第十三話(第二部エピローグ):本当の誓いと、薬指の重み
建国祭の喧騒から数日が過ぎた。
王宮でのあの夜を境に、私とヴァイス様を取り巻く環境は大きく、そしてひどく甘やかなものへと変わっていた。
私が「セシリア様の身代わり」としての役目を背負い込もうとしていた特大の勘違いは、あのバルコニーでの不器用な告白によって綺麗に溶け去った。
アルフレッド殿下は、あの夜の言葉通り、特級魔道具の技術交流という外交の責務だけを華麗にこなし、爽やかな笑顔と共に自国へと帰っていかれた。セシリア様はといえば、「ようやくルカに、ただの友人だと証明する手紙が出せますわ」と晴れやかな顔で領地へと戻っていったらしい。
そして、今。
夜風が心地よい公爵邸の庭園を、私はヴァイス様と二人で歩いていた。
青白い月光に照らされた銀世界。それは、私が初めて彼から「一生そばにいてほしい」と告げられた、あの夜とよく似た景色だった。
「……夜の庭は、少し冷えるな」
ふわりと、私の肩に上質な外套が掛けられる。
振り返ると、月光を背負ったヴァイス様が、ひどく甘く、熱を帯びた瞳で私を見つめていた。かつて「氷の公爵」と呼ばれた彼が纏っていた絶対零度の空気は、今や私の前では微塵も存在しない。
「ありがとうございます、ヴァイス様。でも、ちっとも寒くありませんわ」
私が微笑んでみせると、彼は安心したように目を細め、そのまま私の右手をそっと取った。彼の手は大きくて、少しだけ不器用で、ひどく温かい。
「……メリア。あの日から、ずっと君に渡したかったものがある」
ヴァイス様は足を止め、私と正面から向き合った。
彼が懐から取り出したのは、美しい装飾が施されたベルベットの小箱。あの日、応接室の扉の隙間から見て、私が「セシリア様のものだ」と決定的な勘違いをしてしまった、あの箱だ。
パチン、と。
小さな音を立てて箱が開かれる。
中に収められていたのは、月明かりを吸い込んで神秘的に瞬く、彼自身の瞳と同じ――深く澄んだ青色の宝石があしらわれた指輪だった。
「……俺は、ずっと恐れていた。家族から道具のように扱われ、心を閉ざしていた君に、俺のこの重すぎる感情を押し付ければ、君が怯えて逃げてしまうのではないかと」
ヴァイス様は、指輪の箱を持ったまま、静かに片膝をついた。
公爵という至高の身分を持つ彼が、一人の女性の前で傅いている。その事実だけで、胸がいっぱいになって視界が滲んだ。
「だから、『雇用主』や『契約』という言葉を盾にして、卑怯なやり方で君を俺の鳥籠に閉じ込めようとした。……だが、もう言い訳はしない。君が俺以外の誰かのために笑うのを見るのは、耐えられない」
彼が私を見上げる青い瞳には、一切の迷いがなかった。
あの夜、バルコニーで仮面を脱ぎ捨てた時の切羽詰まった熱情とは違う。すべてを懸けて、ただ一人の女性を愛し抜くという、静かで揺るぎない覚悟の色。
「メリア。俺の生涯をかけて、君のすべてを愛し、守り抜くと誓おう。……どうか、俺の妻になってくれないか」
まっすぐな、本気のプロポーズ。
もう、すれ違うことはない。私の心臓は、これ以上ないほど甘く、激しく打ち鳴らされていた。
「……はい。わたくしでよければ、一生、ヴァイス様のそばに置かせてください」
震える声でそう答えると、ヴァイス様はほっとしたように息を吐き、酷く美しい微笑みを浮かべた。
彼は箱から指輪をつまみ上げると、私の左手を取り、その薬指へとゆっくりと滑り込ませた。
ひんやりとした金属の感触。
けれど、それはすぐに彼の手の熱を帯びて、じんわりとした温かさに変わっていく。
薬指に収まったその青い宝石は、私がもう「誰かの身代わりの盾」でも、「偽装の恋人」でもないことを証明する、確かな『重み』を持っていた。
「……似合っている。俺の瞳の色だ。これで、君がどこにいても、俺が守っているとわかる」
「ふふ、ヴァイス様。やっぱり少し、独占欲が重たいですわ」
「自覚はある。……君が逃げないように、一生かけて甘やかすつもりだから、覚悟してくれ」
私が涙混じりに笑うと、ヴァイス様は立ち上がり、私をそっと腕の中に閉じ込めた。
彼から漂う冷たくも甘い香りに包まれながら、私はそっと目を閉じた。
私を縛っていた冷たい『契約』は、今日、たった一つの温かい『誓い』へと変わった。
降り注ぐ銀色の月光の下、私の薬指で光る青い宝石だけが、不器用な二人の結末を静かに祝福していた。
【完】




