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Snow White  作者: 湊 奏
3/4

三人目 想イノ感謝ト想イノ夢

Snow Whiteは今日も開店休業状態だった。といってもこれが普通で、満員御礼になどなったことがない。なる必要がないのだ。



ここは想いを、願いを抱えた者だけが立ち寄れる不思議なお菓子屋さんだからだ。



入るべき人しか入れない。偶然は存在しない、そんなお店。



だからか、冬が一番客が来る。年末効果かクリスマス効果か。儚く、時には痛々しい想いを抱えてくる者もいる。それを叶える後押しをするのがこのお店の存在意義だった。


そして今日もまた、ささやかな願いを抱いた者が来る。




「へぇ、銀座に開いたか」


昼間のお店で店長が独り事を言う。


太陽の光が差し込んで、店内は照明がいらないほど明るかった。

昼間は基本的にお客が来ない。願いをじっくり思う時間が現代の日中には殆どないからだ。


「珍しい事もあるもんだねぇ」


入口が開く。それはそこにお客がいることを示した。普段は池袋に入口がある。というのも従業員Aがそこから出勤してくるからだ。


今日は休日ということもあるので彼女もそろそろ来るだろう。


独り紅茶を飲みながら店の外を眺める店長。そうしている間に案の定、景

色が霧のように消え、そしてまた色彩豊かに現れた時には池袋のいつもの場所だった。


「こんちわーっす! アゼガミ サキただいま参りましたっ!」


元気に笑顔であいさつするサキ。


「はいはい、今日も元気だね。少し早目かな?」


「えーっと…そうみたいですね。電車一本早かったんで」


「そう。んじゃ、着替えておいで。そろそろお客さん来るから」


さらっと言う店長の言葉に、奥へ行こうとした先の動きが止まる。首だけが「ぎぎぎ」という効果音でも立てそうな感じで振り返った。



「まじっすか… ウソでしょう。こんな昼間っからお客が来るなんて」


「一応は朝9時から開けているからね。こういうときもあるさ」


戸惑いを隠せずに店長を見つめるサキ。店長はそれを見てクツクツと笑う。


「っていうか、何で予測ができるんですか…」


「さぁ? ほら、早く着替えてきなさい」


「は、はぁ…」


納得できないまま更衣室へ向かうサキ。

サキはこの店の秘密をその実ほとんど知らない。


夜になるとどこに開いても景色が大して変わらない、というのもあるが、サキの場合は注意力散漫というのが多気だろう。よくよく考えれば、おかしなことはいくらでもあるというのに…


店長がその背中を見送ると、程なくして店のベルが鳴った。





カランカラン―――…



「いらっしゃいませ。ようこそ、Snow Whiteへ」


お決まりの接客の挨拶をお辞儀と共にする。もちろん執事仕様。


店長が顔を上げたとき、目の前にいたのは異国の老人だった。


深緑色の瞳と年を刻んだ顔のシワは、彼にとても優しい印象を与えている。そして何より特異だったのはその服装だった。



「Hello. Nice to meet you sir.」


「日本語で結構。これでも日本暮らしは長いんだ」


老人は悪戯っぽく笑った。この老人の格好。それはsirと言うに相応しく英国紳士だった。


「貴方はどちらの方ですか?」



「住んでいるのは六本木だ。出身地を聞いているなら…まぁ、見て判ると思うがイングランドだ」


「ですね。老紳士といったところですか」


そう言ってお互い声を発てて笑いあった。まるで旧友の様に…


「店の方は繁盛…しているようには見えんね。孫の言ったとおりだ。と、失礼」


「いいえ。繁盛する要素が皆無ですからね。お孫さんが此処に来た事が?」


「あぁ。なんでも恋人に告白する勇気をもらったとかでな」




何という偶然か。いつかの高校生の女の子の祖父らしい。


そして、聞いたからといってやって来れる場所でもないし、その時は渋谷に入口が開いていたはずだ。



店長が驚きのあまり言葉を失っていると、老紳士はまたニヤリと笑った。


「不思議なお店だとか言っていた。振り返ってもそこには何もなかったと」


「よく…当店だとおわかりに」


「私は英国人だ。と言えば納得していただけるだろうか?」


英国。そこは神秘の国だ。各地に妖精や妖怪の話が残っており、それは今でも目撃されることがあるという。


そんな国で育った彼は、不思議話は身近であり、それが自ら体験することになろうとも受け入れやすいモノなのだろ。



それはともかく、彼が此処に来られたということは何かしらの願い、想いがあるはず。此処はそういうお店だ。



「ところで、当店にはどんなご用件で?」


「当然だがお菓子を作ってほしい」


「わ、本当いお客さんが来てます…」


サキが着替えを終えて戻ってきた。


「こら、出会い頭に失礼でしょう」


「あ、すみませんっ」


店長に窘められ、慌てて謝る。それを老紳士は、構わない、と手を振った。


「それで、どのようなお菓子を」


そういう話をしに来たのなら、オーダーメイドの本領発揮だ。察するより話してくれた方が遙かにスムーズだ。



「あぁ、うん。記念になる、思い出に残る一品を。金婚式を明日に控えているんだ。子どもたちは色々としてくれたが、私も何か妻にプレゼントしたい。此処まで連れ添ってくれたが、私から彼女に何かあげたことは皆無なんだ。これを機会に妻にこの気持ちを伝えたい」


老紳士の妻を語る口調、眼差しからどれ程妻を愛しているかが店長には読みとれた。彼の願いは伝えること。伝えることができる、想い出に残すことができる何か…


店長は暫し思案して、そして決めた。


「お任せください。その依頼この娘が受けましょう」


「はいっ!?」


今まで聞いていたが、突然話を振られ素っ頓狂な声を上げてしまうサキ。


「ちょっ、無理ですよ! てんちょーやってくださいよ!」


慌てて断るが店長は見向きもしなかった。



―――これが―――――――きっかけだ。


「如何でしょう?」


すると老紳士は子どもの様に瞳を輝かせた。面白いモノを見つけた、と。



「あぁ、ではお願いしようか、可愛い店員さん」


「ふ、ふぇぇえええええええええ!?」




かくして、サキは老紳士の依頼を受けることとなった。というか断れない雰囲気だった。そしていつも店長がしていたことを彼女がする運びとなる。


いつものテラステーブルへ着いたのは老紳士とサキ。そして今回は店長が飲み物を入れる。サキの方がレヴェルが高いとはいえ、店長も当然の如くちゃんと淹れられる。


「お飲み物は如何いたしましょう」


「そうだな。ではロイヤルミルクティーを」


英国紳士が如く、といったところか。


「畏まりました」


奥へと消える店長。

サキは意を決して老紳士に臨んだ。


「それでは、お話を聞きたいです。貴方と奥様のお話を」


「あぁ、孫も言っていたな。話から必要なモノを引き出すと。もちろん、必要とあらば話そう」


スルリと店長が戻ってきて、ロイヤルミルクティーが三つテーブルへ置かれた。


「ってはや!? うち、瞬間湯沸かし器ないですよね!?」


「ないね」


「じゃぁどうしてですか!?」


ぎゃぁぎゃぁ叫ぶサキ。今更すぎる気もするが…ケーキだって15~30分で作っているのに。


「あとで教えてあげるから。ほらほら、今は目の前の事に集中しなさい」


「あ…」


店長に言われて、サキは正面に向き直る。


「はっはっは、面白い娘さんだ。うちの孫もこれくらい元気があると良いんだがね」




「すすすすす、すみませんっ!」


「いやいや、気にせんでくれ。私は元気な子が好きなんだ」


快活に笑う老紳士。


「では、そろそろ聞いていただけるかな?」


「はい、お願いします。」


そして語りだす。妻と連れ添った半世紀の物語を。







そもそも私が日本に来る契機となったのが妻の存在だった。私と彼女は五十年前のイングランド、ロンドンで出会ったのだ。


 日本人であった彼女との出会いのきっかけは演劇だった。シェイクスピアの『夏の夜の夢』の公演の時にボックス席で隣になり意気投合した。


彼女はオペラグラスで舞台を見ていたが、その表情はとても楽しげで愛らしく、私でなくとも心を奪われただろう。


舞台中に声を上げるのはマナー違反だったが、そんなことも忘れて私は彼女に声をかけてしまった。


「美しいお嬢さん。よければこの後、食事にをご一緒していただけないだろうか」


そう話しかけた時の彼女の顔はすさまじかった。いや、笑いごとではなのだがね。

楽しみを邪魔するな、というようにものすごい形相で睨まれてね。


もちろんその場はそれで終わり。オペラが終わるまで話しかけるなんてとてもできやしない。



オペラが終わった後、私は再度話しかけた。


まあ、この時点で私はそうとういかれていたわけだが。


「お嬢さん・・・」


話しかけた途端、振り向きざまの平手打ちが飛んできた。


「ちょっとあなた!舞台中に話しかけるなんてどういうことなの!?」


「いや、すまない。君があまりに美しかったもので、話しかけずにはいられなかったんだ」


英国人は奥ゆかしい、などと揶揄されることもあるが、この時の私はまさに暴走していたんだろな。


こんなストレートな物言いをしたことなんて、生まれて初めてだった。


だが、それが功を奏したのか、彼女は真っ赤になったがこちらの話を聞いてくれるようになった。


「ま、まぁいいでしょう。それで?食事ですって?」


「いや、そんなことは口実なんだ。無論、食事はしたいが。君に交際をもう込みたい」


無論、その場で丁重に断られたよ。初対面でいきなり交際もなにもないと、われながら後で恥ずかしくなったものだ。



だが、その後も何度か会う機会があってね。彼女にまた会えるかもしれないとおもって舞台に通い詰めた甲斐があったというものだ。


2回目からは、帰り道に他愛ない話ができるようになった。


食事にも応じてくれるようなり、私は舞い上がった。


「わたしは日本からきたの。留学生なのよ」


東洋人だとは分かっていたが、日本人だとは考えてもいなかった。


元敵国というわだかまりは、国家間では予想以上に強い。


政府はもちろん連合国親和政策だったが、国民感情はそうはいかなかった。



自らの出身の話をした彼女はとても悲しそうな顔をしていた。


彼女のそのことは、遠くない別れの時を示していたのだ。


それから数度の逢瀬を重ねたが、愛が深まれば悲しみもより深まる。


それに私は耐えられなかった。ともに居たかったのだ。



「私と結婚をしてほしい」


彼女と出会い4年。彼女が今年に帰国するとわかったとき、私は彼女に指輪を贈った。

彼女の名、ルリコに因んで瑠璃の指輪を。






 彼女は美しかった。いや、今も尚美しい。それは年を重ねお互い若さを失いはしたが、彼女の本質に在る美しさは衰えることがない。


 


 彼女は受け入れてくれたが、お互いの家が猛反対した。


我が家もそれなりの名家であり、日本人と結婚するなら財産相続権はやらないと言われた。これはせめてもの思い遣りだったのだろう。


勘当されても仕方なかったのだ。私の意見を尊重しようとしてくれた結果だった。


もちろん私は承諾して彼女と共に日本へと渡った。

だが、ルリコの家はそんな生易しいモノではなかった。ルリコの祖父は大戦で亡くなっていた。彼女の祖父は軍人であり、太平洋へと沈んだそうだ。


 その恨みが私に向いていた。英国人と言うだけで、彼女は家へ閉じ込められ、私は門前払いを食らう。


会う事すら出来なくなってしまったのだ。


私たちが結婚できたのは、彼女の献身的な説得があったからだ。三か月もの間、彼女は毎日両親を説得し続けたという。


私も毎日通った。門前払いを受けようともめげずに毎日だ。



私は学んだ。想いはきっと伝わるのだ、と。









「結婚してかも苦労は絶えんかったがね。私は日本に土地勘も伝手もなかった。


英国人と言う事もあり、どん底の生活を味わった。それでも彼女は共にあってくれた。事業が成功してからは忙しさでともにいることが難しくなったが、それでも合間を見て逢いに来てくれる。


私は彼女を本当に愛している。今は会社を引退し会長職に就いた。もう、時間に追われる事もない。今まで出来なかった分、今迄支えてくれた分、今度は私が返したいんだ」



 老紳士は真剣に、真摯に、そしてちょっとだけ照れて語った。


「良い、お話ですね…」



 それ以外の言葉が出てこなかった。色んな思いがある。でも、言葉にしてしまったら嘘になってしまいそう。そう思えてしまって。



 そして老紳士は帰って行った。翌日また来る事を約束して。


「帰して大丈夫なんですか?」


「大丈夫だよ。彼の願いはまだ胸に在る。だから必ず此処にまた来れるさ。それよりも、お菓子のイメージ決まったかな?」


「――――…」


 正直なところ、そもそも自信がない。自分なんかがやって良いのかという思いが今でも胸に在る。けれど、老紳士の話から。お菓子のイメージが朧気に浮かんできていた。


「安心しなさい、ちゃんとフォローはするから。君は思いのままに作ればいい。彼のために、彼だけのためにね」


「あの人だけの、ため…」


 出来たら、彼は喜んでくれるだろうか。持って帰ったそれを見た奥さんは喜んでくれるだろうか。

 彼のため、誰かのため…


「はい、出来る限り、全力で頑張ります」



 彼らは厨房へ入り作り始めた。


「サキさん、一回出て」


「はい?」

「この店の秘密を教えてあげよう。約束通りね」


 サキは取りあえず言われたとおりに出る。そして、厨房を振り返ると、それそれは異様な光景があった。



「てんちょーがいっぱい…」



――残像だよ、それは――


「は!? て、何か直接頭に響く声はなんですか!?」



――俗に言うテレパシーかな?―――



 そんな事を云いながら、店長は厨房の中を人間業とは思えないスピードで動きまわる。


 いや、店長だけではない。炎も湯気も、あらゆるものが目まぐるしく、ありえない速度で動いていた。



――サキさん、中の時計を見てごらん――


「へ? ―――…っ!?」



 時計の針が、ぐるぐるぐるぐる… DVDの早送りみたいに忙しなく回転する。



――はいっておいで、大丈夫だから――


「…で、でも」



 正直怖い。なんか、いつも入っていたのが嘘のようで…


――心配ないよ、別に痛くもかゆくもないから――


「ふ、ふぇぇぇ…」


 此処に突っ立ていてもどうしようもないので、サキは意を決して厨房に再度足を踏み入れた。

 とたんに、あの目まぐるしかった動きがすべて普通になっていた。



「…あ、の…これってどういう…」


「君があの目まぐるしい中に入ったってこと。じゃあ、外の時計を見てごらん」


「あ…」


 秒針が動いていなかった。


 いや、正確には、遅すぎて動いてないように見えた、だ。


「答えは、解ったかな?」


 店長が楽しそうに笑う。

 サキはひきつった笑いが顔から剥がれなかった。


 だってありえない。いや、ありえないモノは結構この店で見てきたが、何らかのコツとか、トリックがあるものと思っていた。まさか、こんな超常現象に出会うなんて思ってもみなかったのだ。


 答えは解った。でも、常識がそれを『ありえない』と言う。


「サキさん。世の中、常識では測れないモノの方が多いんだよ。それを排除して平穏を守るのは自由だけど。受け入れた時、君の世界はきっと広がる」



 店長の優しい声で囁かれてしまったら、どうも逆らえない。何故か素直になってしまうのだ。


「う~…わかりましたよぉ… 厨房と外とでは時間の流れが違う。厨房の中はとんでもなく時間の流れが速いんですよね」



「よくできました。だから、時間はいくらでもあるから、たくさん練習して、君の一品を作ると良いよ。焦る必要は、文字どおりないのだからね」



サキは一通りお菓子作りのスキルは持っていた。

店長の言葉を信じて、心のままに、イメージのままに作ってみる。



失敗もあった。何度も作りなおした。完成しても納得が出来ない。イメージに近付かない。


確固としたものが在るわけでもないのに、老紳士夫妻の事を考えると更に洗練したくなる。


もっと、美味しく、もっときれいに。思い出に残る、自分の心を込めた一品を…



何度も失敗し、作り直しをする彼女。しばらくは大人しく手伝っていた店長が彼女の手を掴んだ。



「焦っては駄目、そんな必要はないって言ったよね」


「はい…でも」



 気持ちだけが先行して、でもイメージ通りのモノが作れない…いくら時間があるとは分かっていても、無限じゃない。心の中がもやもやして、どうしても…


「一つ、ヒントをあげよう。私のいつもの言葉を思い出して。それから彼らの半生をイメージするんだ。美しき良き彼らの時代をね」


 店長のいつもの笑顔。くったいのない、人を安心させる笑顔。

 彼女は考える。彼のいつもの言葉を…



『君に必要なものは…』



―――あの人に、必要なモノ…










「できた…」


「おめでとう。よく頑張ったね」


 賛辞を贈る店長。サキは少し放心していた。



 彼らに必要なモノ。そして彼らの生きた時代。それが一つとなり、このケーキが生まれた。









翌日、店には本当に老紳士がきた。新たに焼き上げた例のケーキが既にはトレイに乗せられていた。


「これが…」


 老紳士は驚嘆してトレイのケーキを見つめた。



「はい、僭越ながら私が作らせて頂きました。貴方がたが生きた美しき良き人生。貴方の想いを糧に、私が心を込めて貴方がたの為だけに作りました。名は『ベル・エポック』」


 フランスの黄金期を現した言葉。ベル・エポックの意味は美しき良き時代。芸術・文化が花開き、栄え、最盛期を迎えた。それ以前は苦しい時代があった。だが、それを乗り越えてそこまでたどり着く。


 人生の道。赤い絨毯を模したプレートがケーキの下に敷かれていた。



「嗚呼、素晴らしい…ありがとう、きっと妻も喜ぶ」


 それを聞いて、サキはホッとすると同時にとても胸が暖かくなった。


 ケーキを箱詰めして老紳士に渡す。彼はとても丁寧にお礼を言って店を後にした。



「ありがとう。Merry Christmas.」


「あ、今日クリスマスでしたね。メリークリスマスです」


「Merry Christmas.」



「てんちょー」


 揺れた扉を見つめながらサキはぽつりと口を開いた。


「なんだい?」


「私、もっと作ってみたいです。誰かを想ってお菓子を作りたい。自分の作ったもので、それで誰かがちょっとでも幸せを感じてくれるなら、それは素晴らしい事だと思います。私、誰かに幸せを届けたい」



サキの眼は生き生きとしていた。宝物を見つけた少女のような瞳だった。


「…それが君の求める願い、だったんだね」


「そう、みたいっすね」



 サキははにかんだ笑みを浮かべた。



―――なら、もう此処に居る必要はないね…



 寂しくなる。そう思いながら店長は告げた。



「サキさん、今日付けで君を解雇します」


「え…」


「君は願いを見つけた。求めるものがあった。必要なモノはそろった。だったら、もう此処にいる必要はないよ」


「え…と…」



 突然の解雇宣言にサキは頭が付いていかなかった。


「ちゃんとお給料は振り込んでおくから。きっともう、此処には来れないよ。君は君の道を行きなさい…」



「ちょ、ちょっとまってください! そんな事急に言われてもっ! それに私は!」


「どのみち同じ事だよ。今日帰ってしまったら、君はもう此処には来れない」



 店長に、表情がなかった。いつも色々な表情をして、中でも含みのある笑みはファンがいそうなのに、今は何もなかった。


 それでも…



「それでもっ! 私は此処が良いんです! 此処で働きたいんです! 店長ならなんとか出来る。そうでしょう!? あんな不思議な事がいっぱいできるんだから!」


 店長は何も分かってない。解っているつもりになっているだけだ。

 サキは、目じりに涙をためて、店長を見据えた。


人は…



「人は…っ」


「サキさん」


「…っ」



店長が、サキの頭をポンポンと撫で、手を置く。


「ありがとう。君がいてくれて、本当によかったよ」


「て、てんちょー…ぅぅ…」


 サキは涙をこらえ切れなくなってしまった。堰を切って大粒の涙は溢れだす。店長の気持ちは、事実は変えられないとわかってしまって…



「さようなら…」



 そして、サキの体は光り輝き、店から跡形もなく消え去った。自宅に強制送還したのだ。



 明日からまた、彼一人で店を回すことになる。


「―――…」


 サキが来てから今日までを回想する。とても元気な子で、空気を清浄にする子だった。彼女が来てから、店が明るくなった気がした。


そう…彼女が来てから、とても充実して、楽しかった…



「いつか、君がこの店を忘れたころに、一度だけ私から会いに行こうか…」


そう、独りゴチて店の奥へと姿を消した。












「てんちょーっ!」


「え? サキ? どうしたの、目を真っ赤にして! て言うかいつ帰ってきてたのよ」


「―――っ!」


 いつの間にか自宅の玄関に立っていて、母親が目の前にいた。


 サキは何も言わずに母親の横をすり抜け、ダダダダっと階段を上り自室に駆け込み鍵を閉め、ベッドに身体を投げ出した。



 しばらく泣いて、涙を流して、枕を濡らしていた。


 こられなくても、店長なら何とか出来るはずだ。根拠なんてないけど、絶対出来るはずだと確信できた。



 なのに、店長は何もしてくれなかった。自分は、本当は要らなかったのだろうか。


 店長一人でも、あの店は回せる。その意味で、彼女はいてもいなくても同じだ。それを思い出してしまって、彼女はまた泣いた。


「てんちょーのばか…」


 思ってもない事が口を衝いて出る。どうしようもないのだろうか…


 あそこはくだらない願いには反応しない。真摯な、とても純粋な想いに、願いに反応して入口を開くのだ。


 サキの願いは叶ってしまった。だから、あそこにはもういけない…


あそこが好きで、あんなふうに皆に提供したかったのに…店長が、彼女の憧れであったのに。


やっとみつけた、願いだったのに。



「…ねぇ、これって…」


 彼女はがばっとベットから起き上がった。


 一度しか入れない何て言ってない。事実、自分と老紳士は幾度もあの店に入っていた。それに、店長はずっとあそこに居る。



「人の願いは、一つじゃない…」


 それに、経営者だからって思っていたけど、この法則が誰にでも厳格に適

応されるなら、店長にだって…


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