第十一話:建国祭の舞踏会(前編)交差する手と手
建国祭の夜。王宮の最も巨大な大広間は、シャンデリアの眩い光と、色とりどりのドレスを纏った貴族たちで埋め尽くされていた。
私の身を包むのは、ヴァイス様がこの日のためにと用意してくださった、夜空に瞬く星々を散りばめたような深い群青色のドレスだ。首元には、私の瞳と同じ色をした大粒のアメジストが輝いている。
この最高級の『お飾りの衣装』を纏うのも、おそらく今日が最後になるだろう。
「……メリア」
会場の入り口で、私の腰を抱くヴァイス様の声が、ひどく低く、微かに震えていた。
彼自身の装いは、氷の小公爵という名にふさわしい、一切の隙もない白銀と深い青の礼服。しかし、その顔色はどこか蒼白で、私を見つめる瞳には、隠しきれない焦燥と痛みが滲んでいた。
「ヴァイス様、どうかご安心を。私、完璧に皆様の耳目を集めてみせます。ですから……どうか、後悔のないように」
私が彼に向けて『セシリア様との時間を大切にしてください』というエールのつもりで微笑むと、ヴァイス様は息を呑み、何かを言いかけたように唇を開いた。
しかし、その言葉が紡がれるよりも早く、華やかなファンファーレと共に、広間の中央への道が開かれた。
「迎えに来たよ、私の美しい宝石」
王族の特権である金糸の礼服を纏ったアルフレッド殿下が、優雅な足取りで私たちの前へと進み出る。国内外の貴族たちが固唾を呑んで見守る中、彼はヴァイス様に向かって、完璧な外交スマイルを向けた。
「オルディス公。両国の友好を祝すこの輝かしい場で、彼女をエスコートする栄誉を私に譲っていただけることに、心から感謝する」
「……ええ。ロセッティ殿下。我が国の至宝を、どうか『丁重に』お扱いください。曲が終われば、すぐに私の元へお返しいただきますので」
ヴァイス様は、小公爵としての完璧な礼儀作法でそれに応えた。しかし、私を送り出すその手は、まるで私の指先を引きちぎるかのように、最後まで強く、強く握りしめられていた。
やがて、その手が離れる。
私はアルフレッド殿下に手を取られ、広間の中央へと歩み出た。
オーケストラが、ワルツの調べを奏で始める。
私たちはステップを踏み、華やかな光の渦の中へと滑り出した。
「素晴らしい身のこなしだ。特級の魔道具師が、これほど美しく踊れるなんて」
「……お褒めいただき、光栄です」
私はステップを間違えないよう必死に意識を集中させながら、周囲の視線を一身に集めているのを感じていた。
他国の王子と、氷の小公爵の恋人。
目論見通り、会場中の誰もが私たちに釘付けになっている。これなら、ヴァイス様とセシリア様が人目を忍んで言葉を交わす隙が、十分にできているはずだ。
「メリア嬢。君は今、誰を探しているんだい?」
ふいに、アルフレッド殿下の声が、いつものような軽口ではなく、ひどく真剣なトーンに変わった。
ハッとして顔を上げると、至近距離にある彼の瞳が、私をまっすぐに見透かしていた。
「外交のためだなんて、そんな言い訳で君を連れ出したわけじゃない。……君を、あの冷たい男の隣で、誰かの身代わりのように扱われる『盾』にしておきたくなかったからだ」
「えっ……」
殿下の言葉に、息が止まる。
彼は私のコンプレックスを抉るのではなく、ただ純粋に、私の痛みを救い上げようとしてくれていた。
「君が誰かのために自己犠牲を払う必要なんてない。君は、君自身の幸せのために笑っていいんだ。私なら、君を絶対に『代用品』になんてしない。私の国で、一番に愛すると誓う」
それは、王子という仮面を外した、一人の男性としての真摯な告白だった。
その優しさに、不覚にも泣きそうになる。
もし私が、まだ実家の地下室で虐げられていた頃に彼と出会っていたら、その温かい手にすがりついていたかもしれない。
けれど。
「……申し訳ありません、アルフレッド殿下。殿下のお心は、涙が出るほど嬉しいです。でも……」
ワルツの旋律に合わせて体がターンした瞬間。
私の視界の端に、広間の壁際で佇む二人の姿が映り込んだ。
ヴァイス様と、セシリア様だった。
お互いに言葉を交わしているようだが、ここからでは何を話しているのかは聞こえない。
ただ、ヴァイス様の横顔が、かつてないほど切羽詰まったように見え、セシリア様がそれを静かに受け止めているように見えた。その絵画のように美しく、痛ましいほどに完成された二人の空間には、私のような身分違いの小娘が入る隙など、一ミリも存在しなかった。
(ああ……)
ストン、と。胸の中で、最後の未練が落ちていく音がした。
(お似合いだわ。やっぱり、ヴァイス様の隣に立つべきは、あの方なんだ)
私の仕事は、もうすぐ終わる。
彼が本当に愛する人と、堂々と手を取れる未来が来るなら。私が彼に抱いたこの身の程知らずな初恋は、ここで綺麗に終わらせなければならない。
「でも、私は……たとえ偽物でも、あの人の隣で盾になれたことが、私の誇りなんです」
私が溢れそうになる涙を必死に堪え、彼に向かって微笑むと。
アルフレッド殿下は、ひどく痛みを堪えるような顔をして、ステップを踏む私の腰を強く引き寄せた。
「……君は、本当にどうしようもないくらい、彼のことが好きなんだね」
曲の終わりを告げる、最後の和音が響く。
鳴り止まない拍手の中、私はその光の渦の中心で、愛する人の幸せだけを不器用に祈っていた。




