その三
眼前には、建築物が、点在していた。
初めてこの村に入り込んだときは、夜も近い日ごろであったため、お屋敷の敷地内にこじんまりとした小屋が幾つも乱立してるんだな、程度しか思わなかった。
しかし、そうではなかった。
れっきとした、人の住まうものだった。また、たくさんあった。数件、といった規模ではない。少なく見積もっても、50はあるだろう。等間隔で建てられている。これでは村である。人口は、それなりにあると思って良かった。
ただ、問題は。
少年が眠っていていた家も、間違いなく似たような佇まいの家であり、比較すると大きめではあったが、明るい今日、お日様の下では粗末に映った。屋根は木で出来ていて、ボロボロ、色もくすんでいる。
正直、長年の古さを感じさせた。ツギハギもあって、余計に。雨漏りとか、しそうな……、またそれは他の小屋も同等で、お日様の下に照らされた野暮ったい屋根や小屋は、時に素材がないためか、石でできていたり、藁や、中途半端なレンガで覆われていたりと、てんでバラバラで、近代建築の類をみせる建物はものの見事になかった。有る素材で詰め込んで作ったかのような、アンバランスな情景。明らかに貧しい、農村。映画のセットだと言われたら、そう信じてしまいそうだ。
……かつての、昔の日本、というべきだろうか。
少年はごくりと生唾飲み込みつつ意を決し、疲れの残る足を引きずり倒して……、乱立する建物たちを、順繰りに見て回った。
生活音、はする。
派手な食器の落ちた音がしたら、ドキリと跳ねるは少年の心臓。
足を止めるが、誰も現れぬ。
中空あたりを見上げると、煙が煙突から出ていた。良い匂い。
朝食、なんだろう。そしてそれは、この家屋だけじゃなく、他の家もそうだった。
なぞるようにして、他の、風に棚引く煙を見渡す。
一部、だが。煙の出ていない家もあった。
……かといって、人ん家に訪問する勇気は、朝起きたばかりの少年にはなく。煙の本数から察するに、在宅はさほどでもないらしい。
ただ肝心の人が、出歩いていなかった。
なんらかの仕事にかかりつけか、のんびりとした村なのかもしれない。……分からない。
彼は、ポリポリと、頬を人差し指でかく。
緊張もしていたが、次第にほぐれていった。ドキドキとした心臓の音が、次第に静まっていくのを待つ。
再び、歩くことにした。
呑気に珍妙な景色を楽しんでいると、唐突な、あまりにもとんでもない臭気がして、思わず鼻をつかむ。しかめっ面もした。
なんだろう。
本当に、臭い。
まるで、獣の。
覚えがあるのは、動物園。
この生臭さ。辛い。まるで肉食動物のオリにいるかのような臭み。そこでようやく、ちょうど、少年は風下にいたらしいことに気づく。ちょうど鼻腔に直撃してしまったようだ。
慌てて逃げようと浮足立つ、泳ぐ足を止め、口からの呼吸を整える。
出処は、と目星をつけた所を見つめる。
人家から離れたところに、細長い小屋があった。
糞と餌が、うず高く積まれている。興味がムクムクともたげてきた。
だが、慎重を喫するため、恐る恐る近付く。
入口は、開けっ放しらしい。扉が、無い。誰でもいつでも入れるように、という配慮だろうか。
ドキドキとした脈拍を耳にしつつ、覗き込む。人が、いるかもしれない。村人が。
利き足を力みつつ、覚悟を決める。
「すみませ……」
と、そこには魅惑のピンク……、ぴょこん、とした尻尾があちこちから飛び出していた。
「お尻?」
豚の群れだった。
「……」
ただの豚である。どうみても肥えたピンクだった。
そう、血色の良い、丸々とした豚、豚、豚。豚のオンパレードであった。
養豚所か。
道理で、聞き覚えがある鳴き声が聞こえるはずであった。鉄格子に、ピンクの豚たちが群がっている。柵に設置された餌は、山盛りだった。
早朝、誰かが働いていたらしい。もしや管理人がいるのかもしれないと、目を皿のようにして小屋の中を探ったが、誰もいなかった。
少年は、大した収穫はなかったとがっかりしつつも、餌と豚に触れたい好奇心を抑えつつ、そこそこ見終えたら、その場を離れた。臭気に耐えうる鼻を持ち合わせてもいなかったし、……ぼちぼち、腹も減ってきた。
変わり映えのしない村々の家々を半ば放心した心持ちで見詰め続けたあと、きしみ始める胃痛に苛まれた彼は、村の端から、中央へとやって来る。
一番、人目を引くところだ。
最後に行こう、と考えていたところである。あえて触れなかった場所だ。
なんせ、明らかに神社、なので。
小屋みたいに慎ましい本殿と、鳥居があったから、そうなんだと思った次第だが、はて。さて。
そう、……なのだろうか?
敷地内は囲いはされていないので、どこからでも入り込める仕様となっていた。
パッと見、実にごく一般的な神社である。
そのため、彼もまたどこからともなく、入り込むことができたわけだが、無用心な気もした。
とはいえ、こんな小さな村で、泥棒なんてこと、あるのだろうかと、申し訳程度に設置されてある賽銭箱を見やる。軒下には鈴、紐が垂れており、神社としてのお参り体裁は整えられているので、何を祀っているのか気にはなり、閉じられている扉、の隙間から、向こう側を覗く。
「……鏡?」
その正面、本殿から降りて真っ直ぐ進めば、真っ赤な鳥居が地面に据えられている。
その鳥居のそばへ寄ると、村の中でもひときわ目立つ大木が側に生えているのを知る。
神木、のようだ。
何故分かるのかと言えば、しっか、としめ縄が、太い幹に回されていたのだ。
白い紙が、ヒラヒラと風に揺れている。やはり、御神木ということなんだろう。
似たような木は村のどこにでも生えているが、樹枝も太いし、葉っぱも瑞々しく、名前も知らない木ですから、見たこともない木になるかもしれないが、やはり、村のどこぞの木々よりは別格の扱いを受けているあたり、違う、のだろう。
空気も爽やかな気がする。
現役高校生は、明らかに日本、といわんばかりのこの神社に、住民の心の拠り所を感じ、また、彼も、同様にしんみり、とした。
それは、なんなのかはわからない。
だが、心の隙間を刺激したのは確かだ。
「おう、そこにいたのか!」
びくっ、と少年の双肩が浮く。
ガハハ、と、朝から元気な漁師のおっちゃんみたいな村長がやってきた。
少年を助けてくれたおっさん、彼は、この日本人村の村長さんであった。