第三話:『偽装恋人』の契約と、メリアの特大の勘違い
「はぁ〜、幸せ……。この魔力伝導率の高い銀のピンセット、吸い付くように手に馴染むわぁ……」
公爵邸の一角に与えられた私の専用工房。そこは、最新の魔道具修繕設備と、惜しみなく提供される高級な魔石や素材が揃った、私にとっての『聖域』だった。
実家の地下工房では、折れかかった古い道具を騙し騙し使い、魔力が尽きて倒れるまで働かされていたけれど……ここでは違う。
「おやつは美味しいし、定時になればメイドさんが迎えに来てくれる。おまけにヴァイス様は尊い。……ここを失うくらいなら、私はなんだってするわ!」
私がピンセットを掲げて固く決意した、その時だった。
「随分と気合が入っているね、メリア」
「ひゃっ!? ヴ、ヴァイス様!」
振り返ると、そこには今日も今日とて後光が差すほど美しいヴァイス様が立っていた。氷の瞳を少しだけ和らげ、彼は私の方へ歩み寄ってくる。
「実は、君にお願いがあるんだ。……近々、王宮で大きな舞踏会が開かれる。そこに、俺の同伴者として出席してほしい」
「えっ、王宮舞踏会ですか? ……わたくしのような、家を追い出された身の者がですか?」
思わず耳を疑った。華やかな夜会なんて、私には無縁のものだと思っていたし、何より実家のブラックな連中に遭遇するリスクが高すぎる。
私の不安を察したのか、ヴァイス様は少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「実は、俺の魔力循環が劇的に改善していることに王太子殿下が気づかれてね。『どんな名医(技師)を隠し持っているのか、この目で見せろ』と命じられてしまったんだ」
「まあ、王命に近いお誘いなのですね。……でも、わたくしが行けば、実家のバートン家が放っておかないのでは……?」
「そこで、一つ提案があるんだ」
ヴァイス様が、一歩、私の距離を詰めた。ふわりと、彼の纏う冷ややかな、けれど高貴な香りが鼻をくすぐる。
「夜会の間だけ、俺の『溺愛する恋人』を演じてくれないか?」
「…………はい? 恋人、ですか?」
「俺が君に心底惚れ込んでいると周囲に知らしめれば、バートン家といえど『オルディス公爵が全身全霊をかけて守る、最愛の女性』には、指一本触れることはできなくなる。それに、俺としても『本命がいる』と公言することで、煩わしい縁談をすべて断る大義名分ができるんだ。……これはお互いの生活を守るための『ビジネス』だよ。協力してはもらえないだろうか」
ビ、ビジネス。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内ではカチリと歯車が噛み合った。
(なるほど! 貴族社会によくある、虫除けのための『偽装恋人』ね! 私がヴァイス様の盾になって、代わりにヴァイス様が私の『最高峰の警備保障』になってくれる……。つまり、このホワイトな工房を守るための『追加任務』というわけね!)
「わかりました、ヴァイス様! そのお仕事、謹んでお引き受けします!」
「……お仕事、か」
「はい! 完璧な『愛され恋人』を演じてみせますわ! ヴァイス様の平穏と、私の快適な修繕ライフのためなら、演技指導でもなんでも受けて立ちます!」
気合十分にガッツポーズをする私を見て、ヴァイス様は一瞬だけ複雑そうな顔をしたが、すぐに蕩けるような極上の微笑みを浮かべた。
「心強いね。では……俺も『本気』で演じさせてもらうよ、メリア」
ヴァイス様が私の手を取り、指先にそっと唇を触れさせた。
その瞳に宿る熱っぽさに、私は「流石はヴァイス様、もう演技の練習を始めているのね! プロ意識が高すぎるわ!」と、感動すら覚えたのだった。
こうして、世界一幸せな『勘違い契約』は成立した。
この契約が、ヴァイス様にとっては「既成事実を作るための罠」であり、私にとっては「ホワイトな職場を守るための防衛戦」であるという、決定的な温度差を抱えたままで。




