プロローグ1 【異世界への準備】
いい年をした男が薦められたMMORPGにはまってしまった。恥ずかしくて人には言えないがそれが事実だ。
仕事を引退して退屈だった。女房は既に鬼籍に入り子供もいなかった。趣味の家庭菜園や読書に時間をたっぷりとかけてそれなりに充実感を覚えていたが、まだ時間が余っていて暇を持て余していた。
新たな趣味でも見つけるかと考えていた時にMMORPGを薦められたのだ。薦めてきた知人もやっているMMORPGで、よくある中世ファンタジー風の魔法と剣の世界を体験するゲームだった。
ゲームというものを一度もしたことがない私は最初は乗り気ではなかったのだが、実は相当にMMORPGと相性が合っていたのかのめり込んでしまったというわけだ。
地道にレベル上げるのが楽しかったし、ソロもPTも苦にならなかった。チャットで話すのは最初は言葉や特に略語が分からなくて苦労したが、慣れると若者と話すのは刺激を受けて楽しかった。
パソコンは仕事で使っていたので、老人といえどもブラインドタッチはできるぞ。携帯電話の操作は無理じゃったがな。
ネットで情報を調べてクエストやボスを攻略するのも性に合っていた。異世界で自分と違うキャラを演じるのが楽しかった。地球では絶対体験できない魔物やドラゴンとの戦いやクエストを何度もクリアする冒険が非常に気に入ったというわけだ。
チャットで度々話題になり気になったドラク○・エフエ○などのゲームにも手を出して楽しんだりもした。子供の時に冒険小説を読んでハラハラドキドキしたことをゲームの中で疑似体験できるのが、実に新鮮で面白かったのだ。
そしていつもの様にパソコンを起動してゲームを始めようとしたその日、見慣れないメールが送られてきたことに気付いたのが、この話の始まりだった。
実際ありえない話だが、そのメールは異世界への招待状だった。悪戯か詐欺の類だと一笑に付すところだったが、何故か与太話につきあってみようと考えて目を通してみた。暇だったのだろう。
人間・魔族・獣人族・妖精族が4大種族として栄え、大地を支配しているこの驚異の異世界を、己の力と才覚で生き抜こう!! 科学が発達した現在の地球とは違う魔法文化が発達した異世界で、驚きの初体験が君を連続で襲うだろう!! 怖れせることはない。新しい力を手にした君がその力を使いこなせば、あらゆる可能性が君を待っている!!
よくある謳い文句である。招待される新世界は、ラノベやネット小説ではありふれた設定の中世風のファンタジー世界であることも分かる。そのくせ、歴史・国家・地理などの凝らした設定の説明も一切なく、後は自分で体感してくれと突き放している。ある意味清々しいくらい開き直っている。
サンプル画像もないテキスト文のみという、何とやる気のない紹介文なんだろうと呆れてしまう。しかし『あらゆる可能性が君を待っている!!』の一文が私の心に鳴り響いた。
会社を引退し、後は死ぬまで暇な時を過ごすだけなのは間違っているのではないか。間違いとまでは言えないが、刺激のない退屈な時間が待っているだけではないのかという不安。異世界で再度新しい人生を送れるチャンスが与えられたら、それに賭けるのも少なくとも悪手ではない。そのチャンスも普通は絶対ありえないものだよな。様々な考えや思いが頭の中を駆け巡る中、私は異世界に行くことを決心していた。
行くと決めたら早速、状況判断と行動をしないといけない。まずメールを再読し内容の確認をする。簡単にまとめると次のようになる。
この紹介状は全世界で選ばれたネットゲーマー50名に送付されたこと。招待に応じるか否かは勿論自由であること。参加の場合はメールに記載されているサイトで、3日後の午前8時までにキャラ作成すること。最後にチートアイテムのランダムプレゼントがあり、その選択をもって異世界へ飛ばされること。ボーナスポイントを有効に使えばかなりのチート能力を持つキャラを作成できること。
異世界行く準備もしないといけないなと考えていると、電話がかかってきた。
「もしもし、社長、どうしたんですか? まだインしてないですけど。」
「うるさい 何度も言わせるな。もう社長は引退してお前に譲っただろうが。今はただの隠居爺だよ。今の社長はお前だろ。それに社長が仕事もしないでゲームのことで電話してくるな。バカヤロウ。」
相手は私に今やっているネットゲームを推薦してきた知人でもあり、私が会社を任せた後輩でもある。口が裂けても友人とは言うつもりはない。
「社長と何十年も言い続けてますから、つい口がすべって言ってしまうんですよ。それで電話した要件というのは、先代がインしてないのでもしかしたら孤独死したのではないかと気になりましてね。」
「そう簡単に死ぬわけないだろ。変なゲームのメールが来たから気になっていただけだ。」
「もしかして【異世界の招待状】ですか? 」
「確かにその【異世界の招待状】というゲームのメールだ。よく分かったな?」
「正式な名称は未定ですが、今一番話題になっているMMORPGですからね。実施はまだまだ先ですけどモニター募集をするらしいと噂になってましたよ。本当に【異世界の招待状】のモニターに選ばれたんですか?」
「モニターに選ばれたみたいだから、暫く異世界で遊んでみようと思う。」
「本当に羨ましいですよ。感想は絶対教えてくださいね。いや、でも、守秘義務とかありますよね。【異世界の招待状】は、隠蔽工作が凄くてその内容が不明すぎるんです。噂話ばかり広がってます。」
ゲームの話ばかりが永遠に続きそうなので、時間が勿体ないからここで強引に質問を挟むことにする。異世界への準備で頼みたいこともあるし。
「そうなのか。ところで、一つ、つまらん質問が思いついたんだが。もし異世界から招待状がきて行くことになった時、何か1つ物を持って行けるとしたら君は何を選ぶ?」
「唐突ですね。ゲームの名前からの連想ですか?」
「そういうことだ。よくある質問だが、真剣に考えてみてくれ。1つに絞れなかったら数個ほどの候補でもあげてくればいい。」
「急に言われても困りますね。何か条件ありますか?」
「招待される異世界は今やっているゲームと同じような中世風ファンタジー世界とする。衣食住の問題はクリア済みとしておこう。」
「そうなると科学知識はこちら世界の方が高いでしょうから、パソコンと言いたいけど電気ないだろうから却下。百科事典が良いかもしれませんが重すぎるでしょうね。これも却下かな。私なら異世界でも醤油が欲しいから、醤油製造や大豆栽培の専門書でも持っていくのもありですね。」
「電気はあるかもしれないぞ。」
「あってもパソコンはネットがないとあまり意味ないでしょう。電圧や直流交流など適合しないと使えないことは変わりません。DVDは嵩張らないから有用だけど、肝心の知識面では専門書の方が優れていると思います。」
「なるほど。自分の欲しい知識の本があれば候補になるという意見か。」
「候補ですけど 第一候補と言われると違うような気がしますね。」
「あると便利だけど、乗物関係もガソリン等があると限らないから却下。持っていくとしたら自転車しか候補にならない・・・。いやパンクしたらもう使えないかもしれませんね。」
「後は資産価値を考えて 金=GOLD でしょうか。」
「異世界でも金が価値あるとは限らないだろう。」
「根拠はないですよ。でも金の特異性は異世界でも資産価値が高い可能性はあると思います。特に手に持った時の金の重量感は特別すぎます。」
金については盲点だった。某小説の様にビー玉等の安物を持参する案もあったのだが、異世界で価値が出る物を見極めることが難しいのは確かだ。でも言われた通り金だったら、異世界でも資産価値が高い可能性はある気がする。
その後、色々と討論というかお喋りが続いたが最後にお願いをして終了とする。
「明後日までに マウンテンバイクとシルバーカートが各1台欲しい。あと中古でも構わないが百科事典を1セットも一緒に欲しい。」
「マウンテンバイクとか渋いですね。新しく趣味で自転車でも始めるんですか?」
「そうではないが、テレビ見て急に欲しくなったんだ。唯手に入れるからには一流品が良いからね。別にマウンテンバイクでなくても良いんだが、頑丈で悪路でも乗れる自転車なら何でも構わん。勿論素人でも乗れることが最低条件になる。」
「日本一周でもするんですか?」
「する気はないが、可能な自転車ということだ。だからキャンプ用品も運べるように頑丈な荷台とかのオプションが必要だ。これはもし可能ならの話だが、シルバーカートと自転車は連列できるように改造できるか?」
「えーとすいません。まとめるとこういうことになりますか?」
「1点目は
百科事典を1セット購入すること。
2点目は
百科事典を積載できる、積載重量100キロの頑丈なシルバーカートを購入すること。
3点目は
初心者が乗れて悪路を走行できる自転車を購入し、日本一周が可能なように装備を追加すること。
4点目は
百科事典を載せたカートと自転車を連結し運転できるように改造すること。
最後にこれらを明後日までに先代に納品すること。
以上ですね?」
確認されると、私の要求は非常識に聞こえるな。
「すまんが、それで合ってる。我儘なのは判っているからできる範囲で構わんよ。私が行動してもいいんだが、個人では絶対無理なんでな。」
「わかりました。初めての件ばかりで明言できませんが、突貫してやってみます。日数が短すぎて、連結の改造が一番厳しいでしょうし、もし出来ても実際に運転できるかどうかわかりませんが、できる限りのことはやります。」
「我儘言ってすまんな。よろしく頼む。」
電話を切ってから実際は電話の途中から、怪しい事を話してるなと苦笑しそうになったが、必要だったから仕方ない。異世界に行く準備で一番無理な事案を適任者に頼むことができた。あいつに頼んで無理だったら諦めがつくというもんだ。