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公爵子息に夢中な悪役令嬢は、今更「もう戻れ」と言われても絶対実家には帰りません!  作者: ましろゆきな
第二部:偽りの盾と、氷の公爵の溶けゆく誓い

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第九話:王子の盤外戦術と、すれ違う花束

「君のような美しい才能が、こんな薄暗い工房に閉じ込められているのは、世界の損失だと思わないか?」


 ふわりと、上質な香水の匂いが鼻をくすぐった。

 私の専用工房に、まるで自室のように優雅に入ってきたのは、隣国の第一王子であるアルフレッド殿下だった。

 柔らかな金色の髪、琥珀色の瞳の恋物語の主人公のような美男子がほほ笑みを浮かべていた。

 「特級技術の視察」という、国として無碍にはできない完璧な名目を盾にして、彼はヴァイス様が登城して不在の時間を正確に狙ってやってくる。


「殿下、お戯れはおやめください。ここは私の大切な仕事場です」

「戯れなどではないよ。私は常に本気だ」


 彼は私の手元の魔道具から視線を外し、まっすぐに私の目を見つめた。その太陽のように明るい笑顔の奥には、王族特有の狡猾で計算高い光が潜んでいる。


「君はいつも『契約』や『仕事』という言葉で自分を律しているね。……だが、彼が君に当主の座を与え、この屋敷に留め置いているのは、君を便利な『盾』として手元に置いておくための口実ではないのかい?」

「……っ」


 心臓を、冷たい針でひと突きされたような気がした。

 アルフレッド殿下は、純粋に私の技術を自国へ引き入れたくて交渉しているのだろう。だが、彼の放った『盾』という言葉は、私の隠していた劣等感を容赦なく抉り出した。


(他国の王子様の目から見ても、私は『都合のいい偽物』に見えるのね……)


 セシリア様という本当の恋人を隠すための、目くらまし。それが私の価値だ。

 俯きそうになるのを必死に堪えていると、不意に、工房の空気がピンと張り詰めた。


「――随分と熱心な視察ですね、ロセッティ殿下。ですが、私の婚約者をあまり困らせないでいただきたい」


 静かで、酷く冷ややかな声。

 振り返ると、扉の前にヴァイス様が立っていた。他国の王族を前にして、魔力による威圧などという野蛮な真似は一切していない。ただ、その絶対零度の眼差しと、隙のない優雅な佇まいだけで、場を完全に支配していた。


「おや、お戻りでしたか、オルディス公。私はただ、彼女の卓越した才能を我が国で正当に評価したいと提案していただけですよ」

「お気遣い感謝します。ですが、彼女は我が国の至宝であり、何より『私の未来』に欠かせない女性です。これ以上の干渉は、外交上の越権行為と見なしますが」


 氷の小公爵と、太陽の王子。

 二人の間に火花が散る。私はヴァイス様の背中を見つめながら、その言葉を静かに頭の中で翻訳していた。


(『私の未来』……そうよね。ヴァイス様が小公爵として盤石な未来を築き、愛する人を守り抜くためには、手駒である私が他国に奪われるわけにはいかないもの)


 少しの雑談と、鋭い牽制の応酬の後。アルフレッド殿下は「また来るよ」と余裕の笑みを残して立ち去った。

 工房に、私とヴァイス様だけが残される。


「メリア。……あいつに、何か失礼なことは言われなかったか」


 ヴァイス様が振り返り、私を気遣うように少しだけ眉を下げる。その不器用な優しさが、今はたまらなく苦しい。


「いいえ。……あの、ヴァイス様。そのお手に持たれているものは……」

「あ、ああ。……これ、は」


 彼は少しだけ視線を泳がせ、背中に隠していたものをそっと差し出した。

 それは、私の髪色と同じ、淡く美しい薄紅色の花束だった。彼のような冷徹な貴公子には似つかわしくない、可憐で温かい贈り物。


「……君に、似合うと思って。その、いつも俺のそばにいてくれて、ありがとう。君がいてくれるから、俺は……これが、俺の気持ちだ」


 たどたどしく、けれど熱を帯びた声で紡がれる言葉。

 本来なら、天にも昇るほど嬉しいはずの出来事。しかし、先ほどのアルフレッド殿下の言葉で『盾』としての立場を突きつけられていた私の胸には、その優しさがひどく残酷に響いた。


(アルフレッド殿下に引き抜かれないように、私への『待遇』を良くしてくださっているんだ。ヴァイス様は、この偽装関係を維持するために必死なんだわ)


 泣きたくなるのをぐっと堪え、私はその花束をそっと受け取った。

 そして、胸の奥で渦巻く切ない恋心を重い蓋で閉じ込め、彼に向けて完璧な『ビジネスパートナー』としての微笑みを作った。


「ありがとうございます、ヴァイス様。素晴らしいお心遣いですわ」


 一滴の涙も見せず、ただ有能な部下として毅然と笑う私を見て。

 ヴァイス様はハッとしたように言葉を詰まらせ、ひどく傷ついたように瞳を揺らした。


「……そう、か」


 すぐ目の前にいるのに、私たちの心は、果てしなく遠くすれ違っていた。

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