと、脇腹が真っ赤に染まっていた。頭が真っ白になって動けない、息もできない。


「⋯⋯え⋯」


 後ろから刺されたんだ、死ぬかな⋯⋯。倒れてから不思議と冷静になって、一瞬でいろいろと悟った。きっともうそろそろだろう。


 ポケットに手を入れてあの腕時計に触る。渡せなかった。緊急時に限って言いたいことが浮かんでくる。


 死ぬっていうのは理不尽なことだと思った。それにこれは、いくらなんでも突然すぎるだろ。


「⋯⋯あぁ、律⋯⋯俺死にたくないな⋯⋯」


と言ったつもりだった。息ができないので声になってないけど。走馬灯どころか、いろんな考えが脳裏を駆け巡る。


 近くで人の気配がする、タバコの匂いと、男の声⋯⋯。残念ながらもうなにも見えていない。


 意識だけははっきりしたまま、身体からなにか抜けていくのを感じていた。

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