第二話:氷の貴公子の冷徹な怒りと、有能すぎる側近の嘆き
メリアが専用工房へ鼻歌まじりに向かった後。
オルディス公爵邸の主執務室は、文字通り凍りつくような静寂に包まれていた。
「……報告を」
デスクに座るヴァイスが、低く冷ややかな声で命じる。
その前で背筋を伸ばし、一束の分厚い報告書を差し出したのは、公爵家の側近であるイザークだ。彼は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、感情を排した声で口を開いた。
「バートン伯爵家の調査が完了しました。……控えめに言って、吐き気を催す内容です。閣下がお聞きになれば、執務室の温度がさらに数度は下がるかと」
イザークは、ヴァイスがメリアに対して見せる「とろけるような甘い顔」を思い出し、目の前の「絶対零度の主人」との落差に密かにため息をついた。
「まず、メリア嬢への扱いです。彼女は十代の大半を、窓もない地下工房で過ごしていました。食事は一日の半分も与えられず、睡眠時間は平均三時間。すべては父ダレンと妹リリアンの贅沢、そして『天才魔道具師リリアン』という偽りの名声を支えるため、無給で国宝級の修繕を強要されていた結果です」
ガリッ、と。
ヴァイスが手にしていた高級万年筆が、凄まじい力で握りしめられ、微かな悲鳴を上げた。
「……続けて」
「はい。さらにダレン伯爵は、王家や他家から預かった修繕用の貴重な魔石を、安価な模造品とすり替え、差額を横領。本物の魔石は裏ルートで横流ししていた証拠を掴みました。……メリア嬢が『悪役令嬢』と噂されていたのは、彼女がこの不正に気づかないよう、また外部の人間と接触して真実を話さないよう、家族が組織的に流したデマでした」
ヴァイスは報告書の一ページを、指でなぞった。
そこには、メリアがどれほど過酷な環境に置かれ、どれほど孤独な戦いを強いられてきたかが克明に記されている。
「……そうか。あの愛らしいメリアを、彼らはそんな風に扱っていたのか」
ヴァイスの声は、もはや怒りを通り越して静謐ですらあった。しかし、その瞳の奥には、ドロドロとした真っ暗な執念が渦巻いている。
「俺が、身の内に荒れ狂う魔力の苦痛から救われたのは、彼女の温かな魔力のおかげだ。俺にとって彼女は、暗闇に差した唯一の光……神が遣わした至宝だ」
ヴァイスはふっと口角を上げ、氷のように冷たい微笑を浮かべた。
「そんな彼女を、薄汚れた地下に閉じ込め、あろうことか『不要だ』と言って放り出した。……彼らは、自分がどれほどの価値を捨てたのか、まだ理解していないようだな」
「閣下、計画通りに進めますか?」
イザークの問いに、ヴァイスは迷いなく頷いた。
「ああ。王宮舞踏会を、彼らにとって人生で最高の『絶望の舞台』にしてやろう。逃げ道はすべて塞げ。法的に、社会的に、そして再起不能なまでに徹底的に。……俺のメリアを蔑ろにしてきたこと、その身を持って知らせてやる」
ヴァイスが放つ凄まじい威圧感に、有能な側近は心の中でそっと合掌した。
(……うわぁ、バートン伯爵家、終わったな。閣下の逆鱗に触れるなんて、死ぬより辛い結末が待っているぞ)
「イザーク。メリアには、このことは一切伏せておけ」
「心得ております。彼女には、あの『ホワイトな職場』で無邪気に笑っていていただくのが一番です」
ヴァイスは満足げに頷くと、再び報告書に目を落とした。




