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Snow White  作者: 湊 奏
1/4

一人目 想イノ勇気

「てんちょー」


「なんですか? 従業員A」


「従業員Aってなんですか…っじゃなくて、お客こないですねー」

「分かりきったことでしょうよ。そういうお店なの。常時ここに来れる君が特異なんですよ、わかってる?」


「えー? そうなんですかぁ?」


「そうですよ。君の願いが『バイトする』だったから雇ったけど、私一人でも回せるんですから。まぁ、この時期は少し忙しくなるけどね」


「ふぅん? やっぱ、クリスマス近いからですか?」


「そうだね。けれど、それだけじゃない。冬という季節はね、人に願いを抱かせるんだよ。儚く、時には心が痛むような願いをね」


「私、そんなんないですよ? 現状満足だし」


「皆がみんな。君みたいな人なわけではないんだよ。願いが生まれ、必要とする人だけが此処に来れる。此処はそういうお店。偶然、なんかで迷い込める処ではないの」


「じゃあ、私はここのお店を必要としてるんですかね?」

「そのはずなんだけどね… 君はどうやらイレギュラーみたいだから判らないね… おや、今月初めてのお客さんが来たみたいだよ」


「あ、じゃあ、接客してきまーすっ」

「失礼のないようにね」


大都会のどこか。ひと冬の夢が踊る。季節とともに噂は広まり、季節とともに消えてゆく。それは儚く、真っ白な雪のように…


十二月に入って、もう一週間。私は未だ動けずにいた。

 高校二年生、来年は受験生だから、ことを起こすなら今回が最後かもしれないのに…


「はぁ…」


 街中を歩いていて、大きなため息をつく。周りにはリア充がいっぱい。でも、私は独りだ。

 だがきっと、周りには私もリア充に見えているのだろう。マロンブラウンに染めたロングの髪はウェーブのアクセントを付け、イマドキの女子高生よろしく、リボンをダルっとして、ブラウスの胸元を軽く開け、スカートは短く織り込んでそれなりの化粧などもしている。


 派手めで、自分で云うのもなんだけど、それなりに可愛い外見をしているので周りには堕ちている、なんて見られるはずもない。


「寒いな…」



 短く織り込んだスカートの裾を引っ張り、少し長くしてみると若干暖かくなった。マフラーを口からまいて鞄を片手に大都会の通りを闊歩する。


何がしたいとか、そういうのではない。もしかしたら、プレゼントが欲しいのかもしれない。それはあげるためのプレゼントか、もらいたいプレゼントか…


その時、鞄の中で携帯が鳴った。曲はキロロの『冬のうた』。季節一過性の着うただ。


「はい」

『あ、ユキ? 今暇?』

「…渋谷」

『うわ、これまた遠いところに』

「で、何の用なのよ、トウコ」

『いや、暇なら家来ないかなって。まだキメてないんでしょ? 話聞こうかなって』

「…ごめん、今日は無理。お母さんが帰って来いって」

『おぉ、あのお母様に言われたか。だったら帰らない訳にはいかんわね』

「そういうこと。じゃ、また」


 返事も聞かずに通話を切る。ちょっとだけムカついた。

 自分は平気だからって、周りまで抱え込もうとしなくていいのに。話したくなったらこっちからか掛けるし、気を回されるととても居心地が悪い。


 実際、母親になんか言われていない。渋谷にいるのが良い証拠だ。それもトウコは解っていたと思う。でも敢えて何も言わなかったのは、トウコの優しさだろうか。


「さて、どうしようかな」


 本当に目的はない。ただ、通学路だからというのと、人があふれる街なら何かないかと思ってというのから、ここに来ただけだ。


「おとなしく、帰ろうか…」



 行かないといった手前、トウコの家には行けない。行ったら行っただろうけど。



――――――カラン…



「ん?」



 やけに耳に付いた扉をあけるベルの音。この街中でそんな音だけが聞こえるなんてそうそうないのに。

 そして目の前にはお洒落なお店があった。可愛い装飾はクリスマス仕様。だけれど、シンプルにあまり主張していない。シックな感じだ。



 なぜか、心惹かれて、ふらふらと中へ入ってしまった。


「いらっしゃいませ。ようこそSnow Whiteへ」



 対応してくれたのは同い年くらいの店員さん。亜麻色の髪は天然ものなのか、とても艶々していて綺麗だった。さらにもう一つ目を引くものがある。制服だ。



「め、めいど…」


「はい、当店での制服は正統派のメイドです。店長の趣味です」

「こらこら、余計な事言わないで」



 可愛い店員さんの後、奥から出てきたのは…



「し、しつじ…」

「当店での男の制服は執事仕様となっております。これも店長の趣味です」

「あのね、制服なんてどこもトップの趣味なんですよ」


 銀縁眼鏡でスラッとした、中年入りましたって感じのおじさん。なんかいっぱいファンがいそうな雰囲気がある。いわゆる美中年だ。


「言い訳ですよぉ。ほら、店長、お客さん茫然としてますよ?」

「それはこの店に対してで私にではありません」

「またまたぁ~」



「あ、あの!」


 バイトと店長の立場のはずなのに面白い会話を繰り広げられて、若干の疎外感からと事実の否定のために会話に割り込んだ。


「あたし、フラッと入っちゃっただけで…その、お客ってわけじゃ」


 俯き加減で言ったが、二人が顔を見合すのが気配でわかる。

「ご、ごめんなさい…」


そして思わず謝ってしまう。


しかし、


「いや、君はお客だよ」


 しっとりとした深い声で、店長が言う。


「…え?」

「なんか店長いわく、必要としている人しか此処のお店には入れないらしいんですよ」



店員さん手を引かれて、店にある唯一のテラステーブルへと案内される。

そして対面に店長が座った。


「何か飲むかい?」

「え、っと…その」

「遠慮はいらないよ、別にお金取らないから」

「――――――…」


店長は楽しそうに笑っていったが、私は二の句をつなげない。


 どう言ったらいいんだろう。悪い気もするし、何か罠にはめられそうな気もする…


「じゃぁ、ココアね。この季節はホットココアでしょう」

「じゃあ、ホットココア生クリームのせ、二つですね」

「よろしく」

「アイアイサーですっ」


 ほぼ強引に決められ、可愛く敬礼した店員さんを見送りつつ私は茫然としていた。


「心配しなくていい。彼女の入れる飲み物はレベル高いから」


 そうではないのだけれど…


「さて、緊張しないで良いよ。取って食ったりはしないから」


 店長はニコニコ笑って手を組んだ。


「さっきも言ったけど、此処のお店は入るべくして入る人しか入ってこない。普通のお店みたいにふらっと立ち寄って何も買わずに出ていく、なんてことはないお店なんだ。その証拠にさっきから誰も入ってこないでしょう」


「あ…」


 確かに、言われてみれば誰も入ってこない。本当にこの店などないかのように、皆、目の前を通り過ぎている。こんな可愛いお店をこの季節に素通りするなんてあまりないことだ。


「信じてもらえたかな?」

「―――…」


 私は頷かない。ほとんど信じてはいるけど、でも頷いたら負けのような気がしたからだ。


「はははっ。慎重なのはいいことだ。それとも負けず嫌いかな? まぁ、この場合、信じる信じないは関係ないけどね。ただ事実としてそこにある。信じようが信じまいが、誰も損害を受けない。変わるとすれば、それは君の真実だ」


 くったいなく笑う店長。

 もう、いったい何なのか。

真実。事実は変わらないが、真実は変わる。いったいどういう意味なのか。

考え込んでしまう。そしてふと、先ほどよりも落ち着いて、割とこの状況を受け入れている自分に気が付いた。



「此処はなんのお店なんですか? レストラン?」

質問をする余裕さえ生まれる。


「ここはケーキ屋さんだよ。いや、お菓子屋さんかな? すべてお客のオーダーメイドで作る、お菓子屋さん」

「全部オーダーメイド!?」


柄にもなく素っ頓狂な声を上げてしまう。直後に顔から火が出るかと思うほど熱くなる…いや、恥ずかしすぎる…


「そう。といっても、主に勝手にこっちが作るんだけどね。お客さんの要求を言われなくてもきちんと汲んでこそ、一流だから」


 言われて私は周囲を見渡した。でも、お菓子屋さんらしき装飾もレイアウトもない。カウンターの下の空のショーケースと空の飾棚があるだけだ。これでは分かるはずもない。



「何もないのは、お客はあまり来ないから。それと、全部オーダーメイドだから。飾っても意味ないしね」


 なるほど、と言われて思った。確かにソレな合点がいく。しかし…


「それで商売が成り立つんですか?」

「…店のことを心配するなんて、きみ珍しい人だね。大丈夫、色々とあるからね」

「おまたせしましたー!」


 店長が含みのある笑みを浮かべた時、店員さんがココアを三つ(・・)もって来た。


「ちゃっかり者だね、相変わらず」

「ぇえー…私だけ仲間外れなんて、つまんないですよぉー」


「まったく、働きなさい従業員」

「仕事がないんですぅ。そんなに言うなら仕事くださいよ。というわけでご一緒しますね!」


 仕事をよこせと言いつつ。半ば無理やり彼女も席に着く。全く働く気はないようだ。

だが店長はそれ以上なにも言わなかった。



「なかなかいい出来だね」

「当然ですよっ」


 白い湯気が立ち上るココアの上に、真っ白な生クリームが乗っていた。


「ゆっくり溶かして飲むといい。お好みでこんなモノをかけたりしてね」


 店長が差し出したのはシナモンシュガー。いったいどこから取り出したのだろう。常にポケットに忍ばせていたらちょっと…


 受け取ると、それは冷たかった。故に体温で温まるポケット説は消えうせる。なら店員さんが? それもない、見てない…


まるで、魔法でも使ったかのようだ。



「ほら、冷めてしまうよ」

「あ、はい。いただきます」

「どうぞ~」


 疑問が解けないまま、けれどこだわるでもないので、勧められるまま一口飲む。生クリームの間から熱いココアが流れだし、私の喉を通って体を温めてくれる。それはとても美味しかった。


「さぁ、身体が温まったところで聞こうか。君の話を」

「話…?」


 私は首を傾げる。語るべき事などあるのだろうか。そもそも、たった今知り合った店員になど話すことはあるのだろうか。


「君が此処に来れたことには理由(わけ)がある。抱えるモノがある。吐き出したいモノがある。それがどんなものかは分からなくても、心の底に渦巻いて、小さく儚くても確かにある何か。あるだろう?」


「―――っ!?」


 やけに響く言葉の羅列。遠くから聞こえるようで近くでなる深い声。心を見透かされたような感覚…


ココアを吹き出しそうになり、寸前でこらえた。それが精いっぱい。

心拍数は上がり続けている。


動揺が、隠せない。冷や汗というものは本当に冷たい・・・


 彼には分かるはずないのに、もう、どうしたってあの事が頭から…意識の中心から離れない…


「てんちょー…」


店員さんは非難がましい目を店長に向けた。


でも、店長は彼女のほうを見ることもなく言い放つ


「必要なことだよ。彼女の心がここの扉を開けたんだから」


「そうですけど・・・」



どれくらい、沈黙をしていただろう。激しい動機も落ち着きつつある。


店長は真摯な顔つきで黙って待っていてくれたようだった。


それを見て、ようやくというべきなのか、この見知らぬ人たちに聞いてもらおうという気持ちが芽生えた。


「…いい、ですか?」


話す決断をした自分自身にも驚いたが、同時に洪水のように言葉があふれだす。


「もちろん。夜は長い。きっとお客も来ないだろうしね、どこまでも付き合いましょう」


 そう言って微笑む。どこか、人を安心させるものがそこには在った。


「あたし…」







 私には好きな人がいる。小学校からずっと一緒だった。本当に最近まで大っ嫌いで、顔を突き合わせれば憎まれ口を叩いた。


 お互い嫌い合っていたはずだった。中学では一度もクラスが一緒にならなかったのに、週一回は私を憤慨させた。なのに高校になっていきなり接点が増えだした。


 クラスが同じになり、委員会が同じになり、席が近くなり…


「なんであんたの隣なのよ…」

「それもう何度目だよ。飽きないな」


 彼は机に突っ伏して、顔だけこちらに向けて言う。そのにやり笑いが、莫迦にしたような態度が私のイライラを加速させる。


「うっさいわね! それだけ嫌だってんのよ! 何?嫌がらせ? あんたの存在は嫌がらせなワケ!?」


「あー。もう、アホらしいな。別に故意に此処に来るわけないだろ。何度も言うけど偶然。嫌がってんのはそっちん勝手。まぁ、いいけどさ。お前がアホなのも今更だしな」


「っ!!」

「おっと」


 思わず出た私の足は、突っ伏していた彼にかわされた。そう、相手は突っ伏していたのに…


「よけるな! 大人しくしろっ!」

「嫌だよ。痛いだろ? 言っとくが、教師共に見つかったら停学だからな。 落ち付けよ」


 もはや名物化している、私と彼のバトル。


いや、一方的に私が攻撃し、彼が全てを避けていく、ただの茶番…


 いまも、手やら足やら、本気で放っているのに、一発も当たりはしない。

 しかも彼は慌てるでもなく、ひょいひょいと避ける。

中学一年までは当てられていたし、反撃もされたのに、今じゃ相手にすらしてもらえない…


「おー! お二人さんまたバトルかー!」

「飽きないねー、仲良いねぇ」


クラスメイトも茶化しこそすれ、止めようとする者は教師にすらいない。




 休み時間中でも…


「……」

「……」

 廊下でかち合い、お互いに無言で相手を見つめる。

いや、彼は薄ら笑いを浮かべている。まるで、こちらの出方を待っているかのように。



「どきなさい」


「…ん」



ドスの利いた声を発する私。言いがかり上等。

でも、彼は簡単に道をあける。


前までは互いにガン付けて、絶対にどかないで言い争って、バトっていたのに… 今じゃ簡単にこれだ。


 私がどかしているのに、とても腹が立つ。優越感なんかない。寧ろ、「子供だな」と見下されている気にすらなる。


 そう。上から目線は当然の如く、まるで自分が大人であるかのように簡単に折れたり、流されたり…


 ぶつかってるのが此方だけみたいで、ぶつかれてなくて…かわされて…それがすごく厭だった。イライラした。だからまたぶつかった。でも、意味はなかった。かわされるだけ…


 そしてあるとき、ついにそのイライラが最高潮に達した。いわゆる、キレたというやつ。


彼が、私の頭をポンポンと撫でたのだ。まるで、子供をあやすかのように…


「…――――っっ!」



その時の私の気持ちを考えてほしい。

ケンカ売っている、心底嫌っている相手に、不意打ちで頭を撫でられたのだ。

しかもさらに腹立たしいもとに、それで私はその場にくぎ付けになってしまった。

理解できない行動に、彼の手の大きさに、自分の感情の在処に、動揺したのかなんなのか。茫然自失というのを初めて経験したのがこの瞬間だった。



 その時すぐさま攻撃に出ていれば、あんな事にはならなかったのかもしれない。でも、できるはずもなかった。



 彼は、とても優しい笑顔をしていたのだ。嘲るでもなく、あきれるでもなく。まるで、慈しみに満ちた笑顔だった。


これだけ暴言暴行をしているというのに、どうしてそんな顔が出来るのか… 私のして来たことは何だったのか。何の影響も与えられなかったというのか… 無意味だったというのか…


いったい彼は、何を考えているのか…




 何がしたかったのかは分からない。なんでしたのかも分からない。でも、私は行動を起こしていた。



 カツカツカツ…



リノリウムの廊下を彼は独りでこちらに向かって歩いてくる。私は陰に隠れてそれを待ち構えていた。彼が階段を降りはじめる瞬間を…


彼は全く気付かない様子で階段を下り始めた。


でもまだ。うちの学校の階段は無駄に長い。あんまり高い位置からすると大変なことになる。


彼は一歩一歩下って行き、中段に差し掛かった時…私は疾走した。


「――――っ!」


彼を突き飛ばすために。怪我しない程度の高さを図って、でも心臓には悪い程度の高さで。


これをすれば、さすがに影響はあるだろう。もはや何を目的としているのか訳が解らなかったが、その時は全く考えていなかった。


そう、後先考えず、とはまさにこのことだった。

目的も結果もすべてを見失い、私はただ彼の存在を自身の中で処理できなくなっていた。



私は階段を一足飛びに駆け降りる。手を前に突き出し、彼の背中を押そうと…

 でも、 あと一歩…そうしたら私の腕が届くという瞬間に、



「阿呆。気付いてるっての」


見事に避けられた。


「あ…――――」

「え…おいっ!」



 私は当然勢い余って顔面から転げ落ちそうになる。だが、そんな事になるとは思ってもいなかった。世界がスローモーションになった。


走馬灯は見なかった。ただ、彼の顔が驚きに歪むのを見て、歓喜したことは覚えてる。


ああ、ざまあみろ――――…




「…っ! ンのアホがっ!」



 ドンという音と、包まれる温もり…目を瞑ってしまった私には、何が起きたのか解らなかった。

 ただ、どこもいたくはなかった。


「大…丈夫、か…?」


「え…? え!?」


 声を掛けられて、一気に状況を把握した。

 私は彼の上で、彼は廊下の上で…背中にまわされた腕と、彼のうめき声…


 彼は、身を呈して、私を庇ってくれたのだ。


「なんで…どうして…」

「…無事、みたいだな…うっ」


あちこち打ち身になって、私は一切怪我がなくて…


彼は、痛みに顔を歪めながらも笑った。安心しろ、と。大丈夫だ、と…


一切責められなかった。許された…


「…はぁ? ほんとに…なんなわけ…?」

「―――いっつ… 何がだよ」


なぜか私は涙していた。


「だって…なんでっ。なんで助けたりするの…意味わかんないよ…」


「しかたねーだろ。身体、動いちまったんだからよ。あーいてぇ」


「嫌い…だいっきらい…っ」


「知っているよ」


「本当に大っ嫌いなんだからっ」


「ああ。日々思い知らされているよ」


「ごめ…っ、ごめんなさい―――っ」


「散々好き勝手言って今更謝んのかい」


「だって…だってさぁ…ごめんなさぁあああああぃぃいいいい!」


私は莫迦みたいに泣いて、莫迦みたいに謝って。


病院でもずっと泣いていた。


いろんな検査の結果。異常なしとのお墨付きをもらって、病室から出てきた彼に、私は泣きじゃくりながら抱き付いて、謝った。


彼は一言。


「ばぁーか」


そう言って笑った…



 いつの間にか…「嫌い」が「好き」に変わってた。今や突っかかって行くこともできず、ぎこちなく一緒にいる。いや、一緒にいるなんてモノではない。必要最低限関わる、といった状態だ。


 今更、好きなんてどの口が言えようか。それでもこの気持ちは変えられず、蓋をすることもできない…







「自業自得です…。もう、如何仕様もないんです」


 いつの間にか涙が流れていた。苦しくてたまらないのに、勇気とか何よりも、状況が言うことを赦してくれない。


 店長と従業員は顔を見合わせて黙り込んでいた。きっと、呆れているに違いない。当然だ、こんなの惨め過ぎる…



「君、案外莫迦だね」

「―――っ…うっ」

「あぁ、てんちょー泣かせた。いくらなんでもストレートすぎですよ。というか、言葉違うと思います」

「うむぅ。確かに、違う言い方か…あぁ、莫迦はともかく、あれだ。君は鈍感だ、と言えばよかったんだね」


「…?」


 真っ赤に腫らした眼で、私は店長を見た。


「君はその人が好きなんだろう?」


 コクリ、と私は緩慢に頷いた。


「その人は笑って許してくれたんだろう?」


 コクリ。


「謝って、ちゃんと気持ちを伝えたいんだろう?」


 コクリ。


「なら大丈夫だ。躊躇い無く肯けるほどなら、君に必要なモノはあと二つだけ。私が君を後押しできるのはそのうちの一つ…少し待っていて。サキさん、少し任せたよ」


「お任せくださいっ」


 店員さんが可愛く笑って、店長は奥へ消えていった。謀らずとも店員さんと二人きりになって、少し私

は戸惑っていた。


 何を話せばいいのか。でも、その心配をする必要はなかった。


「やっぱてんちょー凄いですよ。私、わかったけど、あなたに必要なモノまでは解らなかったもン」

「わかったって…」

「あ、それは内緒。お店の決まりでね、此方がするのは後押しだけ、本質、決定打には触れてはいけないってね。あなたが自分で気づかなくちゃいけないんだって。教えてくれた方が楽なのにねぇ?」


 ニコニコと笑う店員さん。私もつられて苦笑いを浮かべた。


「私がバイトに入る前はてんちょー一人で店回してたんですよ? パティシエ兼経営者で何かカウンセリングもどきもしてるし。読心術っぽいスキルもってるし…謎ですよねー」


 へー、と私はただただ驚いていた。そんなたくさん一人で切り盛りできるものなのだろうか。というか、本当にどうやって経営を成り立たせているのか…バイトまで雇って。


「そろそろ出来る頃ですね」

「…なにがですか?」

「お菓子ですよ? 此処お菓子屋さんですから」

「は!?」


 ニコニコと笑う店員さん。いやいや、だってまだ十五分くらいしか経ってない。そんな短時間でお菓子なぞ出来るものか。


「お待たせしました」

 店長がトレイを持って戻ってくる。その上には…ケーキが二つ乗っていた。

「うそ…」


「とんでもなスピードですよね? でも一からちゃんと作ってるんですよ?」

 そんな馬鹿な…


 呆けている私の目の前にケーキは置かれる。


「君だけのケーキだよ。私が作った。名は『エロイカ』」


 手のひらに載るくらいの丸いフルーツケーキ。色鮮やかなベリーが左右を飾り、中心に鷹の飴細工。側面にも彩り豊かで宝石のようなフルーツたち。


「嘗て栄光を極めたナポレオン。それを讃えた交響曲。それが『エロイカ』。彼は自然と栄光を極めたのではない。カリスマ性こそあれ、それを活用するのは本人。彼は勇気と覚悟を以って戦場を制していった。戦わなければ可能性などありはしない。だが、戦いさえすれば薄い望みですらもぎ取って見せる」


鷹はボナパルト家の紋章だ。勇敢な者たちを多く輩出した名家。左右のベリーたちは戦った果てに手に入れた財宝なのだろう。


戦わなければ得られるはずのないモノ。戦ったからこそ得られたもの。死を隣合わせとしても尚も欲した栄光。


そして彼は掴み取った。


「サキさん。箱詰めよろしく」

「はいです。お待ちくださいませっ」


 店員さんが二つのケーキを手早く詰めて、リボンを付けてくれた。


「これをお持ち帰りください」

「えっと、お代は…」


オーダーメイドだ。頼んでいないとはいえ作らせてしまった。法外な値段でない限り払おう。


「うぅん、そうだねぇ。じゃあ、1400円で。一個700円。ちょっと高めかな?」

「いいえ…オーダーメイドだから。それくらいはすると思います。もっと高いと思ってましたし」


 本当に、どうやって経営を…


「エロイカの意味、君に必要なもの。君自らが気付かなくてはいけない。私達に出来るのは小さな後押しだけ。応援しているよ」


 そう言って店長は優しく笑った。





私は会計を済まして店を出た。もうすっかり冷え込んで、空気が痛い…

でも、心はなぜか温かかった。


「栄光のナポレオン、か。覚悟と勇気。うん、そうだね。やってみないと、可能性はゼロのままだ」

 私は独りゴチて頷いた。そして、店を振り返る…


「…―――」


 何も、なかった。

 桃色空間のジュエリーショップと、雑貨屋が左右に在って、私はちょうどその真ん中に立っていた。路地すらない。何処にもお店なんてなかった。


「マジっすか…」


 じゃあ、じゃあ…私は不思議体験をした、のか?

 手の中には確かにケーキはあった…夢、ではない…考えても、きっと答えは出ないだろう。私はちょっと苦笑いをしてから、鞄からケータイを取り出した。


 アドレス帳から『彼』の番号を引っ張りだす。


「所謂、当たって砕けろってことだよね」


 私は意を決して通話ボタンを押した。


「もしもし、今から会える?」

『は? なぜ? というか今度は何の罠だ? 誰から俺の番号を?』


「ウザい。質問多い。あたしの質問に簡潔に答えよ」

『…大丈夫だよ。何処にする』

「あんたん家」

『…まあいいけど。さっさと来な』

「ん」


 終話して私は駅へと反転する。例え痛みが隣合わせでも、それでも手に入れたいものがある。

 そして私は歩みだす。


 彼と…このケーキを…







「彼女、きっとうまくいきますよね」

「その上手くいくが、行動を起こす、という意味ならね。受け入れるかは彼次第でしょう」

「絶対うまくいきますよ! て言うか、小学生レベルですっ」

「ははっ、確かに」


 言って彼らは笑いあう。


「じゃ、私そろそろ帰ります!」


「はい。お疲れ様。また明日ね」


「了解ですっ! お疲れ様でした」


 カラン――…と音を立てて彼女が帰る。彼はテラステーブルに腰かけて独りゴチた。



「覚悟と勇気。思いの強さに比例するのかね… 我らに出来るのは小さな後押しのみ。頑張るのは、決めるのは、結局本人なんだよね―――」


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