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あっさりとそれは壊れる

 真田が逃げ回っていたのは、文化祭でのクラス模擬店の宣伝で女装させられそうになっていたから、とあとから聞いた。模擬店当番の時に見かけた彼が中途半端に髪にリボンをつけ、口紅がひかれていた理由がわかった。

 そんな文化祭も終わり、持久走が始まる冬が、タイツの着用許可が下りる冬が近づく。年が明けたら、真田と出会って一周年になるのだと思うと不思議な気持ちだ。


「また切れてるんだね」

 廊下で会った真田に思わず声をかけてしまうほど、彼の唇は荒れていた。

「リップクリームなくしちゃってさ」

「今回は新品の持ってないからあげられないよ。残念」

「えー、使用済みでもいいのに」

 その言葉に頬が熱くなる。だめだ、勘違いしては。おそらく男友達にでも言うように真田は言ったのに。

「女子じゃなくても気を付けたほうがいいよ。切れたら痛いだろうし……」

「んー。気を付けるわ。ありがとうな」

 真田の細い目がより細くなる。その笑った顔に、胸が締め付けられた。

 明日会えた時、まだ荒れていたらリップクリームをあげよう。今日はバスを一つ遅らせて学校近くの薬局に寄っていこう。

 彼と話すきっかけの作り方がわからない私にとって、それが最善の方法に思えた。



 バス停を越えて五分くらいのところに薬局はある。家の近くの店でもいいのだけど、今日は学校近くのほうが特売デーで安いからこっちにした。

 リップクリームが陳列されている棚を探す。まだ目立って売り出されているわけではなかったので探すのに苦労したが、そんなに時間はかからなかった。

「えっと、におい付きじゃないやつは……」

 薬用のスッとしたものを探す。実際に並んでいるのを見ると、どちらかというと色付きやにおい付きのほうが多い気がする。私が普段使っている薬用リップはラスト一個だった。

「あ、リップ欲しい」

「あー、じゃあ見よっか」

 同じ学校の女子二人、クラスが一緒になったことはないからよくは知らない子たちがキャッキャとしゃべりながら私の横に並んだ。ちらと私のほうを見たけれど、特に変な目線は注いでこなかった。

 派手というよりは地味よりの二人。黒いストレートな髪を二人とも一つに結っていて、校則を守った丈のスカートに紺の靴下を履いている。どれも私にはできないもので、少しうらやましく思った。

「あ、これ可愛い」

 横目で見えたそのリップクリームは今CMでよく流されているにおい付きのものだった。確かゆずの香りの。私はゆずよりも昔から売っているリンゴのほうがいいかな、なんて頭の中でつぶやいた。



 次の日には真田には遭遇することがなく、ばったり会えたのは金曜の昼休みだった。常にブレザーのポケットに入れていた新しいリップ。ようやく出番が来たね、なんて。

 やっぱり唇は荒れていて、真田は自分で買うことをしないのかとちょっと呆れた。でも、買わないでいてくれてよかった。

「まだ唇が荒れている可哀そうな真田君に、リップクリームを恵んでさしあげよーう」

 ふざけた口調でリップクリームを渡す。私がふざけることが珍しかったのか、真田は一瞬驚いた表情を浮かべたがすぐにふざけ返してくれた。

「ははー。天羽様、ありがとうございますうー」

 この前と同じように目を細めて笑う真田を見て私も微笑んだ。

「ちゃんと塗って早く治すんだよ。見てるこっちが痛いんだから」

「なんだよそれ。人を歩く凶器みたいに」

「そこまで言ってないでしょ」

 あはは、と二人で笑いあう。

 ここは人通りの少ない渡り廊下。次は移動教室だけれど、直接外気に当たるこの渡り廊下よりも、一つ下の階の外気に当たらない渡り廊下を通る生徒のほうが圧倒的に多い。それに、それにまだ移動するには早い時間。真田はというと、再テストの帰りでこの廊下を通っていたそうだ。

「寒くなってきたね」

 少し強い北風が吹き、私の髪が揺れた。真田はぼんやりと渡り廊下から見える景色に目を移す。

「もうすぐ履けるね、スカート」

「……うん」

 冬が来る。スラックス姿ではなく、普通一般の女子生徒みたいなスカート姿になれる冬が。

「素足は無理だけどね」

「やっぱちょっと、残念だなあ」

「変態」


 ここで真田は、もう一度私のほうに顔を向けた。変態って言ったの、そんなに嫌だったのかな。少し遠くで、予冷を告げるチャイムが響く。

 けれども私の予想は外れ、真田は優しい笑みを浮かべていた。

 それはいつもの目を細めた笑い方よりも幼げで、それでいて大人っぽいようで。慈愛に満ちていて、どこか色っぽい気がして。私以外には向けないでって思わず言ってしまいそうな、そんな笑み。


「天羽さん、最初にあったころよりも表情豊かになったよね」


 ああ、この時間が一生続いたらいいのにな。
















 帰宅しようと下駄箱を開けると、紙切れが一枚置かれていた。

 ラブレターのはずがないから、考えられるのはいやがらせ目的の呼び出し。最近倉橋さんからのはないのに、誰からだろうか。筆跡を見てもいまいちピンとこない。今更新手とかやめてほしい。

 紙には「今日の四時半、一人で体育館裏に来い」とだけ。四時半だと、体育館を使う運動部がウォーミングアップを始める時間で、誰も体育館裏での話には気づかないだろう。バス一本遅らせなきゃいけないな、とため息をついた。

 表立っていちゃもんをつけてくるのは倉橋さんだけで、実際はもう五、六人が私のスラックスのことだったり、不愛想な態度について陰口を言う人がいるそうだ。洲崎情報だから、たぶん正確。本人にそれ言うのどうなのって感じだけど。

 でも今更、呼び出してまで言うことか?


「ちゃんと一人で来たのね」

 相手も一人でよかった、と心から思う。もし不良の集団がいたらとか、漫画みたいな想像をするほど今回の呼び出しの予想がつかない。

「えっと、どちら様ですか」

 ネクタイの色から先輩だとわかるが、接点がないためわからない。というか、受験生でしょ。私に構う暇なんてあるの?

「私が誰でもいいでしょ。それよりさ、ちょっと天羽さんの噂聞いちゃって。ほんとのこと知りたいなあって。あと、敬語はいいわよ」

「……私の噂なんて、あなたには関係ないでしょ」

 じっと睨むように見つめると、目の前の少女は薄く笑った。倉橋さんよりもキツい感じのギャルという印象。そして倉橋さんよりもブス。

「関係あるのよ。それよりも、私が聞きたいのは――あなたの足の傷」

 どうして知っているの、と一瞬焦るがここで動揺してはいけない気がする。まだ慌てる時ではない。体育の教師とかが話しているのを偶然聞いただけかもしれない。

「それ、小学校の時の事故でついたんでしょ?」

「だから?」

 強気な態度を崩さない私を見てギャルはクスッと笑う。そして私の耳元に顔を近づけ、静かに言った。

「ほかの子を巻き込んでの事故だったんでしょう? それも、相手の足は傷よりもひどい、一生残る後遺症って話。しかもそのあと逃げるように転校したって噂なの」

「――っ」

 ヒュッとのどが鳴った。どうして、それを。

「ねえ、本当なの?」

 グッと顔を近づけられ問いかけられる。目は静かだがその奥でギラギラと燃えていて、不快なことこの上ない。

 はいと答えるまで彼女は私を開放しないだろう。

 カノジョのことを人に話したくないが、言うしかないのだと私は覚悟をした。

「――そうよ。私が高いところに行こうって誘ったせいで私たちはけがをしたの」

 




 小学四年生の遠足の日。バスで二十分ほどのところにある大きな公園だった。

 その日は前日の大雨のせいでぬかるんでいて、どこもかしこも滑りやすくなっていた。

 私はカノジョと高いところに行って景色を見ようと誘った。公園のはずれのほうに高台――なにも整備されていない、今思うとただただ危ない場所――があることを私は知っていて、そこからの景色を見たかったのだ。天気自体は晴れているから、安全だと思いこんでいた。カノジョも笑顔で了承してくれた。

 その結果が足場の崩落。落ちた先の木の枝で、私の足に一生傷が入った。

 痛い、と泣くよりも前にカノジョの悲鳴が隣から聞こえた。そのあとすぐのことは何も覚えていない。


 クラスの子と先生とでカノジョが入院する病院に一度だけ行った。私のけがもそれなりに重たいものだったので、なかなか行けなかったのだ。

 歩けるようになるためのリハビリを彼女はしていた。事故からあまり経っていないのに、とても早かったと思う。カノジョは笑って私たちを出迎えてくれた。

 何度もごめんねと謝る私を、カノジョは制した。

「舞花のせいじゃないよ。私たちは運が悪かったんだよ。ただそれだけ。舞花はそんなにひどいけがじゃなさそうで、安心したよ」

 それから私とクラスの子で学校での出来事を話して、カノジョは入院中に作った詩を披露してくれた。詩人になれるねって担任の先生に言われて、いつものように笑うカノジョを見て私はようやくほっとした。


 けれども、私がカノジョの病室に忘れ物をしてしまい、一人取りに戻った時。

 病室にいるカノジョは、どこまでも冷たい目を私にまっすぐ向けた。

「私、舞花のこと許さないから」

 一生元のように走れないんだよ、と彼女は淡々と言う。

「でも、私のせいじゃないって、さっき……」

「ほかの人がいる前で言えるわけないでしょ?」

 必死に繋ぎなおそうとした糸は、あっさりと切られる。


「舞花って、いっつもそうだよね。勘違いして。馬鹿じゃないの」


 それがカノジョと交わした最後の言葉だった。




 病室での出来事は省いて、大方のことを目の前のギャルに話した。これで満足、と言うように視線を送ると「ありがとお」と高い声で言われる。

「ねえ。あなたがこれを知って何になるっていうの。話したんだから教えてくれてもいいんじゃないかな」

 掘り返したくない話を掘り返され、私は今虫の居所が悪い。カノジョに重傷を負わせた原因は確かに私で、逃げるように転校したのは父の転勤が決まったからだけど転校できて安心した気持ちもあって。悪いのは私で責められて当然だ。でも、これは私とカノジョの問題。誰にも、踏み荒らされていいはずがない話だ。


「天羽さんって、好きなんでしょ? 真田君のこと」

 ゾッとした。なんで知ってるの、と思う前に、どうしてこの話と真田が関係あるの、と思った。

「私ね、別にこの話を言いふらしたいわけじゃないの。あなたがほかの人にけがさせたって話をたまたま聞いてね。私、あなたが転校する前の小学校の人とお友達なの」

「じゃあ、私に聞かなくてよかったじゃない!」

 思わずカッとなって怒鳴ってしまった。その反応を見て、目の前のギャルはにたあっと笑う。

「あなたの口からききたかったの」

 そういって彼女がブレザーのポケットから取り出したのは……携帯だった。それも、最初から入っている録音機能の画面が表示されている。それを見て、私は血の気が引いた。

「みんなには言いふらさないけどお、真田君には言っちゃうね」

「なん……で……」

「だって私、あなたのことが嫌いだもの」

 キャハハ、と甲高く耳障りのよくない笑い声が響く。私はその声がとても遠くに感じて、気がついた時にはその場から逃げていた。

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