第1話 絵を描く
よろしくお願いします。
「お前は可愛いなぁ」
僕、描本 あたり は手元でごろごろと喉を鳴らす黒猫を撫でる。
今日は平日の正午過ぎ。
普通に高校を通ってる僕からしてみれば、学校に行っていなくちゃいけない時間帯だけどそんなの知ったことじゃない。
今更学校に行ったところで、また気味悪がられるだけだ。
摩訶不思議な僕の能力のことを。
僕には生まれつき『描いた絵が具現化する』という能力があった。
周囲の人間はそんな僕を最初こそ不思議がったものの、その能力の恐ろしさに気付き始めた頃から、僕を化け物と罵り始めた。
そしてどういうわけか僕の噂が近所にも知れ渡り、学校で気味悪がられることなどもはや日常茶飯事だ。
ただ、それももううんざり。
僕は、パチンと手を叩く。
すると膝に座っていたはずの黒猫が、まるで霧にでもなってしまったかのように霧散する。
そう、これも僕の絵が具現化したもの。
僕が描いた絵には、命が吹き込まれる。
どういう原理なのか、僕にも全くわからない。
ただそういうものなのだ、昔からずっとこうだった。
「…………はぁ」
この世界の生き辛さに思わずため息をこぼす。
僕はこの世界で一体何をしたいのだろう。
考えても何も思い浮かばない。
ただこれから先もずっと今みたいに、誰かに怯えられて生活していくのだろうか。
それならいっそ――。
僕はゆっくり立ち上がり、大きめの筆をとる。
何時もなら何か絵を描く時、ボールペンばかり使うのだが今回は特別だ。
押入れの中に入れておいた墨をありったけ、バケツのなかにつぎ込む。
これから僕は「描」く。
この世界とおさらばするための穴を。
キャンバスは無駄に広い部屋すべて。
もともと家具なんて洒落たものなんてないし、掃除する必要なんてない。
僕は、墨が飛び散らないようにゆっくりと筆を濡らす。
墨を含んだ筆は人一人分くらいの重さになり、持つのでもやっとだ。
それでも僕は「描」くのをやめない。
真っ白な床に筆を下す。
ここからが重要。
絵を描くときは何よりイメージが大事なのだ。
この世界から消え去るための大きな穴。
どこかこの世界とは異なる世界、それもこの僕の能力を使うことの出来るような世界へとつながる穴。
それを最大限にイメージしながら、ゆっくりと、大きく、円を描いていく。
もうすぐ、初めと終わりが繋がる。
「…………っ」
僕は最後の力を振り絞って、円を「描」きあげた。
その瞬間、どくどくと沈んでいく足。
近づいてくる床と離れていく天井。
重さに耐えきれず離してしまった筆が円の外に転がっている。
それが、僕がこの世界で見た最後の光景だった。