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人間卒業式

作者: 村崎羯諦

『本日、人間卒業という門出を迎えた私たちのために、こうして盛大な式を挙げていただけたこと、人間卒業生代表として心より感謝申し上げます』


  令和三年度横浜市人間卒業式。そんな垂れ幕がかかった大きな壇上の上で、私たちの代表が答辞を述べている。私は同じ会場の別室で、その様子をモニター越しで眺めていた。彼女は横浜市のお偉い方々を前にしても堂々とした態度でスピーチを続けていて、それを見ているとなんだかこっちまで誇らしくなる。


「今答辞を読んでる佐々木さんって人なんだけどさ、人間を卒業したらグリフィス天文台っていうアメリカにある天文台の望遠鏡になるらしいよ」

「えー、すごい! 優秀なんだね!」

「飛び級で人間を卒業したらしいしさ、本当に別世界の存在って感じ。彼女みたいな存在はさ、人間なんかよりもずっと価値のあるものになった方が、世界のためになると思うな」


 同じ部屋にいた二人組の女性のひそひそ話が聞こえてくる。彼女たちの話を聞きながら、私はやっぱそんな感じがしたんだよなと一人で納得してしまう。人間を卒業した後は、人間以外であれば理論上何にでもなれるわけだけど、それでもやっぱり人間時代にどのような生き方をしてきたかによって決まる部分が大きい。モニターに映った彼女の威風堂々とした姿を改めて見て、きっとオープンテラスカフェで有名私大のカッコいい彼氏と文学的なお話とかをしていたんだろうなと勝手な妄想をしてしまう。


 そんなしょうもない妄想をしていたちょうどその時。私は後ろから突然声をかけられる。ビクッと身体を震わせながら振り返ると、そこには高校の同級生だった大橋由奈がいた。艶やかな着物に身を包んだ由奈は、昔と変わらない人懐っこい口調で、久しぶりだねと微笑みかけてくる。由奈も同じ会場にいるということは知っていたけれど、まさか同じ部屋にいるとは思ってもいなかった。思いがけない再会に喜びつつ、私たちはお互いの近況について語り合う。


「由奈はこの後そのまま送別会に参加するの?」


 式典終わり。会場に集まった人たちが続々と会場の外へと歩いていく中で、私は並んで歩いていた由奈に問いかけた。すると由奈はちょっとだけバツの悪そうな表情を浮かべた後で、これから一度役所に行かなくちゃいけないんだと返事をする。


「ほら、人間を卒業するからさ、国に人権を返納しないといけないじゃんか? 私そのことすっかり忘れてたの。明日からはもう人間としての生活とはおさらばするからさ、今日しかタイミングがないんだよ」

「そういえば由奈って人間を卒業したら、何になる予定なんだっけ?」

「私はリモコンになる予定なの。あ、ごめん! 急いで役所に行かないとまずいかも!」


 着物の帯から取り出したスマホで現在時刻を確認した由奈はごめんねのジェスチャーを取りつつ、私とは別方向へと駆けて行った。また送別会で! その言葉と同時に、由奈の姿が人混みの中に消えていった。


 由奈と別れた私は、後で合流しようと約束していた卒業仲間に連絡を取ろうと考え、とりあえずは人気が少ない会場の外へと出ようとした。だけど、そのまま人の流れに従って歩いていると、ちょっとした人溜りができていることに気がつく。ちょっとだけ興味が湧いて、人をかき分けるようにそこへと近づいていくと、偶然にも私と同じ年に人間を卒業する誰かがテレビの取材陣に対してインタビューを行っている最中だった。


「はい。人間をやっていた時は辛いことばかりで、早く卒業したいってずっと思ってたんです。でも、今日という日に改めて自分の人生を振り返ってみたら、それなりに楽しいことも嬉しいこともあって……言い方は変かもしれませんが、人間らしい人生を送ってこれたんだなってふと思ったんです。だらだらと人間をやっていたら、きっとそのことにも気がつけなかったと思います。卒業してからも私は、人間時代に学んだことを生かして、自分らしい生き方をしていきたいです」


 私が人の隙間から声の主を確認すると、それは有名な人気アイドル夢島愛佳ちゃんだった。愛佳ちゃんは感極まった表情を浮かべ、目元はうっすら涙で潤んでいる。それでも芸能人として凜と振る舞い、取材陣の質問に対してしっかりと受け答えをしていた。有名なアイドルグループの一員として、華やかな毎日を送っているんだとずっと思っていた。だけど、そんな人も裏では色んな事情を抱えている。そんな当たり前の事実に、私は人間卒業の日に改めて実感させられたような気がする。私は彼女を何とかスマホで写真に納めた後で、彼女がインタビューに答える声を聞きながらその場を立ち去るのだった。


「卒業後ですか? 私は理論物理学になる予定です」


 人混みから離れ、同じ送別会に参加する友達と落ち合う。二人で記念に写真を撮ったり、近くのお店で時間を潰し、予定よりも30分ほど早く送別会のお店へと到着した。お店には幹事役の三島くんがすでに到着していて、私たちを見るなり大袈裟に両手を広げて歓迎してくれた。三島くんは人間を卒業した後はお金持ちの飼い犬になるらしく、四月から一緒に暮らすという老夫婦の写真を見せてくれた。品の良い素敵なお年寄り二人の足元に、四つん這いになった三島くんが将来への希望に満ちた表情を浮かべていた。


 それから少しずつお店に参加者が集まってくる。予定の時間ギリギリに、会場で再会した由奈がちょっとだけ息を切らしながら飛び込んでくる。ギリギリセーフだねと笑い合いながら、由奈が私の隣に座る。手続きは間に合った?と私が聞くと、由奈は疲れた表情でなんとかと笑って見せた。


 私は送別会に集まった人たちをぐるっと見渡す。ここに集まった人たち全員が、今年で人間を卒業し、来年度から新しい門出を迎えることになる。リモコンになる人。お金持ちの犬になる人。ワゴンRになる人。チェックのスカーフになる人……。私もいつまでも人間でいることには飽き飽きとしていたから、人間を卒業すること自体に抵抗であったり、後悔というものはない。それでも、この場所で、同じ人間という生き物として集まり、お互いに楽しくお話ししているのを見ると、どこか哀愁にも似た感情が湧いてくる。寂しいと気持ちと、だけど、新しい生活への希望が入り混じって、無意識のうちに笑みが溢れてしまう。それを見た友達が何笑ってるのとからかってくる。


 別に何でもないよ。私はそう答えて、もう一度この会場に集まった人たちを見回した。そして、もう一度だけ笑みを浮かべた後で、ここにいる人たちが新しい生活でも幸せに生きていけることを心の底から祈った。


「そうそう。すっかり、聞き忘れてたんだけどさ、村崎って人間を卒業したら何になる予定なの?」


 由奈が思い出したように私に問いかけてくる。言ってなかったっけ? と私が尋ね返すと、聞きそびれちゃったんだよねと由奈が可愛く舌を出す。


「私はね、人間を卒業したら小説になる予定なの」

「へー小説?」

「そうそう、『人間卒業式』っていうタイトルの短編小説でさ、ジャンルは私小説なの。いわゆる純文学ってやつ? つまりさ、今日の一日みたいにさ、自分が本当に経験したことを一人称で書くタイプの小説なんだよね」

「あー、そっか。忘れてたけど、村崎って小説書いてたんだっけ? 確かにそうだよね。人間なんてやるよりも、小説の方があってると思う。もう明日から小説になるの?」

「ううん。私は来月の四月一日から小説になる予定なの。もしよかったら読んでね……って言っても、リモコンになるんじゃ読めないか」


 時間が来て、幹事の三島君が周りから促されて立ち上がる。それから、彼はちょっとだけ戯けた口調で乾杯の挨拶を始める。私たちは笑いながら三島君を囃し立て、お調子者の三島君の口調がさらに滑らかになっていく。


「えー、では、私のつまらない話はここまでにして、乾杯といたしましょう。グラスは持ってますよね? それじゃ……皆さんの新しい門出を祝って、かんぱーい」


 三島君がグラスを高々に掲げると同時に、私たちも彼の掛け声に合わせてグラスを掲げるのだった。

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