第三話
武闘大会の日の朝は、いつもの朝より少しだけ早かった。
少しだけ、だ。
別に楽しみで目が覚めたわけじゃない。
ただ、たまたま起きたら空が明るくなりはじめていて、二度寝するには惜しい時間だっただけだ。
俺はそういうことにしている。
寝台から起き上がり、水差しの水で顔を洗う。
ついでに髪も手で整える。
旧制服の襟も、いつもより少しだけ丁寧に伸ばした。
少しだけだ。
別に武闘大会を見に行くからじゃない。
身だしなみってのは大事だからだ。男として。元兵士として。
あと、なんとなく。
「……よし」
鏡代わりの金だらいに映った自分にうなずいてから、俺ははっとした。
何に向かって「よし」なんだ。
別に出るわけじゃない。見に行くだけだ。
たまたま会場の近くに用事があって、ついでに覗くだけ。それだけである。
そういう日に限って、宿の固いパンまで少しうまい。
祭りの日ってのは、パンの味まで変えるらしい。
宿を出ると、城下町はもう落ち着きがなかった。
広場の方から木槌の音が響いてくる。
屋台の支度、客引きの声、どこかで鳴っている笛。
まだ朝だってのに、町全体が「今日は忙しいぞ」と言っていた。
いい。
実にいい空気だ。
俺は足早に南通りへ向かった。
いや、別に急いでいるわけじゃない。
武闘大会会場の近くが、たまたまエモドラさんの店の方角なだけだ。
そういうことにしている。
--
「浮かれてるな」
店先に着くなり、エモドラさんが言った。
「浮かれてません」
「じゃあなんでそんなに早い」
「早起きしただけです」
「じゃあなんで旧制服の襟をそんなに整えてる」
「身だしなみです」
「じゃあなんで顔が少しだけ締まってる」
「元からです」
エモドラさんは鼻を鳴らした。
この人は人の顔を見るのが妙にうまい。
商人だからだろうか。
客の懐具合とかも顔で分かるのかもしれない。怖いな。
店の前には、もう荷がいくつも積まれていた。
木箱、樽、水の入った革袋、薄い酒の瓶、塩をまぶした豆、干し肉の束、手ぬぐいの山、簡単な薬草包み、日よけ用の薄布、応急用の縄。
露店まるごと一式って感じだ。
「今日は会場の近くで売る。人が集まる日だ、稼ぎ時だ」
「観戦ついでに、ですか」
「稼ぎが本命だ」
「俺は?」
「働き手だ」
「言い切るなあ」
まあ、知ってたけど。
「日当は二百」
「やります!」
「食いつきが良すぎる」
「今日は祭り価格ですね」
「人手不足価格だ」
「俺、貴重なんだな」
「力だけはな」
「褒めてます?」
「半分な」
半分でも金が出るなら十分である。
エモドラさんは露店の荷を指さした。
「水は喉の乾いたやつに売れる。薄い酒は気の早いやつに売れる。塩豆は酒のついでに売れる。手ぬぐいは汗かいたやつと、流血を期待してるやつの両方に売れる」
「最後の客、嫌だな」
「そういう客が一番金を落とす」
「商人ってのはすごいですね」
「そう思うのは、今日の終わりまで取っておけ」
何か含みのある言い方だった。
「いいか、ルーク。今日は人が多い。酔っ払いも増える。喧嘩も起きる。だから――」
「戦うな、勝手に判断するな、まず聞け」
「よく覚えてるな」
「昨日一日で何回も言われたんで」
「じゃあ今日は言わせるな」
「善処します」
「それは『やる』って言え」
「……やります」
「よし」
最近、このやり取りが増えた気がする。
大人になるって、こういうことだろうか。違う気もする。
俺たちは荷を載せた荷車を押して、会場の方へ向かった。
--
武闘大会会場の周辺は、朝から人でいっぱいだった。
出場者らしい若者たち、腕組みして偉そうに歩くおっさん、家族連れ、兵士、屋台の人間、暇そうなやつ、暇じゃないのに来てるやつ。
人間ってのは、理由があればいくらでも集まる。
会場は木柵で囲われていて、その向こうから時々大きな歓声が響いてくる。
まだ本戦が始まる前の試し合いか、挨拶か、何かだろう。
見えない。すごく気になる。
だが、露店の場所決めが先だ。
「こっちだ、あの木陰の横」
エモドラさんが言う。
「中がよく見える場所じゃないんですね」
「見物に来たんじゃない。売りに来たんだ」
「俺は少し見に来ました」
「働け」
ひどい。
露店の支度が始まる。
机を立てる。
水袋を日陰へ置く。
薄い酒は転ばないように低い位置へ。
手ぬぐいは風になびくように高く。
干し肉は匂いが流れる場所へ。
塩豆は子どもの手が届きにくいところへ。子どもは勝手につまむからだ。
「すごいな」
「何がだ」
「置き方で客が変わるんですね」
「変わる」
「商人って、ほぼ陣形だな」
「悪くない例えだ」
「じゃあ俺、前衛ですか」
「荷物だ」
「ひどい」
支度をしながら、俺は何度も会場の方を見た。
歓声が上がるたび、首がそっちへ向く。
剣戟の音みたいなものまで聞こえた気がする。多分気のせいじゃない。
「気になるなら見に行ってこい」
エモドラさんが言った。
「本当ですか!?」
「戻ってこなくていいならな」
「戻ります」
「なら働け」
「はい」
知ってた。
露店が開くと、すぐに客が流れ込んできた。
「水くれ!」
「干し肉二本!」
「手ぬぐい、赤いのあるか!」
「酒! 薄くないやつ!」
「うちの酒は全部薄いです!」
「正直すぎる!」
エモドラさんに頭を叩かれた。
痛い。
「正直は大事だろ」
「売り方が下手だ」
「でも薄いじゃないですか」
「会場の近くで酔いすぎても困る。だからこれでいい」
「なるほど」
「だが、言い方がある」
「酔いすぎない親切設計、とかですか」
「余計なことを足すな」
俺は水を渡し、干し肉を切り、代金を受け取り、つり銭を間違えそうになってエモドラさんに止められた。
ついでに、やたら声が大きいのが役に立った。
俺は水袋を持ち上げて、通りがかる客に向かって声を張った。
「水あります! 倒れる前にどうですか!」
すぐ横で、エモドラさんが顔をしかめた。
「縁起でもない!」
「でも倒れてからじゃ遅いでしょう!」
「正論で押すな!」
近くにいた客が吹き出した。
ついでに二人ほど、水を買っていった。
エモドラさんがそれを見て、嫌そうな顔のまま言う。
「……売れてるのが腹立つな」
「ほら」
「調子に乗るな」
もしかすると、俺は客寄せに向いているのかもしれない。
剣士としてどうなのかはさておき。
会場の方から、またひときわ大きな歓声が上がった。
「おおっ!」
俺は思わず背伸びした。
「見るな」
エモドラさんが言った。
「今の絶対すごいやつですよ」
「見てもないのに分かるのか」
「雰囲気で」
「便利な言葉だな」
「今日はよく言われますね」
「よく使うからだ」
たしかに。
その時、近くを通った兵士の一人が俺を見た。いや、俺じゃなくて、俺の旧制服を見た。
「おまえ、その服……」
「古いやつです」
「まだ着てるのか」
「生地がいいんで」
「そういう問題じゃないだろ」
「丈夫ですよ」
「そっちの問題でもない」
兵士は少しだけ笑った。
怒るでもなく、困るでもなく、「変なのがいるな」って顔だった。助かる。重い空気は嫌いじゃないが、朝からは面倒だ。
「昔の隊か?」
「いや、別に、まあ、そのへんは」
「曖昧だな」
「今日の俺は会場の外担当なんで」
「誰に任命された」
「エモドラさんに」
「それ、軍じゃないだろ」
「知ってます」
兵士はまた笑って、人波に押されるように去っていった。
「知り合いか?」
エモドラさんが聞く。
「知らないです」
「旧制服ってのは目立つな」
「生地がいいんで」
「おまえはその理屈しかないのか」
「かなり大事ですよ、生地」
たぶん理解されてない。
--
昼を過ぎると、人の熱気はさらに増した。
酒が入るやつも増える。声がでかくなるやつも増える。自分の見た試合がこの世で一番すごかったと言い張るやつも増える。
つまり、面倒な時間帯だ。
「今の左のやつ、絶対反則だって!」
「反則じゃねえよ、見てねえのか!」
「見てたわ!」
始まった。
露店の前、酒瓶の横で、観客二人が言い争いを始めた。片方は顔が赤い。もう片方は最初から赤い顔だった。どっちも酔ってる。
「お客さん、喧嘩は会場の中だけにしてください」
「してねえよ!」
「してるだろ、今!」
「うるせえな、おまえはどっちの味方だ!」
「うちの商品の味方です!」
我ながら正しい。
その時、赤い顔の方が腕を振った。机の上の酒瓶がぐらっと揺れる。
「危ない!」
俺は反射で机を押さえた。一本だけ転がりかけた瓶を肘で受ける。ついでにもう片方の男の肩を押して距離を取らせる。
「商品倒すな!」
「だから喧嘩じゃねえって!」
「じゃあ熱い議論にしてください!」
「何が違うんだ!」
「商品が無事かどうかです!」
また我ながら正しい。
だが、面倒は一つで終わらなかった。
言い争いを見物しようと、周りの客がじわじわ寄ってくる。後ろから押され、前のやつがふらつく。机がまた危ない。しかも、混乱に紛れてひょろい男がつり銭箱へ手を伸ばした。
見えた。
そういうのだけはよく見える。
「おい」
俺はそいつの手首をつかんだ。
「何してる」
「な、何もしてねえよ」
「じゃあなんでうちの金の方へ自然に寄ってる」
「手が勝手に」
「便利な手だな」
「離せよ!」
「返すもの返したらな」
そいつの袖口から、小銭が二枚落ちた。
近くの客が「おい、こいつ!」と声を上げる。痩せた男は顔を青くして人波に逃げ込もうとしたが、俺は首根っこを軽くひねって足を止めた。倒しはしない。
「兵士さーん!」
俺が呼ぶと、さっき旧制服を見ていた兵士が振り向いた。
「どうした」
「手の早いやつです」
「言い方」
「事実です」
兵士が痩せた男を引き取っていく。
だがその間にも、酔っ払い二人はまだ睨み合っていた。
「おまえ、あの投げは見えてねえだろ!」
「見えてたわ!」
知らんがな。
しかも後ろでは、押し合いに巻き込まれた子どもが転びかけていた。
俺は空いてる手でその子の襟首をつかんで引き寄せる。
「走るな!」
「走ってない! 押された!」
「それは悪かった!」
さらに、俺たちの露店の横に置いてあった水袋の山が、人に押されて片方へ傾いた。
これが倒れたらまた面倒だ。
「エモドラさん!」
「右を押さえろ! 机は俺が見る! 酔っ払いは倒すな、ずらせ!」
「はい!」
俺は一人の腕を取って半歩だけ横へ流し、もう一人の胸を手のひらで押して、そのまま露店の前から外す。殴らせない。転ばせない。商品に近づけない。
これ、殺すより難しいな。殺したことないけど。
「並べ! 広がるな!」
俺は客に向かって怒鳴った。
「何の列だよ!」
「知らんけど列になれ! 道をあけろ!」
「めちゃくちゃだな!」
「でも動いてるぞ!」
エモドラさんが言う。
たしかに動いていた。
人間、怒鳴られると意外と素直だな。
兵士が二人、追加で駆けつける。
酔っ払いは兵士に小突かれて、ようやくしゅんとした。スリは引きずられていった。子どもは泣きながら母親に返した。水袋も無事。酒瓶も無事。干し肉も無事。俺も無事だ。
「助かった」
さっきの兵士が低く言う。
「いえ、商品が危なかっただけなんで」
「おまえ、本当にそればっかりだな」
「今日の俺は露店側なんで」
「そうか」
兵士は一瞬だけ俺の旧制服を見た。
何か言いかけたが、結局言わずに去っていった。
「ルーク」
エモドラさんが言った。
「はい」
「その『商品が危なかっただけ』って返し、今日はかなり正しい」
「かなり?」
「七十点くらいだ」
「高いな」
「八十点には遠い」
「厳しい」
だが悪い気はしない。
八十点ってのは、俺の人生ではけっこう高い数字だ。
--
その後も、小さい騒ぎは続いた。
水を買おうとした子どもがつり銭を落とす。拾う。
座ってた爺さんが立てなくなる。支える。
酔っ払いが連れを見失う。知らん。
知らんが、泣かれると面倒なので一緒に探す。
試合の歓声が上がるたびに、俺の首はそっちを向く。だが、そのたびに何か起きる。見せる気がないな、この世界。
「見たいなら行ってこい」
エモドラさんがまた言った。
「本当ですか!?」
「その代わり売上が減る」
「戻ります」
「なら働け」
「はい」
知ってた。
午後もだいぶ回った頃、ようやく少し人の波が引いた。
客足もひと息つく。
「今だ」
エモドラさんが言う。
「何がです」
「見てこい。五分だけだ」
「え、いいんですか」
「その代わり五分だ。六分になったら日当から引く」
「厳しいな!」
でも、神に見えた。腹の出た神である。
俺は人波を縫って、会場の柵の近くまで走った。中は土の円形闘技場みたいになっていて、観客席はぎっしりだ。俺は背伸びして、ようやく中が少しだけ見えた。
ちょうど試合の最中だった。
一人は大柄な斧使い。もう一人は細身の剣士。
斧が振られ、剣士が半歩ずれてかわす。土が上がる。観客が沸く。
次の瞬間、剣士が内側に入り、斧の柄を押さえたまま肩をぶつけた。斧使いが崩れる。そこへ剣の腹が首元で止まった。
――速い。
俺は目を細めた。
楽じゃない。だが、負ける感じもしない。
あの剣士、まだ余裕がある。斧の勢いをちゃんと見てた。足も生きてる。体もぶれてない。
すぐ近くの観客が、総立ちで叫んだ。
「おい見たか、準々決勝であの斬り返しだぞ!」
「今年は当たり年だ!」
「次の試合もやべえぞ!」
だが、その瞬間、俺のすぐ後ろで別の客が肩にぶつかってきた。
「すまん、通してくれ!」
「おっと」
押されて体勢が崩れる。
柵に手をついて持ち直した頃には、勝負はもう終わっていた。場内の歓声だけが残っている。
何かすごいことを叫んでいた気はするが、熱すぎてみんな同じようなことを言ってる。そういう日だ。
「……まあ、予選ならこんなもんか」
俺は小さくつぶやいた。
強い。
思ったより普通。
でも、負ける感じはしない。
たぶん、ちゃんとやれば俺でも何とかなる。
少なくとも、びびる相手じゃない。
「何か言ったか?」
隣の観客が振り向く。
「いや、なんでもないです」
五分だ。
長居すると本当に日当を引かれそうなので、俺は名残惜しく露店へ戻った。
--
「どうだった」
露店へ戻ると、エモドラさんが言った。
「普通でした」
「普通?」
「いや、普通っていうか、まあ、予選ならこんなもんかなって」
「おまえ本当に五分しか見てないだろ」
「見てましたよ。大柄な斧と細い剣士」
「ふうん」
「いや、強いですよ? 強いけど、負ける感じはしないなって」
「誰が」
「俺が」
「そうか」
「信じてない顔ですね」
「顔の種類をそこまで読めるなら、客の顔も覚えろ」
正論だった。
商人はいつも正論を持ち歩いてるのかもしれない。重そうだな。
夕方が近づくにつれ、露店の客は引いていった。
会場の中で大きい試合が続いているらしく、歓声だけは何度も上がる。
俺はもう見に行けなかった。
その代わり、露店の片付けをしながら、会場の外のごみを避け、酔っ払いを一人座らせ、迷子の子どもを兵士に渡した。
なんだこの仕事量。
「結局、あんまり見られなかったな……」
俺が言うと、エモドラさんは帳面を見ながら答えた。
「そのわりに、働いた」
「見に来たんですけど」
「働きに来たんだ」
「見に来たついでに働いたんです」
「どっちでもいい。売上は良かった」
「俺の評価は?」
「今日は八十点」
「高いな」
「残り二十は、余計なことと、つり銭の危なさと、観戦した顔だ」
「最後、仕事じゃないじゃないですか」
「仕事中の顔だ」
厳しい。
だが、悪い気はしなかった。
八十点ってのは、俺の中ではかなり高い。今までの人生でも、そんなに見たことがない数字だ。
片付けが終わる頃には、空が夕焼けに染まっていた。
会場の歓声も、少しずつ落ち着いてくる。
俺は荷車を押しながら、もう一度だけ会場の方を見た。
木柵の向こうに、まだ熱気が残っている。
いいな。
ああいう場所は、やっぱりいい。
「明日も見に行くのか」
エモドラさんが言った。
「朝の仕事が終われば」
「終わるのか」
「聞いて動くんで」
「最近そればかりだな」
「覚えたてなんで」
「その覚えたてを忘れるな」
「善処します」
「やる、だ」
「……やります」
店へ戻る道すがら、俺は思った。
試合は少ししか見てない。
でも、まあいい。明日もあるし。
それに――
武闘大会のやつらも、思ってたより普通だった。
もちろん強い。だが、手も足も出ないってほどじゃない。
ちゃんとやれば、俺でもなんとかなる気がする。
まあ、出られないんだけどな。
そこだけが、少しだけ惜しかった。
でもいい。
仕事、何でもやる。
看板に書いたその言葉は、こういう日にもちゃんと効くらしい。
--
その日の夜。
会場近くの露店仲間たちが、片付けながら噂をしていた。
「今日、エモドラんとこの露店にいた兄ちゃん見たか?」
「あの旧制服のやつか」
「そうそう。酔っ払い三人まとめて押し返した」
「押し返したっていうか、並べてたぞ。おまえら、列になれ、みたいに」
「兵士かと思った」
「今は違うらしいぞ」
「もったいねえな」
別の露店の女が、手ぬぐいを畳みながら口を挟んだ。
「あの人、水の売り方も変だったけど、声が通るのよね」
「『倒れる前にどうですか!』ってやつか」
「そうそう」
「縁起でもないのに売れてたぞ」
「売れてたな」
会場脇の染物屋の見習いも、帰り道で親方に言っていた。
「親方、今日のあの兄ちゃん、やっぱすごかったっすよ」
「どの兄ちゃんだ」
「朝、雨のこと言ってた人」
「ああ、口の軽いのか」
「口は軽いっす。でも、荷台のとこ、あれいなかったら布やばかったっす」
「じゃあ、口と腕で帳尻が合ってるな」
「そういうことになるんすか?」
「商売はだいたいそういうことだ」
昼の兵士も、詰所へ戻る途中で同僚に話していた。
「会場外の露店に、旧制服の男がいた」
「怪しいのか?」
「いや、働いてた」
「なんだそれ」
「喧嘩も止めた。スリも押さえた。売り子もしてた」
「なんだそれ」
「俺もそう思う」
「隊の人間か?」
「違うらしい。だが、動きは兵士くさかったな」
「もったいないな」
「たぶんな」
誰も、本人には言わない。
本人が聞けば、きっと調子に乗るからだ。
露店の片付けを終えたエモドラは、帳面を小脇に抱えたまま、しばらく会場の灯りを見ていた。
「……面倒で、口が軽くて、よく動く」
誰に聞かせるでもなく、そうつぶやく。
「しかも、変なところで客に好かれる」
そこで一度だけ、腹を揺らして笑った。
「やっぱり惜しいな。商人にしたら、案外いけるかもしれん」
だがすぐに首を振る。
「いや、あれは剣士か」
自分で言って、自分で妙に納得した顔になる。
それから、誰もいなくなった露店の場所を見回して、小さく鼻を鳴らした。
「明日もこき使うか」
言い方はぞんざいだったが、少しだけ楽しそうでもあった。
--
そんなことになっているとは知らず、俺は宿の寝台に大の字になっていた。
今日は働いた。
見物しに行ったはずなのに、気づけば露店、喧嘩、スリ、荷運び、列整理だ。
忙しすぎる。
だが、悪くなかった。
会場の熱気。
遠くから聞こえる歓声。
少しだけ見た試合。
露店で稼いだ金。
エモドラさんの八十点。
どれも悪くない。
むしろ、かなりいい。
「……予選なら、あんなもんか」
天井を見ながら、俺はつぶやいた。
まあ、普通ってほどでもなかった。強いことは強い。
でも、負ける感じはしない。そこは本心だ。
明日も見に行けたら、もう少しちゃんと見よう。
今度はもっと、ちゃんとした本戦っぽいやつを。
そう考えて、ふと眠気がきた。
町の外からは、まだ武闘大会帰りの酔っ払いの声が聞こえる。
城下町は、今日一日でずいぶん賑やかになった。
俺は目を閉じる。
見に来ただけのはずだったのに、やたら働いた一日だった。
だがまあ、あれだ。
仕事、何でもやるって書いたのは、俺だしな。




