第3話 初めての夜
よろしくお願いします。
「ふぅ、ありがと」
とりあえずの危機を脱した僕は、僕の「描」いた狼を撫でる。
僕の手の先にいるのは、さっき狼を喰い千切ったソレとはとても思えないほど大人しく人懐っこい。
撫でられるのが嬉しいのか、鼻息を強くし、その大きな顔を押し当ててくる。
「こらっ、くすぐったいじゃないか」
すりすりと頬ずりをしてくるその姿は、まるで犬そのもの。
僕も自分の描いた絵を怖いなんて思ったりしない。
それがとても強い力を持っているとしても、それに変わりはない。
これまで僕の傍にいてくれる存在と言ったら、自分で描いた数々の絵たちくらいだった。
友達なんて出来るわけもなく、近づいてくるのは僕の能力を悪用しようとする人たちだけ。
そんな人たち、僕の方から願い下げだ。
僕が今、心を開けるのはもしかしたら、自分で描いた絵だけなのかもしれない。
随分寂しいと思われるかもしれないけど、僕からしてみれば、こんなに可愛い友達だって描ける。
今のところ特に不満はない。
「よしよし、もうちょっと頑張ってくれるかな」
僕は狼を撫で続ける。
気持ちよさそうに目を細める狼は、やっぱり可愛い。
ただ、いつまでも気を抜いていられない。
さっき出てきた狼が一匹だけとは限らないのだ。
『フフゥッ!』
すると頷くようにして、鼻息を大きくする。
狼――よし、この際名前を付けよう。
「ポチ」
特に迷うことなく僕は新しい名前で狼を呼ぶ。
『グアゥ!』
名前で呼ぶと、どこか嬉しそうにポチは吠える。
あまり大きな鳴き声を出すと、さっきみたいなのがまた来るかもしれないとは思いつつ、返事してくれたポチが可愛くて、もう一度撫でる。
『ワォォォォオオオオオオオンン』
ポチはまるで本当の狼のような声を出して、嬉しさを爆発させていた。
あ、でも、もうちょっと静かにお願いね。
僕たちはひとまず食料を探していた。
ポチは僕の描いた絵だからそういった類のことはあまり必要ないけれど、僕のお腹の虫は相変わらず鳴き声を上げている。
異世界だから何を食べていいのかよく分からないというのもあるのは確かだ。
それなら絵で描いてしまえばいいのではないかと思うかもしれないが、残念なことに食べ物を描くのは苦手なのである。
何が苦手かというと味をイメージするのが苦手だ。
描いたら描いたで出来上がったものの味はどうしてもひどいものになってしまう。
もちろん不味いのを承知で描くのであればまだしも、さすがに限界にでもならない限り、あれは食べる気が起きない。
「ん、あれって林檎?」
その時僕の視線に入ってきたのは赤く真っ赤な林檎だった。
ただ少し高いところにある。
「ポチ、少ししゃがんでくれる?」
ポチはゆっくりと腰を低くしてくれる。
ありがとう、とお礼を言いながらその背中に乗る。
林檎を取るために背中に乗ったのだが、それ以上に乗り心地が良いことに驚く。
長く綺麗な毛は触り心地も良く、顔を埋めるとあったかくて気持ちいい。
ずっとこのままだったら、簡単に寝てしまいそうだ。
「あ、林檎だった」
ほとんど忘れかけていた目的を何とか記憶から呼び起こし、僕はついに食料を手に入れる。
周りを見回す必要もないくらいに、そこにはたくさんの林檎が実っている。
「…………」
ただこれが本当に林檎なのか、そもそも食べられるのかは分からない。
ご、ごくり。
しかし食欲には敵わない。
僕はゆっくりと口を近づけ、一口だけ齧る。
「…………あ、これ林檎だ」
齧ってみて分かったけれど、普通に林檎だった。
日本にいたころとほとんど全く変わらない。
というか今まで食べたどんな林檎よりかも美味しいかもしれない。
まぁそれは単に空腹というスパイスがかかっているかもしれないけれど……。
ただ僕は異世界でようやくの食事にありつけ、お腹を満たすことが出来た。
「……ん、ポチも食べる?」
ふと気になった僕はポチに聞いてみる。
今まで自分の絵に何か食べ物をあげたことはなかったけど、こんなにたくさんあるんだ。
別に一つや二つあげたところで、何か変わったりはしないだろう。
『ウォンッ!』
どうやら欲しいらしい。
僕は真っ赤で美味しそうな林檎を一つ枝から摘み取る。
そしてポチの首元に抱き着きながら落ちないように、ポチの口の中に林檎を入れてやる。
『…………ウォン!』
ポチはしばらく咀嚼したあと、まるでおかわりとでも言うように吠える。
どうやらお気に召したらしい。
僕はもう二個三個同じように林檎を摘み取り、ポチの口に投げ入れた。
それから何個かの林檎を保存用に摘み取り、森の中を探検しているといつの間にか陽が落ちて暗くなり始めた。
僕は木の葉の隙間から見える夜空を見上げながら、ポチと一緒に歩いている。
ポチがいるからか、あれ以降何か敵となりそうなものとは出会っていない。
しかし今日は色々あったなぁ。
日本から異世界にやって来て、狼に襲われた。
何とかその危機から脱せられたから良かったものの、あれは怖くて堪らなかった。
「…………」
ただ、それだけじゃないことも確かだ。
僕は自分の掌を見る。
何度か開いて閉じてを繰り返して、今日のことを思い出す。
確かに辛いこともあった。
でも今日初めて、生まれて初めて、生きているような実感がしたんだ。
僕は夜空に手をかざす。
この世界の下でこれから生きていく。
僕は夜空を掴むように、拳を握りしめた。