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花崎透旋の苦悩

 美歌ちゃんは恐ろしいくらい「平凡」な女の子だった。

 昔からずっとそうだ。態度が変わったことなんて、ただの一度もなかった。


 花崎透旋(はなさきとうせん)は、知っている。

 自分が他者を狂わせることを、自分の存在が浮き世離れした――異常なものである、ということを。


 しかし、戸羽美歌(とばよしか)はそんな透旋の異常さを無かったものにしてくれる、唯一の存在だった。

 透旋は昔から、気に入ったものに執着する節があった。

 幼稚園時代はマカロニ、小学生時代は打楽器、中学生時代は弦楽器――現在は音楽そのもの。

 楽器は楽しい。演奏すれば――美歌が笑ってくれる。すごいね、きれいだね、と、美歌が喜んでくれる。


 楽器に対して特別な感情を抱いたことは一度もない。楽器はただの楽器で、楽曲はただの楽曲。そこに込められている感情は透旋にとって何の意味も持たない。

 感情を込めなくとも、感情を表現することはできる。熱い想いを込めなくとも、熱い想いを表現することはできる。だから演奏中はいつも、特別なことを考えていない。特に今はそうだ。美歌が聞きに来た時だけ、透旋は美歌の為に奏でた。


 美歌は透旋の救いであり、透旋のパートナーであった。

 一生涯を共にする、最初で最後の唯一無二のパートナー。


 少なくとも透旋はそうだと思っていた。



 初めて美歌を見たときから透旋は「この子がパートナーだ」と確信していた。

 見る目、態度、感情、性格。

 そのすべては他とは違う。


 子供だからこそ気付けたのだろう。

 子供だからこそ、はっきりと無垢に――美歌が透旋を特別視していないと感じることができたのだろう。

 差異に気が付けたのは、周りと美歌が違うと気が付けたのは、純粋な子供であったからこその賜物だと。


 透旋が近付けば、誰もがうっとりした顔になった。まるで畏れ多いとまでに肩を震わせ涙ぐんだものもいる。子供心に自分自身が「神秘的」な容姿であると、透旋は自覚するしかなかった。


「おれは“かみさま”みたいに、きれいでとうといの?」と、周囲から言われた言葉をそのまま透旋が口にすれば両親は悲しげに微笑み、肯定するように静かに泣いた。


 そんな、透旋に。


「はなみずでてるよ。ばっちいからふかなきゃ」と、言ってきた女の子がいた。



 透旋は驚き、喜び、やっぱり少しばかり信じられなかったので、女の子に抱きついてみた。

 すると、ほんのり石鹸の香りがした。その女の子は透旋の行動に驚いて目を白黒させたが――ただ、それだけだった。

「はなみずきたないよ」と追い討ちをかけるように透旋に言う。その女の子の顔を見て、透旋は漠然と思った。


 ――おれのための、おんなのこ。


 まるで透旋の為に用意されたかのように、透旋を直視して躊躇いもなく触れられる同い年の少女。


 けっこんする。

 このことけっこんして、おれはこのこのものになる。


 そうすることで透旋は、孤独を回避できるのだと教えられたように知っていた。


 幼い頃から幾度となく、透旋には「なんとなく」運命を悟れる節があった。

 こうするのが正しい、こうすれば幸せになれる。

 こうするために、こうするのだ。

 まるで、それは誰かに教えられているような、そんな感覚だった。


 その女の子を自分のものにしなければ、透旋は自分が一生不幸であると「知っていた」のだ。

 どうしてかはわからない。

 本当に神という存在がいるのなら、透旋はそれにとても愛されているのだろう。


 だって、教えてくれるのだ。どうすれば幸せになれるか。

 透旋は女の子を「自分のもの」にしようと決めた。


 何度も何度もアプローチをして、結果――惨敗だった。


 運命を知っているはずなのに、幸せは彼女が運んでくれるはずなのに、彼女はその運命を打ち砕くように透旋を遠ざけようとした。

 透旋に全く靡かない。透旋の運命を運命ではないものにする。彼女は自分で未来を選び、自分で運命を切り開いているように見えた。

 透旋は焦り、不安になり、彼女が自分から離れないように、何度も何度も画策した。


 大好きなマカロニを食べることを止めた時には何故か大騒ぎになり、両親や園長はこぞって透旋に理由を聞きにきた。

 それまで毎日食べていたマカロニ。大好物だと言っていたマカロニ。何にも興味を示さなかった透旋が、唯一執着していたマカロニ。

 急に食べないと言い出し、頑なにマカロニを遠ざけたのは――美歌に「マカロニより美歌の方が好きなのだ」と理解して貰いたかったからだ。

 しかし、美歌はそんなことでは透旋に興味を示さなかった。

 マカロニより美歌が好きだと言ったのに美歌は見向きもしない。

 透旋はなんとか美歌に振り向いて貰おうと必死になった。


 そして、透旋の意思を察した大人は美歌を説得した。

「透旋君と仲良くしようね」

 大人がそう言うと、美歌はあっさりと頷いて透旋に振り向いた。



 透旋は学習し、美歌を自分の傍におく為の手段をいくつか見つけた。

 大人が美歌にお願いすれば、美歌は透旋に振り向く。

 透旋が何も言わなければ、美歌は透旋の為に受け答えを透旋の傍でする。

 透旋が決定を下さなければ、美歌は透旋の意思を知ろうと透旋をじっと見つめる。

 何も言わず、何も決定せず、大人から透旋を頼まれれば――美歌は透旋と共に在る。


 それが透旋が気付いた、美歌の引き留め方だった。


 そうして、美歌と透旋は長い間、一緒にいることができた。


 透旋は気が付かなかった。

 美歌の変化に、周囲の激化に。


 幼い頃から崇めるように視線を向けられていた透旋は、その数が増えようが粘着質になろうが、本当にどうでも良かった。

 面倒臭いのだ。いちいち気にしていたら美歌のことを考える時間が奪われる。美歌をどう引き留めるか、美歌にどうやったら愛されるか、透旋の思考回路はいつもその答えを求めて回転しているのである。余計なことを考える暇など、少しでも作りたくなかった。自分を崇める人間のことなど、考えてやりたくもない。


 興味を抱かず、気にもしていなかったそれらが美歌に牙を剥くだなんて――透旋は露ほども想像していなかったのだ。



 土曜日には透旋の私物が、玄関先に置かれていた。

 日曜日にはコンクールを欠場して会いに行ったが、ついに美歌は透旋に会ってもくれなかったのである。


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